庭で座ってのいろんな思い

庭の四季で花や木との語らいを写真とともに思いついたら記載する

家人の日記より

2009-09-28 | ちょっとした話
9月16日、今日の朝刊を見ると、<鳩山内閣きょう発足>鳩山民主党代表のプロフィールが新聞に大きく掲載されていた。年齢は62歳、奥様は、2歳年上64歳、二人で手をつないでお散歩の写真が載っている。鳩山さん「妻は太陽」と語る愛妻家と大きく記事になっていた。夫君よりひとつ年上か?同じような世代、夫婦単位で何事も動こうとする生活、私たちと同じではないか?わたし達夫婦は、学生時代から知り合いであるのでこうなるのか?
結婚3年ぐらいのとき夫君は仕事を辞めてアメリカ旅行となる。そこで見たものは夫の皿洗い、妻のお客様を迎えるホステスぶり、いろいろ見てきたと思う。そんな時加山雄三も夫婦のありかたでそれぞれの役割、女性の家庭での存在感など話していて納得するところがいっぱいあった。私たちは子どももあえて無理に作らなかったし、互いに仕事もつづけていたので一般の日本人の考え方より先を進んでいたのかもしれない。
鳩山代表が、奥様の服を買いに行くときついていくとか、朝の散歩で一緒にパンを買いに行くとか、何の抵抗も感じない、自民党の年配の議員には受入れられないようだが、私は奥様のボランティア活動とか、立場をわきまえて今まで以上に活動すればよいと思う。そして私は英語が普通に話せることがうらやましい。
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秋の大収穫祭

2009-09-28 | 初心者のガーデニング
ヤマちゃん農場で秋の大収穫祭の記者発表がありました。
今年は、4月のタマネギ、6月の男爵ジャガイモに続く第3回目サツマイモの収穫だったそうです。

6月にサツマイモの苗を植えて丹精込めた3か月の成果だ、と農場主が話していました。
おてんとうさまのおかげで、収穫は大小合わせて300gから20gまで、10個もの収穫であったそうです。

10個だけではありません。10個も収穫できました、と話していました。これは、ポジティブな考えだと思いました。
でも農場主は、少しガッカリしていました。
また、近所の方からいただく大きなサツマイモを作る技を、彼はあらためて感心していました。
それから、彼はこのブログ写真を見た人が、左の小さいサツマイモをネズミの尻尾と見間違えないか?を心配している様子でした。
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歴史見学会

2009-09-27 | 行事などいろいろなこと
今回のシルバーリーダー講習会は、現地見学も兼ねていました。
講習の集合は、市立歴史民俗資料館でした。
そこの館長さん等の講義には、次のような説明がありました。

一つは、大阪は京都から流れてくる淀川と奈良から流れてくる大和川の堆積するデルタで平野ができたことです。
そして大阪平野が、上町台地を岬とする河内湾で海だった今から5,500年以上前の時代・縄文後期にはその海が塞がれてきて河内潟になり干潟の時代・弥生前期には海が閉ざされてしまって大阪平野が湖になり河内湖の時代・土が11mほど徐々に堆積し平安時代になってようやく今の大阪平野が形成されたようでした。だから古代は生駒信貴山の麓まで、なんと海だったらしく驚きでした。
そういえば我家を建設したときに積水ハウスの地中検査で「弥生時代の土壌です」と言っていたことがありました。

二つ目は、大和川の付替えと河内木綿のことでした。
この大きな川が市の南で小さい川の第二寝屋川・恩智川・玉串川などに分散するので川の氾濫が起こるため住民は死の恐怖から逃れられなかったようです。そこで1704年2月に幅180mの新しい大和川を西方面に流し大阪湾に向かっての付替え工事を始め、僅か8ヶ月の短期間で、10月に完成したようです。この工事は、新川道を掘り下げるのではなく田畑に杭を打ち土を積み上げ新川の堤をつくるというものだったそうです。
それで、新しい川の代替え地として貰った土地は、農民が旧川底で砂地のため稲作ができなくて綿を植えるようになったらしいのです。これが河内木綿の始まりだったそうです。
しかし後には安価なインド綿が輸入されるようになり、河内木綿は衰退していく運命が待っていました。
この講習ではじめて、河内木綿の歴史を垣間見たような気がしました。

