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【備忘録】「古都浪漫こころ寺巡り:あだしの念仏寺・愛宕念仏寺」

2015-05-10 17:51:40 | tv

【備忘録】「古都浪漫こころ寺巡り:あだしの念仏寺・愛宕念仏寺」


まずは、あだしの念仏寺からドゥゾ♪(っ'ω')っ))

あだしの念仏寺 阿弥陀如来坐像 運慶の長男湛慶の作と言われている。阿弥陀如来を本尊とする浄土宗は、法然が開いた。あだしの念仏寺は空海が開いた小さな寺がもとである


阿弥陀如来坐像_あだしの念仏寺

 

今回は、あだしの念仏寺(Wikipedia)と愛宕念仏寺を放送。あだしの念仏寺のご本尊は阿弥陀如来坐像で、これは湛慶(Wikipedia)作と言われているのね? 湛慶は大仏師運慶の長男で、父に負けない腕を持っていたとか。湛慶の作品てあまり見たことないので、見てみたい。スッキリと美しいお顔の阿弥陀如来様。

 

あだし=はかない 平安時代、火葬されていたのは身分の高い人。庶民は野ざらしにされていた。その場所の1つが化野だった。空海はそれを憂い、この場所に寺を建てた(五智山・・・←書き取れず) それがあだしの念仏寺の始まり。


"あだし"っていうのは、はかないとか変わりやすいという意味があるらしい。あだしの意味。- 古文辞書 - |Weblio古語辞典 漢字では化野(化野(あだしの)とは|コトバンク)と書くそう。昔の人は火葬にしてもらえる方が少なかったのね・・・ まぁ、そうなかもしれない。風葬(Wikipedia)というそうだけれど、要するに野ざらし。現代の感覚だと哀しい気がするけれど、そういう時代だったのでしょうし。でも、空海が憂いたということは、やっぱり当時でも憐れだったということか? ちなみに空海が開いたのは五智山如来寺で、これが化野念仏寺ほ始まり。

 

西院の河原 十三重塔 初七日から三十三回忌まで13回現れる、十三仏を表す。福田海の人々が、散らばっていた無縁仏を集め、明治時代に完成。福田海とは修行の一つ。倒れている石仏に念仏を唱えるのではなく、起こして供養するというような目に見える修行を行う。


西院の河原と書いて、さいのかわらと読むらしい。西院は賽の読み替えで、賽の河原(三途の川|Wikipedia)を表しているのだそう。そもそもがtweetにもあるとおり、無縁仏を集めた場所であることや、水子供養も行っていることから、西院の河原での撮影は禁止だという記事を読んだので、画像はいくつか見つかったけど、自粛しておく。


十三重塔というのは初めて知った! Wikipediaによりますと、三重塔、五重塔が有名だけど、七重塔、九重塔、十三重塔があるのだそう。木造の七重塔、九重塔の現存はないそうで、あだしの念仏寺の十三重塔は石造りだった。十三仏(Wikipedia)には、有名な閻魔大王も含まれる。閻魔大王は地蔵菩薩なのねぇ これ全然覚えられない


福田海(福田海とは|世界宗教用語 Weblio辞書)とかいて"ふくでんかい"と読む。宗教の1つでもあるけれど、宗派を超えて無縁仏などの供養を行う活動をするのだそう。知らなかった。

 

石は霊力を持つとされていた。長い年月を経ても形を変えない石に畏敬の念を持っていた?


これは、西院の河原のことかな? 石も風化したりしてはいると思うけどというツッコミはしないでおこう


以下、愛宕念仏寺をドゥゾ♪(っ'ω')っ))

 

愛宕念仏寺 愛宕とかいて"おたぎ"と読む。おたぎという土地に称徳天皇が愛宕(おたぎ)寺を建てたのが始まりであるため


番組で取り上げるお寺が、すべて古寺であることや、京都や奈良を中心としていることもあると思うけれど、とにかくよく登場するのが、光明皇后(Wikipedia)とその周辺の方々。称徳天皇(Wikipedia)は光明皇后の娘。まぁでも、当時お寺を建てるってことは、朝廷主導でなければ出来なかったのかもしれない・・・ ということで、この愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ、Otagi nenbutsu-ji Temple)も称徳天皇が建てたのが始まり。

 

仏 法 僧 いわゆる仏法僧を3つに分けた鐘がある。愛宕権現の本来の姿は地蔵菩薩。


三宝の鐘と言うそうで、仏教の三宝=仏法僧(Wikipedia)を、それぞれ1つづつに分けた鐘が3つある。珍しい形だと思う。地蔵菩薩(Wikipedia)は、もともとは如来サマが変化した形なんだよね・・・ 調べたい時に調べたいことが出てこないのが歯がゆい 阿弥陀如来だったかなぁ? で、愛宕権現は地蔵菩薩が変化した形であるということ。結構、仏様は人々を救うため、いろんな姿に変化するんだよね(笑)


平安時代、子供を授かるように千手観音を拝む夫婦があった。念願かない子を授かると、千観丸と名付けられる。後に僧となった千観は、千手観音を彫る。空也上人と出会い念仏に目覚める。わが身を捨てれば救われると説かれる。大阪箕面で念仏の修行に入る。


千観(Wikipedia)は、そもそもは天台宗の僧だったけれど、空也上人(Wikipedia)の影響を受け、浄土宗へ傾倒したのだそう。空也上人といえばアレですよね!


空也上人像_六波羅蜜寺

 

これはビックリするよね(笑) これは"南無阿弥陀仏"と唱えているところで、その文字1つ1つを仏形で表したもの。この発想はスゴイわ! マンガ的。説明されればなるほど分かりやすいと思うけれど、知識がないと何のことやら(笑)


愛宕念仏寺の住職となった西村公朝さんは、亡くなるまで仏師であり続けた。公朝さんによる寺の復興は1200体による石仏。訪れる人に石仏を彫り、奉納してもらう形で五百羅漢を作る計画。1年で500体が完成。その後も希望者があったため、七百羅漢彫ることにした。


以前、記事にしたテレビ番組「みうらじゅん仏像通」(記事はコチラ)で、MJことみうらじゅん氏が西村公朝さんを訪ねていたけれど、あれが愛宕念仏寺だったのね その動画を見る前から、仏像紹介番組などで存じ上げていたけれど、その穏やかな語り口と、分かりやすい説明にお人柄がにじみ出ていた。動画内でのMJとの会話も好きだった。切り口は斬新だけど、ちゃんと知識があるMJだから、質問などもとっても分かりやすいし、聞いていて安心感がある。


千二百羅漢_愛宕念仏寺


羅漢さんについて補足しておくと、西村公朝さんは愛宕念仏寺復興のため、五百羅漢を奉納してもらう計画を立てた。500体完成したが、希望者があったため七百羅漢を奉納することにして、現在は1200体になっているということ。五百羅漢(五百羅漢(ごひゃくらかん)とは|コトバンク)とは、コトバンクによると供養尊敬されるべき500人のこととなっているけど、愛宕念仏寺の説明(千二百羅漢)によると、釈迦涅槃時に立ち上がったのが500人で、その100年後に700人の羅漢(Wikipedia)が集い勉強会を開いたことから、この方たちを七百羅漢と言うらしい。なるほど・・・ 

 

人々が仏に触れる機会が少ないことを憂い、直接触れることが出来る仏を彫った。公朝さんの優しさ。・゜・(ノД`)・゜・。 あの穏やかな優しい語り口調が聴こえて来るような気がする・・・

 

西村公朝(Wikipedia)さんは、もともとは彫刻家を志していた方で、仏師として三十三間堂で千手観音の修復に関わり、仏師として仏の心を理解するため出家されたのではなかったかな? 以前、ご本人がそう語っていらした気がする。優しいお人柄の根底には、強い意志があるお手本のような方だな・・・


ふれ愛観音_愛宕念仏寺


愛宕念仏寺の説明(ふれ愛観音堂)だとちょっと分かりにくいのだけど、直接手を触れることのできる仏様という意味での”ふれ愛観音”は2000年前から作られてきたってことだよね? このふくよかでかわいらしい仏様は、1991年に当時76歳だった西村公朝さんが彫られた。お人柄そのままの柔らかい優しい仏様。有難くて涙が出てくる 是非、ふれ愛に行きたい!


