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2013年元旦、年のはじめに考える・人間中心主義を貫く(東京新聞から)

2013-01-01 | Weblog

 

 2013年元旦

 中立系東京新聞の社説「年のはじめに考える 人間中心主義を貫く」を掲載しておきます。

 

安倍自民党政権が船出しました。近隣に朴槿恵韓国大統領と習近平中国総書記。多難を思わせますが、新しい年を人間中心主義の始まりに-が願いです。

 多くの国民の要請でしょう、安倍晋三首相の最優先政策は経済再生でした。しかし、経済はだれのためのものか、それが問題です。

 本紙が「新しい人間中心主義」を訴えたのは、第一次安倍内閣の二〇〇七年の元旦社説でした。

◆若者、働く者に希望を

 〇二年からの「いざなみ景気」は「戦後最長の景気拡大」や「企業空前の高収益」とはうらはらに非正規雇用やワーキングプアを急増させ、死語だった「貧困」を復活させました。収益は労働者に配分されず、企業に内部留保されたり、株式配当に回ったのです。経済は大企業や富裕層のものだったのです。

 七十三カ月のいざなみ景気はジョブレス・リカバリー。賃金は下がり続け、労働は長時間化、一九九〇年に八百七十万人(全雇用の20%)だった非正規雇用は千七百五十六万人(同34%)に膨れました。人間中心主義の訴えは空回りだったといえます。

 それでも経済は人間のためのもの。若者や働く者に希望を与えなければなりません。まず雇用、そして賃金。結婚し、子どもをもち家庭を築く、そんな当たり前の願いが叶(かな)わぬ国や社会に未来があるはずがありません。それゆえ人間中心主義が訴え続けられなければなりません。

 脱原発への決断は再生可能エネルギーへの大規模投資と大量雇用を見込めます。医療や福祉は国民が求めています。農業や観光も期待の分野。経済の再生と同時に人を大切にする社会とネットワークの構築が始まらなければ。

◆自然と共生する文明

 近代思想の研究家で評論家の松本健一さんが大震災後の東日本の海岸を歩き、復興のあり方を考えた「海岸線は語る」(ミシマ社)を著しています。その復興構想「ふるさと再生」に共感しました。

 松本さんは大震災当日の三月十一日は内閣官房参与として首相官邸四階にいました。一階の二百人の官僚たちは所属官庁の領域の対応に追われ、復興の全体構想を考える人物がだれもいなかったことから菅直人首相に復興ビジョン私案を提出しました。その二年前、「海岸線の歴史」(同)を出版、東北地方の海岸を調べていたことから私案が作成できたのです。

 松本さんによれば日本民族は民俗学の折口信夫のいう「海やまのあひだ」に住まいしてきた民族。海と山の豊かな自然が精神的細やかさや繊細な美的感覚を養い自然と共生する暮らしを選び続けてきたのですが、西欧近代思想を取り入れ発展するうちに自然と共に生きる日本人本来の思想を失ってしまった、というのです。

 西欧の近代は自然を制御、征服する思想。今回の大震災はその西欧の限界を示しました。巨大なコンクリートの人工堤防を簡単に破壊しました。人間は自然を制御できない。松本さんが復興を試みる「ふるさと」とは、人が生まれ、住み、死んでゆく人間存在の根の場所としてのふるさとです。

 近代思想や経済至上主義ではもう立ち行かない、自然と共生する文明のあり方を模索すべきではないかとも言います。近代文明を考え直す。そこに人間中心主義が連なっています。

 「外交問題の処理に最大の禁物は興奮と偏見である。公平を期する新聞でさえかなり不十分な報道をもって民間に無用の興奮をそそっている」

 これは一九三一(昭和六)年九月十八日の旧満州(中国東北部)・柳条湖事件を報じた新聞報道を批判した中央公論の巻頭言。現在の尖閣諸島や竹島の領土問題で新聞は冷静なのか、肝に銘ずべき切言です。

 日本の新聞の歴史で最も悔やまれ、汚名となっているのは満州事変を境にしてのその変節です。それまで軍を批判し監視の役割を果たしていた各紙が戦争拡大、翼賛へと論調を転換させたのです。国民を扇動していったのです。

 その中で時流におもねらず敢然と戦ったジャーナリストといえば東洋経済新報の石橋湛山でした。帝国主義の時代にあって朝鮮も台湾も満州も捨てろと説いた「一切を棄(す)つるの覚悟」や「大日本主義の幻想」は百年を経てなお輝く論説です。イデオロギーではない戦争否定の理念、ヒューマニズム、学ぶべきリベラリストでした。

◆非武装、非侵略の精神

 満州事変から熱狂の十五年戦争をへて日本は破局に至りました。三百万の多すぎる犠牲者を伴ってでした。湛山の非武装、非侵略の精神は日本国憲法の九条の戦争放棄に引き継がれたといえます。簡単には変えられません。

 

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原発維持方針 3・11をもう忘れたか 

3・11は世界を変えた。ところが第二次安倍政権。発足早々、何の議論もないままに、原発の早期再稼働はおろか、新増設にも含みを持たすとは。福島の被害は続くのに、もうあの衝撃を忘れたか。

 あまりにも乱暴すぎる転換だ。自民党は何ら変わってはいないのではないか、そう思われても仕方ない。

 言いたいことは三つある。

 一つ目は、世界有数の地震国日本に原子力を持ち込んで、五十基を超す原発を立地したのは、ほかならぬ自民党政権だったということだ。核のごみの後始末も考えないままに、である。

 自民党が進めた国策という土壌の中で原子力ムラが醸成され、安全神話が誕生し、福島の惨事につながったのではなかったか。

 福島の苦悩は終わっていない。多くの県民が仮設住宅で、二度目の新年を迎えることになる。

 半世紀以上に及ぶ自らの原子力推進政策への検証と反省もないうちに、拙速な再稼働を考えるのは危険であり、それこそ無責任ではないか。

 日本原子力発電敦賀原発は、原子力規制委員会が活断層の存在を確認し、大地震の影響を受ける恐れがあるとした場所だ。

 その敦賀原発にさえ増設の含みを残すとすれば、規制委員会の科学的判断と独立性を脅かす意図すらあるということか。

 次は、国民の多くは原発推進を支持していないという点だ。

 自民党は、先の衆院選には大勝した。しかし、原発の是非を争点にするのを避けたのか、公約では「再稼働の是非は三年以内に結論を出す」と言葉を濁し、推進を打ち出してはいない。国民の多数は原発推進を選択してはいない。

 一方、民主党の「二〇三〇年代原発ゼロ」は、各種世論調査でも国民の過半が支持した政策だ。それを軽々しく覆すことこそ、背信といえるだろう。

 三つ目は、いま強引な再稼働を企てる前に、現実的な方策を示せということだ。

 核のごみは行き場がなく、使用済み燃料を再利用する核燃サイクルもままならない。核不拡散など米国との交渉が必要というのなら、まず国民に向かって説明してほしい。危険と隣り合わせにいるのは国民なのである。

 福島事故の収拾、被災者の早期救済、あるいは自然エネルギーの開発促進はもとより、立地地域の新たな雇用創出などこそ、最優先されるべきではないか。

 

 


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