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【Googleのロゴ】バーバラ・へップワースを称えて

2020-08-25 01:07:56 | Google's logo

毎度のGoogleのロゴがこんなことに!

 

 

 

バーバラ・ヘップワースを称えて

すみません💦 どなたでしょう?

 

毎度のWikipediaによりますと・・・

 

バーバラ・ヘップワース(デイム・バーバラ・ヘップワース (Dame Barbara Hepworth, DBE)、

1903年1月10日-1975年5月20日)はイギリス芸術家彫刻家

第二次世界大戦中、ベン・ニコルソンナウム・ガボのような芸術家とともに、

セント・アイヴズに住む芸術家のコミュニティで主導的な役割を果たした。

 

とのことで、彫刻家の方なのね?😌

 

ジョスリン・バーバラ・ヘップワースは、

ハーバートとガートルードのヘップワース夫妻の長子として

1903年1月10日にイギリスのウェスト・ヨークシャー州ウェイクフィールドで生まれた

 

1920年から奨学金を得てリーズ美術学校で学んだ。

ここで同窓のヘンリー・ムーアと会った

友人となったふたりの間には仕事上の友好的なライバル関係ができ、

これは長年にわたり続くことになった。

 

ほー!ヘンリー・ムーアと同窓だったのね❓😲

 

ヘップワースの初期の作品は

ヨーロッパ大陸の芸術運動や抽象化から強い影響を受けているものであった。

1933年にヘップワースはベン・ニコルソンフランス旅行をし、

ジャン・アルプパブロ・ピカソコンスタンティン・ブランクーシのスタジオを訪問した

 

ヘップワースは英国の人々に大陸の芸術家のことを伝える活動も行った。

1937年、ヘップワースは構成主義の芸術家に関する300頁もある著書で、

ニコルソン、ナウム・ガボ、レスリー・マーティンが編集して

ロンドンで刊行されることになった

 Circle: An International Survey of Constructivist Art のレイアウトデザインを手がけた

 

1949年2月8日、ヘップワースと2番目の夫ベン・ニコルソンは

キャッスル・インでペンウィズ芸術協会を共同創設し、

ピーター・ラニヨンやバーナード・リーチを含む19名の芸術家が創設メンバーとして参加した

 

1950年、ヘップワースの作品がマシュー・スミスやジョン・コンスタブルの作品とともに

第25回ヴェネツィア・ビエンナーレのブリティッシュ・パヴィリオンで展示された

この1950年のビエンナーレを最後に、

現代英国の芸術家が過去の芸術家と一緒に展示されることはなくなった

 

ふーん。何故だろう?🤔

 

1953年2月13日、

イギリス空軍の軍人であった長男のポールが飛行機事故のためタイ王国で死亡した

ポールを記念するための作品「聖母子」

(Madonna and Child)がセント・アイヴズ教区協会にたてられた

 

なんと・・・

 

1960年、

ヘップワースはトレウィン・スタジオの通りの向かい側にある

映画・ダンスのスタジオであるパレ・ド・ダンスを購入し、

スタジオ面積を大きく増やした。

新しいスペースを用いて大型の作品を作るようになった

 

バーバラ・ヘップワースは1975年5月20日、

トレウィン・スタジオの失火のため72歳で亡くなった

 

え?火事で亡くなったの?

なんということ・・・

 

作品を見ると前衛的な彫刻家なのかな?

代表作は

バーバラ・ヘップワース「ぺラゴス」

 

嫌いではないけど、前衛的な作品はよく分からない😅

 

そして何故今日称えるのかしら?🤔

ちょっと調べたけど謎でございます。

そして眠いのでもう寝る😪

 

検索画面のロゴはこんな感じ

 

では~✋😃

コメント (2)
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