 

古都浪漫こころ寺巡り:毎週土曜 21:00~@BSフジ

古都浪漫こころ寺巡り|BSフジ


 

 

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【100分 de 名著】「ブッダ最期のことば」#4

2015-05-08 01:12:07 | tv

【100分 de 名著】「ブッダ最期のことば」#4


1つの作品を25分×4回の計100分で読み解く番組。自分の興味がある作品の時だけ見て、気になったところをtweet、備忘メモとしてblogに記事書いて残している。今回は「ブッダ最期のことば」で、いわゆる「涅槃経」を読み解いていく。最終回が放送されて、既に2週間以上経ってしまったのだけど、やっと録画見たので記事書きます!( ・Θ・)ゞピヨッ



 

クシナガラに到着時、沙羅双樹の根元に横たわった。花や音楽が天から降って来るが、それは真に自分の供養にはなっていない。弟子たちが自分の教えに従って正しく修行することが供養であると告げる。=人が死ぬ時に、その人生を周りがどう評価するかということ

  

クシナガラ(Wikipedia)は釈迦入滅の地と言われいて、娑羅双樹(Wikipedia)の根元で眠りについたと言われているのだそう。その際、天から花が降り、音楽が鳴り響いたそうだけど、自分を供養(Wikipedia)することにはなっていないと語り、本当に自分を供養することは、自分の教えを守って修行することだと弟子に遺言したとのこと。

  

  · 5月5日

苦しみを感じ修行を積み悟りを開き、その道を他の人にも知らせたいと布教した。つまり、人を救うために生きた。そのブッダを供養するということは、教えを引き継ぐこと。→供養される人生を生きなければならない。死は人生の総決算。

  

先生によるとブッダのこの言葉は、人の死は人生の総決算であり、その人生を周りがどう評価するかということが、真の供養であるということを説いているのだそう。ブッダの人生はtweetにもあるとおり、人を救うための教えを見つけ、それを得るための修行の道も作ったのだから、その教えを守り修行に励むということが、真の意味でブッダの供養になるということ。そして、私たちは人に供養される人生を生きなければならないということなのだそう。

 

師がもういないと考えてはならない。自分の教えと、定めた法律が、自分亡き後の師である。先輩の比丘は後輩を名前もしくは友と呼び、後輩は先輩を尊者と呼ぶように伝えた。サンガ内に年功序列を義務付けた。能力主義は争いを呼ぶため。

 

 年功序列は年齢ではなく、サンガに入った順番。個人の資質は関係ない。自動的に上がるので、争って上に行く意味がないので、権力闘争が起こらない。 

 

ブッダはあくまで人間として生き、人間として亡くなった。師とは自分ではなく、教えと律そのものであると説いた。比丘(僧Wikipedia)とはサンガ(Wikipedia)の僧のこと。ブッダが存命だった頃は、僧たちは名前で呼び合っても秩序があった。自分亡き後、サンガを継続させるためには、権力闘争を避ける必要があった。そのため、ブッダは年功序列(Wikipedia)を義務づけた。これは、年齢と関係なく、仏教に帰依しサンガに入った順番。能力や修行の熱心んさとも関係なく、年を経るごとにその順位は上がって行く。後から来たものが、先に入った者を上回ることは出来ない。自動的に地位が上がるので、人を蹴落とす必要はない。なので争いも起きない。

 

ある目的のために集まった集団が、ライバル集団と争い、地位を勝ち取って行く必要がある場合は、能力主義が有効。その集団が目的を達成し、その状態を長く維持していく必要がある場合、例えば伝統芸能などは、年功序列で秩序を保つことが有効。伊集院光氏によると落語界も年功序列だったのだそう。なるほど。

 

サンガの些細な律を時代の変化に応じて変えてよい。諸々の事柄は過ぎ去ってゆく。怠ることなく修行を完成させよ。と言い残し、涅槃に入った。

  

ブッダの教えの根幹は"悟り"これは不変。そこに至るための方法=律は時代に応じて変える必要もある。どこが定点かを理解する。何を目的で設定されている法律なのか考える。


この辺りは特別追記する必要はないかな・・・ 要するに悟りを開くことが目的なのだから、その目的を達するための方法は、時代に応じて変わって来るということ。そう考えると、日本だけでもいろんな宗派が生まれた理由も分かるし、またそれが許されていることが、ブッダの遺言でもあったということなのかなと・・・


「涅槃経」はブッダの死後のことも記載されているそうで・・・


 · 24時間24時間前

ブッダの死後、煩悩のある弟子は泣き叫び、煩悩をなくした弟子は、諸行無常であると泣くのを我慢した。葬儀は7日間行われた。火葬を前にスバッダはブッダの死により自由になったと喜んだ。マハーカッサパは諸行無常を改めて説き諌め、ブッダは火葬された。

 

スバッダのような人物が出ることは想定済みで、戒めの意味でこのエピソードが涅槃経に記載されている。


スタジオ内で話題になったのは、何故このスバッダのエピソードを入れたのか?ということ。先生によれば、スバッダのような人物が現れることは想定済みなのだそう。戒めのために書いているということ以上に、そういう人物が現れる前提で書いてるっていうのはすごいなと・・・ ただこれ、よく考えると誰が書いたんだろう? 「涅槃経」というけど、ブッダの実際の言葉は途中で終わっているわけで・・・ スバッダのような人物までブッダが想定していたという前提で書いてるってこと? わけが分からなくなってきたのでこの辺で・・・(o´ェ`o)ゞ

 

組織運営が遺言として残されている。


ただ、要するに前述の年功序列や、このスバッダのエピソードのようなことを踏まえて、組織運営が残されているというのが先生の説明だった。その辺りは納得。そう考えると面白い。あえてそうしたのか、結果そうなったのか・・・

 

以下、まとめ

 

ブッダが死に向かう姿を通して、死にゆく者のあり方を学び、ブッダの死を受け止め、葬る弟子たちの姿を通して、死者を葬ることを学ぶ。その人の積み重ねてきたものを評価する責任がある。→人の死を悼む

 

確かに人間は生きている以上、必ず"死"と向き合う時が来る。家族や大切な人を葬る時。そして自らの死。どちらも普段あまり考えることはないけど、でも考えるととても怖い。でも、こうして学んでおくと、心構えができていいかもしれない。ブッダのような偉業を成し遂げなくても、良い人生を送ったと思われて、そして思って亡くなりたいものだ 

 

「考える時間」が重要。外からのつまらない価値観に惑わされずに、自分の価値観で今の自分と、死んだ後のことを予想することが大切。→考えることが修行。


それには考えることが必要ということなのね・・・ 死んだ後のことを予測するっていうのは、死後の世界ってことではなくて、おそらく自分亡き後の世の中のことを考えておくってことかしらね? 誰かを残して逝くわけだからね・・・

 

仏教とは、日常の暮らしの中で、悟りまで行くにはどうすればいいかという、下のレベルから上のレベルまでの道を教えてくれる。修行につながる悩み方をするだけで、1ステージ上がっている。


と、なんだかとってもしんみりしてしまったけど、仏教がとっても身近な存在に思えた。それは何もお経を唱えたり、出家したりすることじゃなくて、日常の中で考え方や見方を少し変えれば、1歩進んで悟りに近づくということなのでしょうかね? 多分、先生の説明によるとそういうことかと・・・ "自分"を信じなければ救われないと言わないブッダの教えが仏教なのだとすれば、自分の中ではしっくりくるかもしれない。まぁ、仏教徒になるかは不明だけど(笑)


100分 de 名著:毎週水曜 23:00~@Eテレ

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【備忘録】「古都浪漫こころ寺巡り:壷阪寺」

2015-04-26 23:59:04 | tv

【備忘録】「古都浪漫こころ寺巡り:壷阪寺」

 

