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【cinema】『先生と迷い猫』

2015-10-30 01:06:34 | cinema

2015.10.16 『先生と迷い猫』@ヒューマントラストシネマ有楽町

 

これは見たかった! 試写会応募した気がするけどどうだったかな? そんなに回数なかったような? まぁ、結果ハズレだったんだけど ということで、テアトルシネマ会員ハッピーフライデーということで、見に行ってきた~

 

 

ネタバレありです! 結末にも触れています!

 

「定年退職した元校長森衣恭一。カタブツな性格で町の人々からは敬遠されがち。訪ねて来るのは亡き妻がかわいがっていた猫だけ。妻がミイと名付けたその猫をうとましく思っていたが、突然ミイが姿を消してしまい・・・」という話で、これは実話ベース。さまざまな問題を盛り込んで描かれるけれど、淡々としつつもクスッと笑える感じで描かれるので、ズッシリ重くなってしまうことがない。意外に登場しない女優猫ドロップの存在感が、映画自体を引っ張っていて良かった。これ好き

 

『60歳のラブレター』の深川栄作監督作品。『60歳のラブレター』は未見だけど、『洋菓子店コアンドル』(感想はコチラ)の監督なのね? 『洋菓子店コアンドル』は説明過多な部分と、説明不足な部分が極端で個人的にはダメだったのだけど、今作は全体的に説明し過ぎないところが良かったと思う。この辺りについては後に触れる。てっきりフィクションなのだと思っていたら、ノンフィクションの原作ありだった。とはいえ、原作の「迷子のミーちゃん ~地域猫と商店街再生のものがたり~」は、埼玉県岩槻市の地域猫失踪事件が題材で、かわいがっていた地域猫のミーが行方不明になり、著者の木附千晶さんがお母様と一緒に探すうち、同じくミーを気にかけていた町の人々と触れ合っていく過程が描かれいてるそうなので、これはプロットを借りた映画オリジナルストーリーということらしい。カタブツ老人を主人公に変更したのは良かったと思う。

 

冒頭、真っ赤なソファで眠る猫のアップから始まる。しばしこの猫を追う形で、 人物の全身は画面に登場しない。猫はいくつか通っている場所があるらしい。ノラ猫、今は地域猫というのかな? 地域猫にはよくあること。通う場所ごとにもらった名前がある。ソファで眠る美容院ではタマコ。カリカリエサをもらう雑貨店ではソラ。女子中学生の帰りを待つバス停ではちひろ。そして、今作の主人公校長先生の家ではミイと呼ばれている。冒頭のシークエンスでは居酒屋でもエサをもらっているようなので、ここでも呼び名があると思われるけれど、この店についてのエピソードは登場しない。要するに話に絡んでくるのは、この猫をタマコ、ソラ、ちひろと呼ぶ人たち。一応、それぞれ役名があるみたいだけど、劇中で名前を呼ばれることはほぼない。主人公ですら校長先生としか呼ばれない。それも良かったと思う。なんとなく日本っぽい気がする

 

シーン変わって、初老の男性が何やら必死の形相で歩いている。手には小さな紙袋。肘を曲げてお腹の辺りで持って、その姿勢を崩さない。背筋をピンと伸ばして速足で歩く。途中、2人組のシスターなどすれ違う人たちから挨拶される。校長先生と呼ばれるこの男性、森衣恭一(イッセー尾形)が向かった先は、焼きたてパン リリー。店に入って一言「いつもの 味 じゃない!」←ホントにこんな言い方(笑) 先生が言ったのはこの一言なんだけど、その後思いもかけない展開に。原料費の高騰で、バターを変えざるを得なかったようで、お客さんにその変化が分かってしまうようではダメだと思ったのか、店主(竹山隆範)はお店を閉めると言い出すのだった。流れに掉さすというのは、流れに逆らうのではなくて、流れに乗るということなのだそうで、ずっと悩んでいた店主にとって、先生の一言が掉だったというわけ。よく考えると大変な決断。ほとんど表情を変えない先生の、それでも当惑したような表情にコミカルなものを感じて、重くならずに見てしまう。そして、何故か校長先生はこういう役割を果たしてしまう人なんじゃないかと思ってしまう。上手く言えないけど・・・

 

