北嶋誠のブログ

私の考えていること、言いたいことなどなど。

牛乳と酪農民は搾れるだけ搾り取るのか!

2008年05月31日 00時24分01秒 | Weblog
 先日、テレビで放映していた時代劇の水戸黄門を観ていたら、例によって、この筋のドラマには何といってもつき物の、悪代官と悪徳商人が登場していた。二人は菜種油の不正売買で、大もうけを企んでいる。

 悪代官が、「なあ常総屋、菜種油と百姓は同じじゃ!搾れるだけ搾り取れ!ムッハッハッハッハ!」などと嘯いていた。まさに現代の政治家、官僚、大企業の利権に群がる姿と瓜二つだなと思えた。

 このところ、原油や穀物の暴騰に端を発して、ガソリン、石油製品そしてパン、ラーメン、納豆、ビールなどの食料品も値上げラッシュであることは、先刻ご存知のことと思う。

 牛乳・乳製品については、大手乳業メーカーが、いち早く大幅値上げを決定、物価の上昇に貢献してくれている。だなその反面酪農家の手取り、つまりは生産者価格が、酪農経営が維持デキナイ水準でアルコトヲ知る人は少ないのではないかと思う。

 ご存知の通り、飼料価格の高騰で、畜産酪農経営はかつてない危機に瀕している。これまで乳製品や牛肉の輸入自由化、oー157、口蹄疫、bseの発生、施設ヤ機械への過剰投資ナドデノ困難な状況に拍車ヲカケテイル。

 ソシテ借金苦、経営難、廃業、倒産ナドが相次ぎ、酪農民は自殺、夜逃げ、心の病も増えている。

 最近のマスコミ報道でもスーパーノ店頭からバターガ消えたと言う。牛乳も不足気味で、その原因は飼料高などで経営が成り立たず、酪農家が減少しているからだと言う。

 こういうご時勢の下で、日本の畜産・酪農の危機打開のために、農民連(農民運動全国連合会)、畜全協(畜産農民全国協議会、全国食健連(国民の食糧と健康を守る運動全国連絡会)は奮闘してきた。

 5月28日にも農民連、畜全協で行動を実施した。

 午前中は衆議院議員会館内で打ち合わせ会議を開いた後、衆参両院の農水委員への要請行動を展開した。さすがに自民党が多くて、まずはこの状態を転換することが重要だと痛感した。

 お昼休みは、国会前の後期高齢者医療制度廃止や何やら国民諸要求を掲げた数百人の集会に合流。シュプレヒコールで気勢をあげた。

 午後はまず農水省交渉。酪農家の悲惨な実態には頬かむりして、生産者乳価は乳業メーカーと指定生産者団体とで決め手下さいと他人事のよう。国民不安や酪農の窮状には背を向ける、極めて無責任な姿勢に終始した。

 次いで大手町はjaビル内の中央酪農会議を訪問し懇談した。ここではさすがに、私たちも負担しての牛乳・乳製品のPRには熱心である。おかげで乳業メーカーはぼろもうけ、生産者価格との格差は広がる一方。ここは味方かと思ったが、結局のところ農水省と同様である。

 最後に訪れた東洋町の明治乳業本社は最悪であった。本社内への立ち入りを許さず、玄関前で押し問答した揚句、渋々要請文書は受け取ったものの、結局門前払いであった。

 私の所属する酪農組合の総会に、明治乳業のお偉い方が来賓挨拶で、「メーカーと生産者は妻夫同然、持ちつ持たれつ」と言っているのは嘘だったのか。いや、これぞ真の「社交辞令」である。

 ここでまた最初の場面に戻ろう。「のうメイジ屋、お主もワルよのう!ムッフッフッフッフ!」、「いやいやセンセイほどでは!イッヒッヒッヒッヒ!」、「牛乳と牛飼いは搾れるだけ搾り取るのじゃワッハッハッハッハ!」

ヒューマンファーマーズのシーズン 百里田植え交流会の巻

2008年05月24日 08時22分40秒 | Weblog
 小美玉市(旧小川町)内に航空自衛隊百里基地がある。1956年から「自衛隊は憲法違反」をスローガンに基地反対運動が一貫して闘われてきた。

 その西側フェンスに隣接する百里平和農園を舞台に、毎年続けられてきた田植え交流会。そして毎年9月に開かれている稲刈り交流会は、食と農、平和を守る出会いのイベントとして今年で16回目を迎えた。

