飾釦

飾釦(かざりぼたん)とは意匠を施されたお洒落な釦。生活に飾釦をと、もがきつつも綴るブログです。

怨霊・平将門⑯・・・御首神社(岐阜県大垣市)

2010-06-25 | 平将門
平将門の首塚が名古屋にもあった?と昨日の記事に書きましたが、その名古屋の北側、岐阜県の大垣市には、まじめに平将門に関係したところがあるのです。その名も御首神社。凄すぎる神社の名前。冗談ではできないです。なんで将門にゆかりもなさそうなこの大垣市にそうなもんがあるのだろうと思います。それが不思議です。

神社の由縁によると、平将門が反乱(天慶の乱)を起こし藤原秀郷と平貞盛に鎮圧され、その首を京都に運びさらし首となりました。しかし、将門の怨念はすさまじく、その首は分断された自らの胴体を求めて関東の地に飛びさった。空を駆け巡る将門の首は途中、力尽きてしまい落ちてしまいます。その首が落ちたところが、有名な東京・大手町にある首塚あたりとされるのですが、ここ大垣における伝説は違います。

将門の首が京都から飛び去った異変を知った美濃の国・南宮神社では、首が関東に戻り再び乱が起こることを恐れ祈願したところ、神社に座す隼人神が矢をつがへ東に飛んでいく将門の首を射落としたとされています。ちなみに隼人神が射た神矢が飛んでいった道筋を矢の通った道として、「矢道町」という地名まであるという。(信憑性がある伝説です)この将門の首が落ちた荒尾の土地に将門を神と崇め祀ることにより、その首が再び関東に戻らぬよう怒りを鎮め霊を慰めるために創建されたのが、この御首神社であると言い伝えられているそうだ。

将門の首を祀っているためか、首から上の諸祈願に霊験あらたかであり、受験の合格祈願に訪れる参拝者が多いそうで、ボクが訪れた時も境内の絵馬には合格祈願を書いたものが多く下がっていました。


御首神社と書かれたのぼりが一際目立って風にたなびいていました。


そののぼりと拝殿の感じがとても迫力があり迫りくるものがありました。


拝殿の裏側に回ることができ、そこには大きな巨木が立っています。一本の木にも血は流れている。血は立ったまま眠る。


首から上の御利益があるということで帽子が奉納されていました。


神社の裏手には御首神社古墳とありました。もとは地元豪族の墓であったのでしょうか?


御首神社の御神砂です。それには「御首神社は平之将門の霊を祀る古社で、遠く昔より大神が禁厭の道太占の術をもって救護善導いたされ、首上の病気退散住居鎮案の霊妙な御神徳が灼然です。」とあります。

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