昨日は七夕でしたが、雨で、織姫と彦星は年に一度のデートをしたのでしょうか?
万葉人は、どんな思いで、天の川をながめていたのでしょうか?
万葉集のTV番組を、観ました。
『天の川 水陰草(みずかげくさ)の 秋風に なびかふ見れば 時は来にけり』
柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)が七夕を詠んだ歌です。
「天の川 水のほとりの草が 秋風に なびいているのを見ると ああ 七夕の季節がやってきたことだ」
どうして、たなばたは「七夕」と書くのでしょうか?“7月の夕べ”かどうかは、わかりませんが・・・・・・
日本の“たなばた”の行事は、中国の伝説と日本古来の信仰とが、融合してできたそうで、“七夕”という言葉は、日本古来の信仰に由来する日本独自の言葉だそうです。
中国の伝説は、牽牛と織女(織姫と彦星)が天の川を渡って、年に一度の逢瀬(おうせ)を楽しむというものです。
一方、日本古来の信仰は、棚機女(たなばたつめ・棚で機を織っている女性)という女性に係わるものです。
棚は、水辺に突き出した台で、その上で機を織りながら、やって来る神様を待っている女性が、棚機女(たなばたつめ)です。
日本人は、神様がどうやって私たちが住んでいる世界へやって来るのかを、いろいろと考えたその一つの考え方に、海の向こうから水を越えてやって来る神様がいるんだ、と考えました。
そのような神様を迎える女性が、棚機女(たなばたつめ)で、彼女の気持になって詠んだ歌があります。作者は不詳です。
『機(はたもの)の 踏み木(ふみき)持ち行きて 天の川 打橋(うちはし)渡す 君が来(こ)むため』
「機織機(はたおりき)の 踏み木(ふみき)を持って行って 天の川に 打橋(うちはし)を渡します あなたが私を訪ねてくださるように」
踏み木は、機織機(はたおりき)の部品で、横糸を通す際に、縦糸を交互に上下させるために踏む木です。また、打橋(うちはし)は、簡単に掛けたりはずしたりできる橋のことです。
女性が、このような橋を川に掛けるのは、川を越えて自分のもとへやって来る男性を、今か今かと心待ちにしているはやる気持ちを、詩に詠んでいます。
このように日本では、万葉集の詩は、男性が女性のもとを訪れるというふうに、詠われています。
ところが、もともとの中国の伝説では、女性が男性のもとを訪れるというふうに伝わっていて、日本と中国では逆になっています。
万葉人の恋愛や結婚は、男性が夜に女性のもとを訪れて一晩を過ごす“妻問婚(つまどいこん)”でした。
ゆえに、“妻問婚(つまどいこん)”の習慣に合わせて、中国の「たなばた伝説」を一部を変えて、万葉人たちは受入れました。
地上の実際の恋愛生活が、天の川の恋人達の逢瀬にも影響したようです。
そうなのかぁ~
万葉人は、チュウカみたいに、皆んな婿養子だったんだなぁ~
今は、中国の嫁入婚が一般的なのになぁ~