これも見たかった。以前WOWOWで放送していたのを録画していたので見る。
「1984年旧東ドイツ国家保安省(シュタージ)の大尉ヴィースラーはヘムプフ大臣の依頼を受け、劇作家ドライマンの監視をするが、彼を通して芸術を知り・・・」という話。これは、しっとりとした良作だった。そして、どこか演劇を見ているような感じ。
見る前はもう少し前の時代の話なのかと思っていたけど、1989年11月9日にベルリンの壁が崩壊する5年前の話だった。社会主義については実はあまりきちんと理解していない。まず国家ありきで国民は国家の為に奉仕するということでいいのかな? ヴィースラーが所属するシュタージというのは国家にとっての危険分子の取り締まりといったところでしょうか・・・。冒頭ヴィースラーが尋問するシーンから始まる。表情を変えずに声を荒げることもなく進むその尋問自体よりも、その音源が教材として使われ、それを淡々と解説している感じが彼を上手く表現している。生真面目で有能、自分の能力に自信と誇りを持ち、感情をコントロールできる。でも、人間味のない男。
彼はキャリア志向の高い上司に連れられて芝居を見に行く。上司はそこでヘムプフ大臣から劇作家ドライマンを監視するように指令を受ける。そしてヴィースラーがその任務を担当することになる。見ている側としては結果として社会主義は崩壊し、東ドイツという国は無くなった事を知っているわけだから、この任務は"悪"という見方をするけれど、シュタージにとって見れば西側的な思想をする人物は危険なわけで、監視し取り締まるのは"正義"なはずだった。だから、その"正義"どうしのせめぎ合いならもう少し良かった気もするのだけど・・・。
この指令自体はシュタージ側から見れば決して的はずれではないのだけれど、大臣の私情が絡んでいる。この感じがちょっと余計だった気も・・・。要するに幹部の腐敗を描きたいんだろうし、後にドライマンが言う「こんなクズが国を動かしていたのか」という感じではあるけれど、いわゆるセクハラでパワハラなわけで、それは資本主義の国にだってあるわけだし・・・。大臣の悪人ぶりとしては少し弱い気もする。まぁ、後のシーンで彼は彼なりにクリスタを愛していたのかもと思えるシーンがあるけれど。なんとなく正義VS正義としてぶつかり合って、芸術に触れたヴィースラーの中で何かが変わるという感じの方がスッキリした気がする。シュタージの冷徹ぶりの描き方も少し弱い気もした。
でも多分、この映画が描きたかった事は"芸術"と"自由"なんだと思う。監視を始めたヴィースラーは、ドライマンの生活を通して芸術的なものや考え方に触れて変わっていく。孤独で味気ない彼の生活に文学や音楽が入ってくる。ある日、盗聴をしているとドライマンが恋人であるクリスタにベートーベンのソナタを弾いて聴かせ「これを聴くと革命ができない。この曲を聴いた人は悪人にはなれないから」とレーニンが語ったというエピソードを語るのを聞く。この曲と言葉がヴィースラーの心に響く。"芸術"好きだからといって悪い人間ではないということにはならい。あのヒトラーだって若い頃は画家を目指していたんだし。でも、ヴィースラーは間違いなく芸術に心打たれて人間的な気持ちを取り戻す。
芸術というのは感動しよう、感動させようとしても心を動かせるものではない。ある時、ある瞬間に心をつかむ。東ドイツでは思想的な芝居や本などを規制していたようだ。演出家のイェルスカは要職からはずされ失業してしまう。シュタージに目をつけられた彼に話しかける人も少ない。その孤独と絶望の中で自ら命を断つ。その事件に憤りを感じたドライマンはある決心をする。ドイツ語の硬くあまり抑揚のない感じで語られる決意や計画は、自由な社会に生まれた者にとっては普通の事なのに、彼らにとっては命がけのことなのだ。国家を批判したといえば確かにそうだけれど・・・。彼らが発したメッセージはなにも自由を闇雲に叫ぶというものではない。きちんとしたデータをもとにした正しい主張。それが逆に胸を打つ。正しいことを正しく発言している。一度はそんな彼らの行動を阻止しようとしながらも、気持ちを変えたヴィースラーの心の変化は何だったのか?