壺坂寺は奈良市にある北の法華寺に対して、南の法華寺と呼ばれていた。最盛期には10万坪の大伽藍だった。


いきなり字を間違えてしまっているけど、正しくは壷阪寺(眼病封じのお寺・お里沢市の霊蹟 西国霊場第六番・神仏霊場奈良25番 壷阪寺)。奈良市にある法華寺(光明宗 法華寺)も光明皇后(Wikipedia)所縁のお寺で、国宝十一面観音菩薩立像は、光明皇后のお姿を模して作られたと言われているんだよね? 行ってみたいお寺の1つ。

十一面観音菩薩立像(法華寺)

 

多宝塔に安置されているのは、宇宙そのものを表す大日如来。平安時代作と言われている。


大日如来像


多宝塔(Wikipedia)というのは法華経に出てくるものなのね? ということは、壷阪寺は法華経のお寺なのか。まぁ、南の法華寺と呼ばれていたのだからそうか(笑) 大日如来(Wikipedia)は密教の最高神で宇宙そのものを表し、神仏習合では天照大神にも例えられるとのこと。なるほど

  

三重塔にも秘仏の大日如来が収められている。この像は室町時代作。倹約のため彩色はされていない。


ちょっと画像が見つからないので、どんな感じの大日如来様だったのか記憶が 倹約のため彩色していないというのはちょっとビックリ!

 

八角堂が壷阪寺の本堂。八角堂は江戸時代に再建されたが、創建当時の姿を再現している。本尊は十一面千手観音菩薩坐像。室町時代作。眼病予防の仏様として親しまれてきた。


八角堂については後ほど書くとして、ここでは十一面千手観音菩薩坐像について。千手観音菩薩(コチラ)と、十一面観音菩薩(コチラ)と、それぞれ単体で存在する菩薩様ではあるけれど、合体した形の受一面千手観音菩薩も存在する。この辺りが意外に日本のロボットアニメの原点だったりして? イヤ、MJ(みうらじゅん氏)によるとウルトラマンのモデルになっているのは弥勒菩薩で、スペシウム光線は半跏思惟の手の形を、そまま前にずらした形なのだそう。それは円谷栄治さんの自伝にも書かれていたそうなので間違いない。合体ロボの原型は仏像説も、あながちない話でもないと思うんだけどな(笑)

 

眼病予防については、八角堂を建立した元正天皇がこの寺で眼病を治したことに由来するらしく、今でも眼病に悩む方が訪れている。この十一面千手観音菩薩坐像は、目を見開いている。仏像の目は伏し目がちに表現されることが多いのに、これはなかなか珍しい。これは眼病に悩む人々を導くために、こういう形で作られたのかな? 

 

 十一面千手観音菩薩坐像

 

612年、推古天皇が聖徳太子と薬草を摘んだと言われているのが、この寺のあたり。


これについては詳細が まぁ、聖徳太子(Wikipedia)は推古天皇(Wikipedia)の摂政だったので、そういうこともあったのでしょう。このエピソードが紹介されているということは、これは有名な話なのかな? "壺坂 推古天皇 聖徳太子"で検索したけどよく分からず・・・

 

元興寺の僧弁基により開かれた。愛用していた水晶に観音様を感じ、壺に観音像を彫った。それが、壷阪寺の始まり。元正天皇(天武天皇の孫)と長屋王によって壷阪寺は発展。眼病を患った元正天皇が病を治した。長屋王(当時右大臣)が土地を寄進してさらに発展。


元興寺(元興寺公式サイト・元興寺文化財研究所公式サイト)は、この番組の記事書く際によく登場する気がする。いろんなお寺と関わりがあったのね。壷阪寺のの始まりは、この元興寺の僧弁基上人(Wikipediaは等なし)のエピソードは、まぁ考えられることだけど、元正天皇(Wikipedia)の眼病が治ったというのはどういうことなんだろう? 単純に疲れ目だったのかしら?(´ェ`)ン-・・ どうやら、この元正天皇は女帝で、生涯独身で即位した初の女性天皇だったらしい。長屋王(Wikipedia)は有名だから知ってたけど、藤原不比等(Wikipedia)の娘を妻にしているのね? なるほど・・・ 

 

【壺坂寺の霊験話】さよひめ 僧侶から親孝行すれば、その心が通じると言われる。貧乏から父親の法要を行えないことを嘆いていたさよひめは、大蛇の生贄となる娘を探していた商人に自らを売り、父親の法要を行う。大蛇はさよひめを乗せて天に昇った

 

【壺坂霊験記】盲目の沢市と妻お里の物語。沢市の目を治すため、夜中にお里は壷阪寺詣りをしていた。妻を疑っていた沢市は、谷に身を投げた。お里も後を追うが、観音様が現れ、2人を救う。←だったかな? 壷阪寺には沢市が使っていたとされる杖があり、これ触ると眼病が治ると言われている


「壷阪寺霊験記」(Wikipedia)って、沢市とお里の話のことなのかと思っていたら、さよひめの話もその1つであるらしい。録画してなくて、見ながらtweetしてたから、ちょっと間違っている部分もあるかもしれないけれど、両話とも内容的には間違ってないと思う。ザックリとしているけど(笑) 沢市&お里の話は明治時代に浄瑠璃として作られた演目で、歌舞伎や講談などにもなったのだそう。なるほど・・・

 

八角円堂が重要。現存している代表的な八角円堂。興福寺北円堂、法隆寺夢殿。平安時代、八角円堂は高貴な方の魂を鎮めるための建物だった。藤原京の真南にあたる壷阪寺辺りは補陀落浄土と考えられていた。朱雀大路の延長線上に位置し、その途中には天武・持統天皇陵がある。聖なる道

 

八角円堂は元正天皇により建てられた。元正天皇が愛する祖母持統天皇を弔うために建てたお寺が壷阪寺なのではないか?


八角堂(Wikipedia)というのは、高貴な方の魂を鎮めるための建物だったのね 現存している代表的な八角円堂は6つくらい上げられていたのだけど、メモが取れたのはtweetの2つのみ。興福寺北円堂(興福寺の伽藍|興福寺について|法相宗大本山 興福寺)、法隆寺夢殿(夢殿|法隆寺)の2つは行ったことがある! 法隆寺夢殿は日本武道館のモデルですよ!←豆知識自慢(o´ェ`o)ゞ 

 

法隆寺夢殿

 

藤原京(Wikipedia)の真南にあるため、壷阪寺辺りを補陀落浄土(補陀落浄土(ふだらくじょうど)とは|コトバンク)と考え、朱雀大路(Wikipedia)という、宮城から南方へ向かう道の延長線上に壷阪寺があり、さらにその途中に天武・持統天皇陵(野口王墓|Wikipedia)があるというのは、興味深い! これは絶対意図的にされていることだよね? 持統天皇(Wikipedia)のためのお寺だった可能性は高そう!

 

野口王墓

 

三尊塼仏 塼仏=壁などに仏を彫り出したもの が何だったのか聞き取れず。・゜・(ノД`)・゜・。


ちょっとこの辺りから集中力が切れてしまって、これが何のことだったのかサッパリ 塼仏(Wikipedia)というのは、tweetにもあるとおり、岩壁などに仏を掘り出したもの。レリーフっぽい感じというのかな? これ「コルカタインドの仏展」(記事はコチラ)でも、初期の頃はこのレリーフ的なものが多かった。

 

高取城と所縁のある人物が祀られている。本多俊政。


これも・・・ 壺坂寺の近くには高取城(Wikipedia)というお城があって、そのお城に所縁のある本多俊政(Wikipedia)という戦国時代の武将が、壺坂寺に祀られてるらしい。この方、豊臣秀吉から徳川家康に仕えているのね・・・ なるほど。

 

と、なんだか曖昧な記憶で、あまりしまりのない終わりになってしまって残念

  

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【100分 de 名著】「ブッダ最期のことば」#3

2015-04-26 17:12:45 | tv

【100分 de 名著】「ブッダ最期のことば」#3


1つの作品を25分×4回の計100分で読み解く番組。自分の興味がある作品の時だけ見て、気になったところをtweet、備忘メモとしてblogに記事書いて残している。今回は「ブッダ最期のことば」で、いわゆる「涅槃経」を読み解いていく。今回はその3回目。いよいよ佳境へ!