 提案者は当時は結成間もなかった茨城農民連青年部で、茨城高教組青年部、民生茨城県委員会、茨城のうたごえ協議会、百里平和委員会、百里基地反対同盟の共催となった。

 青年の出会いのイベントとしての成果と言えば、16年間の交流の中で1組のカップルが誕生し、結婚して二人で農業を営んでいる。それ以外には良い話は聞いていない。これでは、日本農業衰退のペースにはとても追いつかないのではないだろうか。

 この田んぼの地主で百里反対同盟の宮沢昭さんは、もう80歳にもなるがすこぶる意気軒昂である。五族協和王道楽土、そして大東亜共栄圏へと繋がる、アジア侵略のための国策に従い、満蒙開拓で、満州(中国東北部)に移住した。だが、日本帝国主義に騙されて命からがら逃げ帰ってきたと言う。

 そのご入植した百里で、荒地を開墾して酪農を始めたが、今度は自衛隊基地を作るから出て行けと言う。2度も国と群体に踏みにじられた宮沢さんの人生。その歴史は、農業と平和を守る闘いの生き字引である。

 私事だが宮沢さんは私の尊敬する4老翁の1人でもある。その他、この百里では、偉人、名人、奇人、変人は多々いるが、紹介は後に譲るとしよう。

 この百里交流会が開始されてから、ヒューマンファーマーズはレギュラー出演している。農業と平和を守るためのイベントならば、2時間かけてやってきて音響準備に2時間、そして30分の演奏でも大いにやりがいがあろうと言う物である。

 ただしメンバーはいつも少数で、大概2人から4人である。私1人ということもあった。

 しかも顔ぶれは様々である。

 初期の頃は、北嶋誠と佐藤せいごうの2人で参加することが多かった。めずらしいところでは1995年の秋、日本テレビで取材に来た時の稲刈り交流会では、あいにくの雨天となったため、宮沢家のビニールハウスの中での飲食、演奏、交流となった。その時のメンバーは、北嶋、武田秀明、亀井秀明の3人であった。テレビに放映されたこの時以外にこのメンバー編成はないと思う。

 そしてこの時、茨城農民連書記局員になりたての吉川路子が、初めてヒューマンファーマーズの演奏を聴いている。後にこのチームの真ん中で自分が歌うことになるとは夢にも思わなかったであろう。

 その他、北嶋、佐藤、佐近加奈子や、北嶋、久保田秀幸、渡辺三智夫ということもあれば、オーソドックスに北嶋、佐藤、吉川路子や、北嶋、佐藤、渡辺という編成も会った。

 そして今回5月17日は、北嶋、渡辺、久保幸子というモダン?な編成であった。

 これだけ顔ぶれが変われば、選曲や歌と楽器のパート分けも考えなければならないが、これもまた楽しみのうちでもある。

 また野外で、基地隣接の田園で、少人数で、掛け合いもあり、くつろいだ雰囲気の中での演奏会は、いかにもフォークソング的で良いと思う。

 なお今回は、昨年の稲刈り交流会に引き続いて、昼休みは、古代米たうえを終えたばかりの茨城農林水産九条の会会員らも合流しての交歓となった。

ヒューマンファーマーズのシーズン 憲法記念日の巻

2008年05月22日 19時42分29秒 | Weblog
 5月3日の憲法記念日は、各地で集会やイベントなど思い思いの催し物が取り組まれた様である。

 昨年までは、憲法改悪への地ならしをはかる改憲勢力により、憲法九条を形骸化させる数々の悪法が強行され、メディアや教育文化への統制・干渉を強めてきた。
 
 そして、教育基本法の改悪と国民投票法の制定によって、日本国憲法の外堀は埋められ、昨年正月には安倍首相の憲法改定発言まで飛び出し、憲法九条をめぐる攻防は予断を許さない事態にもなろうとしていた。

