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さまよえる日本人(6)

2014-04-19 | Weblog

**この記事は2011年に書いてイザブログに公開したものです。この3月でイザブログが終了となり本ブログに移し変えました。管理人**

さまよえる日本人(6)

2011/09/30 02:41

:エジプト王の圧政下で虐げられていたヘブライの民はエジプトを脱出し、預言者モーセに導かれながら、シナイ半島の荒野を40年以上もさまよい、主の神ヤハウェが約束した地、カナンにたどりつく。これは旧約聖書の出エジプト記だ。

戦後66年が経ちいまだ、政治の民主化にたどり着けずにさまよっている日本人は、ヘブライの民よりも哀れだ。そのうえ、日本の将来をたくす政治リーダーもいない。

:ニューヨーク・タイムズ紙元東京支局長で著名なジャーナリスト、ニコラス・クリストフは日本の方向性をだれが決めているのかと問われると、「日本の指導者は、他の諸国のいかなるリーダーと比べても自分から行動を起こすことはまれで、彼らはむしろ状況への対応に終始する」と前置きしたうえで、「日本の首相は、官僚、ビジネス界の指導者、メディア、そして、国民のコンセンサス志向によって牽制されている」と答えている。

:菅内閣は退陣した。それが国民のコンセンサス志向だったからだ。在位日数は452日だった。戦後に就任した歴代首相32人のうち19番目の短命だった。しかしこの退陣で、二年前の国民のコンセンサス志向だった「政治指導への変革」は完全に牽制されてしまった。

9月17日の電子版読売新聞には、「野田新内閣は、原則として事務次官が出席する連絡会議の役割を拡大し、閣議決定や閣僚間の合意事項などを事務次官に説明し、内閣の意向を各府省に周知、徹底させる場にしようとしている」と報じている。

確か、民主党は政権交代の直後、官僚の事務次官会議が政府の意思統一を容易にするという長所の一方、閣議の形骸化をもたらしたとの批判から、「官僚主導」の象徴として事務次官会議を廃止したうえで、「政治主導」の行政運営をめざすと宣言したはずだ。

結局、自民党政権時代に後戻りだ。この国では誰が首相に就こうとも、どの政党が政権を担おうとも、そこに腐りきった政治家どもがいる限り変わらない。米国のように外部の優秀な人材を登用して政治を混血化していくしかない。このままでは政治リーダーも生まれない。

:前出のニューヨーク・タイムズ紙東京支局長クリストは、「国家的な課題が、往々にして世論に影響を与えるような予期せぬ事件によって形づくられるために、政治家の選択肢も自ずと制約されてしまうのだ。事実、戦後日本を形づくった主要な力学は、政治や政治指導者の手腕によるのではなく、「経済ブーム、都市化、人口構成や女性の地位の変化」がつくりだしたものだった」と解説している。

:昨年、電子版朝日新聞に、「東大出身なのに相当頭悪い..与謝野氏、鳩山首相を批判」という記事がでた。新党「たちあがれ日本」の与謝野馨共同代表は番組収録で、東大工学部卒の鳩山由紀夫首相について「東大出身のはずなんだけど、相当に頭が悪い」という内容だ。

これは与謝野の認識不足だ。前首相鳩山は米国のスタンフォード大学で博士号を取得しているわけだから、「スタンフォード大学出身なのに相当頭が悪い」と発言するべきだった。要は、スタンフォード大は世界的な大学だが、東大はあくまでも日本の大学だ。この程度の学力嗜好の大学は米国にはいくらでもある。

:米国の東海岸シリコンバレーにあるスタンフォード大学は、ヤフー社ジェリー・ヤン、そしてグーグル社ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンらの母校だ。彼らは大学(大学院博士課程)在学中に起業し、自社株をナスダックに公開し、投資家から1億ドル以上の資金を集めた実業家連中だ。そのうえ、年俸1ドルで働いている経営者でも知られている。

彼らのほかにも、例えば、25歳でフォーブス長者番付に載ったアップル社スティーブ・ジョブズ、オラクル社ラリー・エリソン、エヌビディア社ジェン・フアン、それにシスコシステムズ社ジョン・チャンバースなども年俸1ドルの経営者たちだ。なかにはストックオプションの権利も放棄している。

また、サブプライムローン問題で経営危機に直面し、米国政府の管理下で経営再建が行われることになった保険会社AIGそれに自動車メーカーGM、クライスラー、フォードの役員ら、また銀行シティグループの最高経営責任者ヴィクラム・パンディットの年俸も1ドルだ。