 

ブッダはアーナンダに、あなたが望めば自分は生きていると話すが、アーナンダの反応が薄い。これはアーナンダにマーラ=悪魔(仏教を妨害するもの)が憑りついたのだ。自分は3か月後に死ぬ。諸行無常である。


大病を患ったが回復し、旅を続けていたブッダは、自身の死を不安がっていた(前回記事参照コチラ)アーナンダに、あなたが望めば自分の寿命を延ばすことが出来ると告げるが、アーナンダの反応は薄い。アーナンダにマーラ=悪魔(Wikipedia)が憑りついたことに気づいたブッダは、弟子たちに自分は3か月後に死ぬこと、そしてこれは諸行無常であることを説いた。

 

ブッダが死ぬことは必要か? ブッダが亡くなったことは事実。でも、ブッダほどの人が寿命が尽きて亡くなるのだろうか? マーラによって妨害され涅槃に向かったのだと考えた。ブッダが亡くならないと、人々は諸行無常を実感できない。


ブッダが死ぬ描写は必要なのか? ブッダ自身の死を持って諸行無常(Wikipedia)を説いている。ブッダはあくまで人間として亡くなった。このことは事実であるけれども、当時の人々はブッダの死を受け入れることが出来ず、これはマーラによって涅槃に向かわされたのだと考えた。ブッダ自身は"自分"ではなく、自分が見つけた"仏教"を貴んで欲しいと考えていた?

 

諸行無常=一瞬一瞬に全てのものが生まれて消えていくこと。新しい鉛筆も1万年後にはボロボロになるが、"いつ"ボロボロになったか?と聞かれば、一瞬ごとに変化して1万年分でボロボロになった。一瞬一瞬変化している 今苦しくても明日は苦しくないかも?


「平家物語」(Wikipedia)の冒頭にあることなどからイメージして、ずっと繁栄してきたものも滅びる時が来ると考えがち。そういう側面もあるけれど、"滅びる"というよりも、一瞬毎に変化しているということ。伊集院光氏の例えによれば「老舗のお店が廃業してしまうということではなく、今日の営業を終えて、明日新しい店として開店するイメージ」 なので、"滅びる"という負のイメージではなく、あくまで変化した結果ということ? なので、逆に今の苦しみは、明日は苦しみではなくなっているかもしれないとも考えられる?

 

仏教で扱うのは"苦しみ" 苦しみの原因は現実を正しく見れないこと。現実と"思い"にギャップがある。現実は諸行無常だが、自分たちはそれを諸行無常とは思っていない。

 

 

自分の感性を変えることで、苦しみのない環境を作って行く


前回(記事はコチラ)で触れたように、仏教は今苦しんでいる人のための教え。何故、苦しいのかといえば、現実と"思い"にギャップがあるから。そのギャップを埋めるためには、現実は諸行無常(一瞬ごとに全てのものが生まれて消えて行く)ことを受け入れればよい。要するに、見方を変えて、一瞬一瞬良い方向に生まれ変わるよう努力をすればよいということ?

 

余命三ヶ月となったブッダの言葉。三十七菩提分法を、よく実践せよ。それが利益と安楽に役立つ。三十七菩提分法とは37種類の修行の方法。煩悩を消し去り悟りを開くまでのステップ 基本的な8つが八正道で8つの正しい行い。

 

正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定。正=煩悩が消えて苦しみが無くなって行く方向性。反対は自我。例えば、100万円拾う。正の人は交番へ届ける。我の人は自分の物と考える。うーん、でも普通交番へ届けないか?


自らの余命を悟ったブッダは、弟子たちに三十七菩提分法(三十七道品|Wikipedia)を実践するように説く。37種類の修行の方法を実践し、煩悩を消し去り悟りを開く。その基本的なステップが八正道(Wikipedia)。正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の8つからなる(詳細はWikipediaで!)が、この場合の正(しょう)とは、正しい行いということだけでなく、煩悩が消えて苦しみが無くなって行く方向性であり、その反対は自我。自我が強いと苦しくなる。


例えば東日本大震災の時、被災地の方々が店を襲うなどの暴動を起こすどころか、雪の中きちんと列を作り、自分たちの必要な分だけ買物をして行く姿を見て、海外の人たちから驚嘆の声が上がった。日本人にとってみれば当たり前のことに思ったし、tweetにもあるとおり、自分が普通交番に届けるでしょうと自然と思えるのは、日本人の中に自我を捨てるという考えが根底にあるからなのかな? 仏教を学んだことはないけれど、親や先生に言われてきたことの中に、その教えが入っていたのかもしれない・・・

 

鍛冶屋のチュンダに食事に招かれ、自分だけに出すように言ったスーカラ・マッダヴァ(きのこor豚肉)を食べ食中毒に。これを食べて死ぬことを予知。酷い下痢に苦しみつつクシナガラの沙羅双樹の下で横になり、最期の食事を供物したのだから、チュンダには果報があると告げる。


さて、いよいよブッダ最期の食事。旅を続けるブッダは果報(果報(かほう)とは|コトバンク)を期待した鍛冶屋のチュンダ(Wikipedia)から食事に招待され、お布施としてスーカラ・マッダヴァを食べる。この食事が原因で命を落とすことを悟っていたブッダは、弟子には出さず自分のみに出すよう言い、これを食べて食中毒になる。寿命が尽きて亡くなることは分かっているので、最期の食事は自分で選んだとも言える?


酷い下痢に苦しみながらクシナガラ(Wikipedia)の沙羅双樹(Wikipedia)の下で横になり、最期の時を迎える準備をする。その際、チュンダを気遣い、如来が供養の食事を食べて涅槃に入られた、その食事には優れた果報があるのだから、チュンダには大いなる果報があると言い残した。

 

チュンダは果報を期待してOK。ただし涅槃ではなく一般の果報。出家修行者=僧侶は、在家信者=一般社会のお布施によって支えられる。出家修行者は立派な修行の姿を見せる。上下関係ではない。例えば研究者と研究費のような形。ただし、研究費を得るために研究してはダメ!


 

 

今までと違う文化を生み出せる人は、今までの文化の外にいる人たち 

 

チュンダが期待した果報というのは、いわゆる健康を手に入れたいとか、お金が儲かるようにというような、普通の人としての願い。これは一般人=在家信者としての果報であり、そのためのお布施なので、果報を期待するのはOK。在家信者によって支えられているのが、出家修行者(サンガ)。彼らが特別な生き方をして、在家信者を導く。立派な姿で修行をしている人たちにお布施をすると、大きな果報が与えられるという考え方。そこに上下関係はない。例えば、研究者と研究費用。研究をして新たな物質を生み出す、研究費用を出した人々(国民)は、その恩恵に与る。ただし、研究費が欲しくて研究をするのは本末転倒。


仏教の考え方としては、まず在家信者があって、出家修行者(サンガ)がある。世の中と別の見方をする人々にしか、新しいものは生み出せないし、社会を動かしていくことはできない。その果報に与るために、在家信者はお布施(寄付、税金?)をしているということ?

