スピンオフ銭明日編集長

モットーは"年を重ねる毎に幸せになる"銭明日編集長の日記

祝峰山 萬松寺

2018年08月17日 | Weblog
世界遺産平泉の立役者は藤原清衡公である、然し現在地に移る前の西暦1100年頃は奥州市江刺区内に「豊田館」を構えていた。
1051年〜1062年に地方豪族安倍一族と日本統一を目論む大和朝廷が戦った「前九年後三年の役」があった。清衡公はこの戦の渦中で翻弄されるが、生き延び最後は平泉を浄土の地にしようと100年間黄金文化を築いたのだが、1189年に源頼朝によって滅ぼされてしまう。武士の支配する鎌倉幕府は1192年に誕生した。

この戦で「中尊寺経」と言う5000巻ほどの貴重な国宝の殆どが流失してしまう。現在その殆どは高野山金剛峯寺にあるそうだが、この国宝を制作した場所は「奥州益沢院」の地で、僧侶が相当数居たであろう寺院群であったと伝わっている。

「祝峰山 萬松寺」は奥州市の増沢地区にある。寺の開山は1542年と旧い、現住職の泰志和尚(実兄)は24世と寺の書物にある。
この寺は万松寺山の中腹盆地にあり、経塚、巨石、池跡、巨木が多数あり、ここら辺りに「奥州益沢院」 があったと言われている。残念ながら考古学調査では発見できて居ない。

この寺で生まれた自分であり、両親の眠る寺である。今年の盆も墓参りに出向いたが、次第に故郷が遠く感じてきた。ここで18年、出てから55年の歳月であり、懐かしい方々がいっぱい眠っている「祝峰山 萬松寺」だ。盆の墓前は、あの世からの声が聞こえて来そうな気がした。
=おわり=