米国のオバマ政権は、金融危機で巨額の公的資金を受けた米企業の役員ら高額所得者に対して、報酬を平均で前年比90%、ボーナスを含めた総報酬額を平均50%削減するように要求した。

原子力損害賠償支援機構法が成立し、東電に資金(税金)支援が始まるわけだが、首相野田も米国オバマ政権にならい、東電の会長勝俣以下のトップ経営陣を即退場させ、新トップ経営陣には年俸1ドルで奉公させることだ。

また米国には、大戦時の国難に、俸給1ドルで政府に協力した、「Dollar-A-Year men」と呼ばれた経営者たちがいた。

日本の国難の非常時あっても、互いに復興にむけ協力することもなく争っているバカ与野党議員たち、俸給1ドルで十分である。とにかく、何か、こいつらに罰を与えなければ、怒りがおさまらない日本人も多いいはずだ。

(続く)

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さまよえる日本人(5)

2014-04-19 | Weblog

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さまよえる日本人(5)

2011/09/22 01:15

  

:米国では連邦議会の承認を勝ち得た閣僚などの指名候補者たちは、次に大統領から任命をうける。そして大統領府に集結し、大統領に忠誠を誓い、大統領と運命を共にする。大統領が再選に失敗すると全員が失職するためだ。

だから、自分達の職務の成功は政権の成功につながり、自分達の失政は再選失敗に帰着する。職を賭して仕事をすることになる。

大統領にとっても、4年という確定した任期の中で、強力なリーダーシップを行使するための条件が備わったことになる。すなわち、自分に対する忠誠心がきわめて高い有能な直属部下と自分を制度的に支えてくれる強力な組織だ。

さらに、この3千人を越す大統領府の基幹組織を8千人近い側近組織(資格任用の課長級以下の一般職業公務員)の裏方が支援する。

:日本の首相官邸はどうだろうか。自分達の手足になる有能な部下も助言をえるためのシンクタンク組織もない。与党(政策調査会)と官僚(事務次官会議)の狭間を飛び交う伝書バトの政務三役のみだ。

このため与党に対して、首相は独立して指導力を発揮できない。そればかりか、与党が抵抗すれば法案の通過は困難だ。

また官僚に対しても、本来、首相は行政トップでありながら、既得権の削減を試みようものなら、激しく抵抗される。

行政官僚の忠誠心は日替わり首相にあらずして、あくまでも自分が一生を過ごす省内の職場組織に対する帰属意識だ。

米国の大統領が政権の移行過程で検証チームを立ち上げて、前政権の政策実績と課題を検証させることなど、日本の官僚組織においてはタブ-だ。

前政権内閣とはいえ、自分達の先輩官僚が立案した政策、それを検証してなみかぜ立てれば、本庁から地方にとばされ、定年後に約束された先輩の天下り先に再就職できなくなる。

:1991年に亡くなった政治学者辻清明は、明治時代以来の日本における官僚機構の特質を研究し、その構造的特質の一つとして「強圧抑制の循環」という見解を表明した。

“戦前において確立された日本の官僚は支配・服従の関係が組織の中核を成し、その組織内部において部下が上司の命令に服従するのと同様に、日本社会では官僚(軍人)への国民(臣民)の服従を強要する「官尊民卑」の権威主義的傾向を有していた”とする説である。

さらに、“この社会的特質は戦後の民主化改革の中でも根強く生き残り、政治的な民主化への阻害要因になっている”とも指摘している。

戦後66年がたった今、そしてあの中近東ですら民主化運動が進むなか、日本の民族だけは政治の民主化から取り残されている。

(続く)

 

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さまよえる日本人(4)

2014-04-19 | Weblog

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さまよえる日本人(4)

2011/09/18 00:53

 

:米国の大統領が直面する候補者選びのジレンマは、個々の最適な選択が全体として最適な選択となりえるかどうか、だった。そして歴代の大統領はこのジレンマを自らの強い信念と候補者への信頼で解決してきた。このジレンマこそが、米国の「政治の質」と「政治家の資質」を高めてきたのである。

例えば、大統領オバマにとっては、ジレンマを解くカギは「世界観の共有」だった。オバマは、少年時代の4年間をインドネシアで過ごしている。また政治エリートたちのほとんどが外国での暮らしを経験している。

