庭で座ってのいろんな思い

庭の四季で花や木との語らいを写真とともに思いついたら記載する

丹波からのお見舞い

2010-10-25 | 行事などいろいろなこと
日曜日に、丹波から5人で、ジツエはんへお見舞を持って来てくれました。

ミチやん夫婦とナオミちゃん夫婦とその子ども(ジツエはんの曾孫のミユちゃん)です。
事前に来ることをわざと知らせていなかったので、ジツエはんは、ハトが豆鉄砲を食ったような顔をしていました。
お正月と5月連休の恒例の我家訪問には都合が悪くて会えず、暫らくぶりで4歳になったミユちゃんが大きくなったと言っていました。

あちらこちらから、曾孫が見舞いに来てくれるのを、ジツエはんは感謝して喜んでいるようにも見えました。

でも、病院へ行く前に、中華料理の昼食を食べた時、鶏の唐揚に付いてきた飾りのナスビで作った彫刻のペンギンさんの方が、印象に残ったミユちゃんでした。
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高齢クラブの出演(2)

2010-10-25 | 高齢クラブ
参考までに、読み聞かせの河内の民話を記載します。

「琴になった八尾木」

(鶯の声が二声、三声)
むかし、むかし、河内の国に、春には八の尾をもつ鶯が飛びかい、その音色をきそいあったところから、八尾と名づけられた里があった。
②   
その河内の八尾に、群をぬいて、高い、楠の木があった。人々は、その木を、八尾木とよんでおったと。八尾木は、東から朝日に照らされると、その影はずんずんのびて、淡路島までとどいたし、西から夕陽にあたると、影は高安山を越えてしまうぐらい、途方もなく、でっかい高さだった。
(強い風の音)
どんなに強い風をうけても、梢はざわざわざわめきゆれて、太い幹は、びくりとも動かない八尾木だった。
(小鳥たちのさえずる声)
そんな八尾木だったから、八尾木は、うどの大木ならぬ、うぬぼれの大木になっていった。足もとの小さな松や柳が「おはよう、八尾木さん」と、声をかけてきても、「ふん、ちびめが、なにをぬかす。」と、おおいばりで、返事もしてやらなかったと。
③   
(鶯のあざやかなひと声)
八尾木のふもとに、小さな女の子が住んでいた。女の子は、このたくましい八尾木を、とても気にいっていて、いつまでも、八尾木を見上げては、こう言った。「八尾木さん、あなたはなにになるつもり?ほかの木は、わら小屋の柱になったり、小川の丸木橋になったりしているけど・・・・・。」「ふん、そんなつまらんものになるものか。」と、八尾木はやっぱり返事をしてやらなかった。ある日、とうとう八尾木は、切り倒されることになった。

(たくさんの斧がうちこまれる響き、大きな鋸をひく音)
なん百人もの木樵があつまった。コーン! コーン!ガツーン! ガツーン!
なん日も、なん日も、なん日もかかって、やっと、八尾木は、切り倒された。
ミシッ ミシッ・・・・メリッ メリーッ・・・ドドドド、ドドーン・・・・・ドドーン・・・・!

