
恩智神社の祭はと同じ日にありました。8月1日でした。
この前に家の前を神輿が通った村祭よりはるかに多い見物人でした。

7月25日の天神祭りの花火を車で登った裏山から見ると、手の親指と人差し指を丸めた7cmほどの大きさに見えました。
一方、8月1日のPLの花火は10年ほど前には家のベランダからバスケットボールほどの大きさに見えていました。しかしながら、建売住宅などがたくさんできてほとんど見ることが出来なくなり、花火の音だけがポ~ンポ~ンと遠くから聞こえます。
この花火を見ようと思い、山側へ歩いて恩智神社の祭へ行きましたが、花火はうまく見えませんでした。

この神社の約300の階段は、四国や西国のお寺参り階段のようにキツイところです。
そこを太鼓のだんじりと神輿が駆け上がるのが、ここのお祭りのクライマックスです。
太鼓だんじりがこの階段を登る時、右側の担ぎ手が弱いため大きく右に傾きました。
それを見ている幼稚園ぐらいの男の子が、あたかも自分が神輿を担いでいるかのごとく掛け声をかけ、一生懸命右肩を持ち上げる姿が、大変ほほえましく思いました。
家人がおもわずその男の子に、「早く大人になって神輿を担ぎたいやろぅ?」と聞きました。するとその男の子は「うん!早よ、神輿を担ぎたい!」と力強く応えました。

1,000年ほども歴史のあるこの祭りが続いていく原点を見るような気持ちで、雨の中を濡れながら家へと帰りました。

昔の歴史に、織田信長がこの地を攻撃し一度は退散したのに腹を立て、再度の攻撃で神社を焼却したことがあったそうです。