まろねふの廊下からの呟き

中年オヂさんの呟き転じて、人生備忘録となる…

思い出の線内車 3

2006年06月15日 | ひろでん
思い出の線内車シリーズも最後になりました。
1080型は元阪急210型で、3両固定編成の中間車を除く2両が昭和51年にやって来ました。

私が入社した当時は、重検中だったようで荒手車庫にはその姿がなく、単独乗務を始めて暫くして、千田車庫から日中に堂々と帰って来たのには驚きました。この1080型は車体幅が広くて出入り口に補助ステップが無い電車でした。足もさほど遅くなかったのでラッシュ時には、遅れることも無い楽な電車でした。
また線内車は、最後まで車内に自動両替器の設置が無くて、ラッシュ時の両替には非常に苦労しました。特に、上りの広電五日市駅はJRとの乗換駅ということもあって、降車客が非常に多くて、特に楽々園駅からの乗客が多かったように記憶します。当時は楽々園~五日市間が90円区間だったので、五日市到着までに右手には10円玉を沢山握り締めて、到着後は左手で整理券と100円玉を受け取り、右手で10円玉を渡し、いかにスムーズに客扱いを行うかを苦心したものです。今では手取りが出来ないので、そんな事は無理なんですけどね…


広電西広島駅2番ホームで佇む1080型 昭和63年


高須~東高須にて 昭和63年


1090型は、元京阪神急行電鉄の木造車(形式は失念しました)を購入し、1050型として昭和22年に登場しました。後に鋼体化車体に乗せ替えて単行運転で長く活躍しましたが、昭和54年に1053と1054号を片運化し2両連結として、1091+1092号となりました。
一方、単車で残った1051・1052号は、昭和55年に廃車となりましたが、昭和57年に片運化されて2両連結となり、1093+1094号として復活しました。後に1090型は冷房搭載工事を受け、最後まで活躍した線内車となりました。
平成3年に最後の線内車(1093+1094号)が無くなるということで、ボーナスを前倒ししてビデオカメラを購入し、最後の姿を記録した事が懐かしい思い出です。公休日や午後出勤の日の朝早くから、ビデオカメラ片手に宮島線沿線に繰り出し、また夜の車内を記録するために遅くまで撮影して、最終の市内電車で帰宅したこともありました。この時には某先輩運転士に大変お世話になりました。
DVD化した当時の映像を時々見ては、昔の思い出に浸っております。


商工センター入口~草津南 昭和63年


競艇貸切の折返し待機中 広電宮島 昭和63年

色々な意味で、古きよき時代の広電でしたなぁ~。