チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

人が本を読む姿

2014年10月21日 | 日々のこと

曇り、23度、83%

 二階から階段を下りて居間に入ると、お酒のグラスを前に、片手にはパイプを持った父が本を開いていました。秋が深まって行くちょうどこんな時期だったと思います。そうした本を開いている父の姿を見るのが好きでした。私が小学校の5年生の頃の記憶です。今思うと、夜遅くまで起きている私に付き合っていてくれたのかもしれません。父は寝る前に、二階に向かって、「いい加減にして、休みなさい。」と声をかけてくれました。

 10年ぐらい前でしょうか、日本に帰る度、寂しく思うことがありました。電車やバスに乗ると、スーツを着た男性が鞄から漫画の本を出して来て読む姿を見かけた時のことです。ひとつの車両に1,2人ではありません。ずらっと並んで漫画の本を読んでいます。これも時勢なのかななどと思い眺めていました。最近はといったら、スマホでゲームやメッセージを打っている人ばかりかと思われるでしょうが、ところが、文庫本や新刊を読み入っている人を見かけます。文字離れなどと言われますが、まだまだ根強く本に固執する人たちがいるようです。

 昨晩、夕飯のあと、主人がソファーで本を読んでいます。彼の好きな音楽がスピーカーから静かに流れています。いつもは食後も仕事の遣り取りで、PCを開けていることが多い主人です。ゆっくりと寛ぐ主人の横には、モモさんがべったり。ページをめくる音が聞こえます。ああいいなあ、人が本を読む姿は。そう思った時、50年近くも前の父の本を読む姿を思い出しました。主人は当時の父の年齢を遥かに超していますが、二人の姿が重なりました。

 今朝、走りながら私の本を読む姿を思い浮かべます。あれあれ、ご存知のように私はベットかソファーに横になって本を読みます。周りには辞書や地図を拡げています。時には、お菓子やお茶も手の届くところに。足などは壁にあげています。モモさんは脇のところで、すーすーと寝息を立てて熟睡中。これでは、誰が見ても、いい本を読む姿ではありません。恥ずかしいなあと思いながら、今日もまた、ベットでゴロリと本を開きます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゴマ羊羹

2014年10月20日 | 日々のこと

曇り、24度、81%

 岩手の岩谷堂のゴマ羊羹を主人が買って来てくれたのは、先日、福岡の帰国した時のことです。福岡の土産が岩手のものなど、ちょっと変な話です。福岡の繁華街新天町の一角に、東北何県かの特産物を紹介する所謂、アンテナショップがあります。アンテナショップという名前が広まる前からこの店は、同じところで営業しています。なにぶんにも南の人間は、北には疎いものです。岩手の県庁所在地は?などと言われて、即座に盛岡と答えることが出来ない私です。ここでは、東北の海産物などをよく買います。福岡近隣では、こんないいワカメなどは手に入りません。このアンテナショップの近くの老舗のホテルが常宿の主人は、ヒョイと足を向けては、面白いものを見つけて来てくれます。

 岩谷堂のゴマ羊羹、 一目見ただけで、黒ゴマだと思います。黒ごまと砂糖の相性は抜群です。ここ香港にもゴマ汁粉というのがあって、黒ごまを摺ったものに米粉でとろみを付けた甘い汁粉です。ゴマに目がない私は、大喜び。

 羊羹を食べれるようになったのは20歳を超してからです。それ以前は、あんものはどうも苦手でした。美味しいと思うと、なんと羊羹一本食べていた頃もありました。今は、もう無理です。このゴマ羊羹、一口口に入れると濃いゴマの香りがします。硬めに練り上げられたおいしい羊羹です。小豆の羊羹に黒ごまを練り込んで、寒天で固めたと書かれています。艶々と真っ黒な羊羹です。

 あんこに練りゴマね、と考えていると、急にあんぱんが食べたくなりました。そこで、小さなバンズにゴマ羊羹を一切れ挟んでみました。 もう少し羊羹を厚く切った方がよかったかな、ゴマあんぱんの出来上がり。羊羹サンドにしばらくハマりそうです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「PICASSO CERAMICS」香港大学美術館