多分、校長先生はクレームをつけに来たわけじゃないんだと思う。いつもの味ではないことに対して怒っているわけじゃなくて、 味が違うのはどうしてなのか?ってことが知りたかったというか・・・ 上手く言えないな(笑) 要するに、一風変わった人ではあるんだけど、周りが思っているほど偏屈な人ではないのではないか?ということ。きっかけはいろいろだから、パン屋さんの流れに棹をさしたのは、先生じゃなかった可能性もあるわけだけど、やっぱり他の人に「最近味変わった?」って言われたのとは言葉の重みが違うのかもしれない。重みというか・・・ うーん。自分の中では分かってるんだけど、言葉で説明しようとすると難しいな 自分の意図していないところで、人に影響を与えてしまうところがあるのかな?と。小さな町での校長先生というのは、それなりに影響力があると思うし。

 

その辺りの感じは、校長先生と公園でペタンクしている老人たちとのやり取りでも描かれている。ほとんどの老人たちは無関心だけど、中の1人が声をかけて来る。一緒にやらないか?という誘いは、おそらく断られること前提。多分、一緒にやる気はない。もちろん先生は仕事があるからと断る。すると、相変わらず偏屈だみたいなことを言い、仕事って何してるんだよと言う。他の老人たちは、そんな彼に対して同意もしないし、ツッコミもしない。こういう人っている(笑) 嫌なら放っておけばいいのに、絡んできて文句言う人。まぁ文句というわけでもないのでしょうし、そこまで気にしているわけでもないんだと思う。でも、この老人の言う事も一理あったりする。

 

先生は古い一戸建ての家に1人暮らし。最近、妻(もたいまさこ)を亡くしたらしい。「はい、ただいま」と帰ってくる感じは、奥さんがいた頃の名残で、未だにそのことが受け入れられないという描写もあるでしょうけれど、先生はきっとこの先もずっとそうするのだと思う。そういう人。この感じは好きだった。やり取り自体は入っていないかったけれど、おそらく新しいクロワッサンを貰ったようで、それをお皿に乗せて仏壇の前に。どうやら、奥さんの好物だったらしい? 多分、毎朝2人で食べたのでしょう。そして、先生の驚きの声。視線の先には仏壇の前にちょこんと座る三毛猫の姿。「いいかげんにしてくれ!」と言う、イッセー尾形の言い方が素晴らしい。校長先生という人がよく分かる言い方。怒鳴ったりするわけではない。迷惑だとは思っているのだろうけれど、困惑しているという感じ。予告でもあった近所の犬に向かって「君、前から思ってたんだけどね。ワン、ツーくらい言えんのかね?」というセリフも、校長先生という人をよく表している。上手く言えないけど、校長先生ってそういう人(笑) 

 

定年退職した校長先生は、ロシア文学の翻訳をしている様子。後に、出版社勤務の元教え子に電話をかけ、迷惑がられて切られてしまうシーンが出て来る。どうやら、この元教え子に暇ならばロシア文学の翻訳でもしてみては?と勧められたようで、もちろん先生も出版しようなどという野心はなかったと思うけれど、1人ぼっちの夜に話し相手が欲しくて、電話をかけてみたものの、上手く話すことが出来ず、相手にウザがられて電話を切られてしまう。ロシア文学の面白さが分かって来たよ・・・で切られちゃうのはかわいそう まぁ、実際はよっぽどのことがない限り、何も言わずに切っちゃう人はいないと思うけれど(笑) 要するに確かに先生は一風変わった人ではあるけれど、人に思われているほど偏屈な人ではないということ。ちゃんと感情もあるし、人恋しく思ってもいるということ。でも、そうは見えないから敬遠されてしまう。

 

先生の家を訪ねて来るのはミイと、市役所に勤める小鹿祥吾(染谷将太)くらい。先生は写真が趣味で以前から学校や町の写真を撮って来た。どうやらそれを資料としてデータ化しに来ているらしい。イヤフォンで音楽を聴きながら、スキャナーとPCを駆使して作業しているのだけど、人の家におじゃましている感の全くない姿。このイマドキの若者感丸出しの青年と、カタブツ先生の掛け合いは面白かった。先生がコーヒーいるか?と声をかけるシーンがある。小鹿はひょいっと肩を上げただけで振り向きもしない。興味もなしですか! 話する価値もないってことか!と怒り出す先生。どうやらこのシーン、染谷将太の演技が素晴らしく、イッセー尾形は本当に傷ついてしまったらしい。インタビューでそのことを語ったイッセー尾形氏によると、監督はそういう俳優自身の心の動きを大切にしていたようだとのこと。なるほど、このシーンの怒りは本物なのね。そして、先生が怒ったのは傷ついたからなんだよね。カタブツだからといって傷つかないわけではない。後に小鹿青年もミイ捜索に巻き込まれ、それにより彼の心にも変化が生まれる。

 