 だが他方で、平和憲法の改悪と戦争をするための国づくりを許さないという、九条の会をはじめとする国民運動と世論のひろがりによって、情勢は大きく変化してきた。

 昨年の参議院選挙では自公与党が惨敗し、いわゆる靖国派の代表者のような安倍首相はあえなく退陣して、改憲勢力の動きは鈍化しているようにも思える。

 最近の世論調査では、改憲に反対する意見が改憲賛成勢力のそれを上回ってきた。憲法九条に限っていえばなお明快な改訂反対となってきている。

 もちろん改憲勢力も、態勢を立てなおして再び攻勢をはかろうとしているのだから、持続的な国民運動をさらに強めていくことが必要だろう。

 茨城県内では毎年憲法フェスティバルが開催されているが、今年も水戸市千波湖畔の花みずき公演を会場に、約800人が参加して開かれた。

 朝から雨が断続的に降り続いていたが、憲法をめぐる情勢のように、文化行事の開始される頃までには雨は上がって青空も広がろうとしていた。

 ヒューマンファーマーズがこの憲法フェスティバルの文化行事に出演するのは4回目であったかと思う。

 基本的人権を、侵すことのできない人間の永久普遍の権利として日本国憲法は確定している。その憲法の記念日とあらば、わがチームのポリシーからしても、微力ながらも力を尽くさねばならないと参上した。

 ところで、昨年のこの場での演奏終了後のこと、一人の中年男性が駆け寄り、「最近は惟然のような面白い歌は歌わないの?」と、いかにも残念そうに声をかけてきた。

 彼の言うところの「面白い歌」とは、私たちの得意分野である風市やパロディーを以って歌う反戦反権力的な歌を言っていたのだろう。思えば昨年の演奏では、その路線の歌は演奏しなかった。私も強い意志を持っていたつもりではあったが、ヒューマンファーマーズは「過激だ!」、「茶化している!」、「ふざけている!」などとの一部の声をどこかで意識して遠慮もあったのかも知れない。

 そこで今年は、ご要望に応えて「漬け物音頭」と「日本国酷歌」をプログラムに加えてみた。とくに君が代を皮肉って、その押し付けを風刺した「日本国酷歌」は、久々の演奏ではあったが思いのほか受けていたようである。

 相棒の佐藤せいごうも、相当鬱憤がたまっていたのでもあろうか、「ヤッホー」などと叫びながら、水を得た魚のように活き活きと演奏に興じていた。

 それにつけても、他のメンバーも私の毒気が浸透しつつあるのだろうか、チームに加入してもう5年は経ってはいるが、最も新しいメンバーの久保幸子ですら、風市やギャグが売り物のコントを見た後、そのコントを評して「全然風市が効いていないわね」などとのたまう始末である。

 いずれにしても今回は、嵐の前の静けさのようでもあり、これまでの運動に一定の確信が持てたということで、落ち着いた雰囲気の集会であった。

 今後改憲勢力も、政界再編を含めあらゆる手立てをこうじてくるだろう。日本国憲法は国民の生命や暮らしを守るもの、国家権力による戦争や専制政治を許さないものである。政治家や公務員はこの憲法をまもり、忠実に任務を遂行しなければならない。主権者国民の一人である私たちヒューマンファーマーズは、九条ソングの創作や憲法フォークジャンボリーの開催などで、たゆまぬ努力をしていきたい。

ヒューマンファーマーズのシーズン 中央メーデーの巻

2008年05月17日 00時46分44秒 | Weblog
 毎年春が来て路地作物の種蒔きが始まり、新緑が映える菜の花まつりの頃にもなると、この時期が良く似合う?ヒューマンファーマーズの演奏活動もいよいよ本格始動である。

 今年も地元でのなの花まつりを皮切りに、代々木公園での中央メーデーや水戸市での憲法フェスティバルなどと続いた。これから百里田植え交流会もある。

 この農繁期でもあり、新緑とぽかぽか陽気の春真っ盛りという季節を反映してか、野外ステージでの演奏が多いのである。

 そしてこの時期は、意外に雨にたたられる確率は少ない。

 5月1日、代々木公園で開催された第79回中央メーデーは、天候身恵まれ4まん4千人の労働者らで賑わった。その文化行事でのステージは、予想通りの一風変わった雰囲気で、いつもとは勝手の違う演奏となった。

 もとより、百姓フォークが労働者最大の集会祭典であるメーデーに出演することは場違いであるという見解もあるだろうが、貧困と格差の解消、人権の擁護と向上、平和と民主主義をなどの叫びは、まさに国民的課題でありわがチームも共通の思い出参加してきたのである。

 そもそも今回の出演のきっかけとなったのは、わがチームが食と農を歌い、その延長線上の消費者や労働者との共動運動でのの演奏活動を旺盛に取り組むようになり、労働組合の集会などに出演する機会が増えていたこともあり、そんな中で、相互理解や共感が広がりつつあったことにもあると思う。