内政担当の大統領補佐官バレリー・ジャレットはイランで生まれて、幼少期をイランで過ごした。国家安全保障問題担当の大統領補佐官ジェームズ・ジョーンズはイラク政策を強硬に批判した元軍人だが、やはり少年時代をフランスで過ごした。財務長官ティモシー・ガイトナーもまた、インドやタイで育った。

大統領オバマは、候補者たちが幼年期に多様な背景をもつ人々のなかで暮らしながら、米国を外から見ることで培った見識と感性を、自身のものと共有させることで、ジレンマを解く大きな手がかりにした。

彼らの見識と感性は、文化、宗教、価値観の異なる多民族社会にあって、異なる考え方があることを認め、よりオープンな姿勢で物事とらえようとする世界観だった。

:日本の閣僚人事はどうだろうか。首相選び同様に儀式だ。繰り返すが、1955年に自民党が結成されて、一時期の例外(細川連立内閣)を除き、自民党一党優位の政権が続いてきた。

この間に自民与党は、裏では、党と行政官僚との相互依存の関係を深めて政策立案を彼らに外注し、表では、内閣と党の二元体制を敷き、「法案は閣議を経て国会に提出し与野党で審議される」という本流を、「法案は閣議を経て国会に提出される前に必ず与党内の了承を取り付けること」に変えてしまった。これが事前審査の慣習化だ。

このため、与党にとっては、国会での議論など必要がなくなり、国会審議そのものを儀式化させた。さらに党の指導力がまし、首相や閣僚などは、官僚におんぶされて気の利いた答弁さえできれば日替わり「ド素人」で勤まるようになった。

そして今月組閣人事したばかりの野田内閣で早々と、日替わりド素人の第一号がでた。辞職した経済産業相鉢呂吉雄だ。第二、第三の日替わりド素人に財務や防衛の大臣あたりがあぶない。

:こうして大統領の信頼を勝ち取った候補者たちだが、大統領はすぐに任命することができない。大統領が指名する政府高官の人事には議会上院の審査と承認が必要だ。

そこで大統領は、独自にチェックリストを準備させ、候補者一人ひとりの適格性を事前に調査する。そして議会からの厳しい倫理上の審査に備える。これには多くの時間と労力を要する。

だが、事前に対処することで、議会の不承認を免れた高官候補者もいる。オバマ大統領の側近、財務長官ガイトナーはその一人だった。過去の納税漏れと家政婦が不法就労だった事実が発覚した。そのため議会上院本会議での採決の結果は承認されたものの、三分の一の反対票がでて全員一致にはならなかった。

:この事前調査チームとは別に大統領はまた、「Agency Review Team(検証チーム)」を立ち上げる。目的は前政権の政策実績と課題を検証させ、自分達の新政権の人事や政策立案に反映させるためだ。オバマ政権では135人が10のチームに分かれて実施したという。

この検証では、前任者の政策の誤りなどが発見されると公表の対象にされた。前任者は前政権が指名・任命した人材だから、公表に躊躇いはない。むしろ、米国の情報公開の精神と結びついている。

ちなみに、米国には情報自由法があり、機密文書の公開規定日は原則、25年だ。だが、その前に非公開資料の閲覧を審査請求することもできるし、機密解除しなかった前政権の政府機関を新政権が調査などを行う。それが大きな政治的得点にもなりうるからである。

(続く)

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さまよえる日本人(3)

2014-04-19 | Weblog

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さまよえる日本人(3)

2011/09/10 02:01

 

:米国では、四年ごとの選挙で当選した大統領が四年間政権を務めることになる。そして米国の大統領制のもとでは、任期の終了時が政権交代となる。大統領が失職しても副大統領が昇格するので、政権交代にはならない。不信任決議による辞職も議会の解散もない。

米国ではまた、党員が政党内での大統領公認候補選びに深く関与し、候補者も各地で住民との討論会を重ねながら、自分の言葉で政策を熱く説いてまわる。それをメディアが長期にわたって報道し国民が「評価」を下す。まさに大統領選は全米の国民を巻き込んだ政治ショーだ。

一方、日本の首相選び(代表選)は茶番ショーだ。米テレビ番組CNNの大統領候補者討論会をパクッテはいるが、候補者たちは飲み友達のような、仲間うちの「評判」をもとに推薦されており、日本人が得意とする馴れ合いの談合だ。このため、日本では米国流、長期遊説など流行らない。選出までの日程は数日で十分だ。

