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【cinema】『刺青奇偶』

2009-04-05 23:30:36 | cinema
'09.03.21 『刺青奇偶』@東劇

これは『ふるあめりかに袖はぬらさじ』『連獅子/らくだ』に続くシネマ歌舞伎鑑賞第3弾。シネマ歌舞伎とは生の舞台を、山田洋次監督が撮影した映画。映画のために演技しているのではないけど、テレビの劇場中継とも違う感じ。歌舞伎には少し興味があるけど、どうも敷居が高い印象。歌舞伎入門編のつもりで見てみたら、とっておもしろかったので続けて見ている。

「博打ばかりして、今では生まれ育った深川にも帰れなくなってしまった半太郎。せめて故郷の見える場所にと、さしあたり江戸川を渡った行徳に居る。ある夜半太郎が渡し場で入水自殺をはかった酌婦お仲を助ける。やがて2人は夫婦となるが…」という話。ストーリーとしては単純。映画として見たならばちょっと物足りないかもしれない。でも、舞台なのであればこのくらい分かりやすい話しでちょうどいいのかも。なにしろ2階席の後ろの方から見ているお客さんもいるわけで、細かい表情の見えないお客さんにも伝わらないといけない。となると、複雑な心理描写は難しい。だからといって見ていて退屈ということはない。

大きく分けて3場面。2人が出会う場面、夫婦の絆が描かれる場面、そして半太郎が一世一代の大博打を打つ場面。まずは2人が出会う行徳の渡し場から。ここでは半太郎と博打仲間、半太郎とお仲の掛け合いが続く。博打が大好きで借金がかさみ、ついには生まれ育った深川にも帰れなくなってしまった半太郎は、対岸に見える故郷を眺めに渡し場にやって来る。そこへ結婚をやっと承知してくれた女性に、半太郎自分の悪口を言ったため、彼女が結婚はやめると言い出した、いったいどうしてくれるのだと、博打仲間が怒ってやって来る。半太郎にしてみれば、本当のことを言ったまで。男にしてみれば、本当のことでもわざわざ言うことはないだろうというわけで平行線。まぁ、こちらにしてみればどっちもどっち(笑) このシーンがけっこう続くので、若干飽きるけど、このシーンだけで半太郎という人物の生い立ちだけでなく、性格まで分かるようになっている。半太郎は決して嫌な人ではないし、ヤクザ者というわけでもない。半太郎の言っていることは一見理屈が通っているようだし、何の悪気もないのも分かる。でもホントのことでも言っちゃいけないことはある。正直と言えばそうだけど、思ったことを考えるより前に言ってしまう、せっかちな江戸っ子タイプのようだ。まぁ、でも結婚した後からダメ亭主だったって分かるよりは良かったかも(笑)

友達が怒って行ってしまうと、誰かが水に落ちた音がする。助けたのがお仲。お仲は貧しさゆえに売られた酌婦。酌婦とはお酒をお酌する仲居さんのような人だけれど、実際は多くの女性が体を売っていたらしい。売られ売られてとうとう行徳に落ちてきたお仲は間違いなく後者の方。さんざん辛い思いをしてきたお仲は、半太郎が自分を助けたのは単純に善意からだということが理解できない。そんなお仲を理解できない半太郎との掛け合いがいい。半太郎が何を言っても勝手に解釈して、所詮男はそんなものと決めつけていたけれど、お仲を酌婦として差別することもなく自然に振る舞う半太郎に惹かれていくまでがコミカルに描かれる。このシーンだけでお仲の生い立ちと、彼女の性格、後の伏線までも語られている。2人の会話がかみ合わないのを笑うシーンだけど、けっこう長い。正直、お仲さんの頑なさにイラッとくる感じもあるけど、飽きさせないのはさすが、中村勘三郎と坂東玉三郎。

場面は変わって長屋の一室。お仲さんが病んで寝ている。どうやら重い病のよう。医者はお仲の前では良くなっていると言うけれど、お仲の世話をしてくれている近所の女性をそっと外に呼び出す。このシーンがいい。2人がお仲を気遣う姿がさり気なく描かれていて、それが本当に品がいい。2人の人柄もさることながら、2人がお仲を好きであることが分かる。ということは、お仲は半太郎の妻として世間に受入れられているということでもある。お仲と所帯を持った半太郎だけれど、相変わらず博打が止められない。お仲の病状がかなり悪いこんな時ですら、博打に夢中になって家に帰っていない。帰ってきた半太郎はお仲の病状を知る。驚き悲しむ半太郎。3人が必死で隠してもお仲は自分の病状を知っていた。お仲が最後の頼みと半太郎の腕にサイコロの刺青を入れる。これがタイトルの「刺青」 お針箱から取り出した針を使って、墨で書いたサイコロの上をぶさぶさ刺して刺青を彫るけれど、そんなに簡単に彫れるものなのだとは知らなかった。まぁ、知ったところでやりませんが(笑) このシーンはとってもベタだけど泣けた。2人の演技が素晴らしい。そして、半太郎が腕に針を刺される瞬間、顔をしかめる。そういう表情まで見えるのは映像ならでは。

2人の姿に涙していると、場面が変わる。半太郎は博打の場でいかさまだと言い立てて、場を仕切るヤクザ者達に捕まり、散々痛めつけられたらしい。お仲が腕に彫ったサイコロは2度と博打をしないようにという願いを込めてのものだったのに、何故博打を打ちに行ったのか。そして、何故いかさまだなどと言い出したのか。それはお仲の病気を治したいがゆえ。ムリを承知で大芝居を打ったのだと涙ながらに語る半太郎に、心を打たれたお頭から一世一代の大博打を持ちかけられる。結果は想像通りになるけれど、ここの見せ場は半太郎とお頭の掛け合い。お仲だけが生きがいだと訴える半太郎のセリフは、かなり照れてしまう感じだけれど、涙ながらに語る半太郎の姿には単純ではあるけれど、素直で心優しい人柄が表れている。そして、それに心打たれて大博打を持ちかけるお頭の片岡仁左衛門がいい。ヤクザ者の元締めだけれど、威厳があって品がある。半太郎を助けたのは話に情けからだけではなく、半太郎の人柄を見込んでのことだということも分かる。一世一代の博打に半太郎が勝つと、サラリとお金を払って去っていく。粋。

股旅物などで有名な作家、長谷川伸の原作はそんなに複雑ではない。舞台ではこのくらい分かりやすい方がいいかと思う。でも、これは映画でもあるので、単調で大袈裟に見えかねないけど、主役2人を初めとする役者達の演技が素晴らしく、見ていて全く大仰ではない。そして、映画なので細かな表情などの演技も見る事ができる。やっぱりこのシリーズは好き。次回は坂東玉三郎の『鷺娘』を見に行く予定。


『刺青奇偶』 シネマ歌舞伎

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