2014年10月19日 | 香港

曇り、23度、80%

 昨日の昼過ぎ、香港の友人が、「PICASSO CERAMICS」を見に行ったとアップしています。あっ、忘れていた。と私。9月の初旬から始まった、香港大学のこの展覧会、11月の2日まで続きます。期間も長い上に、なんといっても近いので、いつでも行けると思っていました。でももう、十月も中旬です。お天気のいい土曜の昼下がり、普段着のままちょっと出かけてみました。

 我家から西に向かって、歩くこと20分。 大学徑の入り口は、香港大学学長の公邸です。ここは香港島のほぼ西の端、斜面に沿って建っている大学です。香港大学は、優秀な大学で香港でも一番古い大学です。入ってすぐ、見晴らしのきくこの場所に立つと、夕日が沈むのがきれいに見えました。夕日を見によく足を運びました。ちょっと来ていない間に、 高いマンションが出来ています。こんながっかりをよく味わう最近の香港です。このマンションがなければ、晴れた日にはディズニーランドも遠くに見えます。

 歴史のある大学です。敷地内には、4つ程、保存建造物があります。 この建物は、大学職員の宿舎です。やはり、イギリスの植民地であったことを思わせる作りです。

 ここ2年、大学構内の改築や整備の工事が行われています。坂道を下って、美術館へ下りる道すがら、保存建造物をみたいと思っていましたが、至る所通行止めでした。美術館は、バス通りのある下の道に面して建っています。ここにたどり着くまで、我家を出ておよそ30分。

  美術館の入り口です。ドアを開けると、ひんやりとした空気が流れます。懐かしい、古い学校の匂いです。この美術館は常設展が2階、特別展示は3階です。

 ピカソの焼き物、とても興味がありました。25センチ程の楕円の同じ大きさの皿が中心で、その絵付けをピカソがしています。流石にスペインの出身、闘牛のシーンを題材に採ったものがみられます。そして、なぜかフクロウのモチーフのものも。フクロウはピッチャーにまで絵付けされています。色合いはというと、非常にピカソ的な明るいものです。闘牛のものは白黒のもありました。

 この皿やピッチャーを見ていて、日常に使えるなっと思います。皿には、山盛りのパスタや鯛をオリーブオイルとガーリックでグリルしたものを、などと一人悦に入って想像します。友人が、「とても美味しいスペインの郷土料理を食べたあとのような」とこの展示を表した、まさにそのままです。

 この美術館も保存建造物。 中華的な雰囲気も持つ洋館です。

 この展示は11月2日まで。金鐘から23番のバスか、セントラルからヒルサイドエスカレーターに乗り、ケインロードでおりて西向きに20分も歩くと美術館の前に出ます。

 まだ、日にちがあります。もう一度、今度は雨降りの日に行ってみようと思います。晴天か雨かで、私は見るものの感じ方が随分違います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2014年10月18日 | 身の回りのもの

晴れ、23度、77%

 至る所で、年老いた親たちの家の整理の話が出て来ます。実際に、まだ、親が生きているうちから手を付けた方がいいと言いますが、そんな簡単なものではありません。一度、母が入院した時に家の整理をしたことがありました。何となくそれを感じたのか、母は入院先から車で見に帰って来たことがありました。母、本人ですら分かっているくらい、掃除もされずに散らかり放題の家でした。本腰を入れて、整理を始めたのは、母を施設に預けてからのこと、携帯も持たせませんでしたから、車や知人を呼ぶことも出来ません。そうはいっても、ひと月に一度かふた月に一度の帰国の時にする整理ですから、思うように捗りませんでした。

 母の住んだ家になど住みたくない、大きな家は私が歳をとれば、また負担になるだろうとも思い、最小限の家具だけを残して、処分するつもりで始めた整理です。2年程前のこのブログにも、沢山の壷を気に入ってくださった方に譲りたいと書いた記憶があります。そして、家は改築され、家具の大半と焼き物の壷たちは、また戻って来ました。

 荷物を開けて出て来た大きな壷たちです。このあと開けた荷物からは中ぶりのものも出て来る始末、父も母も焼き物が好きでした。私には価値など分かりません。そんな私に、あれは誰々の壷だとか、欠けがあるがいいものだとか、言い聞かされましたが、上の空です。

 改築以前の家は塀に囲まれ、門がしっかり施錠されていました。にもかかわらず、住む人の気配のない家の玄関前から、2つ睡蓮鉢と壷が消えてしまいました。大事に使ってくださっていればいいのですが。写真の壷たちも、もう何年も拭かれないままでした。荷を解かれ、拭いてやると夕日を受けて喜んでいるように見えます。一つ一つ拭きながら、これでよかったのかなとも思います。

