庭で座ってのいろんな思い

庭の四季で花や木との語らいを写真とともに思いついたら記載する

伊勢

2018-06-30 | 行事などいろいろなこと
賢島へ行ってきました
古希の誕生日の記念でした

旅館の露天風呂からの眺めが良いところです


電車の中での弁当は、玉子焼きの豆ごはんでした

電車は特急券だけ買います
乗車券は株主総会でもらいました


宿のイルミネーションがきれいでした
お月さんもまん丸でした

こちらもきれいでした


旅館のお接待で誕生日のお祝いをもらいました
プレゼントの扇子とタオルは、トンボの柄です
トンボは前にしか進まないので、縁起が良いらしいのです


料理お刺身は船盛でした
アワビは陶板焼きでした
そばで天ぷらもあげてくれました


部屋からの英虞湾の眺めも大変良かった


次の誕生日の目標は、喜寿ですが・・・
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地震の前後の出来事(誕生日&父の日ギフトなど)

2018-06-22 | 行事などいろいろなこと
去年の日記を見ていると、旅行先の飛騨で地震に遭遇しており、震源地は長野県王滝村で6月25日午前7時2分と記録されていました
でも、1年も前のことですっかり忘れていました
記憶とはそんなものですかねぇ・・・

さて、今年も貰いました
甥夫婦からの郵送で19日に届きました
鹿児島イモ焼酎で“海”という名前です
注文しても品切れで、手に入りにくいそうです
本当にありがとう

また、14日には
クラシックのチケットを姉から送ってもらい、聴きに行きました
ワーグナー作曲の舞台神聖祝典劇「パルジファル」より“聖金曜日の音楽“とブルックナー交響曲第7番ホ長調WAB107(ハース版)とパンフレットに記載されています

ワーグナーは、ドイツのノイシュヴァンシュタイン城を観光した時に説明されたので、記憶にありました
知っている人は知っている(当然、知らない人は知らないのですが)、あのデズニーの白雪姫城のモデルになったお城です
19世紀 彼はこの城主のルートヴィヒ2世(バイエルの国王)が、オペラ好きで、パトロンだったそうです

とても品のない話で恐縮ですが、雪が降るお城の観光で馬車に乗って山道を登っていくとき、その馬が大きなおならをしました
吾輩はこの時生まれて初めて、馬もおならをするのだなぁ、としり(尻)ました
しょうもない話でした
申し訳ない

でも、吾輩は、このようにあちらこちらで親切にされて、幸せをかみしめている古希の誕生日の日々でした
感謝 感謝 大感謝です

今年も次なる祝いの77歳 喜寿の自分にあてた手紙を書こうか?と考えている途中です
60歳の還暦で、70歳の古希の自分宛に、手紙を書いたように
以上
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地震の前の出来事(Mくんたちの誕生会)

2018-06-22 | 行事などいろいろなこと
10日の日曜日に合同誕生会をしてもらいました
従兄弟のイクちゃんも吾輩も、6月生まれなので、Tマンションで、孫姉妹(R子ちゃんとK子ちゃん)の企画進行での誕生会でした
式次第は、盛りだくさんで10項目ほどありました
妹K子ちゃんの開会宣言から始まりました
まだK子ちゃんは背が低いので、踏台に立って挨拶をします
(後ろでは、姉が監督の目を光らしていました)

子どもたち姉妹のビデオ鑑賞
姉の中高女子一貫校の運動会では、中1から高3の学年までを学年ごとに縦割りし、6チームに分けた応援合戦やリレー競技など、まるで映画を見ているみたい
三国志の合戦場を思わせるような、服や旗での応援
姉のリレー競争では、1年代表で一番でバトンタッチ
イクオおじいちゃんからの走るファーム修正の助言「手の振り方の修正でもっと速く走れる」等々
二つ目のビデオ鑑賞、妹のクラシックバレー発表会では、まだ小さいクラスでも舞台化粧が濃すぎるなど
吾輩は、バレー発表者みんなの姿勢が背筋が伸びて良い姿に感心したり

それから
ビンゴゲームや百人一首かるた大会などなど
(映画と同様に、上の句を読んで下の句を取る)
例えば
「ちはやぶる かみよもきかず たつたがは
からくれなゐに みずくくるとは」
(作者は、在原業平朝臣という伝説の美男)
「さまざまな不思議なことが起こっていたという神代の昔でさえも、こんなことは聞いたことがない。龍田川が(一面に紅葉が浮いて)真っ赤な紅色に、水をしぼり染めにしているとは。」(現在訳)
このかるた合戦は、言わずと知れた、姉ちゃんの圧勝でした

それから
御馳走の後、ケーキカットや誕生プレゼント
おじさん達のお互いの妻へ、これまでのことへお礼の言葉
出席者の方々からのメッセージを書いた団扇
もう 盛りだくさん過ぎてわからないほど

それから
手品は、高齢者も子どもも受けることを再発見
(ロープとトランプとハンカチなど)

それから
妹の閉会のことばで終わりました
最後も、妹はまだ背が低いので、踏台に立って挨拶をしました
午後3時から9時半までの宴会は、あっという間でした
こんなに賑やかな誕生会は生まれて初めて

この時は、18日に大きな地震が来ることは、だれも予測できませんでした
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地震

2018-06-21 | 行事などいろいろなこと
月曜日の朝(午前7時58分)地震が発生しました
我が家は震度4
家がミシ~ミシ~と30秒ほどゆれたと思います
窓から外を見ると、向かいのおばあさんが家から飛び出す姿が見えました
3日前に、近所のSハウスを建てた方が、「地震に強い理由で建てたのです」と話していたところでした
そんなことで、我が家が壊れたら周りの家は全部壊れる、と思っているので、地震には少し強気なんです

さて、震源地(高槻)に住んでいる親戚が一番気になりました
幸いにもみんな無事だったので良かったです
一週間ほど前にLINEを教えてもらったところだったので、随時、やりとりができて心強かったのです
何かあればと思って、車のガソリンも満タンにして待機していました
スーパーで飲料水の箱売りも確認したりもしました

高層マンションのエレベーターが停止し25階ぐらいから階段で昇り降りしたり、ガスが止まっててテファールの湯沸かしで風呂にしたり、その後、翌日の夜復旧したと聞いて安堵しました
一番の心配は、早朝から出かけて電車が不通になり帰宅できない子ども(R子ちゃん)のことでしたが、友達の親の車に乗せてもらい、午後6時ごろに帰宅できたようです
地震で揺れた時、小学生の妹(K子ちゃん)をお母さんが誘導して、テーブルの下へ身を隠したそうです
吾輩は、地域の防災訓練の時に、震度6の体験をしたことがありますので、立っていられない揺れのすごさはわかりますが、実際の恐怖体験とは比べものにはならないでしょう
早く余震も過ぎて、元の生活へ戻るのを祈っています
きっと、時が過ぎれば、「あのときの地震はこわかったねぇ~」と話していることでしょう

飛騨や丹波から心配の問い合わせがあったりして
我が家も初めて、緊急袋を準備しています
地震の時は、公衆電話がつながりやすく、メールよりLINEがスムーズに通じるとニュースで言っています
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