北嶋誠のブログ

私の考えていること、言いたいことなどなど。

笠木透と雑花塾 平和の暦コンサート

2014年08月15日 22時03分54秒 | 

笠木透と雑花塾 平和の暦コンサート

CD文庫Vol8  平和の暦 ー Peace almanacSingers 発表記念

 今年、米国のフォークシンガーであるピート・シーガーが、94歳で亡くなった。
 ベトナム戦争当時の、反戦歌「花はどこへ行った」などはよく知られる。

 彼の青年時代のチームが、AlmanacSingers(オールマナックシンガーズ)だ。
 オールマナックとは暦、平和の日々を願い歌い続けてきた。

この国で40年、平和を歌い続けてきた笠木透と雑花塾
 私たちも今、平和の暦をともに歌おう!


平和の暦 ー PEACE ALMANACSINGERS      作詞 笠木透

 名もない 人々よ  歌え 歌え 歌え
 私たちは ピース  オールマナック シンガーズ

 生まれてから 67年  戦争をせずに 67年
 私たちの 平和の暦  積み重ねて ここまできた


日時  2014年 9月21日 日曜日
     開場 13時30分  開演 14時

会場  茨城県 結城市南部中央コミュ二ティーセンター

出演  笠木透と雑花塾
    ヒューマン・ファーマーズ
    いわき雑魚塾
    館林ロストシティーランブラーズ
    他


会費  一般 ¥1500   中高生・障害者・介助者 ¥1000
主催  かるちあ農園 ヒューマン・ファーマーズ

お問い合わせ  090-4845-9070 (北嶋)

笠木透と雑花塾CD文庫Vol8 平和の暦 ー AlmanacSINGERS オールマナックシンガーズ

2014年08月15日 22時01分46秒 | 

笠木透と雑花塾 CD文庫  (CD 歌集 エッセー)
 Vol8  平和の暦 ー Peace AlmanacSingers
 WFU 1008    ¥1000


 名もない 人々よ  歌え 歌え 歌え
 私たちは ピース  オールマナック シンガーズ

 生まれてから 67年  戦争をせずに 67年
私たちの 平和の暦  積み重ねて ここまできた


1 平和の暦 - オールマナックシンガーズ
2 九条の風
3 えんねさんのジャガイモのすりやき
4 ピースナイン・ピクニック
5 メープルシロップ
6 水に流すな
 (収録曲)

演奏
  笠木透と雑花塾  増田康記 佐藤せいごう 上だ達雄 尾崎ツトム 鈴木幹夫
 ぽこ・あ・ぽこ 尾崎UNIT ヒューマン・ファーマーズ でえげっさー

発売予定  2014年 9月11日
定価  ¥1000 (送料別)

お申し込み  Fax 0296-35-0931 (北嶋)

広島長崎で何を語る

2014年08月15日 21時58分10秒 | Weblog

 被爆69年を迎えた6日の広島、9日の長崎の平和式典で、安倍首相が何を語るか注
目していた。
 いやむしろ、憲法九条と立憲主義を踏みにじり、海外での戦争へと向かう集団的自衛
権の閣議決定を強行した安倍首相としては、語る言葉を選ぶのが困難なのではないかと
さえ考えていた。
 ただでさえ、昨年の式典での発言で、歴代首相が「日本国憲法を順守し」と語ってい
たものを、初めて外したことで、広島長崎市民のみならず、平和を願う国民の感情を逆
なでることになった。
 そして今年の平和式典では、昨年と今年のスピーチ内容が、広島長崎ともにほとんど
変わらない、いわば使いまわしということが問題になっている。
 例え、昨年と今年のスピーチの文言が寸分違わないとしても、それが何の問題がある
のかと、受け流してしまうわけにはいかない。
 ましてや、このところの安倍首相の政治姿勢を顧みても、平和式典の意味や平和への
願いを軽視していると言わざるを得ない。
 戦争をする国づくりを進めておきながら、何を白々しくという思いにもなるだろう。
 広島式典終了後、被爆者の代表7名が、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定の撤
廃を要請したところ、睨み返しながら、「国民の命と暮らしを守るための抑止力だ。戦
争をするつもりなど毛頭ない。」と突っぱねたという。
 日米同盟による抑止力とは、米国の核の傘の下のことであり、つまりは核武装の容認
である。
 ここにも、被爆者感情を逆なでする安倍首相の本音が見える。
 広島の松井市長は、「69年間、平和憲法の下で戦争をしなかったことを重く受け止
める必要がある」と述べた。
 9日、田上長崎市長は、集団的自衛権にも言及し、「戦争をしないという平和の原点
が揺らぐ不安がある。」と、ニュアンスは違うが安倍首相に注文を付けた。
 もちろん広島長崎市民被爆者の思いはこんな表現ではすまないということを、首相は
肝に命じるべきなのだが、そのためには国民全体の運動にしていかなければならないと
思う。
 そもそも安倍首相は、自民党でも極右の位置にあり、平和式典には相応しくないし、
自身も出席して、心にもないことを語りたくはなかっただろう。