 主人も、玄関先に壷を置きたいと言います。まだまだ先、私たちが住み始めたら、塀も門扉もない玄関前に壷が顔を出すはずです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハリネズミ、ハクビシンそして2匹の野良犬

2014年10月17日 | 香港

晴れ、23度、73%

  5日程、香港を空けて戻ってみると、なんともいい季節に変わっていました。昼間は30度近くまで気温が上がりますが、爽やかです。湿度がぐっと下がっています。さあ、いよいよ、クーラーを切る時が来たようです。3月末からフル回転、昼も夜もクーラーを消すことが出来ません。暑さに弱いモモさんがいるからばかりではありません。湿度の高さに閉口して、窓は開けることが出来ません。窓を開けて、外気を家にいれてやることが、どんなに待ち遠しかったか。

 香港に戻って、翌々日、いつものように早朝、走りにでかけました。ちょうど、冒険家でもあり写真家でもあった星野道夫さんのことを考えながら走っていました。最期、熊に教われたとき、彼は残念だと思ったのか、本望だと思ったのか、時折このことを考えます。そんな時、目の前の道を横断したのが針を総立ちにしたハリネズミでした。香港は、街灯が明るいのでよく見えます。町中のハリネズミといえど、野生のハリネズミです。熊ではありませんが、一瞬どっきりします。野生ですから、何をするか分かりません。決して、あちらが草むらに隠れるまでは、動きません。ハリネズミさん、意外に動きがすばしっこく、ゆさゆさと針を動かしながら歩きます。ユーモラスです。

 今年は日本の新聞をにぎわしたハクビシン、香港ではごみ箱をあさるので、問題にもなりません。時折香港の新聞にハクビシンのことが載ると、たいていは交通事故です。ハクビシンは、木に上ります。頭の上の枝が揺れたら、ハクビシンです。小さなまん丸な目をしています。なぜか、よく目が合うのですが、こちらがお出ましになっても、私は決して動きません。体の長さと同じくらい長い長いシッポを持っています。

 新参者が2匹の野良犬たちです。今は野良犬ですが、ほんの最近までは、きっと飼い犬だったと思います。2匹とも目がとても落ち着いています。野良犬の目は、どうも落ち着き無くキョロキョロしているものです。2匹いつも一緒です。もしかしたら、一緒に飼われていたのかもしれません。中型犬の雑種です。香港に働きに来ている西欧人の方達、犬たちの里親になりますが、いざ、本国に帰るとなると手放すことも多く、犬好きが散歩するこの道などは、恰好の犬を放棄する場所になっています。この2匹が向こうからやって来ても、私は決して動きません。動物好きですが、恐がりで臆病なところがあります。

 香港は、十月から十二月にかけてが、最も過ごし易い気候になります。お天気も続きますし、乾燥しています。涼しいといっても22度くらい、ハリネズミやハクビシンが子供を連れて歩くのを見れるのは、年が明けてからになります。香港のハリネズミ、冬眠はしないようです。

 今朝は、2匹の野良犬の後ろ姿と草むらからこちらをのぞいていたハクビシンに出会いました。私、日本語で「おはよう。」と必ず声をかけます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

残した本たち

2014年10月16日 | 

小雨、23度、81%

 実家の荷物の整理を始めたのは、4年程前、母を施設に預かってもらってからでした。その時の様子も、このブログに書き留めて来ました。当時、私は、家も土地も売り払うつもりでいました。それが昨年の年明けから、主人の厚意で家を残すこと、しかも改築をすることになりました。改築と一口にいいますが、一時期、我家は柱と屋根だけの丸裸、家の家具や残すものを一旦運び出さなければなりませんでした。

 掃除もしない散らかり放題の大きな家の整理は、埃や蜘蛛の巣との戦いでした。冬は暖房もない中、夏も扇風機もつけずに蚊までやって来る中での整理です。一人でコツコツ2年近くかかりました。初めの年は息子が一度手伝いに来てくれて、不要な大きなものを市の焼却場に運びました。次の年には、お嫁さんも一緒にやって来て手伝ってくれました。

