スピンオフ銭明日編集長

モットーは"年を重ねる毎に幸せになる"銭明日編集長の日記

謹賀新年'21②

2021年01月11日 | Weblog
 子供の頃は正月が待ち遠しかった。年越しには餅つきをする。竈門(かまど)で米をふかし、臼と杵で餅をつく、つき手は父親、合とりは母親、つきたての餅を瞬時に捌くのは祖母、石油のない時代だった、この時の皆んなの笑顔が今も瞼に浮かぶ。
あれから何度も門松をくぐって来た、文明はとんでもなく変化し、正月の思い出も消えかかって来た。

賀状を頂いた懐かしい方のことにもう少し触れてみたい。


その3<大阪羽曳野市の八木貞憲さん>
 会社を起こし25年程経ち、空調機メーカーD社との繋がりも強くなり、メジャーな店として東北では認められるようになった。
 当時八木さんはその上場会社の常務としてご活躍されていた。ある時八木さんから京都旅行に招待された。
 販売促進のキャンペーン達成のご褒美旅行の類は各社で盛んに行われていた時代だったが、自分ら夫婦単独でのお誘いとは光栄の至りとお受けした。
 大阪空港に着いたなら、大型ハイヤーが迎えに来ていて、旅行中自由にお使い下さいと言われた。
 まだ若造の田舎者には、不慣れなことで窮屈な旅になったが、初めて経験する殿様旅行を楽しまさせて頂いた。
 唯一困ったことは、夕食が老舗の有名な鳥料理店であった。自分の干支は酉年で、当時鳥は口にしなかったので、高級料理に殆ど箸を付けず悪いことをした。


その4<名古屋の森真幸さん>
 50歳後半、起業した会社は二代目に任せ、国策である太陽光発電ビジネスに取り組んだ。新しいことに興味がある性格がそうしたのだが、その仕掛け先会社の責任部長として森さんは自分の前に現れた。
 自分と違わない年齢もあり、馬が合い新たなビジネスの市場開拓に汗を流した。
名古屋の生まれの彼は森蘭丸の子孫だと名乗り、戦国歴史に造詣が深かった。
 ただ寒さには全く弱くて、冬の岩手には足を踏み入れることはなかった。


 懐かしい方々とはなかなかお会いする機会はないが、思い出深く懐かしい。
            =おわり=