憲法フォークジャンボリーin東京 2014

2014年08月15日 21時55分10秒 | Weblog

 憲法ークジャンボリーin東京は、8月1日から3日にかけて東京労音大久保会館RS
アートコートで開かれた。
 ヒューマン・ファーマーズは、第三日目の3日(日)に出演し、「米を作って飯が食え
ねえ」と「平和の暦」を演奏した。
 演奏者は、北嶋誠、佐藤せいごう、久保田秀幸、大泉和美、それに今回が二回目の出
演である日雇いメンバーの佐古明夫という顔ぶれとなった。
 二曲目の「平和の暦」では、増田康記、いわき雑魚塾の皆さんの応援も受けて、賑やか
に演奏ができた。
今年の憲法フォークジャンボリーでの演奏は、この東京だけになる公算が大である。
 もちろん、憲法九条を形骸化し、戦争をする国づくりを目指す安倍政権が、集団的自
衛権行使の容認を閣議決定し、戦争か平和かの歴史的岐路にあることは、百も承知の上
でのことである。
 したがって、憲法フォークジャンボリーはますます出番の時であることは確かなのだ
が、被災者支援コンサート、原発なくせコンサート、非核平和コンサート、食と農のコ
ンサートetc、とテーマが多いだけではなく、長いたたかいに備えて、ここはじっくり
と計画的に進めていかなければならない。
 しかも来年は、敗戦70周年、広島長崎の被爆70周年の節目を迎える。この70年
間の平和の時を、子どもたちに伝えていくために、もう来年に向けての準備を開始して
もいい時期だと思う。
 そうは言っても、今年も定期開催をしていただいた東京ジャンボリーの皆さんには敬
意を表したいし、今後も協力し合っていきたい。
 今回の東京ジャンボリーは、情勢を反映してか、参加者が多く活気溢れるものとなっ
た。
 ただ一つだけ意見を言わせていただければ、青年の出演も多く、広範なジャンルの演
奏があったにしては、個性や創造性ということではやや乏しさを感じた。
 継続は力である。来年に向けて、大いに期待したい。


まだまだ大事な港湾輸入食品見学

2014年08月15日 21時50分45秒 | Weblog

7月31日に、毎年恒例の茨城県西食健連主催による横浜港輸入食品実態見学のバス
ツアーが行なわれた。
 この見学ツアーを始めてから、かれこれ23年か24年になるだろう。
 そのほとんどに私は参加してきたが、現在のように農産物輸入の形態が多様化してい
る下でも、輸入農産物の不安な実態を考える企画としては、決して色あせてはいない。
 むしろ実態を知るための入門編として、今後も継続していく価値は大いにある。
 思い起こせば、私が輸入農産物の不安をはじめとしてその実態について話を聞いたの
は、確か1972年だったと思うが、学生時代の北海道での美土路達雄先生による講義
だった。
 1970年代後半には、農協青年部などの活動で、農産物輸入自由化阻止、米価闘争
などの運動を始めた。
 1980年代になると、米国の圧力や経団連の要求などによって、農産物の市場開放
は一層拡大された。
 1994年のWTO協定批准で、とうとう例外なき関税化が押し付けられた。
 そして今は、TPP交渉による例外なき関税撤廃要求で、全面市場開放を迫られてい
るのはご存知の通りである。
 このよううな歴史の過程で、食と農を守る運動が大きく動き出したのは、1984年
に農民連の前身でもある農民運動の全国センターを考える懇談会(農民懇)が結成され
てからである。
 この運動の最大の特徴の一つは、食と農を守る国民的合意の運動を呼びかけることに
あった。
 この頃から、港で働く労働者と、これを支援する農民の共同運動が始まり、これが後
の食健連運動に発展していく。
 特に、この国の食と農を守る共同運動をスタートさせるにあたっての大きな原動力と
なったのは、安全性に問題の多い輸入農産物を告発する「それでもあなたは食べますか
」という衝撃のビデオ制作と、港に野積みされている輸入農産物見学ツアーである。
 港見学は1986年から、全税関労組や港湾労組によって始められている。
 農民懇の提唱に共感した運動に参加した私は、1988年に茨城県西農民センターを
結成し、1989年に農民運動全国連合会結成に参加。
 1991年に全国食健連が結成されると間もなく、国民の食糧と健康を守る運動茨城
県西連絡会(略称・茨城県西食健連)を結成し、地域での運動も開始した。
 茨城県西食健連は、安心でおいしい国産農産物を食し交流することを基本に据えて、
学習講演会、港見学、収穫祭を主な活動として、ここまで継続してきた。
 今年もまた、港湾の輸入野菜を見分し、税関労組員のお話を聞き、最後は横浜中華街
で輸入食品?を食べるという、毎度お馴染みの日程をこなしたが、とにかく継続が第一
である。
 日本農業が衰退し、食糧自給率の低下、食の不安の増大が止まらない現状を思えば、
まだまだ今後も大切な運動であることに間違いない。

