北嶋誠のブログ

私の考えていること、言いたいことなどなど。

パソコン交流会とパソボラ結城・2

2014年06月12日 21時42分12秒 | Weblog

 視覚障害者が、音声パソコンを学び活用していくために、立ち上げたもう一つの会が
パソボラ結城である。
 視覚障害者にとっての三つの不自由といわれるものの一つに、情報・読み書きの不自
由というのがある。これを克服するために約七年間ほどお世話になったパソボラ茨城が
、残念なことだが昨年に解散してしまった。
 私が、曲がりなりにも音声パソコンを習得できたのは、茨城県がひらいた視覚障害者
IT教室に何度か参加したことと、その後のパソボラ茨城に入会して活動してきたことに
よる恩恵だともいえる。
 そのため、今度のwindows8へのパソコン更新に対応して、前パソボラ茨城会員で、
結城市在住の肢体不自由者Tさんと協力して、今度はパソボラ結城を立ち上げることに
なったのである。
 これは、パソコン交流会のような、特定組織内活動とはまた違って、視覚障害者によ
る音声パソコン技術向上の、サポートボランティアを基本とする任意の会である。
 これには視覚障害者のみならず、健常者の参加も必須となってくる。
 また結城市のみならず、近隣市町村の障害者や健常者にも呼びかけたい。
 私の知る限りでも、まだ多くの視覚障害者が、音声パソコンの活用を希望していて、
これに対応した支援指導体制が、ほとんどとれないというのが実態である。
 今年ようやく、国連の提唱した障害者権利条約を批准し、来年には障害者差別解消法
が施行されるというのだが、まだまだお粗末なこの国の福祉政策は、これが現実なのだ
と認識しておかなければならない。
 法整備に基づく障害者権利向上の運動も、当然のことながら進めるとともに、障害者
自身が、もちろん能力には限界があるにしても、積極的社会参加が求められるだろう。
 こういう状況の中でも、県西地域の視覚障害者協会支部の解散が相次いでいるという
のは、近年障害者運動が向上しているにもかかわらず残念なことである。
 今度のパソボラ結城では、県西地域の点在会員や未組織障害者にも声をかけられるよ
う、何かと手立てをとていくようにしたい。
 現に、パソボラ結城やパソコン交流会に入会してきた視覚障害者の女性が、前向きで
活気あふれる姿を見て(見えないので想像して)、このパソボラ結城とパソコン交流会
はしっかりと軌道にのせていきたい。

パソコン交流会とパソボラ結城・1

2014年06月12日 21時35分55秒 | Weblog

 windowsXPからwindows8へと更新しなければならないのは、マイクロソフト社がXPの
セキュリティーサービスを止めるからだなどとかの理由が揚げられてはいるが、私たち
には理解に苦しむばかりだ。
 かつてレコードからCDに変わった時も、最近ではカセットテープからデイジーに代え
られてきていることも、たとえ化学は進歩するものだと言われても、所詮は大企業の利
益のための、いわば企業戦略ではないかと思ってしまうのは私だけではないだろう。
 そう思いながらも、ためらわずにwindows8を購入してしまった。旧パソコンの動き
が重くなってきたこともあって、この辺が潮時かとも思ったのである。
 そうなれば、新パソコンに早く慣れなくてはならない。
 ちょっと前から、障害者仲間などとも相談していた、音声パソコンを使いこなすため
の勉強会を開いていくことになった。
 その一つが、視覚障害者協会結城支部内で始めたパソコン交流会である。会員の要求
を引き出すとともに、会員拡大に結び付けようというものであった。
 この5月24日で第3回になった。
 今のところ、市の広報紙で知って入会した女性と、私も含めた現会員2人の、合計3
名で進めている。
 個人情報保護法の関係で、視覚障害者のリストは手に入らないため、市の広報紙や
ケーブルテレビにも取材していただいてPRしていく方針である。
 僅か三名の会員と、2名のサポート者、ガイドヘルパーが2~3名という顔ぶれで、
毎月第3水曜日の午後1時から4時まで開いている。
 場所は市役所分庁舎の一室をを拝借して、視覚障害者やら車椅子、それにヘルパーさ
んたちが、あたふたと会場準備を進めながら何とかやっている。
 因みに、障害者協会の事務局を担当している社協の職員の間では、とても生き生きと
楽しそうにやっているとのことで評判になっているようだが、私たちにとっては、生存
権や人格権などのかかった真剣な活動なのである。