三つ目は、西洋と東洋の建築技方が同じでことだと気付いたことです。
日本の古墳の石舞台も砂を使って周りの壁を大きな石で固めてから、周りに滑り台のように砂を盛って天板の大きな石を引き上げると箱のような家が出来ます。完成後に中の砂をかき出すとガッチリとした大きな岩の石舞台のような古墳が完成させることが出来ます。
そして、以前にヨーロッパ旅行で聞いたドーム型の建築物を作るにあたってのことです。まず砂で形を作り周りにレンガを積んでいき屋根も丸く仕上げます。外枠がガッチリ出来上がってから建築物の入口扉を取り外して、日本の古墳と同様に、中の砂をかき出すと柱のない建築物が出来上がります。
交流もできない時代、人類の技法が東西を問わず同一なのには、大きな驚きでした。
これは現地見学で学芸員の講師さんの説明で気づいたことでした。

それから、現地の前方後円墳での講師の話です。中国の馬車戦車の型同様に四角が前で丸が後のようですが、古墳には遺体を丸の後方に葬られました。前方後円墳の配置は、円が北向きとは限らないらしいのです。
今日でも遺体を北枕に寝かせるので、古墳も後円が北向きになっていると私は思います。

また、我家の近くには、江戸時代に日本地図を作るため伊能忠敬が通った東高野街道、伊勢物語の作者の在原業平が通った十三街道(伊勢街道)、能や浄瑠璃に係る高安長者の俊徳丸にも関係あるらしい俊徳道など古い街道がたくさんありました。

人間はみんな、すべてを知ることはできない未完成なものではありますが、「いくつになっても学ぶということは楽しいことだ」と思いながらこのシルバー講習に参加をしています。
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西国33所の満願

2009-09-23 | 西国33所の旅
9月22日シルバーウィークの真っただ中、西国33番札所の谷汲山華厳寺に行きました。
この5連休は、春5月ゴールデンウィークに対し秋9月のシルバーウィークと称するそうです。そしてこんどの5蓮休は5年ほど先になるそうです。
家から岐阜大垣のこのお寺までは、200kmほどの距離で、行きは4時間・帰りは6時間のドライブでした。もっとも車の渋滞覚悟で出かけたので、こんなもんか、という感じでした。

連休はやっぱり経済効果あり、と思います。なぜなら、サービスエリアの売店などではお土産物が無い棚もありました。観光地では旅気分での贅沢さのため財布の紐が緩みます。「日本のどこが不況やねん?」と云った感じでした。
ガソリンのタンクローリー車が走っているのをよく見ます。我家でもガソリン70リッターを補給しました。
それに、名神高速道路を走行している車のナンバープレートは、北は札幌・岩手から南は沖縄・宮崎などや瀬戸大橋を渡る四国の高知・愛媛などがありました。

そうそう西国の話ですが、四国88カ所で満願を経験していたので、あの感激は薄らいだ感じが今回はしました。
西国で一番遠い谷汲山華厳寺は、駐車場からの参道800mの石畳とモミジのトンネルそれに両サイドのお土産物店や旅館には驚きでした。
運慶が彫ったといわれる正門の仁王門の古さ歴史のある様でした。向かって左のウ~ンと口をむすんでいる仁王さんの側から、礼をしてお寺へ入りました。そして帰りには反対側のア~と口を開いている仁王さんの側から、礼をしてお寺より帰りました。ア~と口を開いている仁王さんは、悪霊がお寺に入らないように威嚇しているらしいです。

かくして、西国巡礼は完成しました。どこのお寺も立派なお寺ばかりだったと、今振り返っています。
私達夫婦の西国33所満願は、定額給付金で選挙の票を買おうとしたり、2人も総理の仕事を途中で投出したり、補正予算を国会で通ったら解散云々と云っておきながらその職にしがみ付いたり、いまだに国民目線でない党の運営だけを考えている政党がボロ負けし、新しい首相が初めてのアメリカ訪問中の出来事だったことを、後年に思い出すに違いありません。
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彼岸の入り

2009-09-23 | 行事などいろいろなこと
9月20日は彼岸の入りで墓参りに行きました。
今年のシルバーウィークの5連休なので、予想どうり車が混むのを覚悟しての道中でした。

ジツエはんが妹のアサエちゃんから手紙をもらったので、彼女の実家へも久しぶりに姉妹の対面をさせるために一緒に連れて行きました。

リフォームしたお墓の移植した榊は、残念ながら、予想どうりほとんど枯れかかっていました。また、砂利の隙間から草が生えているのも予想どうりでした。しかしながら、未リフォームの時のお墓よりは草引きが楽なことは格段の差でした。
次回には新しい榊を植えかえるという課題が残った墓参りでした。