実はこの小鹿青年、父親と祖母との3人暮らしなのだけど、祖母は認知症を発症している。 分かってはいてもどうしてもイライラしてしまったりする。ある日、祖母が少し離れた自動車修理(?)の工場で保護される。一人で経営しているらしい男性(島田久作)は、事務所で数匹の猫を飼っているらしい。祖母はその猫たちに囲まれて幸せそうな顔をしていた。猫アレルギーの小鹿青年は、後に祖母のために猫を飼う決意をする。この辺りを押しつけがましくなく、サラリと描いていて良かった。大感動シーンにはしていない。

 

ストーリーの本筋とは離れてしまうけれど、書いておきたい人物がいるので、小鹿青年のエピソードで語られた介護問題と共に書いておく。校長先生が出会った小学生の少年北斗。この町には川が流れていて堤防というか、縁のようなものがある。温泉街とかにあるような感じ。ああいうの何て言うんだろう? そこに腰かけて何かを見つめている少年を見かけ近づく。少年の視線の先には傷ついた猫。「死んでる」と言う少年。先生が確かめると弱っているけど息がある。最近、付近で猫の虐待が頻発しているというニュースを事前に聞かされているので、見ている側はその被害にあってしまったのかと思う。先生は北斗に学校に行くように言い、猫を病院に連れて行く。やはりカッターなどの鋭利な刃物で切られたらしい。ヒドイ 先生はそのことに対して特に何も言わなかったと思う。でも、先生は猫好きではないけど、助かる命を捨ててはおけないという気持ちはある。まぁ、普通のことだと思うけれど・・・

 

病院から出てくると少年は待っていて「死んだ?」と聞く。この時点での少年の興味としては、やはり助かって欲しい方向ではあると思うけれど、後に少し危険な兆候が見られる。先生がミイを探している際にもチラチラと画面に登場する北斗。いじめにあっているのかまでは分からないけれど、学校に行っていない様子。ある日、お寺の境内でカッターナイフを拾う。そして、草むらでカッターを振り回し始める。このカッターが猫を傷つけたというわけではないだろうし、北斗は特に考えもなくカッターを振り回しているだけかもしれない。でも、ふとしたきっかけで"何か"を切ってみたくなるかもしれない。そして、それは"誰か"を切りたいになってしまうかもしれない。夜、誰もいない境内にいるところを、先生に見つかった北斗。先生と一緒に家に向かうも、彼を迎えたのは冒頭で先生に挨拶していたシスター。彼は複雑な生い立ちなのでしょう。両親は亡くなったのか、彼を捨てたのか語られないので分からない。複雑な生い立ちの子供が全て、鬱屈したものを抱えているとは限らないし、危険な兆候を示すとも思わないけれど、少なくともシスターと共に建物に向かう彼が、先生を見返る視線には、複雑な思いがあったように思う。多くを語らないながらも、見ている側に何かを感じさせる見せ方はよかった。

 

さて、本筋に戻る。先生のもとには相変わらずミイがやって来ていた。先生の奥さんは窓に猫用窓を作っていたようで、先生がいくら家じゅうの窓を閉めても入ってきてしまう(笑) そのたび、先生はイライラしている。2階で翻訳作業をしていると外からミイの鳴き声。その声に反応して先生は頬をゆるませて庭を覗く。そして妻がいない現実を見て悲しそうな表情をする。要するにミイの存在は妻との思い出に直結しているということ。こういうのは辛い。この見せ方も好きだった。パン屋の店主から写真を撮って欲しいと頼まれた先生は、自慢のカメラを持って向かう途中、様々なものを撮っていく。ミイの写真も道に寝転んでまで撮ってしまう。気持ちは分かる。先生は猫好きではないけど、猫嫌いでもないということかな。写真を撮ったことでちょっぴりミイに心を許した先生。しかし、美容院ではタマコ、雑貨店ではソラと呼ばれ、それぞれかわいがられていることを知る。その感じをちゃっかりしていると感じたのか、なんだか納得がいかない様子。猫好きの奥さんはその辺り気づいていたようだけれど、カタブツの先生には許せないものがあるのかも。義理が立たないというような・・・

 

そのせいか、次にミイの出入り窓をふさいでしまう。必死に中に入ろうとするミイ。そんなミイに「あきらめなさい!」と呼びかける先生。でもミイは諦めない。何故この日ミイがそんなに入りたがったのかは謎だけれど、映画としてはこの時の先生のセリフが重要。「お前を見ていると妻のことを思い出して辛い」 そうだよね カタブツ先生にも気持ちはある。イヤ、こういう気持ちを表に出すことを嫌い、人と距離を置くタイプの人こそ、傷つきやすかったりするんだと思う。悲しい思いや辛い思いをするのがイヤなのでしょう。めずらしく感情をあらわにする先生をイッセー尾形がさすがの演技で見せる。