 

なるほど! やっぱり仏教的な考え方は、社会の中にも形を変えて存在しているということか・・・  そう考えると、とってもおもしろい

 

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【備忘録】「古都浪漫こころ寺巡り:興福寺」

2015-04-15 22:50:38 | tv

【備忘録】「古都浪漫こころ寺巡り:興福寺」

五重の塔は光明皇后の発願により建てれられた、現在の塔は室町時代の再建


東金堂と五重塔


奈良と言えば、猿沢池からの興福寺(法相宗大本山 興福寺)五重塔の画が浮かぶくらい有名な、五重塔。なんと藤原不比等(Wikipedia)の娘で、聖武天皇(Wikipedia)の后 光明皇后(Wikipedia)の発願で建てられたのね!  っていうか、Wikipediaで調べてビックリしたけど、聖武天皇のお母様も藤原不比等の娘宮子なのね ってことは、血縁上は叔母さんと結婚したってこと? まぁ、別になくはないし、当時は母親が違っていたとは思うけど・・・ しかも聖武天皇ってもう第45代なのね って、全然興福寺関係ないけど・・・(o´ェ`o)ゞ

 

中臣鎌足の息子、藤原不比等が現在の位置に寺を移し、興福寺と名付けた。奈良時代、南都七大寺となった。不比等の娘光明皇后は、仏師を呼び寄せ、仏像を多く作らせた。

 

興福寺のWikipediaによりますと、中臣(藤原)鎌足(Wikipedia)の妻鏡大王(Wikipedia)が鎌足の病気平癒のために創建した山階寺が、藤原京に移り厩坂寺となり、それを藤原不比等が現在の場所に移した。光明皇后が呼び寄せた仏師は将軍万福(コトバンク)。Wikipediaとかがなくて情報があまりないのだけど、どうやら百済系渡来人らしく、阿修羅像を含む八部衆(Wikipedia)、釈迦十大弟子(Wikipedia)の作者だと言われている。ちなみに八部衆、釈迦十大弟子は脱活乾漆(Wikipedia)造り。

 

八部衆は、阿修羅像に代表されるように少年の表情をしているのが特徴


阿修羅像


阿修羅様と八部衆、釈迦十大弟子は「国宝 阿修羅展」(感想はコチラ)、奈良旅行(記事はコチラ)で見た! 十大弟子は"空"を悟ったお姿とのことで、老人の姿をしている。かなりガリガリ・・・ それとは逆に八部衆は少年の姿をしている像が多く、中には幼児のようなお顔の方も・・・

 

唯識 私たちが生きる世界は、私たちが造り出したもの。真実はその造り出された世界にあるのではない。

 

唯識(Wikipedia)について分かりやすく言うと、同じ景色を見ても見え方はそれぞれ違う、それぞれが造り出したものだからだという考え方らしい・・・ 分かったような、分からないような(笑) この唯識を広めた方が、北円堂にいらっしゃるインド僧のお2人なのだけどお名前が・・・ 分かったら追記する!

 

本地垂じゃく←漢字が・・・ 仏が神の姿で現れる 神仏習合 藤原氏は興福寺と春日社を一体化して人心掌握をした

 

本地垂迹と書くらしい 本地垂迹(Wikipedia)とはザックリ言うと、八百万の神々は仏が化身した姿だという考え方なのだそう。藤原氏はこの神仏習合を利用して、人心掌握をしたということらしい。

 

興福寺の僧は源氏方に加担。平清盛は南都焼討を行う。平家滅亡後、運慶により興福寺は蘇るが、度重なる火災に合い、現代の伽藍は中世以降のもの。東金堂、五重塔ともに5度の消失に合っている。

 

この辺りは、大河ドラマでもやってたと思うけど、あんまり真剣に見てなかったので・・・ ちなみに平清盛(Wikipedia)の命により、南都焼討(Wikipedia)を行ったのは、長男の平重衡(Wikipedia)で、どうやらイケメンだったらしく容姿は牡丹に例えられたとか! ちなみに、兄平重盛(Wikipedia)の長男平維盛(Wikipedia)も美貌で有名で、後白河法皇50歳の祝賀で青海波を舞い、その美しさから桜梅少将と呼ばれたのだそう。ちなみに、この時19歳だったらしい! 見てみたかった

 

運慶(Wikipedia)により興福寺は蘇ったとtweetしているけど、もちろん運慶だけではなかったとは思うけれど・・・ 運慶仏師だしね・・・ ちょっと、この辺りtweetが雑です

 

三重塔は五重塔より装飾が繊細なことから平安建築の特色が現れていると言われている。北円堂は藤原不比等の追善供養のために建てられ、南都焼き討ちで消失、鎌倉時代に再建された。弥勒如来坐像は運慶作! これは見た!!


弥勒如来坐像

 

北円堂は基本非公開。依然、仮金堂で立体曼荼羅的に阿修羅像を展示していた時期があり、その時併せて北円堂も特別公開された。ものすごい混んでて、大変だったけど見て良かった! 運慶作弥勒如来坐像素晴らしかった! 弥勒様(Wikipedia)は通常悟りを開く前の菩薩の姿で表されることが多いのだけど、悟りにもっとも近いとされているため、如来の姿で現されることもあるのだそう。

 

明治の廃仏毀釈(Wikipedia)で興福寺は壊滅的な状態となった。寺の一部は奈良公園として没収された。五重塔までもが売却の危機に・・・

 

明治21年灌仏会(仏像を堂内に返す法会)が営まれた。役所として使われていた部分も返還された。しかし、よく阿修羅様残ったなぁ・・・ 龍燈鬼、 天燈鬼も!


左:龍燈鬼 右:天燈鬼

 

灌仏会(Wikipedia)というのは仏像を堂内にお返しする法会のことを言うのね! 興福寺が廃仏毀釈でかなり酷い状態になってしまったとは聞いていたけど、まさかそこまでだったとは・・・ イヤ、その時々でいろいろな考え方や政治の仕方もあると思うけれどね! 1300年ですよ! 明治維新時だからもう少し前か・・・ でも確実に1000年は経ってたわけで。1000年前の仏像だよ? それに対する敬意はないかね? ホントよくぞ残って下さった

 

今西書院では抹茶が楽しめるφ(・ェ・o)メモメモ 今西酒店には行った! 利き酒してほろ酔いになった~w


これは自分用メモ! 奈良には絶対また行くし 

 

今西書院のご説明|春鹿公式サイト

 

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【100分 de 名著】「ブッダ最期のことば」#2

2015-04-10 22:13:53 | tv

【100分 de 名著】「ブッダ最期のことば」#2

 

1つの作品を25分×4回の計100分で読み解く番組。自分の興味がある作品の時だけ見て、気になったところをtweet、備忘メモとしてblogに記事書いて残している。今回は「ブtッダ最期のことば」で、いわゆる「涅槃経」を読み解いていく。さすがブッダの言葉だけに1回目は難しかったけど、2回目は裏番組にこちらも大好きな「古寺浪漫こころ寺巡り」があるため、録画して見てみたけど、これが大正解! 気になったら再生止めてtweetできるので、情報量が全然違う(笑) 次回もこの作戦にしよう


 

人は必ず死ぬが、その度にブッダのもとに来るのは大変。なので「法鏡」を授けた。ザックリ言うと仏=ブッダ、法=ブッダの教え、僧=サンガを信じで従っているか?ブッダ亡き後、人々に与えたエール。これを行えば涅槃へ行ける。


これは、ブッダと弟子のアーナンダの会話がもとにある。アーナンダが亡くなった僧侶の名前を挙げて、それぞれ亡くなった後どこに行くのかとブッダに問うたため、ブッダは「法鏡」を授けたってことらしい。要するに"仏法僧"を信じることが大切であり、これを行えば誰でも涅槃に行くことができるものであるらしい?

  

誰かが資格的なものを与えてしまうと、サンガの中に上下関係が生まれ、自分の生きがいよりも、組織の中の立場が大事になってしまうため、それを避ける狙い

 

サンガ(Wikipedia)というのは前回出てきた"集団"という意味。"仏法僧"を信じることで涅槃に行けるとしたのは、特権意識を持ってしまうことを避けることが狙い。あくまで自分の信心によって道が開けるという考え方。


裕福なリッチャヴィ族の誘いよりも、先に約束していた遊女アンバパーリーを優先。登場のインドにはカースト制度があった。遊女は身分が低い。仏教は平等を唱えた。ただし、平等に幸せではなく、平等に不幸であるという考え。生きていることが辛い。←多分、暗い考えとは違う?

