TV番組「Familyヒストリー」に興味がありよく見ている。
自分が生誕した時の家族は、祖母、父、母、姉、長兄、次兄と7人家族であった。78年経った今は次兄と二人きりになってしまった。
ここの寺には、終戦(昭和20年)以前の過去帳の類い記録は一切残されていないと現住職は嘆いていた。
せめて写真でもあれば面影を忍べるのに、100年前はそんな時代ではなかったのだろう。
人は生い先短くなると自分のルーツを知りたくなるのではないだろうか?
自分が生誕した時の家族は、祖母、父、母、姉、長兄、次兄と7人家族であった。78年経った今は次兄と二人きりになってしまった。
母が逝去して20年になるが、生前母はもう一度自分の父親の墓参をしたいとよく口にしていた。
(栗原市の照明寺)
母がいなくなってから、次兄も自分も仕事に追われて、そんなこともすっかり忘れていたのだが、最近になり何を思ったのか、次兄から母の願いを実現したいと言われ先週墓参に出掛けた。
母がいなくなってから、次兄も自分も仕事に追われて、そんなこともすっかり忘れていたのだが、最近になり何を思ったのか、次兄から母の願いを実現したいと言われ先週墓参に出掛けた。
(19世隆道和尚=祖父)
隣県栗原市築館の照明寺に母の父親(自分達には祖父)が眠っている。大正の頃この寺の住職をしていたそうだが、三十代半ばの年齢で、熱い夏に突然倒れたと母は語っていた。その時母はまだ幼かった訳だが、記憶にあってよく涙していた。寺の住職って後継ぎがいなければお払い箱になる冷たい職業で、母親子はその後縁戚を頼って彷徨う旅路になってしまった。
隣県栗原市築館の照明寺に母の父親(自分達には祖父)が眠っている。大正の頃この寺の住職をしていたそうだが、三十代半ばの年齢で、熱い夏に突然倒れたと母は語っていた。その時母はまだ幼かった訳だが、記憶にあってよく涙していた。寺の住職って後継ぎがいなければお払い箱になる冷たい職業で、母親子はその後縁戚を頼って彷徨う旅路になってしまった。
ここの寺には、終戦(昭和20年)以前の過去帳の類い記録は一切残されていないと現住職は嘆いていた。
母の父親は、何処から来て、何処に居住し、いつ何歳で亡くなり、その後に残された母達は何処に移って行ったのか?、この日のルーツ探しは想像の域だけの、宙に浮いたままで終わった。
せめて写真でもあれば面影を忍べるのに、100年前はそんな時代ではなかったのだろう。
母の日にあたり、お袋の思いを20年振りに成し遂げることが出来、何となく胸のつかえが取れた様な気分になった。
=おわり=
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