北嶋誠のブログ

私の考えていること、言いたいことなどなど。

お寺の歴史は

2010年04月08日 22時49分03秒 | Weblog
 唐突な話だが、現在墓地をお探しの方はおおいのだろうか。

 実は何を隠そう、私があるお寺の役員を務めている手前、しかも墓地の管理責
任者ということもあって、墓地のご用命があれば分譲を進めてゆくことにしている。

 これまでわが霊園には、区画されないで更地状態の場所があった。これを整地
区画して、墓地分譲地としたのだが、まだ詳細を決めていないということもあって、本格的な宣伝は始めていない。

 ただ現在墓地をご用命の方に限っては、私に直接話していただければ、相談に
は応じましょう。

 ところで、今後将来にわたって宣伝をし、墓地分譲事業を進めていくにあたっ
ては、私自身がもっとわがお寺の歴史や宗派のことに詳しい離開をしていないと、説明に事欠くこともあるだろう。

 そう考えて、住職に話を聞いたり、お寺の資料やらインターネットやらで、そ
の辺のところを勉強しているところである。

 もちろん、そういうことはまったく関心がない方も多かろうと思うので、どう
ぞこの後を読むことはやめて、ほかを検索していただきたい。

 とりあえず言いかかった手前、簡潔に記述しておくことにする。

 まずわが宗派は真義真言宗である。総本山は和歌山県にある根来寺で、始祖は
興教大師こと覚鑁(かくばん)上人である。

 弘法大師こと空海の開いた真言宗の中にあって、平安時代に覚鑁が新たな教義
を開いた。その後高野山をでて根来寺を開く。

 根来寺と言えば、戦国時代には根来衆という僧兵がいて、これを危険視した豊
臣秀吉に攻撃され、一時は壊滅状態になった。

 思えばこの時代は、織田信長が延暦寺を焼き打ちし、石山本願寺を攻撃し、加
賀や伊勢長島の一向一揆を滅ぼしている。また、徳川家康がキリシタンを弾圧するなど、大名にとって宗教は、反権力的で都合の悪い存在であったのかも知れない。
 
 歴史に翻弄されはしたが、真義真言宗と総本山の根来寺は現在も健在である。
関西方面に旅に出ることでもあれば是非立ち寄ってみてください。

 因みに、結城市に存在するわがお寺も極めて歴史が古く、本堂には、弘法大師
と興教大師の両始祖が奉られている。

今年の春本番

2010年04月08日 22時45分52秒 | Weblog
 久しぶりの更新である。私としては、しばらく書いていないからといって、特
別にどうこうというものではないが、自らを叱咤激励する意味で、今後も継続して行こうとは思っている。

 そうこうしている間にも、寒暖を繰り返しながら季節は春。」暑さ寒さも彼岸
まで」のお彼岸を過ぎれば、いよいよ春本番である。

 春と言えば、多くの農作物の播種期であり農繁期である。
 
だが、米や野菜の価格は低迷、乳価は昨年30年ぶりにやや上昇したものの、資
料価格が高止まりしたままで、いずれも所得は伸びず、困難な経営を余儀なくされている。

 認めたくないことではあるが、今や農民階層の間でも、倒産、離農、うつ病、
自殺などが頻発している。

 こんな状態でも、農民はどこまでも人が良いのであろうか。豊作だからとか、
農民が作りすぎているからなどと、自己責任の様に思っている人がまだまだいる。

 食糧自給率が40%というもとでも、食べ物が残されたり捨てられたりしてい
る現実を見れば、夥しい量の輸入農産物が国内農産物を圧迫していることは明瞭である。

 それでも、昨年の総選挙では政権交代が実現して、自民党農政をストップさせ
たという事実もある。

 民主党農政も、基本的には農産物自由化論である。私たちとしては、食糧主権
確立の立場で、農産物の輸入規制と価格保障・所得保障により、国内農業を再生する農政を求めて行く。

 そんな中でこの23日、農協の政治組織である全国農業者農政運動組織連盟(全
国農政連)が、今度の参議院選挙では、これまで40年来一貫して行ってきた自民党候補者推薦を取りやめて、自主投票とすることを決めた。

 各県連の対応については、自主判断にゆだねてはいるが、各地で既に全国に習
って、自主投票を決定しつつある。

 思えばかれこれ19年前、私が茨城県農協青年連盟(農青連)の委員長を努めて
いた当時、自民党政権は金権腐敗政治、大型間接税導入、農政問題の三点セットで国民の大きな反発を浴び、国政選挙では苦戦が続いていた。

 それでも当時の茨城農政連は、事実上の自民党農協部会の様であり、この時行
われていた参議院茨城選挙区補欠選挙(自共対決))でも、自民党候補者を推薦していた。

 一方、私たちの農青連は、国政選挙については自主投票の組織決定をしていた


 そういう立場と私自身の新年に基づいて行動を起こし、日本共産党候補者の宣
伝カーにのって、自民党農政ストップを訴えた。

 そして、その年の農青連の総会では、この問題はそう遠くない将来に解明され
て行くだろうと述べた。

 農協組織内での反乱ということで、マスコミにも大きく取り上げられるなど、
何かと物議を呼んだが、やはりあの時、信念を曲げずに言明し行動しておいて良かったとつくづく思う。

 あれから19年、あれほど自民党の応援に執着していた全国農政連が、とうとう
それをやめた。かれこれ30年以上、農協運動や農民運動に関わってきた私にとってはまさに覚醒の感がある。

 最近、全国農協中央会の会長が、民主党の主張する日米fta(二国間自由貿
易協定)については、命がけで反対する旨の発言をしたとのことだが、これまで農産物の輸入自由化を一貫して推進してきたのは自民党政治ではなかったか。

 ガットウルグアイラウンド農業交渉で自由化を拡大し、牛肉オレンジの自由化
の強行、米が余っているからと減反を強制しながら、たった1年の凶作を口実にして米の緊急輸入を強行、そして例外なき関税化(自由化)のwto協定の受け入れと、財界や輸出国そしてアグリビジネスの要求に応えて市場開放されてきた事実をどう考えているのだろうか。

 こういう農業破壊の政治に対して、農協陣営が総力をあげて反対してきたなら
ば、展開はもっと違ったものになっていただろう。

 そうであったなら、日本農業にも今頃は春本番が訪れていたのかも知れない。