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北嶋誠のブログ

私の考えていること、言いたいことなどなど。

2013日本のうたごえ祭典in大阪

2013年11月17日 00時10分27秒 | Weblog

 日本のうたごえ祭典出演は10度目くらいであろうか。遠方で開催される祭典には、
今後は参加する機会もそうないだろうと思っていたのだが、震災復興は遅々として進ま
ず、原発事故終息も目途がたたず、食と農も平和も人権も危うい政治情勢では、歌える
うちは機会を活かさなければという思いも一方であった。
 そこで、県のうたごえ協議会の推薦で参加が可能なオリジナルコンサートへの出演を
検討していたところ、9月に開かれた茨城のうたごえ合唱発表会で、合唱発表小編成の
部への推薦を受けた。
 しかし、祭典3日目の11月4日のオリジナルコンサートについては検討してはいた
ものの、予定外の小編成への参加については無理だと判断した。
 ところが、同日同会場での開催であるのでと照会され、二つの音楽会への参加を勧め
られ、それで二つとも出ることになった。
 11月4日、吹田市文化会館の中ホール(オリコン)と小ホール(小編成)の出演時
間を調整していただいて、何とかなるだろうと考えた。
 当日の演奏メンバーは、北嶋誠、久保田秀幸、大泉和美、加藤浩一の4名。大阪市内
のホテルを出て、電車を乗り継ぎながら会場に到着すれば、すでに開場時間は過ぎて、
両ホールでの出演受付やらベースアンプの手配などをしている間にオリコンのリハーサ
ルが迫っていた。
 リハーサルが終われば間もなく本番のステージである。
 オリコンの演奏曲は、「望郷」(作詞 比佐和美 作曲 佐藤せいごう)。
 オリコンが終わると、昼食を取る間もなく会場側広場で小編成の部のレッスンを20
分ほど行なった。
 これまたリハと本番をすみやかにこなし、日程は終了した。
 小編成の演奏曲は、「いつの日か(作詞 笠木透 作曲 北嶋誠)「よみがえれ浜通
り(作詞作曲 北嶋誠)」の2曲を特別バージョンで演奏した。 即刻会場を後にして
、またまた電車を乗り継ぎ、新大阪駅で弁当を買って、新幹線の中でやっとお昼にあり
つけたのは、かれこれ4時過ぎになっていた。
 気がつけば他チームの演奏をほとんど聴くこともなく、新幹線の人となっていた。
 この度もまた反省点は多々あるが、多様な経験が私たちの次の演奏活動への糧ともな
っている。

第28回あすなろ園希望祭

2013年11月17日 00時05分14秒 | Weblog

 あすなろ園は、結城市内にある知的障害者の共同作業所である。希望祭は、毎年恒例
の園の祭典である。
 これまた今年は天候に恵まれた。毎年11月3日が好冷となっているが、秋晴れなら
絶好の野外イベント日和となるのだが、雨や風に見舞われると一気に冷え込んでしまう
時期でもある。
 かれこれ四半世紀前から、野菜や果物の直売に始まり、やがてはヒューマン・ファー
マーズとして演奏で参加するようになった。
 失明以前から、園の施設内に許可なく上がりこんではコンサートに向けての練習をし
たり、利用者と交流?したり、指導員からはコーヒーのサービスを受けたりしていた。
 現在では、一人前の社会人?として、一応の許可を得て、作業場をレッスン用に使わ
せていただいている。
 この園には、ヒューマン・ファーマーズの熱烈なファンが多い。レッスン中に、CDを
手にしてサインを求めにくることもある。そばに座って、最初から最後まで黙って聴き
続けていることもある。
 希望祭では、園のテーマソングにもなっている歌で、メンバーの佐藤せいごうが創作
した「この手をとりあって」を演奏し、利用者とともに合唱することが恒例にな
っていて、楽しみにしていただいている。
 過去しばらくは、イベントの最後を飾って、いわばトリを飾っていたのだが、ほとん
どお客は帰ってしまい、演奏を聴いていただけなかったというのが現実である。
 その辺のところをご察しいただいたのか、昨年からは、まだお客さんの多いお昼時
のステージになっている。
 そのせいか、CDの売れ行きも良くなり、その後に感動したなどとの感想も寄せられる
ようにもなっている。
 この日は、翌日の日本のうたごえ祭典in大阪への出演のために、演奏終了後即座に大
阪に向けて出発した。
 演奏者は、北嶋誠、久保田秀幸、大泉和美、加藤浩一の大阪出演組みの他、渡辺三智
夫、佐近加奈子、久保幸子であった。