過去にはショーにもならいギネス級の茶番があった。2000年第85代首相森喜朗の誕生のときだ。当時の自民有力議員五人衆が順天堂大学病院の病室にそろい、脳梗塞で倒れ脳死状態にある首相小渕の前で、後継総理を数分の密談で決めてしまったという。

:選挙に勝つと米大統領はリーダーシップを発揮し、高級管理職の候補者を絞り込んでいく。とりわけ、大統領の政権中枢を固める政治エリート(長官・副長官等の閣僚・準閣僚)は重要だ。だから、大統領自らが政治エリートの候補者を指名する。この人選に失敗すれば、政権の命取りになるからだ。

高級管理職の候補者たちは民間企業、法律事務所、教育機関、非営利団体シンクタンクなどの外部組織から登用される。豊かな実戦経験と卓越した専門能力をもちあわせた人材であることが条件だ。特に、政治エリートには、この条件のほかに、大統領との円滑な意思疎通はもとより、政策の骨組みを構築していく過程(政策プロセス)における他の高官との円満な意思疎通も要求される。

ハルバースタムの著書「最良で最も聡明な人たち」の中のマクジョージ・バンディとウォルト・ロストーは対照的な二人だった。バンディは、若干34歳でハーバード大学の学部長に選出された頭脳明晰だったが、ケネディ政権で国家安全保障担当大統領補佐官に任命されると、国防長官マクナマラとともにベトナム戦争への積極的な介入を大統領に助言した。そして情報の扱いについては、戦争の全貌を隠さずに正直に国民に伝えるべきだと考えていた。だが、ケネディ暗殺後のジョンソン政権下では、情報が漏洩し自分の立場が脅かされることを嫌った大統領との折り合いが悪く、ついには決裂してしまった。

一方、バンディの後任を担ったロストーはマサチューセッツ工科大学で教鞭をとり、「take-off model」(離陸説)と呼ばれる独自の経済発展段階説を組み立て、経済史の議論にも影響を及ぼすほどの優秀な経済学者だったが、自分の離陸説を南ベトナムの国家建設で実証させようと試み、ベトナム戦争への関与継続に疑念を差し挟むことはなかった。バンディよりも大統領ジョンソンとの相性もよかったが、戦争に疑念を持つ高官の意見を無視しがちになり、政権の他の高官からは信頼されず、たえず対立に苦しんだ。これこそ、米大統領が直面する候補者選びの「ジレンマ」だ。

日本では、1955年に自民党が結成されて以来、一時期の例外(細川連立内閣)を除き、2009年までの長期にわたって自民党一党優位の政権が続いてきた。

この間に自民与党は、裏では、党と行政官僚との相互依存の関係を深めて政策立案を彼らに外注し、表では、内閣と党の二元体制を敷いて、官僚に外注し出来上がってきた法案が閣議を経て国会に提出される前に、与党内の了承を取り付ける事前審査を慣習化させた。

この事前審査で自民党としては国会で議論する必要がなくなり、国会審議そのものを儀式化させてしまった。

この内閣と党との指導力の逆転で、内閣までも形骸化し、飾雛となった閣僚などは気の利いた答弁ができさえすればよくなった。

米国の閣僚候補の基本条件とされる「優れた実戦経験や卓越した専門能力」など日本の政治には異質な要求だった。党派間での組み換えが簡単な「ド素人」で十分に閣僚がつとまった。

たとえば、菅内閣下で大臣だった海江田と与謝野の両者を米国の代表的な閣僚と比べても、そのド素人ぶりが明らかだ。とても経済大国三位の国の経済の舵取りを委ねるような器の人材ではない。

日本の経済産業大臣と経済財政担当相だったこの二人、実務経歴は皆無だ。前職はともに議員秘書。海江田は、政界入りした元タレント野末陳平が結成した税金党の影響をうけ、テレビで税金の解説をしていたタレントだ。一方の与謝野は中曽根康弘の議員秘書。前は商業用原子力発電所を持つ卸電気事業者(株)日本原子力発電のサラリーマンだった。

一方、クリントン政権下の財務長官ルービンは、ゴールドマン・サックス会長から任用され、財政の均衡、貿易政策のグローバル化、アジアやロシアの金融危機への対策、レーガン・ブッシュ政権以来の負の遺産である財政赤字の削減など、米国の最重要政策決定に先導的な役割を果たし的確な政策運営により、グリーンスパン連邦準備理事会議長と並ぶ、米経済繁栄の立役者と評価された。退任後もシティグループの会長に就任した。