社会主義が間違いで、資本主義が絶対に正しいというつもりはないけれど、感じたまま、考えたままを自由に発言したり行動したりできないというのはやはりおかしい。自分の中にある言葉や気持ちをただ人に伝えたいだけなのに。ドライマンは劇作家でクリスタは女優。芸術家の2人の会話はヴィースラーの孤独な心を刺激する。自信に満ち知的で正義感にあふれ、美しい恋人や仲間に恵まれた彼の生活に"自由"を感じたのかもしれない。そして彼はクリスタに恋したのかもしれない。あの日彼が見た舞台では堂々と主役を演じていた女優は、自分に自信が持てずドラッグ中毒になってしまっている。ドライマンを社会主義に立ち向かう強い人物として描き、彼女を社会主義の犠牲になった弱い存在として描いている。彼は彼女の中の弱さに人間的な脆さを見たのかもしれない。そして彼が本当に守りたかったものは・・・。
役者達が良かった。多分ヴィースラーの設定は45歳くらい? ドライマンとクリスタは30代後半くらいかな? 「40目前で・・・」というセリフがあった気がする。なのでこれはとっても大人な映画。盗聴がカギとなっているけど、彼らはベラベラと喋ったり激したりはしない。だからわりと淡々としている。社会主義国からイメージする密告・尋問・拷問などのシーンもハッキリと描いてはいない。主人公達の心の葛藤がハッキリと分かるセリフも少ない。そういう面では少し物足りなさを感じるけれど、これは声高に自由を叫ぶ映画ではない。だから俳優達の演技も大仰ではない。
クリスタのマルティナ・ゲデックがいい。見た事あると思ったら『マーサの幸せレシピ』の人だった。『マーサ・・・』の時も雰囲気のある素敵な人だと思ったけど、今回も良かった。クリスタはその境遇や弱さから悲劇的な間違いを犯す。でも、それがすごく良く分かる。彼女がしてしまった事はドラッグを含めて決して良い事とは思わない。ただ、彼女が自分に自信が持てずにいる気持ちは分かる。そしてヘムプフとの事で自分を蔑んでいるのも、尊敬すべき恋人に対しての負い目も、そして彼に嫉妬する感じも分かる気がする。それはやっぱり彼女の演技によるものだと思う。ただ嫌な女にもダメな女にもなっていない。ドライマンのセバスチャン・コッホも良かった。才能も地位もあり、友人も多く容姿にも恵まれている。そんなちょっとイヤミもしくはウソくさいキャラになりがちな役を大人の男として演じていたと思う。
そしてヴィースラーのウルリッヒ・ミューエがいい。旧東ドイツ出身。ヴィースラーは表情もほとんど変えず任務を完璧にこなすことだけに生きてきたようだ。家族も友人もいない。そんな彼が芸術家の自由な考えに触れ、憧れの女優の人間的な部分に触れ、2人を通じて芸術の素晴らしさ、自由の素晴らしさを知る。そして、それを守りたいという感情に突き動かされる。それは彼が求めた自由。初めて自らの意思で行動した。結果、閑職に追いやられ、統一後の生活も決して恵まれたものではなさそう。でも、壁崩壊のニュースを聞いた時、初めて感情を爆発させる。それはきっと表面上の豊かさではなく、心の豊かさを求めたから。本当の自由は自分がしたいと思った事が出来ること。それは、人に迷惑を掛けて、やりたい放題する身勝手のことではない。そういう感じが硬い表情や少ないセリフからもきちんと伝わってくる。
きれいにまとめられていて、逆に少し物足りなさを感じる部分もあるけれど、描きたいのは旧東ドイツの腐敗でも、人々を締め付けた圧制でもないし、ドライマンの告発でもない。ヴィースラーが守ったのは本当はドライマンではない。彼が守りたかったのは芸術と自由。自分の中に芽生えた自由。それが分かっているからドライマンも彼に会わずにHGWXX7への献辞としたのだろう。かつての彼のコードネームだったそれは、ドライマンからの暗号になっている。ちょっと象徴的ではある。
盗聴に使うレトロな機械や、旧東ドイツの暗く沈んだ街並みもいい。なかなか良かった。こういう映画は家のテレビで見るのではなく、こじんまりとした映画館でじっくり見るべきだったかもしれない。