なくせ原発11・2福島大集会

2013年11月17日 00時01分24秒 | Weblog

 11月2日(土)、天候に恵まれた福島市荒川運動公園に、原発をなくして安心して
住み続けられる福島を、の一転で7000人以上が集った。
 まさに党派や立場の違いをこえて、この切実なテーマの下にオール福島の様相を呈し
ていた。
 ヒューマン・ファーマーズとしては、一昨年の10・30大集会に続いて実行委員会
からの演奏依頼があった。今回の担当は、11時からの1時間30分間のテント交流
コーナーでの演奏と、パレードの送り出し演奏であった。
 ところが、実行委員会も極めて多忙とみえて、それぞれのステージの進行は、すっか
り私たちへの丸投げの状態であった。ところが、こちらは参加者が二人(北嶋誠、佐藤
せいごう)ということではちょっと辛いものがあった。
 そこで、いわき雑魚塾に演奏の応援をお願いしたところ、久保木さんと太田さんに協
力していただいた。ヒューマン・ファーマーズ、雑魚塾、雑花塾のレパートリーを約1
0曲ほど演奏。途中、集会に参加していた二本松の阿部純が飛び入りで2曲ほど演奏し
た。
 パレードの送り出しについても二人だけではと、福島のうたごえ協議会に、当日の手
配をあらかじめ打診していた。
 おりしも2日から4日にかけて、日本のうたごえ祭典in大阪が開催中であり、これに
は参加せず地元に残っている会員に協力をお願いすることになった。
 結果として、いわき市のうたごえサークルより、肩寄由美子さん他4人の女性に応援
していただき、雑魚塾の2人と阿部純も加わり、何とか送り出し演奏の格好がついた。
 尚この二日後、このメインステージで演奏した「ふるさとを汚したのは誰」と「よみ
がえれ浜通り」を聞いて心に残ったという福島の方から、CDの注文があった。
 私たちのまだまだこの程度の演奏も、集会の邪魔者とはならず、多少は役に立ったの
なら幸いである。


いわき街中コンサート

2013年11月16日 23時57分49秒 | Weblog

 10月20日、まさにいわき市をあげての復興のイベントであるいわき街中コンサー
トに出演してきた。
 昨年に続いて二度目の出演である。そして何と今年のポスターには、ヒューマン・ファ
ーマーズの昨年の演奏中の写真が掲載されているとのことであった。
 昨年に比較して、状況は良くなったわけでもないのだろうが、いわき市の人々はわり
と元気のようにも思えた。
 だが、その市民の願いに対して、さらに試練を与えるかのような雨天模様となってし
まった。
 特にヒューマン・ファーマーズがイトーヨーカドー平店前の特設ステージに登場し
た頃は、大雨となり風まで吹き始めた。
 当日の出演メンバーは、北嶋誠、佐藤せいごう、久保田秀幸、吉川路子、大泉和美の
五名であったが、誰かこの中に雨男か雨女がいたのに違いない。
 そんな悪い環境の中での演奏は、慣れっこになっているというわけではないのだが、
わがメンバーは張り切って演奏してくれた。
 披露した歌は、雑魚塾や浜通り地方の友人たちとの交流の中で生まれた「ふるさとを
汚したのは誰」「よみがえれ浜通り」「までいな村」「サンマのいた町」などをはじめ
として、何れも大震災や原発事故をテーマにしたものである。
 また、先に演奏を終えていたいわき雑魚塾の皆さんは、私たちのステージの前で、雨
に濡れながらの拍手喝采というサクラを演じていただき、本当に有難かった。来年こそ
は、良好な天候の中、フルメンバーで演奏したいものである。

ナタネ播種

2013年11月16日 23時54分01秒 | Weblog

 10月18日に、菜の花まつりの会場となっている雑木林の西側の畑に、かるちあ農
園(ふぁーむ)のおばさんたちがナタネの種播きをした。
 本当はこれに先立って、播種適期の9月下旬から10月上旬までの間に、かるちあ農
園とヒューマン・ファーマーズのメンバーらで実施する予定であったが、天候やら何やら
でこの日の作業となったものである。
 この2年間はナタネは播いたものの、放射能の影響などもあって菜の花まつりは開催
されなかった。また今年は県西食健連としても、ナタネの播種はしないことになった。
 地主の私としては、この雑木林を行政との間で里山保存事業の提携をしたこともあり
、また福島県などとは程度の違いこそあれ、放射能汚染された我が里山を、ただ放置し
たのみにするわけにもいかない。
 現実の汚染状況をしっかりと把握した上で、里山としての開放も含めて何らかの活用
方法を模索したい。
 利用が困難な場合でも、我が里山の蘇るまで見守り続けたいと思っている。
 里山の復興を願うに相応しく、チェルノブイリ原発事故に関連して、土壌改良剤など
とも称されている菜の花がここでは咲き続けてきた。今後も復興の花として、ナタネを
播き続けたい。