 

これは仏教は平等であるということを説明するための再現ドラマ的な挿話。当時、カースト制度(Wikipedia)のあったインドにおいては、順番はどうあれ身分が高いものが最優先されるべきであった。これをブッダは身分には関係なく、先約のあった遊女との食事を優先させた。この遊女アンバパーリー(Wikipedia)は大変信心深かったため、感激しブッダのサンガに自身が所有していたマンゴー畑を寄進した。しかも、この方後に比丘尼(Wikipedia)になったのね。

 

ただし、この平等であるということは、皆が等しく幸せであるということではなく、人は皆等しく不幸であるという考え方。なぜなら、生きているとは苦行であるから。うーん・・・ なんか暗いなぁとこの時点では思っていたのだけど・・・

 

ブッダが大病をし、アーナンダはブッダ亡き後どうしたらいいのか問う。その答えが自灯明法灯明。自分を島=灯明とし、ブッダの教えを島=灯明とするように説いた。ブッダは人間、人間が見つけた教えなので、教え自体に価値がある。教えにそって、自分では努力せよという意味

 

これが有名な「自灯明法灯明」の教え。ブッダはアンバパーリーのマンゴー畑で寛ぐが、後大病をしてしまう。その際、アーナンダが指導者を失ったら自分たちはどうすればいいのか?とブッダに問う。すると、ブッダは自分は指導者ではないと答え、「自灯明法灯明」の教えを残した。島=灯明というのは、溺れた人や道に迷った人がすがるものとしての象徴。要するに自分とブッダの教えを信じろということで、この2つはセット。ブッダという人物が尊いのではなく、ブッダが見つけた教え自体が尊いという考え方。その教えにそって、自分で努力することが大切だと説いている。


身=肉体、受=外界からの刺激に対する感受作用、心=我々の心、法=この世の全ての存在要素 四念処 この4つについて、全く間違った見方をしている!身→素晴らしいもの、受→この世は楽しい、心→ずっと変わらない、法→この世の絶対要素として自分がいるという考え 全て逆

 

「自灯明法灯明」を実行する際に大切なのが、「四念処」(Wikipedia)で、tweetした4つ"身=肉体、受=外界からの刺激に対する感受作用、心=我々の心、法=この世の全ての存在要素"からなる。で、ここが重要だそうなのだけど、皆この4つについて真逆の考え方をしているそうで、だからこそ執着が生まれてしまうということらしい。

 

例えば、身=肉体を素晴らしいものと考えてしまうと、自分の体に執着してしまい、死や老いを受け入れ難いものにしてしまう。しかし、身=肉体は次第に老い、いつかは失われるものである。一番納得できたのが、法=この世のすべての存在要素として"自分"もその1つだと考えてしまうこと、もちろん自分も要素の1つではあるのだけど、絶対要素ではないってことだったのかな・・・ えーと、言葉にしようとすると難しいのだけど、要するに自分をものすごく価値のあるものと考えてしまうと、そこに執着が生まれてしまうということ。それを捨て去れば楽になれるってことなのかな・・・


 

 

仏教は生きることに苦しんでいる人のための教え。今、充実して幸せな人には必要ない。今、生きにくい人に、発想の転換をさせ導くための教えである。

 

で、先生のこの言葉で、今までのことが腑に落ちた! この世に生きていること自体が苦行だとか、自分が素晴らしいものだと思うから執着が生まれるのだとか、頭では分かるけど、ずいぶん後ろ向きな考え方をするんだなと思っていた。それは、今生きていることが苦しくないからなんだね・・・ 仏教というのは、苦しんでいる人を救うための教えであって、今幸せな人を救うためのものではないらしい。もちろん、信仰とは別! 今、苦しんでいる人に、こういう考え方もあるのですと説いて、発想の転換をさせることで救おうというのが仏教の考え方だったのね なるほど、それは素晴らしい

 

そして、この教えがずいぶん後ろ向きだと感じてたってことは、今現在苦しんではいないってことなんだね なるほど、それはよかった そのことと、この教えが分かっただけでも、とっても気持ちが軽くなった

 

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【備忘録】「古都浪漫こころ寺巡り:高山寺」

2015-04-10 22:09:26 | tv

【備忘録】「古都浪漫こころ寺巡り:高山寺」

 

8歳で両親を失って、修行中の明恵を支えたのは仏眼仏母を支えとした。頭上に獅子。父と仰いだのは釈迦。


明恵念持 仏眼仏母
 

そもそもの創建は奈良時代だそうだけれど、実質高山寺(世界遺産 梶尾山 高山寺 公式ホームページ)を開いたのは鎌倉時代の高僧明恵(Wikipedia)  8歳で両親を失った明恵を支えたのが仏眼仏母(Wikipedia)。頭上の獅子が何かを表していると説明していたのだけど、忘れてしまった・・・


夢の記録を書き続けた。世界最古の夢日記と言われる。


この辺りもテレビ見ながらPC見ながら、tweetするって至難の業で・・・ まぁ、PC見るの止めればいいんだけど(笑) そんなわけでちゃんとメモれなかったのだけど、要するに明恵はずっと夢の記録をしていたそうで、それが世界最古の夢日記と言われているのだそう。死後、弟子によってまとめられたそうだけれど、なにしろ膨大な量であったらしい。少し紹介されていたけれど、やっぱり仏教に関係することだった。それ以外の、夢も記載されていたりするのかな? 

 

高山寺といえば「鳥獣人物戯画」!


「鳥獣人物戯画」甲巻


「鳥獣人物戯画」甲巻


tweetにもあるとおり、高山寺といえば「鳥獣人物戯画」(Wikipedia)! 実はこれ甲・乙・丙・丁と4つあって、描かれた内容も年代も違う。一番有名なのはウサギなど動物を擬人化した甲巻。これは以前サントリー美術館で開催された「鳥獣戯画がやってきた!」(感想はコチラ)で見た! とってもマンガ的でカワイイ作品だった。

 

源氏物語絵巻、信貴山縁起絵巻、伴大納言絵巻とともに四大絵巻と呼ばれ、マンガやアニメの源流と言われている


四大絵巻と呼ばれているのは知らなった。「源氏物語絵巻」(Wikipedia)と「伴大納言絵巻」(Wikipedia)は知ってたけど、「信貴山縁起絵巻」(Wikipedia)については全く知らなかった  「源氏物語絵巻」は見たことあったような気がしたけど、他はまだ見たことないので、ぜひとも見てみたい! 高山寺も行ってみたいな


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【100分 de 名著】「ブッダ最期のことば」#1

2015-04-01 22:43:20 | tv

【100分 de 名著】「ブッダ最期のことば」#1


以前、「フランケンシュタイン」の記事も書いたけど、25分×4回で1つの名著を読み解こうという番組。毎回、その作品の専門家を講師に迎え、伊集院光氏とNHKの女性アナンサーが教えてもらうという形を取っているので、読んだことがなくても楽しめる。今回は「ブッダ最期のことば」でこれが「大般涅槃経」なのだそう。今回の講師は花園大学教授の佐々木閑氏。

いつもどおり、気になったことをtweetしておき、後からWikipediaなどで補足していく形にしようと思っているのだけど・・・ 内容が難し過ぎて、tweetするのも難しいんだよね


 

 

釈迦の仏教(上座部仏教?)=自分の修行によって救われる 大乗仏教=外部の不思議な力によって救われる 日本は大乗仏教


インドから仏教が広まるにあたり、ザックリ分けると内陸側と海側のルートがあって、内陸側が大乗仏教(Wikipedia)で、海側が上座部仏教(Wikipedia)。日本に伝わったのは大乗仏教ということくらいは知っていたけど、その違いなどは全く分かっていない  今回取り上げるのは上座部仏教の方ということになるのかな?

