最近になって、パソコン内に溜まりあげた画像をCDに盛大に焼いていた所、古いネガをスキャンしたまま忘れていた画像が出てきました。
もう10年近く前になるんでしょうか、実家に帰省する度に原チャリツーリングを楽しんでいた頃、旧那賀郡内の山中で見つけた、レム5000の成れの果てです。この時は今福線跡の取材を終えて、山中を彷徨っていて偶然見つけたものでした。今となっては、詳しい場所が判らないのですが…
59-2改正後に、鉄道貨物輸送の大合理化があったのは皆さんご存知でしょうが、丁度その頃に浜田市国分町の空き地にレム5000の車体が数個置かれました。後にその車体を使い、喫茶店がオープンしましたが数年で閉店し、いつしか車体も撤去されてしまいました。
当然解体処分されてしまったのだろうと思っており、存在さえも忘れていましたが、この車体を見つけて外販の切り取り方を見た時、あの時の喫茶店の成れの果てだと直感しました。この時からもですが、結局それを確認する事は出来なかったのですが、今でもそうだと思っております。ただ、もう現存はしないでしょうね…
道路側より。奥にもレムが…
裏側はほぼ原型
レム54○5と読み取れます。
ウチの田舎では、レムの再利用は珍しかったですね。
もう10年近く前になるんでしょうか、実家に帰省する度に原チャリツーリングを楽しんでいた頃、旧那賀郡内の山中で見つけた、レム5000の成れの果てです。この時は今福線跡の取材を終えて、山中を彷徨っていて偶然見つけたものでした。今となっては、詳しい場所が判らないのですが…
59-2改正後に、鉄道貨物輸送の大合理化があったのは皆さんご存知でしょうが、丁度その頃に浜田市国分町の空き地にレム5000の車体が数個置かれました。後にその車体を使い、喫茶店がオープンしましたが数年で閉店し、いつしか車体も撤去されてしまいました。
当然解体処分されてしまったのだろうと思っており、存在さえも忘れていましたが、この車体を見つけて外販の切り取り方を見た時、あの時の喫茶店の成れの果てだと直感しました。この時からもですが、結局それを確認する事は出来なかったのですが、今でもそうだと思っております。ただ、もう現存はしないでしょうね…
道路側より。奥にもレムが…
裏側はほぼ原型
レム54○5と読み取れます。
ウチの田舎では、レムの再利用は珍しかったですね。
放置プレイのネガより、アルバムに挟まって滅多に日の目を見ない写真の方がいいのでしょうかね(笑)。
レム5000は、私の田舎も浜田港という港があった関係で、多く見られた貨車でした。浜田港線という専用線も存在しておりました。
レムもその性質上、保温断熱性に優れていたでしょうから、再利用しにくかったのでしょうが、写真のように事務所として使うとその居住性は如何なものだったのか気になるところです。
記録媒体としての、磁性体は確かに未知数に近いと思います。プリントとネガはその質量に困りますが、持続性に関しては歴史が証明しています。一方のCD等は質量がコンパクトになる反面、持続性が未知数… 考え物ですね。
>シンコーさま
実は、読み取れなくなったCDはデジカメデビューの頃の物で、自分なりに記録の保存形態が決まっていませんでした。
現在はRAWデータとJPEGデータとを保存しております。ポケデジに関しては、一時性の画像のみを撮影する様にしており、記録性が高いと思うものはCD2枚焼きを行っております。
やはり、場所を取ることには変りありませんが…
構造上断熱性は良かったかと思いますが、居住空間とするには空調を整備しないと夏場は特に大変だったかも…
記録媒体として、磁性体は便利ではありますが耐久性に関しては未知数ですね。その意味では「紙」というものも侮れませんね。
(写真自体150年ぐらいの歴史があります。退色変色はあるものの、長期保存に耐えています。書物にいたってはもっと古い時代のものでも残っている事を思うと改めて先人の知恵に畏敬の念を抱かずにいられません)
レサはまだ現存しておりますか。その存在を教えてもらった頃は、台車も一部存在しておりましたが、数年前に見たときは向きが変わって、台車も撤去されていました。
デジカメで2003年に撮影しているのですが、記録したCDが現在読み出せず…