 

そして、その日からミイは現れなくなった。先生の家だけでなく美容院にも、雑貨屋にも現れない。それぞれ心配している。美容院店主の井上容子(岸本加代子)は、タマコ目当てのお客さんの勧めもあって、店に猫捜索願の貼り紙をする。それを目にした先生は美容院を訪ねる。この時の気まずいやり取りは笑えた。先生が要件をなかなか言わないので、店主がやたらと空笑いをする感じ(笑) 先生は自分でも探していたから、この貼り紙に目をとめたわけだけど、最初は気になる程度だったのに、次第に心配がつのっていく感じが興味深い。きっとミイを頑なに拒否した後ろめたさもあったと思うけれど、毎日来ていた存在がいなくなるというのは、奥さんを亡くした先生にとって、より一層の喪失感があるのかもしれない。

 

先生が撮影したミイの画像を使って貼り紙をたくさん作り、お店などに貼ってもらおうということになる。雑貨店アルバイトの松川真由美(北乃きい)も加わり、チラシ作りは楽しい雰囲気。それぞれ分担して貼り紙をする。何故、雑貨店の担当が先生になったのか不明だけど、店主(ピエール瀧)とのやり取りが笑える。先生は貼ってもらえる前提で、勝手に貼ってしまうのだけど、貼らせてもらうのにその態度はないだろうと店主に怒られる。先生はそこできちんと謝罪するので、嫌な人物なわけじゃない。ただちょっと、他人の気持ちを推し量る部分が欠けているというか・・・ でも、校長先生だったのにねぇ(笑) そうそう、真由美から卒業時にもらった色紙に書かれた言葉の意味を聞かれるエピソードが、先生をよく表しているように思う。"愛○同一(○は失念)"と書かれた色紙をスマホで撮影して、いろんな人に聞いてみたけど分からないと言う。そんなことも分からないのかという顔をして先生は答えない。後のシーンで、唐突に語り出す先生。なんと「アイ キャン ドゥ イット」だと言うのだった。それは分からないよ

 

ここから映画は先生がミイを探す描写が続く。地面に這いつくばったりしながら探す先生。河原に段ボール箱を発見すれば、膝まで浸かって川を渡ってまで確認に向う。前述したとおり猫の虐待が頻発しているから、もしやと思う気持ちは分かるけれど、橋を渡って対岸に行く余裕もないくらい心配してしまっている。この辺りは先生の突き進みやすい性格を表していたりもするのかなと思う。結局、箱の中身は不法投棄の食器類。これは事前に、箱を橋の上から落とそうとしている女性の姿を見せることで、不法投棄であることをより印象付けていて、見ている側にこの問題に対しての憤りを感じさせていて上手いと思った。その後も猪突猛進的に突き進み、飼い猫でも保健所に連れて行かれてしまうこともあると聞けば、バスに乗って保健所に向かったりする。この保健所のシーンも短いながら印象的。狭い檻に入れられた猫たち。以前誰かに飼われていた子も・・・ いろいろ事情があることは分かるけれど、保健所に連れて行くということは、この小さな檻に閉じ込められたあげく、わずか数日の間に奇跡的な出会いを果たせなければ、殺処分されてしまうという事実を、もう一度よく考えてみて欲しいと思う。自分がかわいがっていた子をそんな目に遭わせたくはないはずなのだけど・・・ こんな感じで様々な問題をサラリと絡めていて、それが説教っぽくないので、心にチクリと来る感じで良かったと思う。

 

バスじゃなきゃ無理だという距離の保健所にも、小鹿青年のチャリを借りて行こうとしてしまうほどミイ探しに没頭している先生は、民家の屋根にいるのはミイではないかとばかり電柱に登り、カメラの望遠レンズで覗いているところを警官に見つかり連行されてしまったりする。身元引受人として小鹿青年を呼んだのも笑える。小鹿青年は先生を見ると爆笑。後に夜遅くまでミイを探していた先生に対して、心配して途中から先生を探してたと言うシーンがあるけど、他人のことなど関心ないのかと思った小鹿青年が、意外に好青年であったことにホッとしたりする たしか先生は病院に行ったよね? そこで女子中学生と会い、彼女もミイをかわいがっていたこと、いじめにあって自殺を考えていた時、ミイが寄り添ってくれたことで救われたことを聞くのだけど、病院じゃなかったっけ? この女子中学生のいじめのシーンや、ミイが寄り添ってくれたシーンを回想形式で見せなかったのも良かったと思う。もちろん見せても良いのだけど、基本的に嫌な人物が出てこない今作に、決定的に辛いシーンは必要ないし、ミイとのエピソードも見ている側に想像させるのはいいと思った。最近の日本映画は説明的過ぎると思う。

