まさおっちの眼

生きている「今」をどう見るか。まさおっちの発言集です。

不慮の事故は突然やってくる。

2015-11-01 | 随筆
昔の俺の女の名前は何だったっけ?
昨夜10時頃、そんなことを考えながら床に入っていたら、突然階下からけたたましいカミさんの叫び声が聞こえてきた。
飛び起きて、階段を下がっていくと、玄関の踊り場で、カミさんがうつぶせに倒れている。
「どうしたんだ、大丈夫か?」
そう尋ねても返答がない。
しばらく経って、ようやく、一言、二言。どうも階段から足を踏み外して、落ちたらしい。
「しばらく、このままで・・動けない・・」
「救急車を呼ぼうかー」
「だいじょうぶ・・」
意識はあるらしい。
そのままの体勢で、ゆっくり聞いてみると、頭は打っていないらしい。
大腿部を直撃したらしく、動けないという。
とりあえず、階下に布団を敷いて、痛がるカミさんを抱きかかえ、なんとか布団の上に寝かした。
丁度土曜の夜で医者もやっていない。
どうしょうか、と思ったが、とりあえず、俺も隣に布団を敷いて様子を見ていた。
すると二時間ほどして、寒い、寒い、とガタガタ震えだした。
これはただ事ではない。
息子夫婦が大学の医療センターに勤めているので、深夜だが電話をした。
「救急外来で医療センターに行きたいんだけど・・」
娘婿にその旨伝えると、センターに連絡するからちょっと待ってくれとの事だった。
折り返しの電話を待つ間、カミさんの呼吸は荒く、寒い、寒いと震えが止まらなかった。
大腿部を打ったことと、寒さと関係があるのだろうか。俺はクビをかしげた。
とりあえず、熱を計ると平熱である。
自律神経の病を持っている俺にも経験があるので「過呼吸」ではないか、と思った。
過呼吸というのは不安なので息を荒くし過ぎると、血液中の酸素が急激に増加し、そのため、寒さや手のしびれ、意識障害などを伴ってくる。
「過呼吸かも知らんぞ。ゆっくり、おなかで、息をして」
とりあえず、大丈夫、大丈夫だから、と心を安心させ、ゆっくり息をさせるようにすると、次第に震えが収まってきた。
「やっぱり、過呼吸だなあ」

娘婿から電話があり、とりあえず、大学医療センターの救急外来で診てもらうことになった。
痛がるカミさんを抱えて、車に乗せ、病院についたころは深夜の1時を回っていた。
整形外科の担当医ではなく、消化器外科の先生が宿直だった。
レントゲンを大腿部中心に撮って、その間、俺はノドがカラカラになって、自動販売機で買ったウオーターを何度も飲んだ。

「検査の結果、骨には異常がないようです」

入院せずに、とんぷくの痛み止めとシップを貰って、帰宅し、寝かせたのはもう午前3時だった。

相当痛いらしく、翌日になっても、オシッコはトイレに抱えて連れて行った。

歩けるようになるまで、2.3週間、かかるかもしれない。

その間、俺は、慣れない炊事、洗濯、要介護と大変である。


事故ってヤツは突然やってくる。

「死とはドブにハマるようなものだ」と、誰か小説家が言ったことを記憶しているが、本当にそのようなものだ。

栄枯盛衰の「衰」の時代を生きている俺とカミさんには、生きながらえるだけで、展望のある未来があるわけではない。

生老病死、その言葉が身に染みる年代になった。