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さまよえる日本人(2)

2014-04-19 | Weblog

 **この記事は2011年にイザブログに公開したものです。3月でイザブログが終了となり本ブログに移し変えました。管理人**

さまよえる日本人(2)

2011/08/30 00:20

 

 

ノーベル賞はスウェーデンの化学者の遺言と遺産基金による世界的な賞だが、米国には新聞経営者ピュリッツァーの遺言により設けられた権威ある賞がある。

米国の著名ジャーナリスト、ハルバースタムは、この賞の活字報道分野における受賞者の一人だ。ニューヨーク・タイムズ紙の記者としてベトナムに赴き、ベトナム戦争を取材した。

その体験をもとに書き上げた著書「the Best and the Brightest」(最良で最も聡明な人たち)の中で、いかに彼らが米国をベトナム戦争の泥沼に引きずりこんでいったのか、その経緯を政権の内情を絡ませながら克明に描いている。

彼らとは、ベトナム戦争を始めた大統領ケネディと、ケネディ暗殺後に政権を継いだ副大統領だったジョンソン、そして両政権下、安全保障政策にかかわった閣僚や大統領補佐官たちだ。

なかでも国防長官マクナマラは政権中枢の人物だ。ベトナム戦争ではホワイトハウスから制服組を指揮する司令官として大きな役割を演じた。

マクナマラは数学に秀でており、第二次大戦に従軍すると、東京大空襲の指揮をとったカーチス・ルメイ米空軍少将の下、数理システム解析を対日戦略爆撃機B-29や武器の生産作戦計画に応用させ、費用対効果による効率的な大量生産を進めて、大きな戦果を挙げた。

大戦後入社した自動車企業フォードでも、経営分析や管理などに辣腕を振るい、社長に抜擢されるや、経営難のフォードを再建させた。

こうした華やかな実績を引っ提げて44歳で政界入りした後も、冷戦下、米国の国家安全保障上の重大な危機で大きな役割を果たしたが、ベトナム戦局の拡大・泥沼化による失策から内外の批判を浴びる結果となった。大統領ジョンソンとの軋轢もあり、辞任後には、世界銀行総裁に就任した。

毎日新聞の記事によると、マクナマラは1991年の来日時、京都市での講演でベトナム戦争について「私は間違っていた」と語っている。また回顧録「Tragedy and Lessons of Vietnam」(ベトナムの悲劇と教訓)でも、自らの過ちを告白し、世界中で論争の波紋を呼んだ。

ハルバースタムにとっては勝利だ。小国ベトナムの社会主義革命が東南アジアの共産化に波及していくというドミノ理論のもとで集結した「最良で最も聡明な人たち」。

こうした政治エリートたちの内情を暴き世論に訴えたことで反戦の輪が広がり、マクナマラの告白につながった。まさに英国の小説家リットンの戯曲の中での言葉、ペンが剣に勝ったのだ。

:企業のビジネスリーダーを育成する教育機関として、ビジネススクールがある。ここでの教育は、ケースメソッドが中心だ。いわばロースクールでいう過去の判例ケースの分析・学習と似ている。

人格の与えられた企業がいかに成長し、そのトップはいかに意思決定をせまられたのか、財務、行政、経済、マーケティング、組織行動、人的資源管理などの立場から分析し、クラス討論を交えながら、トップリーダーの意思決定(decision making)のありかたを机上で実践していく。

UCバークレー校(経済学士)と、ハーバード大大学院ビジネススクール(MBA、経営管理学修士号)で学んだマクナマラにとっては、ベトナム戦争はケース・スタディに過ぎなかったのだろうか。

もう少し分析に人道的な命題を加えておけば、第二次大戦をはるかに越えた動員兵力や死傷者数を防げたかもしれない。

:ところで、日本はどうだろうか。マクナマラのような特出したリーダーがでる素地があるのだろうか。

(続く)

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