『善き人のためのソナタ』Official Site

見る前はもう少し前の時代の話なのかと思っていたけど、1989年11月9日にベルリンの壁が崩壊する5年前の話だった。社会主義については実はあまりきちんと理解していない。まず国家ありきで国民は国家の為に奉仕するということでいいのかな? ヴィースラーが所属するシュタージというのは国家にとっての危険分子の取り締まりといったところでしょうか・・・。冒頭ヴィースラーが尋問するシーンから始まる。表情を変えずに声を荒げることもなく進むその尋問自体よりも、その音源が教材として使われ、それを淡々と解説している感じが彼を上手く表現している。生真面目で有能、自分の能力に自信と誇りを持ち、感情をコントロールできる。でも、人間味のない男。
彼はキャリア志向の高い上司に連れられて芝居を見に行く。上司はそこでヘムプフ大臣から劇作家ドライマンを監視するように指令を受ける。そしてヴィースラーがその任務を担当することになる。見ている側としては結果として社会主義は崩壊し、東ドイツという国は無くなった事を知っているわけだから、この任務は"悪"という見方をするけれど、シュタージにとって見れば西側的な思想をする人物は危険なわけで、監視し取り締まるのは"正義"なはずだった。だから、その"正義"どうしのせめぎ合いならもう少し良かった気もするのだけど・・・。
この指令自体はシュタージ側から見れば決して的はずれではないのだけれど、大臣の私情が絡んでいる。この感じがちょっと余計だった気も・・・。要するに幹部の腐敗を描きたいんだろうし、後にドライマンが言う「こんなクズが国を動かしていたのか」という感じではあるけれど、いわゆるセクハラでパワハラなわけで、それは資本主義の国にだってあるわけだし・・・。大臣の悪人ぶりとしては少し弱い気もする。まぁ、後のシーンで彼は彼なりにクリスタを愛していたのかもと思えるシーンがあるけれど。なんとなく正義VS正義としてぶつかり合って、芸術に触れたヴィースラーの中で何かが変わるという感じの方がスッキリした気がする。シュタージの冷徹ぶりの描き方も少し弱い気もした。
でも多分、この映画が描きたかった事は"芸術"と"自由"なんだと思う。監視を始めたヴィースラーは、ドライマンの生活を通して芸術的なものや考え方に触れて変わっていく。孤独で味気ない彼の生活に文学や音楽が入ってくる。ある日、盗聴をしているとドライマンが恋人であるクリスタにベートーベンのソナタを弾いて聴かせ「これを聴くと革命ができない。この曲を聴いた人は悪人にはなれないから」とレーニンが語ったというエピソードを語るのを聞く。この曲と言葉がヴィースラーの心に響く。"芸術"好きだからといって悪い人間ではないということにはならい。あのヒトラーだって若い頃は画家を目指していたんだし。でも、ヴィースラーは間違いなく芸術に心打たれて人間的な気持ちを取り戻す。
芸術というのは感動しよう、感動させようとしても心を動かせるものではない。ある時、ある瞬間に心をつかむ。東ドイツでは思想的な芝居や本などを規制していたようだ。演出家のイェルスカは要職からはずされ失業してしまう。シュタージに目をつけられた彼に話しかける人も少ない。その孤独と絶望の中で自ら命を断つ。その事件に憤りを感じたドライマンはある決心をする。ドイツ語の硬くあまり抑揚のない感じで語られる決意や計画は、自由な社会に生まれた者にとっては普通の事なのに、彼らにとっては命がけのことなのだ。国家を批判したといえば確かにそうだけれど・・・。彼らが発したメッセージはなにも自由を闇雲に叫ぶというものではない。きちんとしたデータをもとにした正しい主張。それが逆に胸を打つ。正しいことを正しく発言している。一度はそんな彼らの行動を阻止しようとしながらも、気持ちを変えたヴィースラーの心の変化は何だったのか?