⑤   
(大波の音―以下B・G)
八尾木は、大きい、大きい、船になった。八尾木の舟は、荷物をいっぱい、いっぱい積みこんで、広い海を、白波けたてて、かけまわった。「どどどど、ざぶーん・・・・どどどど、ざぶーん・・・・そこのけ、そこのけ、どどどど、ざぶーん。八尾木舟のお通りじゃーい、どどどど、ざぶーん・・・。」小さな舟は、八尾木の舟にけとばされてはたいへんと、逃げまわった。
⑥   
(大波の音、大きく。さらに強風が重なり、やがて嵐になるーB・G)
ある夜、嵐がやってきた。荒れ狂う、強い波風に、小さな舟たちは、ちじみあがり、あちこちの港に逃げこんだ。しかし、うぬぼれのぼせた、いばりやの八尾木舟は、「ふん、なんじゃい、いくじなしめ。これぐらいの嵐、おれさまなんか、へっちゃらだわあ!」と、へさきの胸をはって、大いばりで、でかけたと。
⑦  
(嵐の音、いっそう激しく)
嵐はいっそう吹き荒れた。山のような荒波が、ドドドドーッ、ドガーン、ドドドドーッ、ドガーンと、八尾木の舟におそいかかった。「ふん、おれは、でっかい八尾木舟だぞう!」おそれ知らずの八尾木の舟は、おそいかかる荒波の山に、へさきもろとも、突っこんでいった!
(おそいかかる波音。雷の音)
しかし、さすがの大きな八尾木の舟も、それより大きな荒波の渦の中に、まきこまれ、もみくちゃにされ、とうとう、八尾木の舟の腹に、ビビーッ!・・・・と、ひびが、走った!ビビーッ・・・・ミシミシーッ・・・・・!メリメリーッ!!
(呑みこむような大波の音・嵐の音がつづき、やがてF・O
そして、静かな浜辺の波音になり、B・G)
⑧  
そして、あくる朝・・・・。嵐がやんだ静かな浜辺に、ばらばらになった八尾木の木ぎれが、うちあげられた。海辺には、大きな釜で、海の水を煮て、塩をつくる人たちが、住んでいた。塩つくりの人たちは、八尾木の木ぎれを見つけて、「おう、これは、いいたき木になるぞ。」と、八尾木の木ぎれを、塩づくりの釜に、次々と、燃していった。あの、でっかい、でっかい、八尾木は、すっかり、灰になってしまったと。
⑨    
あの、八尾木のふもとに住んでいた女の子が、心配になって、かけつけたときには、たたみの長さほどの木ぎれが、たった、ひとつ、のこっていただけだった。「八尾木さん・・・こんなに、小さな…八尾木さん・・・。」女の子は、その木ぎれに、糸をはり、琴を、つくってやったと。
⑩    
八尾木の琴は、ボロリン、シャン、パラリン、シャンと、それは、それは、美しい音色を、遠くまでひびかせ、河内の村の人たちを、楽しませたんだと。
(美しい琴の音がつづく)
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高齢クラブの出演(1)

2010-10-25 | 高齢クラブ
この前に、高齢クラブ定例会へ行ったときのことです。

ボランティア講習を受けているので、朝の開館9時に、市立歴史民俗資料館へ特別展パンフレット(高安の神と仏・人と信仰)を50部もらいに行き、出席者へ配付し、そこで説明しそこのPRに協力しました。
その資料館は、比較的近い所なのに、行ったことがない方もおられるようです。
図書館や博物館は、生涯教育論が司書や学芸員の資格の必修科目になっているようです。
これらの施設は、退職した者にとって活用できる所なのではないでしょうか?

それから、地域の包括センターの担当者が健康に関する話をされた後に、本の読み聞かせ三つと手品を一つしました。
参考までそのことは、以下の通りです。

図書館で借りた桃太郎さんの曲をかけた後で、桃太郎パート2の話をしました。
「お婆さんは、また、川上から流れて来た桃を拾い上げると、今度の桃は大きかったので力が入りすぎて、おならを「プ~」としました。
そのとき、お爺さんは山で柴を刈らずに 
草刈った(臭かった)。」

続いて、これまた同じく図書館で借りた鳥の歌・ハトポッポの曲をかけた後で、鶴の恩返しパート2の話をしました。
「機を織っているところを見られ飛んでいってしまった鶴が、再び帰ってきて言いました。
鶴『今度は絶対に、機を織って仕事をしているところを、覗いてはいけませんよ!』
そして、夜も明方になり、おじいさんとおばあさんは、またまた辛抱できず、鶴のいる所を覗きました。すると鶴は見当たらなく、家中の物が無くなっていました。しばらくして、おじいさんとおばあさんは気付きました、
鶴ではなく サギだった(詐欺だった)。」

なお、最近、怪しい宝石屋が個別訪問して、家に置いてある宝石を狙う悪質訪問が横行しているので、「悪質訪問者と帰ってきた鶴を、家の中には入れないようにしてください。」と注意を促しました。
結果は、このダジャレにそこそこうけたように思います

次ぎは、河内の民話「琴になった八尾木」を家で読んでカセットテープに録音したものを流しました。
それは、図書館で探したCD、鶯の声・強風・小鳥のさえずり・斧や鋸の音・嵐の音・大波や小波や浜辺の音・琴の音色などの効果音を、本を読みながら織り交ぜて編集したカセットテープでした。
しかし、一週間かかった事前準備に苦労した割にはうけなかったようでした。
その理由は、映像がなく耳で聞くだけでは、聞き手の集中力が保てないこと。また、生放送でないカセットテープによることが原因のようでした。
そこで、「最後まで辛抱して聞いていただき、ありがとうございました。」と締めくくりました。

なお、八尾の地名ですが、
「この地方に、美しい声で鳴く八つの尾を持つウグイスがいたというのでついた説。
矢作(やはぎ)神社がありますが、矢を背負って運ぶことから「箭負(やおひ)」が転じた説。
弓削道鏡が大和川の堤防を築いた時に杭が多数(八百―やお)あったことに由来する説があるそうです。」
と説明すると、身近な話題なので「ほおぅ~!」と言いました。