久しぶりのわらび座

2013年11月16日 23時44分30秒 | Weblog

 10月13日、結城市民文化センターで久しぶりのわらび座公演を鑑賞した。
前回に民族歌舞団わらび座が結城市公演を行なったのは、私が失明した年のことである
から、15年前になる。
 その時は「菜の花の沖」という舞台を取り組むために実行委員会を旗揚げしようとい
うや先だったが、突然の病には逆らえず、生死の境をさまよった末に、何とか命拾い
して約二ヵ月後に退院することができた。
 それでも退院後は実行委員会にも復帰し、ささやかなりともお手伝いをして公演本番
を迎えることができた。
 そういえば、この頃はヒューマン・ファーマーズが「菜の花が咲いたよ(作詞 北嶋誠
 作曲 佐藤せいごう)」を創作し、劇団青年劇場が「菜の花ラプソディー」を公演し
ていて、菜の花ヅクシであったことも思い出す。
 とにかくわらび座は、1970年代に20代の頃から毎年のように観劇していたし、
地元では何度も実行委員会を組んで公演を迎え入れたものである。
 また、四半世紀も前になるだろうか、結成して間もない農民運動全国連合会の全国研
究交流集会が、秋田県とざわ湖町のわらび座を会場に開催され、数人の茨城や栃木の農
民連会員とともに車で参加したことを思い出す。
 今回の結城市公演は、結城市民文化センターとわらび座の共催で、ミュージカル「おもひでぽろぽろ」
であった。わらび座の基本である民族歌舞でこそなかったが、久々に楽
しんで鑑賞させて頂いた。

TPPは年内妥結?

2013年10月31日 23時02分38秒 | Weblog

 この秋も、全国食健連によるグリーンウェーブ(食糧と健康を守る全国統一行動)が
行われている。とくにTPP交渉からの撤退を求める運動が主体である。
 昨年安倍内閣が発足した時には、それこそゾンビ内閣などとも称されたが、ここにき
て消費税増税をはじめ、国民の暮らしや平和を脅かす政策を矢継ぎ早に打ち出し、まさ
に暴走内閣の面目躍如である。
 もちろん感心している場合ではないのだが、国民との矛盾を深めざるを得ない多くの
課題をごり押しして乗り切れるだけの目算はあるのだろうか。
 TPP一つをとっても、年内妥結を標榜していたオバマ米国大統領が、首脳会議への
参加を取りやめた。
 内政とTPPの双方での行き詰まりが原因ともいわれている。
 そんな中でも、安倍内閣は自ら議長役を買って出て、選挙公約は投げ捨て国民には何
も知らせないままに年内妥結をはかるという。
 しかし、参加国それぞれの食糧主権や経済主権を損なう国際条約が、そう簡単に妥結
することはありえない。
 むしろ、内部情報が漏れ出すにつれて、マレーシア、ベトナムなどのアジア諸国や各
国NGO、そして米国内企業までもが反発を強めている。
 WTO協定のように暗礁に乗り上げることにもなるだろう。
 ここは、もっと日本国民自身がTPP交渉からの撤退を求める運動を大きく広げてい
くときだと思う。
 例え取るに足りないものと言われたところで、主権者である私自身やヒューマン・フ
ァーマーズとしても、とにかくやれることをやるしかないと思う。

結城うたごえ喫茶は持続可能

2013年06月25日 20時40分56秒 | Weblog

 一昨年よりはじめて約2年、結城うたごえ喫茶も12回目である。
 2ヶ月に一度のペース配分で進めているが、諸般の事情を察すれば、これ以上は無理なので、まあこんなところでしょう。
 昨年の8月から会場にさせていただいている星菓子(こんぺいとう)さんは、客席が30席くらいであろうか。今回(8日)の第12回のうたごえ喫茶は24名の参加であったので、ほぼ満員状態というところである。
 歌集は必要な分だけ用意し、伴奏は私がするので、もうこれ以上経費はかかりません。あとはのんびりやるだけである。
 進行や選曲はかるちあ農園のおばさんたちにほとんどおまかせである。前半はスタッフが用意した歌コーナーで、後半はリクエストコーナーである。
 休憩の時間に、私は毎回2曲程度演奏させていただいている。
 規模も内容も地域の実情に合わせてすすめていくことで、持続可能なうたごえ喫茶になってきていると思う。