社会主義が間違いで、資本主義が絶対に正しいというつもりはないけれど、感じたまま、考えたままを自由に発言したり行動したりできないというのはやはりおかしい。自分の中にある言葉や気持ちをただ人に伝えたいだけなのに。ドライマンは劇作家でクリスタは女優。芸術家の2人の会話はヴィースラーの孤独な心を刺激する。自信に満ち知的で正義感にあふれ、美しい恋人や仲間に恵まれた彼の生活に"自由"を感じたのかもしれない。そして彼はクリスタに恋したのかもしれない。あの日彼が見た舞台では堂々と主役を演じていた女優は、自分に自信が持てずドラッグ中毒になってしまっている。ドライマンを社会主義に立ち向かう強い人物として描き、彼女を社会主義の犠牲になった弱い存在として描いている。彼は彼女の中の弱さに人間的な脆さを見たのかもしれない。そして彼が本当に守りたかったものは・・・。
役者達が良かった。多分ヴィースラーの設定は45歳くらい? ドライマンとクリスタは30代後半くらいかな? 「40目前で・・・」というセリフがあった気がする。なのでこれはとっても大人な映画。盗聴がカギとなっているけど、彼らはベラベラと喋ったり激したりはしない。だからわりと淡々としている。社会主義国からイメージする密告・尋問・拷問などのシーンもハッキリと描いてはいない。主人公達の心の葛藤がハッキリと分かるセリフも少ない。そういう面では少し物足りなさを感じるけれど、これは声高に自由を叫ぶ映画ではない。だから俳優達の演技も大仰ではない。
クリスタのマルティナ・ゲデックがいい。見た事あると思ったら『マーサの幸せレシピ』の人だった。『マーサ・・・』の時も雰囲気のある素敵な人だと思ったけど、今回も良かった。クリスタはその境遇や弱さから悲劇的な間違いを犯す。でも、それがすごく良く分かる。彼女がしてしまった事はドラッグを含めて決して良い事とは思わない。ただ、彼女が自分に自信が持てずにいる気持ちは分かる。そしてヘムプフとの事で自分を蔑んでいるのも、尊敬すべき恋人に対しての負い目も、そして彼に嫉妬する感じも分かる気がする。それはやっぱり彼女の演技によるものだと思う。ただ嫌な女にもダメな女にもなっていない。ドライマンのセバスチャン・コッホも良かった。才能も地位もあり、友人も多く容姿にも恵まれている。そんなちょっとイヤミもしくはウソくさいキャラになりがちな役を大人の男として演じていたと思う。
そしてヴィースラーのウルリッヒ・ミューエがいい。旧東ドイツ出身。ヴィースラーは表情もほとんど変えず任務を完璧にこなすことだけに生きてきたようだ。家族も友人もいない。そんな彼が芸術家の自由な考えに触れ、憧れの女優の人間的な部分に触れ、2人を通じて芸術の素晴らしさ、自由の素晴らしさを知る。そして、それを守りたいという感情に突き動かされる。それは彼が求めた自由。初めて自らの意思で行動した。結果、閑職に追いやられ、統一後の生活も決して恵まれたものではなさそう。でも、壁崩壊のニュースを聞いた時、初めて感情を爆発させる。それはきっと表面上の豊かさではなく、心の豊かさを求めたから。本当の自由は自分がしたいと思った事が出来ること。それは、人に迷惑を掛けて、やりたい放題する身勝手のことではない。そういう感じが硬い表情や少ないセリフからもきちんと伝わってくる。
きれいにまとめられていて、逆に少し物足りなさを感じる部分もあるけれど、描きたいのは旧東ドイツの腐敗でも、人々を締め付けた圧制でもないし、ドライマンの告発でもない。ヴィースラーが守ったのは本当はドライマンではない。彼が守りたかったのは芸術と自由。自分の中に芽生えた自由。それが分かっているからドライマンも彼に会わずにHGWXX7への献辞としたのだろう。かつての彼のコードネームだったそれは、ドライマンからの暗号になっている。ちょっと象徴的ではある。
盗聴に使うレトロな機械や、旧東ドイツの暗く沈んだ街並みもいい。なかなか良かった。こういう映画は家のテレビで見るのではなく、こじんまりとした映画館でじっくり見るべきだったかもしれない。
