チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

考えてみれば、2度目の犬を連れての引越しです。

2017年01月14日 | 日々のこと

雨、14度、91%

 我が家のモモさん13歳にして、初めて飛行機に乗って日本に行きます。モモさんはパグ、短頭種ですので、エアーラインによっては乗せてもらえません。命の危険があるからです。しかも海外ですからモモさんは輸入という形で入ります。そのため検疫所とのたくさんの書類の交換が必要です。香港を出るのにも書類を作ります。そんなこんなで頭がいっぱい、私は犬を連れての引越しが2度目だということをすっかり忘れていました。

 主人がバーレンに単身赴任したのは、30数年前です。当時は東京に住んでいました。私たちが主人と合流するまでの間、福岡の実家に帰ることにしました。息子が小学の2年になる前の話です。息子が幼稚園の時に保健所に追われている犬を我が家に迎えました。「テツ」です。保健所に追われる前から、夕方には我が家にやって来てご飯を食べていました。推定年齢6歳でした。雑種の中型犬、多摩川を泳いで川崎まで行って戻ってくるぐらいの犬です。多摩川の土手を散歩するときは曳き綱を放します。それでも必ず戻って来て、私たちの近くにいました。何度かの伊豆のキャンプにもいつも一緒でした。

 主人がバーレンに飛び立った後、引越しの荷物を出し、息子と「テツ」を連れて羽田に向かいました。昔の羽田の空港です。車を降りて、ロビーに入ると「テツ」が後ろ足を踏ん張って動きません。リノリュームの床です。曳き綱をうんと引っ張ると、首輪からすっぽり抜けてしまいました。「テツ」は一目散に逃げます。羽田空港のロービーを私は「テツ」の後を追って走ります。まあどうにか捕まえて、「テツ」と私たちは同じ飛行機で福岡に戻りました。国内ですから、書類なんて必要ありません。エアーラインに誓約書など出さずに乗ったと記憶しています。まだ元気な「テツ」です。気圧の差など気にもせず、私は今回と違い呑気でした。福岡で受け取った時の「テツ」の心細い目を思い出します。

 まさかこんなに香港に長居するつもりではありませんでした。この「テツ」ともう一匹拾った「ケン」とを母に預けて香港に来ました。いつかは「テツ」「ケン」とまた一緒に暮らすつもりでした。「テツ」は私とモモが帰る家の庭に今も寝ています。「テツ」が亡くなったのは息子が高校の頃でした。亡くなった後、母が言いました。「いつかテツの骨を庭から出して、多摩川に撒いてやって欲しいわ。テツの故郷は、多摩川だからね。」「テツ」が埋まっている場所を聞いてはいたのですが、忘れています。我が家の庭には「テツ」ばかりか代々の犬が埋まっています。母の言葉をまだ果たせぬまま、思います。いつか、私はモモの骨を香港に持ち帰る時が来るだろうと。香港はモモさんの故郷です。

 一日家から出るのはモモさんの朝晩の散歩だけ、荷物を作り続けます。結婚して何度目の引越しかなと指を折りました。ちょうど10回目です。我が家のことです、これで最後ではないかもしれません。

 

コメント (1)
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