創作をさらに

2014年08月15日 21時43分41秒 | Weblog

このところの3年間は、東日本大震災と福島原発事故の被災者ともなったことから、
当然の如く、それに対応して歌づくりにも励んだ。
 ただ、未曽有の大震災直後の状況は、さすがに気持ちのうえでやや動揺があったこと
は否めない。
 また視覚障害者という、いわゆる災害弱者としての苦難を克服していくために、たた
かうことで精いっぱいの日々でもあった。
 そんな時でも、私を奮い立たせてくれたのは、農民運動やフォークソングの仲間たち
の存在と動向であった。
 3日後に停電が修復されてから、すぐさま電話した農民連本部では、全国の農民など
に呼びかけ、被災地の住民を救済する活動を既に開始していた。
 さらに、笠木透と雑花塾でも、大震災と原発事故をテーマにして、歌づくりと演奏活
動を取り組もうという情報が入ってきた。
 それでも、大震災直後の雑花塾歌づくり会には、まだまだ混乱の続く状況にもあって
、参加することができなかった。
 むしろそのことで、かえって創作意欲が湧いてきたようにも思う。
 ともかく、震災後の笠木透さんからの創作呼びかけもあり、また私自身としても、大
被害を蒙ったこの現実を、このまま黙って生きていくわけにはいかないと思い立ち、創
作を開始した。
 そうは言っても、もとより才能が無いだけではなく、障害者としては、情報を得るこ
とや創作の実務そのものにも不自由さが付きまとう。
 これは私自身のことだけなら、単なる愚痴ととらえていただいて構わないのだが、
障害者の差別をなくし、権利向上や自由を求める立場からは、健常者には理解していて欲
しいことである。
 とりあえずは、意図的な情報隠しや偏向報道がまかり通るという中でも、正確な情報
を得ることに努めた。
 被災地の福島県南相馬で、安心な農産物をと有機農業を営み、産直を取り組んでいた
三浦広志さん。フォークソング仲間で、いわき雑魚塾の比佐和美さん等、まず親しい彼
らの声を聴くことから始まった。
 そして、7月には「被災者の声を聴き被災地の現実を知ってほしい」と福島県飯舘村
の酪農家である長谷川健一さんの講演を聞いた。
 優れた作品などできる自信はもちろんなかったが、福島の人たちと自分自身の思い
を重ね合わせながら、とにかくこの思いをどのように伝えるかが肝心だった。
 結果として、「よみがえれ浜通り」や「ふるさとを汚したのは誰」を皮切りに、秋口
までになんとか5曲ほどできた。
 思うようには創作できなかったが、それでも、これらの歌があったお蔭で、コンサー
トの多い秋、大震災一周年や「なくせ原発」集会などでの演奏活動をやりきることがで
きたし、福島の被災者支援演奏活動も実現できた。
 その後は、ボチボチ作りながら現在に至っている。
 さて現在はというと、相変わらず福島の将来展望は真っ暗闇の中。政府による戦争す
る国づくり、大増税と負担増によりどん底に向かう暮らし、そしてわが農業は存続の危
機と、絶叫したいほどの数々の課題の中に、私たち自身が埋没しているような状況で
ある。
 仮にもフォークソングを自認するヒューマン・ファーマーズとしては、ここで再決起し
なければならないだろう。フォークシンガーの端くれを何人集めても、所詮は端くれに
違いはないのだが、その端くれ一人一人が尊重される社会を目指して歌うのがフォーク
シンガーだと思う。
 いよいよ、新たな創作に向けて、もがき苦しむことだろう。これも一人の人間として
のたたかい方の一つである。
 だから、わがヒューマン・ファーマーズのメンバーなら、最初からサジを投げる人はい
ない…と信じたい。