第21回百里田植え交流会 い・ザ・田植え

2014年06月12日 21時24分44秒 | Weblog

 茨城県小美玉市に、航空自衛隊百里基地がある。その東側の中ほどに、基地内に入り
込んで、誘導路をくの字に曲げている百里反対同盟の農民所有の土地がある。
 ここを百里平和公園といい、基地反対運動の象徴であり最前線ともなっている。
 田植え交流会は、この反対の西側にあり、百里基地反対同盟前会長宮沢昭さん(故人
)の所有地を新規開田して行われてきた。
 満蒙開拓義勇軍として、満州(中国東北部)に送り込まれた宮沢さんたちは、太平洋
戦争末期の1945年8月、突然にソ連軍の侵攻を受けた。
 満州国を統治していた関東軍(日本の正規軍)は、いち早く逃走し、宮沢さんたちは
、日系民間人らとともに、現地に置いてきぼりにされた。
 そして日本は敗戦、中国共産党と国民党の内戦が始まる中、命からがら日本に逃げ帰
ってこれたという。
 そして戦後、旧小川町の百里が原を開拓して農業を始めた。
 ところが再び、ここに航空自衛隊基地を建設するから立ち退けという。二度も国と軍
隊には騙されないと、この時から基地反対闘争は始まった。
 これは、農民たちの生活や人権を守ることだけにとどまらず、私たち国民の平和や農
業を守るたたかいでもあり、かれこれ60年も続けられている。
 ずっと以前から田植え交流会は行われていたようで、今年で21回目の私たちの運動
は、まだまだ序の口である。
 1993年の、未曾有の大冷害、米パニック、外米の緊急輸入という年、まさにここ
でたたかうべくして、私たちは農民連青年部を結成していた。
 そして翌1994年、WTO協定批准阻止のたたかいの中、茨城農民連青年部の提唱で

この田植え交流会と秋の稲刈り交流会が開始されたのである。
 農民連青年部の他、百里平和委員会、全教青年部、うたごえ協議会、民青同盟、それ
に百里基地反対同盟という構成で活動してきたが、今年で満20年になった。
 天候や苗の状況によって左右されることの多い活動だが、今年も、5月18日(日)
に予定通り行うことができた。
 田植えや稲刈りの実践の後、地産地消農産物を思いながらの交流会を、百里公民館や平
和公園を会場に行なってきた。
 交流会は、食と農や平和を守る運動交流の場というだけではなく、青年の出会いの場
でもある。
 百里基地反対同盟の代表から、基地や運動の歴史と現状を語っていただき、ヒューマ
ン・ファーマーズの演奏も恒例となっている。
 今年は、長年運動してきた平和委員会と反対同盟代表の方から、この20年間の活動
に対して、お褒めと激励の言葉をいただいた。
 この20年間、地道に活動を継続してこられた皆さんに敬意を表したい。

GWも瞬く間に過ぎて

2014年06月12日 21時19分55秒 | Weblog

 酪農家にとっては、休日にならないゴールデンウィークは、通常の仕事のほか、様々
な行事イベント事があり、お客様も来るなど、ありがた迷惑というよりも、むしろ無い
ほうが良いくらいに思っている。
 まあ、こんな愚痴をきいてもはじまらないし、そんな中でも、これまで何とか楽しみ
を入れながらやってきたのだと、自分に言い聞かせながら、今年も乗り越えてきた。
 それにしても、4月下旬に菜の花の森交流会(これまでは菜の花まつり)が終わると
、そこから一気に連休は過ぎてゆく。
 メーデーやら憲法記念日は、毎年出動することに変化はない。ただメーデーについて
は、茨城県西農民センターの会長を退いてからは、ヒューマン・ファーマーズの出演依頼
でもないかぎり、5月1日は視覚障害者関係の食事交流会が定例化されているので、そ
ちらに出席することにしている。
 ところが、今年は何と酪農振興協議会の総会が入ってきたので、やむなく参加するこ
とになった。これこそメーデーも連休もない、酪農家らしい選択である。
 憲法記念日は、憲法改悪を企む安倍内閣ならぬアブ内閣のおかげ様で、水戸市での
憲法フェスティバルには必ず参加して、ヒューマン・ファーマーズの演奏で、戦争の放棄
を表現することにしている。
 連休の終盤は、家でゴロゴロしているか、ギターかCDかパソコンか、というところで
ある。
 その後は、中旬には百里田植え交流会があり、月末には全国食健連の総会があり、そ
の間にも各総会やイベントがあり、5月は瞬く間に過ぎていくのである。
 もちろんこの間は、一般農家も田植えやら農作物の作付けから収穫など、農繁期でも
ある。
 瑞穂の国といわれるこの国土と国民を、稲作を中心とした小規模家族農業が支えてき
たのである。
 しかし、その裏では農民の努力をあざ笑うかのように、TPP交渉の妥結を目指し、国
内農業構造改革などと、農業リストラ合理化の策動が渦巻いていることを決して忘れて
はならないのである。

