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【art】「特別展 妙心寺」鑑賞@東京国立博物館

2009-02-22 00:38:43 | art
'09.02.14 「特別展 妙心寺」@東京国立博物館

思い立って気になってた妙心寺展に行く。金曜日は20:00まで開いている東京国立博物館も、冬期は17:00まで。土日に行くしかないので、なかなか行けなかった。土曜日なので混んでいるかと思ったけど、そんなに混んでいなかった。

1337年花園法皇が離宮を禅寺とし、開山(初代の住持)として関山慧玄(無想大師)を迎えた。応仁の乱で破壊されるも、細川家の援助で再興。豊臣家、徳川家とも浅からぬ関係。今回は開山無想大師650年遠諱記念特別展。室町から江戸時代にかけての高僧達の書や、同時期に活躍した絵師などの作品を展示。遠諱というのがどういうものなのか、一応調べてみたもののよく分からないのだけど、50年前の600年遠諱の際には昭和天皇も「無想」という宸翰を残されている。宸翰というのは天皇の筆蹟のことだそう。かなり大きな書で、なんというか・・・。親しみを感じる書だった。

知らなかったのだけど、ポスターやチラシに載っている狩野山楽の「龍虎図屏風」は2/8までで展示終了(涙) 長谷川等伯の「枯木猿猴図」もなし。ちょっと悲しい。この2枚は見たかったので・・・。本当のお目当ては別なので、まぁよしとする。

禅宗のことはあまりよく分かっていないのだけど、とにかく坐禅により仏教の真髄を極めようとする宗派ということでいいのかな。インドのバラモン出身の達磨大師が開いたとのこと。達磨様はインドのバラモン出身だったんだ! 知らなかった。バラモンと言えばカースト制度の最高位で僧侶の身分。僧侶って自らの意思でなるものだと思うのだけど、僧侶の身分に生まれるってどういうことなんだろう? まぁ、これは素朴な疑問だけど・・・。禅宗だからなのかはイマヒトツ分からないのだけど、全体的にあまり豪華で煌びやかなものよりも、簡素な中にも実は手が込んでいるというような展示品が多い。後は、僧侶の肖像画や書が中心。正直、僧侶の肖像画を見てもあまりよく分からないし、そんなにグッとこない。

書はさすがに素晴らしいけれど、全く読めない。でも、書はどうしても読もうとしてしまうけれど、美術品と同じようにその美しさを鑑賞すればよいとのこと。そいう意味では「春日局消息」は美しかった。消息というのは主に仮名で書かれた手紙のことだそうで、仮名特有の流れるような書体で書かれている。「花園天皇宸翰誡太子」は花園天皇が息子である尊円親王のために書いた学問指南書。息子のために一生懸命書かれたのであろう書には、書き直しとか塗り潰してある箇所があったりして興味深い。こういう展示品って、美しく書かれたものばかりだと思っていたから。そりゃ、昔の人、っていうか天皇だって書き間違えはするよなぁと思ったりする。

「花園天皇坐像」は江戸時代の仏師康知によるもので、すごい迫力。南北朝時代に描かれ、とてもよく似ていると言われている「花園法皇像」の柔和な顔とは違い、ひきしまった表情。鶴瓶似・・・ いや、鶴瓶の物まねをするコージー冨田似かな(笑) でもその迫力はスゴイ。それは康知の腕によるものかも。すごいリアル。この坐像が置かれている部屋の仕切りとして使われている「山水楼閣人物図螺鈿引戸」がすごい。4面の引戸はそんなに大きくはないけれど、水辺の楼閣に佇む人物達を細かな螺鈿細工で描く。これはスゴイ。中国で明代に作られたそうだけれど、日本の螺鈿細工よりも光沢が鈍い印象。これは「菊唐草文螺鈿玳瑁合子」にも言えること。合子とは入れ物のこと。お寺の屋根なんかについている瓦のみたいな形。10cmもない小物入れにビッシリと施された螺鈿は、べっ甲に彩色したものだそうで、茶色というか濃いオレンジ色。これはかわいい。