従兄のコウちゃんとこは、町会の運動会の打ち上げで、夕方から結婚した子どもの両親と食事会があると云っていました。
また、ミチやんとこは、明日、嫁さんの誕生会を二人の子ども夫婦達が来てしてくれると云っていました。
それぞれに楽しいつきあいを喜んで、家へと帰って来た彼岸の1日でした。
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ゴーヤの話

2009-09-11 | ちょっとした話
家で収穫したゴーヤです。

朝顔の弦の間からぶら下がっておりました。
小ネズミのようなものが3個採れました。
そのうち1個は黄色くなって腐りました。
やはり、植木鉢では栄養失調で育たないです。

ただし、写真の上の大きいの方はご近所でいただいたものでした。

おまけに、飲み屋での小噺をひとつ。
女将さんと客の会話です。
「おかみ!この酒は薄いなぁ。酒に水入れて薄めとるんとちゃうんかぁ?」
「お客さん!失礼なことをいわんといてぇ。うちの店はそんなケチなことはしません。
 水に酒を入れとるだけです。」
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ネギの植付け

2009-09-11 | 初心者のガーデニング
昨日、鳴門鯛焼きを土産に買って、仕事から帰ると、ネギが植えられていました。

鳴門鯛焼きは、「鳴門鯛焼」や「天然鯛焼」と書いたのぼりが店に掲げられています。
その店へ行くには、通勤の道路で車が混むのと併せて帰り道では信号のない処を右回りしなければならないので大変です。
鳴門の荒潮で育った鯛の身がしまって美味しいように、尻尾の先まで身がしまっています。そして、20~30匹を焼く養殖焼きと違い、丁寧に一匹ずつ釣り上げるごとく一丁焼きのことを天然鯛焼とこの店では云うそうです。
“あんこ”は小倉あんと鳴門金時あんの二種類があります。店が自慢するだけあって、あんは尻尾の先までしっかり入っていました
今回はすぐ食べてしまったので、そのタイ焼きの姿を写真で見せることが残念ながらできません。
昔流行したレコード売上記録の「およげタイ焼きくん」の歌を歌いながら食べました。

話は元へ戻りますが、ネギはこの前カラオケに連れて行ってもらった近所のオサムちゃんからもらいました。
日陰でチョット乾かしてから植えるようにと教えてもらいましたが、枯れるほど乾かしすぎたのが、気になるところです。
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折返し点の講習会

2009-09-08 | 行事などいろいろなこと
シルバーリーダー講習会も11回目で、中間点を過ぎました。マラソンで言えば折返し点です。みんな弁当持参でまじめによく学習します。

今日は保健師さんの講義の後、リサイクル作品の制作でした。
介護予防のすすめと地域包括支援センターなどの講義でした。
話の中で大切に考えたいことは予防・維持・改善などです。
1つ目は、自分らしくいきいきと暮らすことです。精神面でボランティアなどの社会参加なども含むと思います。
2つ目は、運動機能の向上などです。体力面でラジオ体操や足腰を重点的に鍛えるストレッチを毎日続けることだろうと思います。
3つ目は、食べることを大切にすること。これは、バランスのとれた楽しめる食事だろうと思います。サブリメントは噛むことによる脳刺激には良くないでしょう。栄養バランスの摂れた常日頃の食事をしていればもしも病気になったとしても回復は早いでしょう。
4つ目は、口腔機能の向上らしいです。口は食べる、話す、表情を豊かにするなどいきいきとした暮らしのためらしいです。歯磨きで手入れをして、しっかり噛んで食べ、おしゃべりをしたり歌を歌って楽しんだります。このための口腔体操もあります。それは、口を閉じて頬をふくらましたりすぼめたりし、口を開けて舌を出したり引込めたりし、舌を出して上下左右に動かします。
その他は、閉じこもりを防ぐため規則正しく生活リズムにします。歩いて体を動かしたり外に出かけボランティアなどにも参加すれば、認知症やうつなども防止になります。
それに、地域包括支援センターには、悩みや健康・福祉、医療や生活に関することを相談する地域の相談窓口があるそうです。

講義中は、ストレッチや口腔体操を取入れて受講者の気分転換をはかりリラックスさせていました。
また、現在の趣味や楽しみは?10年後の自分はどんな感じ?老後どんな生活をしたい?実現するためにはどうしたらいい?の質問ペーパーに記入して、それぞれ発表する参加型の受講テクニックもありました。