新パソコン windows8

2014年06月06日 17時03分39秒 | Weblog

 このところブログの書き込みがなかったのは、例によっていそがしかったり、面倒に
なったりということが原因ではないのである。
 windowsXPが使えなくなるとか不便になるとかの情報があちこちから寄せられ、図ら
ずも世間の波に乗せられて、windows8を買う羽目になったのである。
 後で考えれば、ただちにXPが使えなくなるということではなかったということなので
、あわてることはなかったのだが、今使用しているパソコンがかなり不調になってきて
もいたので、止むをえないと思うことにした。
 それでこの間、どんなパソコンがいいのか問い合わせをしたり、実際にパソコンや各
種ソフトの入手にも一定の時間が必要となった。
 とにかく、元パソボラ茨城の方、パソボラ結城の方、全視協から高地システムに至る
まで、あちこちと問い合わせして、4月18日にようやくwindows8PCを入手した。
 皆さんのアドバイスを受けて、15日に勇んでPC購入に出かけたが、Y電気もK電気も
手ごろなPCは在庫無しということだった。
 その理由として、①各メーカーが、新機種発売をひかえて、これまでの機種の生産を
終了したこと。
 ②消費税増税前の、駆け込み需要が増したこと。
 ③windowsXPから8への切り替え需要が殺到したこと。
 など、幾つかの理由が重なったことがあげられた。
 そこで止む無く、あちこち探して取り寄せていただくことになったのである。
 それから、初期設定、PCトーカーなどソフトの購入、データの移動など、やることが
多々あった。これらのことは、新たに設立したパソボラ結城の仲間にお願いしてアドバ
イスを受けたり、設定していただいたりした。
 新PCを入手できて先ずは一安心なのだが、これからまだスキャナーの取り付け、一部
データの移動などが残っている。
 新パソコンの操作を始めたのは、結局は5月中旬になってしまったのだが、キーボー
ドの位置が数箇所変わっただけでも、これに順応していくにはさらに時間がかかりそう
である。

総会ラッシュ

2014年06月06日 17時01分17秒 | 

 この4月から6月にかけては、まさに総会ラッシュである。農業団体、文化団体、障
害者団体、平和団体、etc。
 年度が替わる次期にあるからなのだろうが、すべてに出席しないにしても、数え上げ
たら11回にもなる。
 1月や真夏の8月にもあるので、年間だと約30団体で30前後の総会や大会がある
のではないだろうか。
 JAなどは総代制をとっているので、なかなか出席することはない。酪農組合や酪農振
興協議会、農民連や茨城農民連はほとんど、茨城県西農民センターに至っては100%
出席している。
 組合費や会費も、組織の大小、活動内容、機関紙の有無などの様々な違いもあって、
まさに千差万別である。
 講演会や学習会活動が主体の、憲法ネットワークなどは年会費1000円、すべてカ
ンパで運営している九条の会のような組織もある。
 ところでこの間、私が所属する結城市内にある三つの団体の総会が開かれた。
 その内、結城市文化協会と結城市酪農振興協議会については、二年連続して市長さん
にご挨拶をいただいた。
 ところが、障害者福祉団体連合会の総会には、部長さんが出席された。確か去年は課
長さんだった。
 これは所要があって、たまたまのことなのだろうか。それとも、有力者や雄弁家のい
る団体は出席されて、ものを言うにも行動するにも不自由な障害者は軽んじているのだ
ろうか。
 この辺のところは、今度市長さんにお会いしたらお聞きしたいところである。
 また、わが身障者団体会長には、市長さんとの懇談会を開いていただくことを提案し
たいとも思っている。
 