後期の目玉でもある如拙の「瓢鮎図」は第一会場のほぼ終わり頃にある。掛軸なのであまり大きくない。将軍足利義持の命により描かれたという掛軸に描かれているのは、川辺で瓢箪を手にした男とナマズ。これは「ぬるぬるした瓢箪で、ぬらぬらしたナマズを捕まえられるのか」という禅問答を描いたものだそうで、京都五山の高僧31名が賛を寄せている。賛とは文字通りその絵などを賞賛する文章や、その絵に関した詩を書くこと。さっぱり読めなかったけれど、この賛はユーモアあふれる賛なのだそう。如拙の絵は瓢箪を持つ男が少し気味悪く、あまり気持ちがいい絵ではなかったけれど、細部まで描き込まれた筆致と、墨の濃淡で表現された幽玄さが素晴らしかった。

第一会場最後の展示品は「梵鐘」 飛鳥時代に作られた日本最古の鐘なのだそう。九州に同じ形の鐘があるので、福岡で作られたのではないかと言われている。コップを逆さまにしたようなスッキリとした形がいい。装飾自体はシンプルだけど上下に配された唐草模様がかわいい。この鐘の音は「黄鐘(おうしき)調」なのだそう。黄鐘調とは辞書によれば、雅楽の唐楽の六調子の一つだそうだけど、どんな感じの音色なのかサッパリ分からず・・・。でも、兼好法師が「徒然草」に黄鐘調が良いと書いているそうなので、きっと良い音なのでしょう(笑)

第二会場に入ると直ぐ「玩具船」がある。豊臣秀吉50歳にして授かった初めての子棄丸が乗って遊んだという船のおもちゃ。おもちゃとは思えないくらい手が込んでいる。船の前後に屋根付きの釣り殿のようなものがあり、その間に棄丸が座るようになっている。船は車輪付きの台車にのっている。多分、お側に仕える人達が引っ張って遊ばせたのだろう。天下人豊臣秀吉と淀殿との間に生まれた若君も、規模は違えど、甥っ子達と似たような遊びをしていたのかと思えば微笑ましい。そして、子供が喜ぶ顔が見たいと、おもちゃを与える気持ちは天下人であっても同じなのだなぁと思ったりする。そんな思いも虚しく3歳で亡くなってしまったという棄丸。「小型武具」の小ささを見ると何とも切ない。

「立涌に菊文様壇引」が素敵! 壇引とは法会の際に壇の前にひきまわす飾りと説明があったけれど、イマヒトツ分からず。朱色の地に金糸の菊が隙間無く配されている。こう書くとずいぶんハデなイメージだけど、全然そんなことは無くて品がある。並んで展示されていた「桐竹雪文様打敷」も素敵だった。全体的に淡いトーンだけど、薄い緑で刺繍された竹が美しい。この2点、元は小袖だったのではないかと言われているらしい。図柄の美しさもさることながら、色が美しく豪華でありながら控えめで品がいい。そういえば第一会場に展示されていた関山慧玄が使われていたという「忍草文様頭蛇袋」も素敵だった。1枚の布を三つ折にしただけのシンプルな作りで、首から提げて使うのだそう。20cm×20cmくらいの正方形。藤色に染められているけど、真ん中に忍草が染め抜かれている。かわいい。

「瑠璃天蓋」は春日局の像を祭る堂の天蓋。ガラスのビーズと鉄もしくは銅のワイヤー(?)で作られている。明時代の中国で作られたもの。大きさは直径1mくらいかな・・・ もう少し小さいかも。水色、黄色、青などのビーズで、シャンデリアのような物が作られている。多分、当時こんな小さなガラスのビーズを作るのは大変なことだったのだろう。今見るとおもちゃのように見えるけれど、それが逆にかわいい。細い針金(じゃないと思うけど)にビーズを通して作られた華奢な天蓋はかわいい。ハート型、星型などの模様もいい。第一会場に展示されてた「瑠璃天蓋」は関山堂の天井を飾っている。こちらの方がやや大きかったかな。こちらはビーズ飾りが何本も下がってかわいかった。