 これまでヒューマンファーマーズとしては、地域や県のメーデー、中央メーデー前夜祭の出演経験はあるが、中央ベーデーの数万人規模の野外イベントでの演奏は初めてである。

 ただ、私と佐藤せいごうは一昨年の中央メーデーに、笠木透と雑花塾のメンバーとして出演している。

 その経験をもとに、あらかじめメンバーには、大群衆の前で演奏に臨む心構えを話しておいた。

 数万人の群集は、演奏を聴いているのかいないのか、しかし聴いて胃内容で聴いているものもいる。あえて聴いていない人にもそれなりに聞こえている。

 いじけず、おごらず、自ら楽しみながらただひたすらしっかり演奏する以外にないと。

 そして予想は的中した。

 会話や笑いそして事務連絡の声、ざわめきたつ群衆の中にパラパラな拍手が起こる。これだけの拍手が沸けば、数千人は演奏に聴き入っているはずだ。またその他の人たちの大部分もbgm程度には耳に入っているはずだ。そう勝手に都合の良い解釈をしながら演奏を終えた。

 今回の出演者は、私のほかに佐藤せいごう、亀井秀明、渡辺三智夫、吉川路子、久保幸子であった。大舞台に動じることなく、アイも変わらずいつもの様に過信満々?の演奏であった。

 ステージを降りた後、会場内に設営されていた音楽センターと農民連の模擬店を表敬訪問した。

 音楽センターの店では、ヒューマンファーマーズのcdの売り上げはあまり芳しくなかったようである。

 農民連の店では、飛んで火にいる夏の虫とばかりに、売れ残った?新潟県産コシヒカリ100%使用のおにぎり弁当(本当においしい!)と、農民連20周年記念グッズの農民連暖簾を買わされるはめになってしまった。

 そんなわけで、ヒューマンファーマーズ中央メーデー公演の巻き一巻の終わり。


「我流川柳 帰農家狂歌」

2008年05月12日 19時55分17秒 | 「我流川柳 帰農家狂歌」
 作らせず 開発輸入で 飢餓輸出
     (脳民)

 目を覚ませ 絶滅危惧種 人間よ
     (農天奇異)

 年金を 天引きされて 無念金
     (百笑放苦過酒)

 環境や 食糧どうする g8
   末広がりか 八つ墓村か
     (失格障害者)

 高齢者 前期後期と 振り分けて
  先を急げと 黒い縁どり
     (愉快性飲酒主義)




菜の花まつりを終えて蜜蜂が

2008年05月09日 18時13分43秒 | Weblog
 第10回の菜の花まつりはまたも新しい人間の繋がりを増やしていった。

 群馬県大間々でのコンサートで出会った伊勢崎の斉藤さんが、この度はハンセン病を支援しともに生きる会として参加し、ハンセン病患者の詞に曲を付けたオリジナル曲「水子の子守唄」を演奏してくれた。

 また会場で声をかけられた中には、栃木県佐野市で毎年シンポジウムを開いている田中正造を現代に生かす会の主宰者もいた。

 看板を見てきたという八千代町のr子さんは、かつて下館労音でともに活動した仲間で、約30年ぶりの再会である。

 このように食健連関係者ばかりではなく、暮らし、人権、平和を守る運動に関わる人たちや、音楽文化でつながる人たちが多数訪れ、毎年出会いや再開が繰り返されネットワークが大きく広がっていることも、菜の花まつりの成果である。

 菜の花祭りを終えて10日も経つと、ナタネノ花も盛りを過ぎてくる。
 
菜の花まつりを開催するのに値するまでに開花するのは、早くて4月25日あたりで、ピークは5月1日から5日にかけての連休後半頃になるようだ。

 菜の花の香りと雑木林の中の清清しさは汚れた自然環境やストレスのたまる人間社会にどっぷりと浸っている方々をひと時だけでも開放してくれるだろう。

 物価高で行楽にも負担が大きくなってきた。グリーンツーリズムとまでは言えないまでも、自然が豊かで景観の美しい農村でのんびり過ごすことも安上がりでお勧めかと思う。

 ところで8日には、常総市の養蜂家が、菜の花畑に蜜蜂を放っている。ナタネモ様々に利用できる作物である。