北嶋誠のブログ

私の考えていること、言いたいことなどなど。

憲法フォークジャンボリーin東海村 出演者決まる

2013年06月25日 20時44分09秒 | コンサート

関東福島憲法フォークジャンボリーin東海村

 お待たせしました、出演者も決定し、チラシやネット広報その他の宣伝とチケットの普及を開始しました。

日時  2013年 8月11日(日)
     開場  午前10時
     開演  午前10時30分
     閉演  午後4時

会場  茨城県 東海村文化センター

参加費  一般 1500円(当日1800円) 小中高生・障害者 500円

出演者

 福島県
   阿部純
   いわき雑魚塾
   佐藤香&なごみ~ず

 群馬県
   館林ロストシティーランブラーズ

 栃木県
   小野操とそのグループ
   ウッドランド・リンギング

 埼玉県
   埼玉合唱団

 東京都
   憲法フォークジャンボリーin東京

 千葉県
   文化集団 このゆびとまれ

 茨城県
   茨城センター合唱団
   日本ひょうきんおどり
   橋本実
   ヒューマン・ファーマーズ
   他

 福井県
   武生センター合唱団(友情出演)

 広島県
   山上茂典

 ゲスト
   笠木透と雑花塾

主催  関東福島憲法フォークジャンボリーin東海村実行委員会

後援  茨城のうたごえ協議会 連根の会

連絡先  佐藤 090-4016-0432
     北嶋 FAX 0296-35-0931


結城うたごえ喫茶は持続可能

2013年06月25日 20時40分56秒 | Weblog

 一昨年よりはじめて約2年、結城うたごえ喫茶も12回目である。
 2ヶ月に一度のペース配分で進めているが、諸般の事情を察すれば、これ以上は無理なので、まあこんなところでしょう。
 昨年の8月から会場にさせていただいている星菓子(こんぺいとう)さんは、客席が30席くらいであろうか。今回(8日)の第12回のうたごえ喫茶は24名の参加であったので、ほぼ満員状態というところである。
 歌集は必要な分だけ用意し、伴奏は私がするので、もうこれ以上経費はかかりません。あとはのんびりやるだけである。
 進行や選曲はかるちあ農園のおばさんたちにほとんどおまかせである。前半はスタッフが用意した歌コーナーで、後半はリクエストコーナーである。
 休憩の時間に、私は毎回2曲程度演奏させていただいている。
 規模も内容も地域の実情に合わせてすすめていくことで、持続可能なうたごえ喫茶になってきていると思う。

 6月10日記

時にはレッスンもやります

2013年06月25日 20時35分23秒 | Weblog

 今日は久々にヒューマン・ファーマーズのレッスン日であった。場所は毎度同じく結城市内の施設あすなろ園の作業場である。
 練習をほとんどしないバンドだが、昨年からは年に4回くらいは実施するペース配分にはなってきている。
 それでも不十分であることには変わりはないが。
 今回は、久保田秀幸、大泉和美、加藤浩一の千葉組のほか、佐藤せいごうと私の男5人の出席である。
 いつものように、ヒューマン・ファーマーズの親衛隊である園の利用者たちが、見守ったりじゃまをしてくれる中で、今後の演奏活動に備えてのレッスンをした。
 コンサート活動に追われていると、チームワークも心配だが、何よりも自分たちが納得のいく演奏ができないことや観衆にうまく伝わらないことがあっては、これが最も意欲を無くす原因ともなってくる。
 これまで、食と農をベースにして、環境、平和、そして原発などをテーマにして、創作と演奏活動を続けてきた。
 活動日誌をふりかえると、けっこうハードスケジュールをこなしてきてはいるが、いつも失敗と反省を繰り返しながら、一定の充実感も得るというステージをこなし続けている。
 余裕があるように見えてもスケジュールについても技術や活動意欲についても、結構綱渡りのところもあるが、ただひたすら前向きにいくしかない。
 それでも、これまでに培った仲間のネットワークは今後もますます活かされるだろうし、そういう仲間の顔を浮かべながら、レッスンや演奏活動の励みにもしている。
 
 6月3日 記

クラス会にも亡国農政の影

2013年06月25日 20時24分54秒 | Weblog

 かれこれ30年ぶりにもなるだろうか。結城一高農業科のクラス会が開かれた。還暦を迎えて、役所勤めはもとより民間会社も定年になったため、この機会に開こうということなのかと思いきや、何とクラスメイトの一人が60歳の誕生日を前にして、突然亡くなったことがきっかけだという。
 これは、弔問の席で再開した級友同士で、誰からともなくこのままでは次のクラス会を早急に開かなければ、また一人二人と欠員?ができるのではとの声が上がった。
 というのは、このお葬式に参列できなかった私のかってな想像である。
 何れにしても、クラス会は市内の某割烹寿司店で行われることになった。その会場に乗用車で送っていってくれた娘が曰く「店に入っていく、あのおじいさんたち。ひょっとして、お父さんの同級生?。それに比べてお父さんは若いね。」と。
 うれしいような悲しいような、でも確実に時は流れているのだ。
 それを立証するかのように、オープニングの自己紹介では、このじいさん声はいったい誰なのかととまどうことばかり。今年82歳になるという担任の先生は、ほとんど声は変わっていないというのに。教え子の方が老け込みが早すぎるのか。
 まさに人生様々、44名の級友のうち独身者も5名ほどおり、亡くなった人は2名である。
 厳然たる事実として受け止めなければならないことは、44名中43名までが農家の長男であり、農業後継者としてこの高校に学び就農するはずであったのだが、すでに過半数が離農していた。
 もちろん農地を所有しているので、退職を契機に農業を開始する人も若干名はいるのだが。
 ここにも、戦後一貫して推進されてきた亡国買国政治の影響がある。
 1954年のMSA農業協定以後、米国産余剰小麦が大量に輸入されるようになり、日本の食生活と農業は大きく変えられていくのである。
 さらに、1960年の日米安保条約で、農産物輸入大国への道を突き進むのである。
 私たちが入学したころは、すでに選択的拡大と規模拡大という型に嵌められていたが、今や何を作っても経営は成り立たず、ゴールなき拡大と言われたことが死語になるどころか際限なく続いている。
 そして最後の総仕上げがTPPである。
 このままの流れを放置すれば、食糧自給率向上も、食の安全も、地産地消も、何もかもが吹っ飛んでしまうことになるだろう。
 何れにしてもそれぞれの半生を過ごし、数十年の時を超えて集ったのだが、そんな空白の時間を微塵も感じることがなかったのはなぜだろうか。数年後にまたやろうと誓い合って散会した。

 6月2日 記