北嶋誠のブログ

私の考えていること、言いたいことなどなど。

許すな戦争をする国づくり

2014年11月22日 00時26分15秒 | Weblog

 11月8日の土曜日、水戸市の三の丸公園で、許すな戦争をする国づくり11・8県民秋の
大集会が開かれた。
 10月19日のいわき街中コンサートに出演して以後のこの間、演奏活動その他で特に
ハードな日々が続いてきた。
 そのために、これは自業自得ともいうべきか、ブログを書くことどころか、何も手に
つかず、仕事・社会活動・少ない睡眠時間の毎日を繰り返すのみとなっていた。
 もちろん、望んでしていることなので、これまで何のことはないとおもっていたが、
近頃は年のせいか、やや疲れが残るのかもしれない。
 主なものとしては、22日の音声パソコン交流会、25日のはばたき友の会については既
に書いたが、この辺は組織づくりの渦中とはいえ、まだ楽しみが上回っているように思
う。
 26日には、映画「渡されたバトン」結城実行委員会主催の「霞ケ浦の水問題と放射能
汚染学習会」を開き、放射能汚染はもとより、それ以前の環境破壊や、霞ヶ浦導水事業
などの大型公共事業の無駄遣いについて学んだ。
 29日、結城市文化協会理事会の、映画「天心」実行委員会が行なわれた。
11月2日には、夢の島公園での赤旗まつりに参加し、恒例の「虫干しコンサート」を、
農民連ふるさと産直通りの一角で、三部に渡って3時間半の演奏を行なった。
 何かと好条件に恵まれて、8万人の参加者の下、ファンが集いCDも普及できた。
 3日は、これまた恒例の地元結城市あすなろ園希望祭に出演した。昨年からは、観客
が少ない最終演奏から、それ以前の演奏へと出演時間が配慮されて、鑑賞できた人たち
の評判は良かった。
 また今回から、茨城県視覚障害者協会結城支部有志による「マッサージと音楽のボラ
ンティア」としても参加した。
 5日は、九条の会・ゆうきの事務局会議があった。
 これらの活動の多くが、皮肉にも安倍内閣の暴走政治によって、やりがい?のある活
発な活動を助長する結果となっている。
 8日の集会は、戦争する国づくりをはじめとして、国民のいのちと暮らしを脅かす安
倍内閣打倒を、共同のテーマとして取り組まれた。
 ヒューマン・ファーマーズは、プレ企画としての集会前一時間の演奏を担当し、食と農
、原発、九条などをテーマに、8曲演奏した。
 情勢に対応したレパートリーの創作を、何とか最低限のペースでは行ないたいところ
だ。だが、メインの百姓フォークですら、まだまだ不足している。
 また、情勢はどんどん変化する。私自身も含めて、もっと旺盛に創作が進むようでな
いといけないのだが。
 メンバーの参加率が低いのは、それぞれの生活が当然あり、止むを得ないことである
。ただ、いつ参加しても一体感のある演奏が出きるようにはしたいものである。
 ピート・シーガーやウッディー・ガスリーらが組んでいたオールマナック・シンガー
ズのように。
 とにかく、戦争をする国づくりを止めさせ、「戦争だけはしてはならない」という戦
争体験者の声と、憲法第九条を後世に伝えていく、そういった創作と演奏をしたいもの
である。