 

女子中学生はミイをちひろと呼んでおり、これでミイ・タマコ・ソラ・ちひろの最低4つの名前があることが分かった(笑) 先生はその後、4つの名前を呼びながら探すのだけど、"ちひろ"と呼ぶ回数が多い気がした。先生の家ではミイだったわけだから、ミイが多いのが自然かなと思うのだけど、ここでちひろを多く呼んだのは先生が校長先生だったから? いじめにあっている中学生のことも心配しているという描写かなと思ったのだけど。考え過ぎかな? なんとなく気になったので。

 

もちろん先生だけでなく、美容院店主の容子も、雑貨店アルバイトの真由美もそれぞれ探している。夕方に公園で落ち合って、一緒におにぎりを食べたり、お茶を飲んだりする。先生と地域の人たちとの間に交流が生まれる。もちろんそれが描きたい部分なのでしょうけれど、その辺りも押しつけがましくなくて良かった。無理やりな感動シーンがなかったのもいい。だからこそ、先生の「思い出したくないけど、忘れたくはない」というセリフがしみてくる。それを受け止める人たちが、先生に近過ぎない距離感というか・・・

 

結局、ミイは見つからない。家に帰って玄関に座った先生。すると縁側から奥さんの声。何気ない会話。これは幻想なのか、先生の脳裏によぎったことなのか。どちらに解釈してもOKなのでしょうけれど、個人的には先生の脳内再生かなと思った。そして映画は終わる。ミイがその後帰って来たのかも謎のまま。ドキュメンタリーなのであれば、その後のミイが気になるところだけれど、これは映画なのでこの終わりでいいと思う。その後は見た人それぞれが想像すればいいことだし。結末や結論を見ている側に委ねる作り方というのは、なかなか勇気がいることなのではないかと思う。ついつい説明したくなってしまう。今作ではその余白部分がとっても重要なので、そういう意味では勇気ある作品だと思うけれど、その勇気は報われていると思う。個人的にはその感じが心地よかった。

 

キャストは全員良かったと思う。 岸本加代子はご本人のイメージどおりという気がするけれど、ああいう人は地域に必要な気がする(笑) ピエール瀧は特別演技が上手いわけではないと思うけどよく役がつく。独特の雰囲気が好まれるのかな? そういう意味では良かったと思う。もたいまさこはわずかなシーンながら印象を残してさすが。もたいさんとイッセー尾形の夫婦ってちょっと不思議だけど(笑) イッセー尾形も絶賛していた染谷将太がいい。やる気のなさそうなイマドキの若者をやらせるとハマるけど、意外に先生を心配しちゃう感じとか、猫アレルギーなのに祖母のために猫を飼おうとする優しさとか、その辺りを自然に演じていたと思う。イッセー尾形は時々やり過ぎかなと思う芝居もあったけれど、あのそっくり返った歩き方とかさすが。カタブツの先生の傷つきやすさとか、寂しさとかを感じさせて素晴らしい。前述のセリフもそうだけれど、個人的には勝手に入って来ていたミイに対しての「いい加減にしてくれ!」の言い方が最高 そして、主演女優ドロップも良かった。今や女優猫では『猫侍』(『猫侍』感想 『猫侍 南の島へ行く』感想)のあなごちゃんかドロップかというくらいの人気ぶり。演技とは思えない自然さ。さすが女優猫。なによりカワイイ 不思議な淡い三毛の毛並みがきれいで美人猫。

 

原作は埼玉県が舞台だそうだけれど、今作の舞台はどこだったのかな? バス停のシーンで下賀茂行のバスが出てきたけれど? 古い街並みが素敵だった。ロケ地は下田だそうだけど、日本的というよりちょっと異国的な雰囲気もありいい感じ。ミイが渡る橋とか好き 地域のスケール感も良かったと思う。猫の行動範囲内。先生の古い民家も良かった。ああいうカタブツな先生は、ああいう家に住んでる気がする(笑) 

 

ストーリーとしては先生が猫を探すうちに、人々と交流し癒されていく話なので難しくないけど、語り口は淡々としていて、いろんな伏線や問題提起をサラリと入れていて、それについての判断は見ている側に委ねる作りのため、詳しく説明されない。なので物足りなく感じる人もいるかも? 説明過多な作品が苦手な方は好きだと思う。猫好きの方是非!

 

『先生と迷い猫』Official site

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