4月29日(日) 菜の花の森交流会開く

2014年06月06日 16時57分03秒 | 

 二年間、放射能の影響などもあって、恒例だった菜の花まつりはお休みした。今年も
県西食健連や実行委員会としては、菜の花まつりは開催しないことになり、菜種の播種
は行わなかった。
 だがヒューマン・ファーマーズとしては、れんげまつりから四半世紀も継続してきた野
良でのコンサートが途絶えてしまうことになる。
 そこで、今年はこの菜の花の森交流会を開くことにした。
 長期予報ではこの日だけ雨模様ということだった。何人かの雨男や雨女が関係者の中
にいることから、誰もがいやな予感がしていたかもしれない。
 それでも、それを上回る強力な晴れ男や晴れ女がいたのか、雨天の日は翌日にずれ込
んでくれた。
 2011年の東日本大震災と福島原発事故の後、しばらくは「自粛ムード」などとい
うこともあったのだが、元来農業の再生や食糧環境を守ろうなどの趣旨を掲げて、取り
組んできたイベントだけに、むしろ開催が望ましいとの判断から、この年の菜の花まつ
りは開催された。
  そして12年と13年はお休みしたが、それだけに楽しみにしていた人の中には、
菜の花まつりと思い込んでの参加者もいたようである。
 この交流会は、団体や組織主体ではなく、ヒューマン・ファーマーズやかるちあ農園と
結びつきのある個人などに呼びかけて実施し、約80名が集った。
 特に来賓のようなものはなく、出演者も、いわき雑魚塾、はるかかなた、春風三郎(
腹話術&手品)など、ヒューマン・ファーマーズとは繋がりの深い人たちと、結城うたご
え喫茶のおばさんたちという顔ぶれとなった。
 食べ物は、けんちん汁、讃岐うどん、焼きそば、などの他、差し入れの菜種油で揚げ
た天ぷら、赤飯、ジューシーフルーツ、稲荷ずし、ホットケーキなどを味わいながら、
家族的な雰囲気の文字通りの交流会となった。
 因みに、会場となった里山は、一昨年度に行政との間で里山保存事業の提携をした。
 今年も3月に前面下草刈りをして、市民に解放していく契約になっている。放射能測
定を継続しながらの利用を図っていくことになる。
 地主の立場としては、美しい里山として続いて行くように、見守っていきたい。
 そしてまた来年、菜の花の森交流会がある場合は、是非ご協力をお願いしたい。

「渡されたバトン」上映会 & 村上達也東海村前村長の講演会

2014年06月02日 16時49分42秒 | 

 4月23日に、結城市民文化センターアクロス小ホールにて、「渡されたバトン」上
映会と、脱原発論を主張し活動してきた、村上達也東海村前村長の講演会を開いた。
 これは、静寂な田舎町に、突然として原発建設計画が巻き起こったが、激しい住民運
動によって住民投票を実施させ、この計画を撤回させるという、新潟県巻町での事実に
基づいた映画である。
 リアルな住民運動が、ジェームズ三木脚本でドラマ仕立てとなって、二時間足らずの
スクリーンで、分かりやすく表現されていたと思う。
 町の議員や産業界は、地域活性化や一攫千金をと電力会社に群がろうとするが、原発
建設で電力会社は儲かるが、農林水産行や地場産業は衰退し、原発関連の仕事を頼りに
生きていくしかなくなる。
 そして、何よりも、安全の保証はないのである。
 これは、大震災と福島原発事故以前に製作された映画であるが、しっかりと想定内の
ものになっている。
 この上映会については、九条の会・ゆうきの中で持ち上がった話だが、東海第二原発
廃炉を求める運動などに結び付けていくべきだということから、広範な市民に呼びかけ
ての実行委員会主催によるものとした。
 結果として、組織目標を上回る約700人の参加者で大成功を修めたといっていいだ
ろう。
 これも目的通りに、近隣市町村を含めて、これまでの結城市での映画会では見られな
かった広範な顔ぶれが、実行委員会に結集した結果だろう。
 ただ大事なのは今後のことで、実行委員や上映会参加者らによって、結城市や近隣市
町村で、東海第二原発廃炉や原発ゼロを目指す共動の運動が広がることによって、本物
の成功といえるだろう。

 この「渡されたバトン」上映会では、あわせて村上達也東海村前村長の講演が行われ
た。
 はじめに村上さんは、原発ゼロや憲法九条を守ろうといった類の集会に対して、自治
体の一部では、公営施設を使用させないというようなことも起こっていて、開きにくい
環境も生まれていると話した。
 
 それだけに、この様な集会を催された結城市民の皆さんに敬意を表すると述べました

 村長を勤める過程で、ICO事故や福島原発事故を経験し、国策として押し付けられた
原発は、住民や市町村の利益にはならないという。
 そして今のことだけ、利便性、効率性、などということで推進されている国政を批判
した。
 この村上さんの講演の時には、立ち見が出るほどの会場いっぱいの参加者で溢れ、関
心の深さを表していた。