 

 輪廻の輪から出ることが"涅槃"

 

番組サイトの動画を見て補足! 釈迦(Wikipedia)は紀元前5~6世紀頃、インドとネパール国境付近のルンビニで誕生。王子ゴータマ・シッダールタとして何不自由なく育つが、人生は"生・老・病・死"の苦しみの連続であることを知り29歳で出家。苦行と瞑想により煩悩に打ち勝ち35歳で悟りを開き、ブッダ=目覚めた人となり45年間布教に励み、80歳で涅槃に入った。というのがザックリした釈迦の一生。で、タイのワット・ポーなどでもおなじみの涅槃仏は、この入滅時の姿を表している。この涅槃(Wikipedia)というのが、よく分かっていなかったのだけど、どうやら"完全なる死"ということらしい。

当時のインドでは輪廻(Wikipedia)が信じられており、天=神の世界➡人=人の世界➡畜生=動物の世界➡餓鬼=飢えに苦しむ世界➡地獄=苦しみの世界の5つの世界を、永遠に輪廻すると考えれていたのだそう。その輪廻の輪から出て、完全に死ぬことを涅槃というらしい・・・ うーん


律=集団(サンガ)における 戒=・・・ 早くてメモ出来ないわ。・゜・(ノД`)・゜・。


とにかく説明が早くて、フリップとか出ているんだけど書ききれない iPhoneじゃ無理だと思ってPCにしてるのに、それでも間に合わないわ・・・ 

まず、サンガ(Wikipedia)というのは、集団を意味するサンスクリット語。律(律(仏教)|Wikipedia)はサンガにおいて守るべき規則。戒(Wikipedia)は信徒が守らなければならない各種の決まり。まぁ、そうだよね・・・(o´ェ`o)ゞ

 

戒と律の2本立ての価値観

 

やっぱり難しいわ・・・


やっぱりどうしても、観念的というか、釈迦のことば自体も難しいので、どこまでついて行けるか分からないけど、このシリーズは全部見ようと思う!o(`・д・´)o ウン!!

 

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【備忘録】「古都浪漫こころ寺巡り:青蓮院門跡」

2015-03-21 22:52:16 | tv

【備忘録】「古都浪漫こころ寺巡り:青蓮院門跡」

毎週恒例となっている備忘録。「古都浪漫こころ寺巡り」を見て、気になったことをtweetしておいて、blogに残しておく作業。これ意外に大変 でも、せっかく得た知識を忘れてしまってはもったいないので・・・(o´ェ`o)ゞ

長屋門とは江戸時代の武家でよく見られた形式 家臣を住まわせた長屋の一部を門にしたもの。宸殿の宸は天皇のこと。門跡寺院によくある作り。皇室を見守るための寺、多くの人の参拝を想定していないため、小さな建物

青蓮院門跡(天台宗 青蓮院門跡)の"門跡"(Wikipedia)というのは、皇族が住職を務める特定の寺社のこと。門跡寺院の特徴としては、宸殿(宸殿(しんでん)天台宗 青蓮院門跡)があること。宸殿の宸が天皇のことっていうのは知らないかった・・・


青蓮院の本尊は熾盛光如来曼荼羅

ご本尊が曼荼羅というのは全国でも珍しいそうで、ご住職がそのことについて説明していらしたのだけど、tweetしながらなので聞きそびれたり、書ききれなかったり・・・ 熾盛光如来曼荼羅は"しょうこういんにょらいまんだら"と読む。この熾盛光如来は熾盛光仏頂(Wikipedia)のことかな? まぁ、詳しくは御本尊「熾盛光如来」の曼荼羅|天台宗 青蓮院門跡で!(o´ェ`o)ゞ


国宝 青不動 高野山明王院の赤不動、三井寺の黄不動と共に三大不動と呼ばれる。青は仏教を表す色として一番地位が高い。不動明王は大日如来の化身 火焔には迦楼羅 憤怒の表情は何としても人々を救おうとする意志の表れ

仏教を表す色は5色あるそうで、青・黄・赤・白・黒が基本。青が最高位を表す色とのこと。青と言っているけれど実際は緑なのだそう。昔の人(飛鳥時代とか?)は色を表す言葉をあまり持っていなかったようで、青っぽいものは"青"って言ってたんじゃなかったかな? 以前、何かで見たような・・・ なので、信号も緑なのに青って言ってるっていう話だったような気がする。

青蓮院門跡の青不動(国宝「青不動尊」|天台宗 青蓮院門跡)は仏画。明王院(高野山別格本山 赤不動明王院)の赤不動も仏画で、三井寺(三井寺(天台寺門宗総本山園城寺))の黄不動(Wikipedia)は仏像。 tweetの"不動明王は~"からの記載については、不動明王(Wikipedia)の基本中の基本なので割愛(笑) 

画像発見!ドゥゾ♪(っ'ω')っ))


青不動_青蓮院門跡

赤不動_明王院

黄不動_三井寺

青不動は前から見てみたいと思っている! 三井寺の黄不動は「国宝 三井寺展」(感想はコチラ)で鑑賞済み! かっこよかった


 · 2時間2時間前

比叡山の開祖 最澄は僧が暮らす房を作った。その中の一つが青蓮房 最重要 その後、京都に移す 三千院門跡と・・・門跡←メモれず! と並び称される

これあまりちゃんとメモれなかったのだけど、京都に完全に移築したわけではなくて、別房として建てたってことだったような・・・ 青蓮院(Wikipedia)は粟田口にあるため、粟田門跡と呼ばれていたそうで、三千院門跡、妙法院門跡と三門跡と呼ばれているとのこと! 


孝明天皇が使用した輿もあり 紫宸殿は東福門院の住まいとして御所にあったものを移築したと伝えられる

孝明天皇(Wikipedia)の輿は、宸殿の手前の小御所にあった気がする・・・ 紫宸殿って書いちゃってるけど、それじゃ御所になっちゃう 本当は宸殿。この宸殿は徳川秀忠(Wikipedia)の娘、東福門院和子(Wikipedia)の住まいを移築したと伝えれられているとのこと。 


小堀遠州によるものと言われる霧島の庭 霧島つつじに由来 芥川龍之介など文豪に愛された

安土桃山~江戸時代に活躍した大名で茶人小堀遠州(Wikipedia)は作庭家としても有名。ごてごてし過ぎず、敷石なども完璧に計算しつくして配置する庭が素晴らしい。この庭を愛した芥川龍之介(Wikipedia)はこの庭に対する思いを綴っているのだそう。


青蓮院は天台宗の寺院 親鸞は9歳で青蓮院で出家 高僧慈円が得度の儀式を行う 阿弥陀如来の後ろに親鸞童形像が祀られている この童形像には得度の際に落とした髪の毛が収められている? 親鸞との関係から浄土真宗とも所縁が深い

天台宗の寺院であると同時に、浄土真宗の聖地でもある青蓮院門跡。それは親鸞(Wikipedia)がこの寺で得度したから。得度を行ったのが慈円(Wikipedia)で、9歳で出家を決意した親鸞の聡明さと、その志に感動したのだそう。 

 

元三大師の教えを形にしたものがおみくじの元祖

ここもちょっと聞き逃していたのだけど、元三大師(Wikipedia)とおみくじ(Wikipedia)の件は知ってたけど、それって比叡山だよね? 何で青蓮院門跡と関係があるんだろう? 


米地蔵は体内に米が収められており、拝むと食に困らないと庶民から信仰を受けている

米地蔵と書いて"よねじぞう"と読む。道祖神としても祀られる地蔵菩薩(Wikipedia)様が、庶民に愛されている証拠。なんだか微笑ましい


【備忘メモ】「古都浪漫こころ寺巡り」4月1日~ 毎週水曜 22:00~に変更! 4月1日は金峯山寺♬

4月から放送日が変わるそうなので注意! 水曜22時って特に見ている番組なかったからウレシイ 土曜21時って「アド街っく天国」と被ってたからね・・・ 

 

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【備忘録】「古都浪漫こころ寺巡り:笠置寺・海住山寺」

2015-03-17 00:57:48 | tv

【備忘録】「古都浪漫こころ寺巡り:笠置寺・海住山寺」

BSフジで毎週土曜日に放送されている「古都浪漫こころ寺巡り」。京都や奈良を中心とした古寺の成り立ち、宗派、仏像などを紹介する番組。1つもしくは2つのお寺を、じっくりと近藤サトの落ち着いたナレーションで見せる。毎週欠かさず見ているし、見れない時には録画して、見ていて気になったことをtweetしておき、備忘録としてblog記事にして残している。せっかく得た知識も残しておかないと忘れちゃうし、それは悲しいので・・・

笠置山 巨石信仰 貝吹き石、ゆるぎ石←怪力の僧が幕府軍に投げ下ろした? 幕府軍により周辺の寺を焼き尽くし、この時に笠置寺の弥勒磨崖仏も焼けてしまった この幕府軍は後醍醐天皇の時代だから室町? ←録画見てます!