次の部屋に入った突き当たりにドーンと「達磨像」 白隠慧鶴が67歳の時に描いた2mを超す大作。画面右に上1/4ほど余白を取って達磨の顔を描く。その輪郭線はいつの間にか衣になっている。達磨大師その人よりもむしろダルマを描いているかのような線。チラシなどではどこか飄々とした表情に見えるけれど、眼光鋭くかなりの迫力。先ほど見た如拙の絵などに比べれば、繊細さはないかもしれないけれど、この迫力はスゴイ。この絵の丁度真上にバナーとして狩野探幽の龍の絵が展示してあった。妙心寺法堂の天井画で実際は直径12m。今回展示のバナーは1/3サイズとのことだけど、それでもかなりデカイ! 画面の右下から左上へと体をくねらせながら立ち上がるかのような構図。画面左上からコチラを睨むように見る迫力はスゴイ。本物はスゴイ迫力に違いない。

最後の展示室。海北友松の「花卉図屏風」がいい。父は浅井長政の家臣だったというから武士の出、父の戦死後に禅門に入り、後に狩野永徳に学んだのだそう。金地に大振りの花を大胆に描く感じは確かに狩野派の豪華で力強い感じはする。6曲1双の左隻には梅が描かれている。左半分よりやや上辺りから上に伸ばした枝は、一度画面から消えて、上端の中央辺りから再び現れる。この枝ぶりは見事。でも、その枝ぶりから感じるのは迫力よりも、儚さ。控えめな美しさは梅という木に合っている気がする。対して、右隻は牡丹。通常よりも20cm高い屏風の画面いっぱいに描かれた牡丹はすごい迫力。かなり写実的。花びらまで細かく描かれた牡丹は一つとして同じ形はない。大輪の花は豪華だけど、でも淡い色で描かれているので、咲き乱れているというような圧倒的な印象派ない。それがまたいい。海北友松もそのような人だったのかもしれない。控えめにでもしっかりと自己を主張するような。そしてそれが押し付けがましくないような・・・。って、勝手な想像だけれど(笑)

そして本日の1枚。狩野山雪の「老梅図襖」 これが見たかったのでこの特別展に来た。今年のお正月、NHKで放送された江戸の美術100選で紹介された作品。この絵は何とも異様。一見しただけでは奇怪という感想になるけれど、見ているうちにその存在感に圧倒される。4枚からなる襖絵で思っていたよりも大きくない。右端下から伸びた梅の幹は2枚目の襖で1度力強くうねりながら天に伸び、3枚目の襖で信じられない形をとり、下方向にくねりながら曲がり、それからほぼU字型を描いて再び上へと枝を伸ばす。花はほとんど咲いていない。そして4枚目の襖で細くそして高い位置で水平に枝を伸ばし、控えめに花を咲かせる。とにかくその曲がりくねり方がスゴイ。狩野派の中でも豊臣家に仕えた一派として、江戸時代には不遇だったのだそうで、そういう絵師の苦悩の末に辿り着いた境地なのかと思って見ると、これはもう素晴らしいの一言。

番組内では、ほぼ同じような構図で描かれた梅の木の襖からなる、一連の襖絵に四方を囲まれた部屋を、版画家の山本容子さんが訪ねていた。あまり広くないその部屋で1人鑑賞した後の感想が興味深かった。部屋の中央に立って囲まれると、自分は少し高い位置にいて、見下ろしているような感覚があったとのことで、ということは梅は高くて風の強いところに生えているのではないか。と考えると、風雪に耐えた梅の木が曲がりくねっていく感じがよく分かったと語っていた。そして、それはやっぱり本物を見る醍醐味だとも話されていた。自身も芸術家である山本容子さんの感じたことは、おそらく正しいのだろうと思う。でも、同じ感想を持たなくても別に構わないのだと思う。それこそが美術、そして本物を見るということの意味だと思うし。私は、山雪が葛藤にのた打ち回った挙句に辿り着いた境地は、控えめながら花咲く事が出来ればいいと思ったのじゃないかと感じた。そして、自分がこれまでも今も葛藤していることは当然なのだし、きっとムダじゃないのだと思う。そんなことを感じさせてくれる作品だった。これは素晴らしい。これが見れて良かった。

ここ最近の東京国立博物館での展覧会は、もうホントに圧倒されるくらい素晴らしいものが多かった。今回、それらに比べると少々地味な印象ではある。でも、控えめな中にも芯の通ったものを感じる展覧会であったように思う。今、何かに葛藤していてそれに押しつぶされそうに感じていたら「老梅図襖」見てみたらいいように思う。そのくらいうったえかけてくるものがあった。


「開山無想大師六五〇年遠諱記念 妙心寺」

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