 6月10日記

時にはレッスンもやります

2013年06月25日 20時35分23秒 | Weblog

 今日は久々にヒューマン・ファーマーズのレッスン日であった。場所は毎度同じく結城市内の施設あすなろ園の作業場である。
 練習をほとんどしないバンドだが、昨年からは年に4回くらいは実施するペース配分にはなってきている。
 それでも不十分であることには変わりはないが。
 今回は、久保田秀幸、大泉和美、加藤浩一の千葉組のほか、佐藤せいごうと私の男5人の出席である。
 いつものように、ヒューマン・ファーマーズの親衛隊である園の利用者たちが、見守ったりじゃまをしてくれる中で、今後の演奏活動に備えてのレッスンをした。
 コンサート活動に追われていると、チームワークも心配だが、何よりも自分たちが納得のいく演奏ができないことや観衆にうまく伝わらないことがあっては、これが最も意欲を無くす原因ともなってくる。
 これまで、食と農をベースにして、環境、平和、そして原発などをテーマにして、創作と演奏活動を続けてきた。
 活動日誌をふりかえると、けっこうハードスケジュールをこなしてきてはいるが、いつも失敗と反省を繰り返しながら、一定の充実感も得るというステージをこなし続けている。
 余裕があるように見えてもスケジュールについても技術や活動意欲についても、結構綱渡りのところもあるが、ただひたすら前向きにいくしかない。
 それでも、これまでに培った仲間のネットワークは今後もますます活かされるだろうし、そういう仲間の顔を浮かべながら、レッスンや演奏活動の励みにもしている。
 
 6月3日 記

クラス会にも亡国農政の影

2013年06月25日 20時24分54秒 | Weblog

 かれこれ30年ぶりにもなるだろうか。結城一高農業科のクラス会が開かれた。還暦を迎えて、役所勤めはもとより民間会社も定年になったため、この機会に開こうということなのかと思いきや、何とクラスメイトの一人が60歳の誕生日を前にして、突然亡くなったことがきっかけだという。
 これは、弔問の席で再開した級友同士で、誰からともなくこのままでは次のクラス会を早急に開かなければ、また一人二人と欠員?ができるのではとの声が上がった。
 というのは、このお葬式に参列できなかった私のかってな想像である。
 何れにしても、クラス会は市内の某割烹寿司店で行われることになった。その会場に乗用車で送っていってくれた娘が曰く「店に入っていく、あのおじいさんたち。ひょっとして、お父さんの同級生?。それに比べてお父さんは若いね。」と。
 うれしいような悲しいような、でも確実に時は流れているのだ。
 それを立証するかのように、オープニングの自己紹介では、このじいさん声はいったい誰なのかととまどうことばかり。今年82歳になるという担任の先生は、ほとんど声は変わっていないというのに。教え子の方が老け込みが早すぎるのか。
 まさに人生様々、44名の級友のうち独身者も5名ほどおり、亡くなった人は2名である。
 厳然たる事実として受け止めなければならないことは、44名中43名までが農家の長男であり、農業後継者としてこの高校に学び就農するはずであったのだが、すでに過半数が離農していた。
 もちろん農地を所有しているので、退職を契機に農業を開始する人も若干名はいるのだが。
 ここにも、戦後一貫して推進されてきた亡国買国政治の影響がある。
 1954年のMSA農業協定以後、米国産余剰小麦が大量に輸入されるようになり、日本の食生活と農業は大きく変えられていくのである。
 さらに、1960年の日米安保条約で、農産物輸入大国への道を突き進むのである。
 私たちが入学したころは、すでに選択的拡大と規模拡大という型に嵌められていたが、今や何を作っても経営は成り立たず、ゴールなき拡大と言われたことが死語になるどころか際限なく続いている。
 そして最後の総仕上げがTPPである。
 このままの流れを放置すれば、食糧自給率向上も、食の安全も、地産地消も、何もかもが吹っ飛んでしまうことになるだろう。
 何れにしてもそれぞれの半生を過ごし、数十年の時を超えて集ったのだが、そんな空白の時間を微塵も感じることがなかったのはなぜだろうか。数年後にまたやろうと誓い合って散会した。

 6月2日 記