暑さ寒さも彼岸までと、日本では四季の移ろいをお彼岸で感じ、季節の区切りとしてきました。
ところで、「お彼岸」とは3月の春分の日と9月の秋分の日を「彼岸の中日」とし、その前後3日間の1週間をいいます。そして、初日を「彼岸の入り」、最終日を「彼岸の明け」と呼びます。
お彼岸は昼夜の長さが同じで、太陽が真西に沈む時期なのです。だから、西方にあるという極楽浄土の阿弥陀仏をこの時に拝むのがふさわしく、浄土を偲ぶ日、先祖を偲ぶ日となったのです。
故に、お彼岸には、墓参りをし、先祖の霊を供養するのです。
そこで、お寺へご住職を迎えに行き、お墓で、先祖にお経をあげてもらいました。
幸いにも、雨は読経中には止んでいました。
納経の時、肩が重く感じました。先祖の霊が来ていると思いました。不思議と、読経が終わると肩の重さは消えました。すっとしました。
仏教最後の伯父さんのお葬式以来、58年ぶりの納経でした。
伯父さんの顔は頭の中には浮かびませんでした。2~3歳の頃だったから覚えていないからです。
それから、おつね婆さんのことも思い浮かんでいました。
いつもおつね婆さんに可愛がられていたからです。
おつね婆さんは私にとって、井上靖作「しろばんば」の伊上洪作と「おぬい」、夏目漱石作「坊ちゃん」の「清(きよ)」と同じでした。
私は、小さい頃、寝る時にはいつも「おきよ」の話しをしてもらいました。その「おきよ」の話の内容は、次のような話でした。
「おきよ」という名前のお手伝いさんがいました。
夜になり、奥さんがおきよさんに言いました。
「おきよ、ねえよ!(寝えょ)」。「おきよ、ねえよ!(寝えょ)」。
すると「おきよ」は、起きたり、寝たり、起きたり、寝たり、しました、と。
~当時の私は布団の中で、「おきよ」さんが、寝床で、起きたり・寝たり、腹筋運動をしている状況を想像すると可笑しくてたまらなかったという思い出です。~
なお、仏教では、煩悩と迷いの世界である「此岸(しがん)」にいる者が、修行をして、悟りの世界の「彼岸」の境地へ到達できること願うと思うのです。
彼岸という言葉は、仏教用語、サンスクリット語の漢訳からきているらしいです。
ところで、「お彼岸」とは3月の春分の日と9月の秋分の日を「彼岸の中日」とし、その前後3日間の1週間をいいます。そして、初日を「彼岸の入り」、最終日を「彼岸の明け」と呼びます。
お彼岸は昼夜の長さが同じで、太陽が真西に沈む時期なのです。だから、西方にあるという極楽浄土の阿弥陀仏をこの時に拝むのがふさわしく、浄土を偲ぶ日、先祖を偲ぶ日となったのです。
故に、お彼岸には、墓参りをし、先祖の霊を供養するのです。
そこで、お寺へご住職を迎えに行き、お墓で、先祖にお経をあげてもらいました。
幸いにも、雨は読経中には止んでいました。
納経の時、肩が重く感じました。先祖の霊が来ていると思いました。不思議と、読経が終わると肩の重さは消えました。すっとしました。
仏教最後の伯父さんのお葬式以来、58年ぶりの納経でした。
伯父さんの顔は頭の中には浮かびませんでした。2~3歳の頃だったから覚えていないからです。
それから、おつね婆さんのことも思い浮かんでいました。
いつもおつね婆さんに可愛がられていたからです。
おつね婆さんは私にとって、井上靖作「しろばんば」の伊上洪作と「おぬい」、夏目漱石作「坊ちゃん」の「清(きよ)」と同じでした。
私は、小さい頃、寝る時にはいつも「おきよ」の話しをしてもらいました。その「おきよ」の話の内容は、次のような話でした。
「おきよ」という名前のお手伝いさんがいました。
夜になり、奥さんがおきよさんに言いました。
「おきよ、ねえよ!(寝えょ)」。「おきよ、ねえよ!(寝えょ)」。
すると「おきよ」は、起きたり、寝たり、起きたり、寝たり、しました、と。
~当時の私は布団の中で、「おきよ」さんが、寝床で、起きたり・寝たり、腹筋運動をしている状況を想像すると可笑しくてたまらなかったという思い出です。~
なお、仏教では、煩悩と迷いの世界である「此岸(しがん)」にいる者が、修行をして、悟りの世界の「彼岸」の境地へ到達できること願うと思うのです。
彼岸という言葉は、仏教用語、サンスクリット語の漢訳からきているらしいです。