スピンオフ銭明日編集長

モットーは"年を重ねる毎に幸せになる"銭明日編集長の日記

13日の金曜日 その2

2012年05月16日 | Weblog
アポ島での夜、突然始まった下っ腹の痛みと下痢。
旅の常備薬を飲んだがトイレへの駆け込みを繰り返し、殆ど睡眠できず翌朝を迎えた。
ダイビングには高い体調管理を要求されるのに、この状況ではとても無理と判断し、この日は完全静養となった。


タートル

相棒、守屋氏の方が症状は酷いようであったが、彼は食べた物を全部出し尽くしたようで、夕方迄に体調は落ち着いてきた。
自分はと言えば、良くなったり悪くなったりを繰り返しながら、その後アポ島、パングラオ島、バリカサグ島、セブ島へと移動したが完治にはほど遠い症状のままである。


タートル

以前にも水あたりを経験したが、その際に医者からは毒素のようなものが体内から全て抜けない限り完治には至らないと言われていた。


ミノカサゴ


ウミウシ


クマノミのハウス


ヒトデ?


アポ島のウバウオ


ウミウシ


ウミウシ

4月19日、体調が悪いままセブ国際空港7時50分発の成田行きPR434便の機内で間もなくの帰国フライト待ち。
突然、機内灯が消えると相棒の守屋氏が口走った「嫌な予感がする」と。
間もなく機内から搭乗待合室に移動させられた、どうも右翼周辺に問題が発生したようである。

数時間後、ホテルを用意したのでそちらでランチタイムをと言うことであったので、言われるがままにホテルへ移動しランチとなった。
どうなることやらと思っていたが、間もなく空港へ再度移動させられた。
今度こそ出発かと思っていたなら、またまたホテルへとタライ回しの挙句、午後3時頃欠航と相なる。

その日はディナーも寝酒もまずく、ベットも心地よいものではなかったが物事は考えようで、飛行途中での故障でなくて良かったと思うことにした。

翌日は無事に戻ったがケチの付き始めは、俗に言う“13日の金曜日"であった。
ダイビングを始めて15年、本数も275本、この道楽に卒業の二文字が浮かび上がって見えた?

- 完 -

<銭明日二世こと菅村経悦>
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