飾釦

飾釦(かざりぼたん)とは意匠を施されたお洒落な釦。生活に飾釦をと、もがきつつも綴るブログです。

怨霊・平将門⑰・・・京都の将門/神田神宮

2010-08-24 | 平将門
京都は四条烏丸で下車し、その四条通りを西へ歩いて新釜座町に入っていきます。すると京都だな~という風情を残した民家が並んでいるのが見えてきます。そこのとある家の軒先にある小さな祠。そこにはこう書かれてあるのです。「史蹟神田神宮 天慶年間平将門ノ首ヲ晒シタ所也」そうそこは平将門の首が晒された場所であるとか。ネット検索でそれを知り京都に行く用事があった折、そこを訪ねました。(こういった時はホント、ネットの力はすごいと思います。詳しい地図の見れて迷うことなくそこへ行くことができるのですから)



その将門の首に関する有名な伝説、逆賊として討ちとられた将門は、その首を京都の町に晒されました。しかし彼は死してなおもその目をカッと見開き歯ぎしりをしたといいます。ある夜、将門の首は突然笑い出し、白い光を放ちながら、自らの胴体を求めて坂東の方へ飛び去ったといいます。しかし力尽きたのかその首は途中で落ちてしまい、その落ちた場所が東京・大手町の首塚とされているのです。



ここからウンチクです。この小さな祠神田神宮は「膏薬図子(こうやくのずし)」とも呼ばれているそうです。その膏薬図子はもともとは神社ではなくて、「南無阿弥陀仏」の念仏を広めた空也上人が開いたお寺の道場であり、「膏薬道場」と呼ばれていました。この場所は、先にも書いたように平将門の首が晒されたという伝承があった。その民間伝承の真偽のほどは定かでないにしろ、平将門を畏れた民衆は、その膏薬道場周辺に五輪石塔をたて将門を祀るようになったそうです。将門の怨霊を空也念仏によって鎮めようとして「空也供養道場」を建てたのですが年月とともに、それがだんだんなまっていき「膏薬道場」として定着していったというのです。ただその将門を祀っていた五輪石塔は火事で焼失してしまいます。もともとはお寺の道場にであったところがいつのまにか神田神宮と名前が付けられる。神社と寺が混淆したいきさつは不明のまま。ただこうして祠が今も残されているように、京都の街には今も平将門の怨霊は生き続けている?と言ってしまうのは袈裟でしょうか。ボクはそっと手を合わしました。



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