楽しんだ友の会

2014年11月22日 00時21分19秒 | Weblog

先日、茨城県最大?といわれている水戸翔合同法律事務所、その友の会が発足した。
 所長の谷萩陽一弁護士との最初の出会いは、かれこれ23年ほど前にもなるであろうか
。私が茨城県農協青年連盟委員長をしていた頃、当時も吹き荒れていた自民党農政批判
を自ら行動で示すため、参議院茨城選挙区補欠選挙で、日本共産党候補者の演説会に登
壇した時のことである。
 その場にいたのは、谷萩さんの他、不破哲三委員長(当時)、今でも文化運動や平和
運動などで活躍中の候補者の奈良達雄さん。また、金丸自民党副総裁襲撃事件の直後だ
ったために、数名の鋭い眼光のSPが、間近にまできて物々しい警備をしていたことを記
憶している。
 この時の、面白いエピソードが多々あるのだが、後に譲るとする。
 その他、九条の会が立ち上がる以前から開いていた「憲法九条と平和を守るトーク&
コンサート」で講演をお願いしたり、私が会長をしていた頃に茨城県西農民センターの
顧問弁護士お願いしたり、その後も憲法ネットワークや市民オンブズマンなど、何かと
お世話になってきた。
 前置きが長すぎたが、要はこの事務所の広範な関係者で作る「はばたき友の会」の交
流会が開かれたのである。
 人権問題や社会問題など、日常はお堅いお付き合いの関係者が、裃を脱いで交流し、
より人間関係を深める集いとのふれこみだったので、大いに楽しみにしていた。
 10月25日、会場は茨城町にある「ポケットファームどきどき」。
 このところ講演会やら集会、演奏活動などが引っ切り無しだっただけに、「バーベキ
ュー交流会」ならば、今日は堅い話は無しで、のんびり食べて飲んでと思っていた。
 ところが、数日前に事務局から連絡が入り、「せっかく遠くから来てくれるのだから
、ギターを持参して一、二曲やってくれないだろうか。」とお願いされてしまった。
 会場に着くと、貸し切りバスと乗用車に乗り合わせて、参加者は60名ほどになったで
あろうか。
 それぞれのテーブルは、たちまちいっぱいになり、私のそばで立ち話をしていた常陸
野農民センターの会長副会長は、同じテーブルに付くことができなかった。
 そして、私の正面に座っていた人物は、何とこの会の代表、I大学のT名誉教授であっ
たのだ。
 早速乾杯という時、進行役の一人の男性が、既にビールをやり始めていた。すると、
司会の女性が「ルールを守ってくださいね。」と男性をソフトに叱りつけたのである。
 そこで私が、間髪をおかずに、「法律は守っても、ルールは守らない人たちなんです
ね。」とギャグをとばすと、さすがはインテリの名誉教授、「法律は国が決めるもの、
ルールは地域が云々」と、講義調で語り始めた。
 自己紹介に入ると、ある男性が「私は○○会の事務局次長を務め、××会でも事務局
次長を務めているので多忙なのです。と発言した。
 そこで私がすかさず、「これはちょっとジチョーしなければいけませんね。」と駄洒落
をとばすと、さすがに知識人のT名誉教授は、「うまい!」と俊敏に対応した。駄
洒落のわかるT名誉教授である。
 宴もたけなわとなって、演奏を求められて、リクエストに応えて「米を作って飯が食
えねえ」と「よみがえれ浜通り」の二曲を披露した。
 クライマックス?のビンゴゲームでは、何と珍しく私がビンゴ完成の一番乗りで、賞
品として本場宮崎県の高級焼酎を手中にした。
 最後に、谷萩さんを囲んで記念撮影。髪の毛の薄さを自覚する私は、谷萩さんの隣り
に自分が座ったものと思い込み、「ヤハギさんの隣はヤハゲさん。」と、ここでも駄洒
落を一発。
 ところが、谷萩さんと私の間には、何と実際にはT名誉教授が座っていたのである。
 そこはさすがに人格者のT名誉教授、「ヤハギさんの隣りはヤハゲさんではなく、ヤ
ヤハゲさん。と、軽快に自虐的ジョークをとばした。
 そして、帰りの貸し切りバスの中でも、さすがは人権活動家のT名誉教授である。「
酔い覚ましにどうぞ。」と、みかんを一個一個、皆にサービスしてくれた。
 社会正義と人権の守り手である水戸翔合同法律事務所と、楽しい「はばたき友の会」
の更なる発展を祈っている。

ケーブルTV来たる

2014年11月22日 00時17分18秒 | Weblog

 10月22日、恒例の茨城視覚障害者協会結城支部のパソコン交流会が、市役所駅前分
庁舎研修室にて行なわれた。
 交流会を始めてから、慌ただしく時は過ぎて、もう半年になる。最初は、結城市内で
針灸師を開いている植田さんと二人だったが、市の広報誌で紹介していただいたり、個
別に勧誘するなどの効果もあってか、今回初参加の人も含めて五人に増えた。
 一方、指導援助するスタッフは、メカに強い元パソボラいばらきの高田さんと、植田
さんの知り合いでパソコンに詳しい塚田さんの二人である。
 参加者が増えるとともに、それなりに課題も増えてきた。そろそろPCトーカーのスペ
シャリストである水戸の大内さんに、ご足労をいただかなければならない時がきたのか
もしれない。
 何れにしても、会員と指導者ともども、もう少しの拡大をすることで、会の運営が、
より安定していくようにも思う。
 これから、会員拡大に向けて、更に策を練ろうという時、先日要請しておいた結城ケ
ーブルTVによる取材が行われた。
 ケーブルTVの、市内での普及率は、まだまだとのことだが、PRのためには何でも活用
させていただく以外にない。
 とりあえずは、約一分間のニュース番組で取り上げていただくことになり、五日間で
30回近い放映とのことで、大きなPRにはなる。
 また後日、6分間程度のサークル紹介番組での取材もあり得るとのことで、この会を
持続発展させ、社会的認知度を高めるという張合いもできた。
 視覚障害者三つの不自由の一つ、情報・通信の不自由解消のためにも、市内及び近隣
(オブザーバーとして参加可能)の参加を強く呼びかけたい。
 そのためには、本人の要望はもとより、社会や家族の理解と支援が求められる。