 身につける物は容赦なく、何の躊躇も無く捨てることが出来ました。全く私と好みが違います。沢山あったジパンシーの服の中から一着だけ、黒のスーツを自分に残しただけです。一番難儀したのが、本の整理でした。片端から捨てればいいのですが、途中で本読み始めたりします。初めは、玄関に続く二畳の間に一杯の本を古本屋さんに頼んで引き取ってもらいました。2度目も同じだけの量ありますが、引き取りを断られ、又しても、息子の頼んで市の焼却場に運び込みました。市では、焼却場に入る前の車の重さと出るときの車の重さの差から、焼却物の重さを計り、料金をとります。数百キロは捨てたと思います。

 残した本は、もう一度必ず読むだろうと思う本だけです。箱詰めして、倉庫に入れました。この1年半、どんな本をどれだけ残したか、全く気にもかけずに、思い出しもしないままでした。普通の引っ越しとは違います。日常的な細々した物は一切ありません。家具や大きな焼き物をのぞけば、ダンボール箱は、20個程。本と書いてある箱を開けて並べると、見出し写真の本だけでした。

 晶文社の「ものがたりの贈り物」シリーズ、岩波の児童書の愛蔵版、捨てられなかったんだなと、自分を振り返ります。香港に帰る飛行機の中で、何度もこの本の写真を見ました。こんなに少ないとは思ってもいませんでしたが、残した本の選択は、まさに私そのものです。

 今一度、私は本の整理をする時が来ます。香港から日本に戻る時です。何時のことになるでしょうか。

 実家の本棚で残したのは、 この本棚ひとつです。これ以外に6つも本棚がありました。残した本は、真ん中の上段2段に納まっています。香港にある本を整理しても、この本棚ひとつでは納まりそうにもありません。

 物を増やすまい、いつもそう思っているのですが、直ぐに忘れてしまいます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「松露」と「州浜」

2014年10月15日 | 日々のこと

曇り、22度、66%

 先日の帰国は、帰る前から気が重いものでした。引っ越しという大仕事の上に、主人が東京から息子夫婦を呼ぶことに決めました。まだ8ヶ月の孫も一緒ですから、建材の新しい家や引っ越しあとの埃は、孫には厳禁です。孫にも半年会っていません。5日の限られた時間、どう時間を使おうかと悩みます。その上、台風18号が接近です。こんな私ですが、珍しくナーバスになっていました。そんなことを、友人にメールで書き送っていたところ、贈り物があるので住所を知らせてと返事が来ました。贈り物とあらば、喜んで頂戴します。私は出たり入ったりですから、厚かましく主人の実家の住所を教えました。

 引っ越しの荷物も雨にも遭わずに、運び入れました、ホッとした翌日、息子夫婦と一緒に主人の実家に義父母を訪ねました。友人からの荷物が、棚の上で私を待っていました。

 袋を開けると、コーヒーのいい香り、そして、京菓子らしく、可愛い包みがふたつ。

 早速、お茶のお供に頂く事にしました。駿河屋の「松露」蓋をとると、見出し写真のように干菓子が、顔をのぞかせます。この時の、あらっと思う、こういう心遣いがとても好きです。びっくりとまでは言わないまでも、ちょっと間のあるサプライズ、遊び心です。この干菓子に下には、

松の露に見立てた、あん玉を砂糖がけした菓子が入っていました。福岡のお隣佐賀県の唐津市にも「松露饅頭」という有名な菓子があります。形はこの松露と瓜二つ。

 もう一つの小箱には、「州浜」という菓子が入っていました。きな粉を蜜で固めて作る菓子です。頂いた州浜は、「春日乃豆」とい空豆型の州浜です。州浜という菓子が大好物の私、恥ずかしいことに写真をとるのも忘れて、ポイポイと食べました。何分にもお疲れです。あっという間に、お腹の中に入ってしまいました。きな粉の香りがよく黄色とウグイス色の州浜でした。

 義父母、息子夫婦それに私、孫はまだ甘いものは頂けません。大人5人で孫を囲んでのお茶の時間です。にぎやかな上に、お菓子もあれよという間に無くなりました。義父はたいそう、松露が気に入って、小さい頃、彼が育った柳川では、松露を犬のフンとよんでいたとまで言い、皆を笑わせます。