最後に、赤・黄・青色のカードをお客さんに1枚引いてもらい、どの色を引くのかを予言する手品をしました。
「事前に引く色を打合せしているのではないか?」と言われましたが、赤色カードを引いたお客さんが、一番不思議がっていました。

メイン出しものが低調に終わったので、落ち込んで帰宅した一日でした。
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転院しました

2010-10-22 | 行事などいろいろなこと
ジツエはんの入院から約1カ月が過ぎました。まだ退院ではありません。

昨日(21日)に、術後の経過が良いので、家の近くのリハビリ病院へ転院しました。
彼女が、月に一度診察を受けている病院なので、受付や看護師さんが「あのお婆さんが入院するらしい!」とうわさになっていると言われています。
どういう意味なのかは、吾輩には分かりませんが・・・・・
そこの病院で彼女のカルテは、一番分厚いらしいです。それは、20年近くごひいきになっているからです。
まあ、毎日の病院通いで疲れるので、近くの病院でホッとしています。

転院前に、その病院の説明を受けに行きました。
リハビリ病室は6人部屋ですので、前の4人部屋より狭く感じましたので、「今度移る病室は狭い、狭い、狭い!」と彼女に洗脳しておきました。
転院結果、ジツエはんの云う事には、「それほど狭ない!」と。
吾輩の作戦は一応成功しました。もし事前に言わなかったら、狭い病室に文句を言うからです。

しゃきしゃきしている看護師さんが多いのは、リハビリ患者たちに怪我などをさせない為だと思いました。
食事は漬物など塩辛い物が好きなので、前の病院では、モロミ味噌を持参してご飯を食べていました。
「食べ物は一切持込できません。見つけたら取上げます。」と、看護婦さんにピシャリと言われましたので、ジツエはんは少し寂しそうに見えました。
「あのモロミがないと、ご飯が食べられへんのに・・・」とうつむいてボソボソ~と言いました。
まあ、家へ帰って食べることを楽しみに、リハビリをしっかりすることです。

それから、家人の図書ボランティアが休めず、吾輩一人で転院処理をしました。
彼女が看護師さんに言うことには「嫁が居たら、てきぱき処理するのに、これ一人(吾輩のこと)ではアカン!」と。

なお、この前に、曾孫のオオスケ一家が見舞いに来てくれました。
早く転院できるようになったのも、彼らのおかげかもわかりません。
入院生活は、変化がないので、素直には言いませんが喜んでいました。
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90歳の手術後

2010-10-04 | ちょっとした話
老人の場合の全身麻酔手術は、そのまま眠って覚めないこともあるそうです。
オペ中は退屈なので、病院隣のスパーへ買物でも行こうかな?と思いましたが、何か起こると呼出しがあるので、病室で1時間30分ほど待ちました。

手術後に病室へ帰ってきた当人は意識はっきりしていましたが、血圧が少し下がり寒がっていましたので、看護師さんが電気毛布をしてくれました。
その後、麻酔が効いていて痛くないのか、じっとしていないで身体を動かすので傷口から出血しました。
ジツエはんを含めて4件手術を終えたお医者さんが、その手術説明の後で、輸血をしました。
当人は、点滴を見て落ちるのが早すぎるとか、ゆっくり過ぎるとか看護師さんに言いますが、「ちゃんと見ていますので、これで良いのです。」と答えが返ってきます。
看護師さんも「90歳なのに、よくあちこちを見ているんやなぁ。恐るべし90歳!」と思ったことでしょう。

それから、食欲はありますので、「食事はいらん!」とは言わず、「水臭いおかずや!」などと食事の味に相変わらず文句を付けます。それで、ふりかけや醤油を持って行きました。
おろしたリンゴ・大好きなミソや紫つゆ草のおしたしなどを毎回持参すれば、「これが一番や!うまい!」と云いながらたいらげます。そして、味が薄いおかずを残します。
面会時間が正午から21時までなので、昼食と18時の夕食に毎日2回通いましたが、用事もこなせないし、こちらら倒れそうになるので、今日から夕食だけ食べさせに行くことにしました。
何度も神戸、そして飛騨からの子供達の見舞もあり、甘えるようですので。

なお、リハビリ担当の先生が、手術翌々日から来ています。リハビリルームも見学しています。術後5日目ぐらいからは、家から持参の車椅子に座って、今では食事をしています。
車椅子に乗せると「これやったら、家へ帰っても良い。」などと云うので、「自分でトイレへ行けんとアカン!」となだめすかしています。
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