チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

時計台

2014年10月13日 | 身の回りのもの

晴れ、23度、44%

  私の亡くなった母の実家は高知の土佐市にあります。小学の2年頃までは、夏になると本家と呼ぶ祖父母がいるこの家で過ごしました。真っ黒な竃がある土間の柱には、振り子のついた柱時計がかっていました。時計も竃の煤でやや黒ずんでいます。それでも、きちんと夜も昼も時を告げてくれました。この時計はねじを巻きます。私より随分歳の離れた従兄弟たちの仕事でした。いつもねじを巻く様子を羨ましく眺めていたものです。

 主人の実家にも玄関を開けると、柱時計がかかっています。嫁いで来た時から、ずっと同じ場所でボーンボーンと時間を知らせてくれます。電池式だと思います。静かな夜は、この振り子の動く音が微かに聞こえます。

 今のようにデジタルでなかった頃、一昔前までは、時計は高価なものでした。そして、家にはその家の時を告げる大きな時計がありました。私の母は時間にルーズな人で、腕時計も持ちません。そんな我家に、時計台がやって来たのは私が小学の高学年の頃です。椅子などと同じ民芸家具で水目桜で出来ています。もしかしたら、この時計は、母が選んだのではなく、父が選んだのかもしれません。この時計が来た当初から、キンキラの文字盤が好きではありませんでした。それでも、遅れもせず、居間に置いてあった時計は重宝でした。私が18で家を出てから、母はこの家に一人で34年程住んだと思います。施設に入る前から、この時計は止まったままでした。何分にも、時間に無頓着な人でした。実家の荷物の整理をする私も、止まった時計のことなど気にもかけずに、片付けていました。ほぼ完成に近い家に1年5ヶ月ぶりに戻った家具たち、ややカビを付けて戻って来ました。カビを拭き取り、一段落ついた時、まず私は、時計の電池を入れ替えました。ひと呼吸の後、ゆっくりと秒針が動き始めました。チク、チク。なんとも嬉しい瞬間でした。ああ、この家にまた、命が吹き込まれたような、家として動き出したと、感じた瞬間でした。

 家にはその家、その家の時間の流れがあって、その流れを共に歩む時計があります。小さくても大きくても一緒に時を刻んでくれています。私たち夫婦は、いつこの家で生活を始めることが出来るのか、全く未定です。まだ、ガラんとした誰もいない家で、この時計は、私たちが戻ってく時間を刻んでくれています。何もない部屋です、時計の音だけが大きく響いていることでしょう。

コメント
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