 きれいな色形の干菓子は、全て密やかに義母の口に入りました。

 久しぶりの家族揃ってのお茶の時間でした。主人はこの場にいませんでしたが、いつも、いいタイミングに電話をくれます。皆の笑顔が、私の疲れなんか吹っ飛ばしてくれます。

 おいしいお菓子をありがとう。コーヒーはしっかり香港に持ち帰って来ましたよ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の好きな香港の景色、その後の道路占拠

2014年10月14日 | 香港

晴れ、23度、57%

 香港の景色、あの有名な夜景も確かにきれいです。香港島の山から南シナ海を望むと、ここから何処にでも行けるような気持ちにさせてくれる景色に出会うこともあります。好きな景色のひとつが見出し写真です。この景色に会うと、胸のつっかえがすっと落ちて行く、不思議な景色です。この景色を写真に撮りたいとずっと思っていました。ところがこの風景、私が運転席にいる時にしか見れません。しかも、一方通行、一車線のオーバーフローを上り切ったその一瞬です。ちょっとでも止まれば、後続車がドンとぶっつかって来ます。要するに車の専用道路です。

 皆さんもご存知のように、香港、普通選挙のあり方を巡って、学生たちが香港島のセントラルを中心に道路の占拠をしてすでに17日が経ちました。依然、解決の目処が見えません。道路の占拠と言っても何が起こっているか、実際に把握できないでしょうが、占拠されている道路周辺は、通行止めになっています。学生たちが作ったバリケードの加え、警察が一般の車を対象に設けた通行止めもあります。新聞に因れば、この通行止めで一番迷惑を被っているのは、ロビンソンロード、コンダットロードに住む人たちだそうです。つまり我家もその中に入ります。バスは、この17日間、一台も上がって来ません。セントラルまでおりて、地下鉄を使えば何処にでも行くことが出来ます。

 昨日、晴れ上がった空を見ていて急に思いつきました。あの、好きな景色の見えるオーバーフローは、ちょうど占拠され、封鎖されているど真ん中です。そこで、カメラを持って出かけました。

 いつもは車しか通らない道で、セントラルのオフィスの人たちは楽しそうにランチを食べています。学生たちも週初めの昼間ですから、まばらです。なんだかのんびりした光景です。好きな景色をカメラに収め、坂を下りました。 このバリケードがなければ、ここから坂を上って、いつもなら車で我家に帰る道です。ぐるっと回り、家に向かいました。すると、人集りと大声が聞こえます。

  夕方のニュースで知ったことですが、私が通った前後に、小競り合いがあったそうです。占拠に反対の市民が徒党を組んで、バリケードの撤去を試みたにもかかわらず、人数、組織力で学生たちに敵わなかったそうです。 腰の後ろにヘルメットを付けた警官が集合し始めていました。一般市民もいる中ですから、大きなことにはなるまいと思いますが、家に向かって急ぎました。 セントラルの香港上海バンクの前です。トラムも一台も通っていません。心なしか、空気がきれいになったように感じました。

 実際、私たちは迷惑しています。行き先の見えない事件です。政府や警察の能力も疑われます。気が重いなと感じていましたが、晴れ上がった空に映えるIFCのビルの景色を写真に撮ることが出来ました。この占拠がなければ、写真に収めることがなかったはずの景色です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時計台

2014年10月13日 | 身の回りのもの

晴れ、23度、44%

  私の亡くなった母の実家は高知の土佐市にあります。小学の2年頃までは、夏になると本家と呼ぶ祖父母がいるこの家で過ごしました。真っ黒な竃がある土間の柱には、振り子のついた柱時計がかっていました。時計も竃の煤でやや黒ずんでいます。それでも、きちんと夜も昼も時を告げてくれました。この時計はねじを巻きます。私より随分歳の離れた従兄弟たちの仕事でした。いつもねじを巻く様子を羨ましく眺めていたものです。

 主人の実家にも玄関を開けると、柱時計がかかっています。嫁いで来た時から、ずっと同じ場所でボーンボーンと時間を知らせてくれます。電池式だと思います。静かな夜は、この振り子の動く音が微かに聞こえます。