またオバマ政権下の財務長官ガイトナーは、元米国務長官ヘンリー・キッシンジャー率いる民間コンサルティング会社から財務省に入省。クリントン政権の財務次官としてアジア通貨危機の収拾に当たり、ブッシュ政権下ではニューヨーク連銀総裁として金融危機対応に奔走するなど、金融・経済の要職を歴任した後、経済再生が喫緊課題となるオバマ政権の即戦力として閣僚に就任した。

(続く)

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さまよえる日本人(2)

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さまよえる日本人(2)

2011/08/30 00:20

 

 

ノーベル賞はスウェーデンの化学者の遺言と遺産基金による世界的な賞だが、米国には新聞経営者ピュリッツァーの遺言により設けられた権威ある賞がある。

米国の著名ジャーナリスト、ハルバースタムは、この賞の活字報道分野における受賞者の一人だ。ニューヨーク・タイムズ紙の記者としてベトナムに赴き、ベトナム戦争を取材した。

その体験をもとに書き上げた著書「the Best and the Brightest」(最良で最も聡明な人たち)の中で、いかに彼らが米国をベトナム戦争の泥沼に引きずりこんでいったのか、その経緯を政権の内情を絡ませながら克明に描いている。

彼らとは、ベトナム戦争を始めた大統領ケネディと、ケネディ暗殺後に政権を継いだ副大統領だったジョンソン、そして両政権下、安全保障政策にかかわった閣僚や大統領補佐官たちだ。

なかでも国防長官マクナマラは政権中枢の人物だ。ベトナム戦争ではホワイトハウスから制服組を指揮する司令官として大きな役割を演じた。

マクナマラは数学に秀でており、第二次大戦に従軍すると、東京大空襲の指揮をとったカーチス・ルメイ米空軍少将の下、数理システム解析を対日戦略爆撃機B-29や武器の生産作戦計画に応用させ、費用対効果による効率的な大量生産を進めて、大きな戦果を挙げた。

大戦後入社した自動車企業フォードでも、経営分析や管理などに辣腕を振るい、社長に抜擢されるや、経営難のフォードを再建させた。

こうした華やかな実績を引っ提げて44歳で政界入りした後も、冷戦下、米国の国家安全保障上の重大な危機で大きな役割を果たしたが、ベトナム戦局の拡大・泥沼化による失策から内外の批判を浴びる結果となった。大統領ジョンソンとの軋轢もあり、辞任後には、世界銀行総裁に就任した。

毎日新聞の記事によると、マクナマラは1991年の来日時、京都市での講演でベトナム戦争について「私は間違っていた」と語っている。また回顧録「Tragedy and Lessons of Vietnam」(ベトナムの悲劇と教訓)でも、自らの過ちを告白し、世界中で論争の波紋を呼んだ。

ハルバースタムにとっては勝利だ。小国ベトナムの社会主義革命が東南アジアの共産化に波及していくというドミノ理論のもとで集結した「最良で最も聡明な人たち」。

こうした政治エリートたちの内情を暴き世論に訴えたことで反戦の輪が広がり、マクナマラの告白につながった。まさに英国の小説家リットンの戯曲の中での言葉、ペンが剣に勝ったのだ。

:企業のビジネスリーダーを育成する教育機関として、ビジネススクールがある。ここでの教育は、ケースメソッドが中心だ。いわばロースクールでいう過去の判例ケースの分析・学習と似ている。

人格の与えられた企業がいかに成長し、そのトップはいかに意思決定をせまられたのか、財務、行政、経済、マーケティング、組織行動、人的資源管理などの立場から分析し、クラス討論を交えながら、トップリーダーの意思決定(decision making)のありかたを机上で実践していく。

UCバークレー校(経済学士)と、ハーバード大大学院ビジネススクール(MBA、経営管理学修士号)で学んだマクナマラにとっては、ベトナム戦争はケース・スタディに過ぎなかったのだろうか。

もう少し分析に人道的な命題を加えておけば、第二次大戦をはるかに越えた動員兵力や死傷者数を防げたかもしれない。

:ところで、日本はどうだろうか。マクナマラのような特出したリーダーがでる素地があるのだろうか。

(続く)

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