午後から、リサイクル作品の制作で、竹トンボや風車をつくりました。
前期高齢者(65~75才)ぐらいの受講者たちは、「これよく飛ぶなァ~」とか「よく回るなァ~」とか言いながら童心に帰って楽しみ、後日児童との交流で今日の習ったことを教えるボランティア活動を頭に描いていました。

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Wコンサート

2009-09-06 | 行事などいろいろなこと
生まれて初めて、コンサートのダブルヘッタ―を経験しました。
前半は素人音楽会で、後半はプロのコンサートでした。

午後1時からは、シャンソンを習っている友達の、年に一度の発表会を聴きに行きました。
プログラムには、第21回の発表会と書かれ長く続いているようです。
歌う順番は、10名がクジ引きで決め、休憩を挟んで、前半と後半一回ずつ、一人二曲を歌いました。各自はきらびやかな舞台衣装を着て、背景のプロの照明が一段と引き立てて綺麗でした。まるでプロ歌手のように上手な人、また一方、歌詞を間違えそうで見ているお客さんをヒヤヒヤさせる素人ぽい歌い方の人もいました。
そして、シャンソンを教えている先生夫婦のヴァイオリンとピアノの演奏もありました。
最後に、その先生が作詞作曲したシャンソン・パリを、出演者と会場の観客とで合唱して終わりました。

終了後、午後6時から開演する大阪城ホールまで移動しました。槇原敬之・持田香織などが歌うこのチケットは、以前と同様に英会話の友だちが取ってくれました。
1万人収容するこのホール玄関前は人人人でした。それでも今は、携帯電話やメールで待ち合わせの居所は確認できます。
FM大阪開局40周年記念コンサートでした。シクラメン・K・持田・槇原の順番に4~5曲歌いました。
シクラメンは3人グループ、Kは一人でピアノとハーモニカと歌をこなしました。吾輩はピアノだけでも弾けたらいいなぁと思っているのに・・・
持田はアッサリしています。このアッサリさが人気の源なのかなぁ?
槇原は作詞が上手で、平成の荻原朔太郎と言われてもいます。また、大阪人なので、楽しんでいるかい?楽しんで行ってや!とか言って、サービス精神満点です。
最後は、やっぱり、“世界に一つだけの花”を皆で合唱して終わりました。

追伸
7日朝10時頃にFM大阪で、この大阪城ライブは放送されていました。
また、コンサートで留守のとき、トシヤンが御馳走持参で来ていました。帰ってからその鮨をおいしくいただきました。

ついでに、ジツエはんへの俳句を一句。
   「老いても 子にも したがわず」
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シルバー講習会と英会話

2009-09-04 | 高齢クラブ
火曜日にはシルバーリーダー講習会、水曜日には英会話の講座に参加します。
シルバー講習は毎週ありますが、英会話は隔週です。
どちらも私にとってはハイクラスのように感じますので疲れます。というのは、シルバーの方は年長者ばかりで何でもよく知っているし、英会話は長期受講者が多く、我輩に余裕が無いからでしょうか?

この前のシルバー講習では、バリアーフリーに高齢者住居の改築を一級建築士の講師が説明し、グループで平面図に風呂やトイレを改造する作業をしました。
フロアーの段差をなくしたり、階段に滑り止めを付けたり、階段昇降機を付けたり、風呂やトイレには手すりを設置したり、車椅子や杖歩行を考慮したりすることでした。
住宅入口の階段は、スペースが狭い場合にはスロープを付けるよりより手すりのほうが危なくなかったりします。玄関には靴脱ぎ台を設置したり、手すりを付けたりしました。
狭い間取りの場合、風呂やトイレの手すりは、左手障害や右手障害で左右どちらに取り付けるのが良いのかなども検討します。
階段昇降機の取り付が55万円ぐらいとかで、エレベーターより安価なようです。我家も直線階段にしているが、その必要スペースは50cmほどで、不使用時には折畳めるので便利だと思いました。

英会話の講座は、卒業発表会の歌の伴奏をピアノで弾いたカセットを持ってきたりしています。英語歌詞付のCDを使用すると受講者の声が聞きこえにくいので、伴奏だけのテープを使用する予定です。課題曲は今のところ「SUKIYAKI」と「WHERE HAVE THE FLOWERS GONE」のようですが・・・・・・・

写真のストロー飛行機は、世代間交流用です。これがよく飛ぶので驚きました。
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