まずは訂正から! 後醍醐天皇(Wikipedia)は南北朝時代(Wikipedia)の南朝初代天皇だから、この幕府は鎌倉幕府(Wikipedia)だね! ヤダ恥かしい・・・(/ω\) 1331年鎌倉幕府倒幕計画が露見したため、後醍醐天皇は三種の神器を持って笠置山(Wikipedia)で挙兵。この笠置山には巨石が多く、笠置寺(笠置寺のご紹介)境内には、岩壁に仏の姿を掘り出した磨崖仏(Wikipedia)がある。笠木寺のご本尊はこの弥勒菩薩磨崖仏なのだけど、tweetにもあるとおり、後醍醐天皇の挙兵に対して幕府軍が周辺の寺を焼き尽くした際、火に弱い石質だったため、線で彫り出した弥勒菩薩のお姿は消えてしまったのだそう

弥勒菩薩磨崖仏

画像のような感じになってしまったのだけど、番組では最新技術で撮影した画像が紹介されていて、くっきりと浮かび上がった弥勒菩薩立像は優美なお姿だった。消えてしまったのは残念過ぎる・・・

笠置寺 虚空蔵菩薩の磨崖仏あり

弥勒菩薩磨崖仏しかないのかと思ったら、笠置寺にはなんと虚空蔵菩薩ではないかと言われている磨崖仏が残っているのだそう! 良かった!

伝虚空蔵菩薩磨崖仏

どっしりとしたお姿で素晴らしい これ実物見たい! これかなり巨大だけど、どうやって彫ったんだろう? 足場を組んだのかな? まぁ、そうでしょうね(o´ェ`o)ゞ

 · 1時間1時間前

巨石は神が降り立つ場所として信仰の対象となった 笠置寺境内は行者が訪れる行場 虚空蔵菩薩の磨崖仏の裏手の胎内くぐりを通ることは、一度死んで母親の胎内に戻ること

行者(Wikipedia)というのは、修行をしている人という意味なのだそう。役行者のイメージが強いので、修験道(Wikipedia)の修行をしている人を言うのかなと思っていた。笠置寺は真言宗智山派ということなので、修験道とは関係ないのかな? 笠置寺境内には2つの巨石を両界曼荼羅(Wikipedia)に見立てたりと、巨石で仏教世界を現している。その1つの"胎内くぐり"(胎内くぐりとは|コトバンク)というのは、岩と岩の間を通り抜けるような感じなのだけど、それはtweetにもあるとおり、生まれ変わるというようなことなのかな? これは行ってみたい!

薬師石と文殊石が笠置寺創建にまつわる舞台 天智天皇の皇子が鹿狩りの際、薬師石で立ち往生。命を助けてくれたら山中に弥勒菩薩を彫ると祈り、再訪の目印にとして笠を置いたことから笠置となった

薬師石と文殊石も巨石。笠置寺創建にまつわるこの話には実は続きがあって、皇子は約束通り再訪したのだけど、弥勒菩薩を彫ろうとするも、どうすればいいのか途方に暮れてしまう。すると仏たち(←曖昧)が現れ、弥勒菩薩磨崖仏を彫ったという伝説。よく考えると皇子笠置いて帰って、再訪しただけで何もしてないね

 · 1時間1時間前

東大寺の良弁は笠置山で修行 弟子の実忠が千住窟から弥勒菩薩浄土で修行し笠置寺に持ち帰ったのが修正会、これを東大寺に持ち込んだのが修二会(お水取り) 笠置寺に正月堂があるので、東大寺には二月堂からしからない

重複するけど補足の意味で書いておくと、東大寺(華厳宗大本山 東大寺 公式ホームページ)の開山良弁(Wikipedia)は笠置山でも修行をしたそうで、その弟子実忠(Wikipedia)が笠置寺の千住窟を通って弥勒浄土で修行をして戻り、修行の仕方を持ち帰り説いたのが修正会(Wikipedia)。これを東大寺に持ち込み実施したのが"お水取り"の名前でも有名な修二会(Wikipedia) 東大寺には二月堂と三月堂があるけれど、正月堂がないのは笠置寺に正月堂があるから。これはビックリした! 静かな佇まいの笠置寺が、あの東大寺のお水取りの元祖だったとは 

正月堂の本尊は実忠が存在を感じた十一面観世音

これも補足! 前述した修行中の実忠のもとに、実体の十一面観音様が訪れたそうで、正月堂のご本尊となったとのこと。補足ってそのままだけど・・・(o´ェ`o)ゞ

解脱鐘 六葉形は中国宋のもの 日本に現存するのはこの鐘のみ 上源上人が貞慶には寄進

解脱上人貞慶(Wikipedia)は、春日明神の啓示を受けて、笠置寺へやって来た。その貞慶に重源上人(Wikipedia)が贈った解脱鐘は中国宋のものだそう。これは六葉形をしている。六葉形というのは、鐘の下の部分が花びらのように六つのひだがある感じ? 画像が貼れればいいんだけど、個人の方が撮った画像しか見つからなくて・・・

 · 1時間1時間前

貞慶再び春日明神のお告げを受け海住山寺へ 東寺と唐招提寺から仏舎利を一粒ずつ賜った

そして貞慶は再び春日明神(Wikipedia)から啓示を受け、荒れていた寺へ移り、海住山寺(海住山寺|かいじゅうせんじ)と名付ける。その際、東寺(東寺 -世界遺産 真言宗総本山 教王護国寺)と唐招提寺(唐招提寺)から仏舎利(Wikipedia)を1粒ずつ賜ったと記述があるのだそう。仏舎利というのはお釈迦様の遺骨なのだけど、そんなにあちこちにあるものではないよね? 実際は何なんだろう? 別にいいけど(o´ェ`o)ゞ

 · 57分57分前

補陀落山浄土図、十一面観世音来迎図 本尊は十一面観世音菩薩立像 平安中期? 貞慶念持仏?も十一面観世音菩薩立像 平安初期

海住山寺には補陀落山浄土図と十一面観音来迎図が伝わっている。十一面観音様が多くの菩薩様を引き連れて来迎する姿が美しい。補陀落(Wikipedia)って初めて聞いたけど、これは観音様が住まわれている、もしくは立たれる場所なのだそう。なるほど、そう言いたくなるような美しく、穏やかな風景。

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海住山寺の境内には春日明神 春日明神そばに五重塔 室生寺の次に小さな五重塔 東大寺大仏殿にならって作られた四天王像は大仏殿様 運慶が指揮? 彩色がかなり残っている!見たい

春日明神の啓示を受けてこの地に来たのだから、もちろん境内に祀ってある。お寺の中に神様って変な感じだけど、日本には神仏習合(Wikipedia)という文化(?)があるので、そんなに不思議ではないかも。その傍に五重塔。五重塔というのは仏舎利を収めるためのもの。tweetにもあるとおり、室生寺(女人高野 室生寺)の次に小さな五重塔。東大寺大仏殿の四天王を模した大仏殿様(Wikipedia)の四天王は、鎌倉時代の大仏師運慶(Wikipedia)の指揮の下作られたのではないかと言われているのだそう。4つの方角を守る四天王は、お顔がそれぞれの方角の色をされている。

これしっかり色が残っている。衣にも色や模様が残っていて興味深い。これは見てみたい!

古都浪漫こころ寺巡り:毎週土曜 21:00~@BSフジ

古都浪漫こころ寺巡り|BSフジ

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