 今のようにデジタルでなかった頃、一昔前までは、時計は高価なものでした。そして、家にはその家の時を告げる大きな時計がありました。私の母は時間にルーズな人で、腕時計も持ちません。そんな我家に、時計台がやって来たのは私が小学の高学年の頃です。椅子などと同じ民芸家具で水目桜で出来ています。もしかしたら、この時計は、母が選んだのではなく、父が選んだのかもしれません。この時計が来た当初から、キンキラの文字盤が好きではありませんでした。それでも、遅れもせず、居間に置いてあった時計は重宝でした。私が18で家を出てから、母はこの家に一人で34年程住んだと思います。施設に入る前から、この時計は止まったままでした。何分にも、時間に無頓着な人でした。実家の荷物の整理をする私も、止まった時計のことなど気にもかけずに、片付けていました。ほぼ完成に近い家に1年5ヶ月ぶりに戻った家具たち、ややカビを付けて戻って来ました。カビを拭き取り、一段落ついた時、まず私は、時計の電池を入れ替えました。ひと呼吸の後、ゆっくりと秒針が動き始めました。チク、チク。なんとも嬉しい瞬間でした。ああ、この家にまた、命が吹き込まれたような、家として動き出したと、感じた瞬間でした。

 家にはその家、その家の時間の流れがあって、その流れを共に歩む時計があります。小さくても大きくても一緒に時を刻んでくれています。私たち夫婦は、いつこの家で生活を始めることが出来るのか、全く未定です。まだ、ガラんとした誰もいない家で、この時計は、私たちが戻ってく時間を刻んでくれています。何もない部屋です、時計の音だけが大きく響いていることでしょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ポルトガルのローズマリーの蜂蜜

2014年10月12日 | 日々のこと

 晴れ、25度、66%

 主人は蜂蜜が好きです。私は嫌いではありませんが、種類に因っては喉がイガイガするものがあるので、どちらかというとメープルシロップが好きです。そんな主人ですから、出張先からも蜂蜜を携えて帰って来ます。中国にも蜂蜜はありますが、ライチの蜂蜜などは、きちんとした工場製品でないものなどに当たると、発酵し始めてぷくぷくと泡が出る始末です。日本の蜂蜜は、種類も多くいいものが沢山あります。そして、お値段もあっと思う程高いと思います。

 ふた月程前、ヨーロッパに出張だった主人がポルトガルから買って来たものは、蜂蜜でした。可愛い2個入りセット、慌ただしい出張でしたので、空港で求めたものに違いありません。買い溜めてある蜂蜜を使い切ったので、やっと封を切ることが出来ました。

 ローズマリーの蜂蜜です。小ぶりな瓶の方は、ローズマリーと何かの蜂蜜。ポルトガル語でよく解りません。  このミックスの方を先に開けてみました。蜂蜜よりもっと比重の高そうなどろっとした、液体より固体に近い重みのあるこれを一口舐めると、ヘーゼルナッツの香りがします。慌てて、ポルトガル語のavelaを調べました。やはりヘーゼルナッツです。しかも、ヘーゼルナッツのペーストにローズマリーの蜂蜜を加えたものだと分かりました。要するに、パンに塗るスプレッドです。ヘーゼルナッツだけのスプレッドはよく見かけますが、蜂蜜と合わせたものは初めてです。

 そこで、ローズマリーのだけの蜂蜜を開けました。 やや澄んだくせの無いマイルドな味です。喉にチクチクとしません。こんなくせの無い蜂蜜だから、ヘーゼルナッツと合わせることが出来るのでしょう。

 このSerramelという蜂蜜屋さん、沢山の種類の蜂蜜とジャムを作っています。このローズマリーの蜂蜜は、ポルトガルの中央山間の自生のローズマリーから自然採取したものだそうです。

 10年程前、ポルトガルに行きました。オリーブの木は、もちろん至る所に見られます。初めて見たのは、コルクの木でした。しかも植樹されたコルクの木でした。そして、家の庭先に背の高い木が見られます。なんだかローズマリーに似ています。ちょいと葉っぱをひねってみると、やはりローズマリーです。ギリシャ地中海一帯を、原産とするローズマリー、こんなに背が高くなるものかと見上げた覚えがあります。

 この蜂蜜を舐めながら、またしても私は、ポルトガルの山間にあるローズマリーのブッシュを思い浮かべます。その小さな花に群がる蜂たち、自然の恵みです。ミツバチの世界的減少が叫ばれて、随分経ちます。ミツバチがいなくなる、植物の生態系が変わるはずです。もちろん、この自然の恵みの蜂蜜も食べられなくなります。私一人では、どうすることも出来ないと思いつつ、ひと匙ひと匙、蜂蜜を舐めてます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする