北嶋誠のブログ

私の考えていること、言いたいことなどなど。

音声式信号機の子と

2016年06月28日 21時07分02秒 | Weblog
障害者の三大不自由の一つとして、移動歩行の不自由がある。社会参加を果たし
ていくため、克服しなければならない重要な課題である。
 家の中や、庭を歩くにしても、何ら手がかりや足がかりがないのでは、如何ともし難
いというのが、厳しい現実である。
 外出する場合、白杖歩行、盲導犬歩行、ガイドヘルパーの同行などの歩行方法があ
るが、何れにしても、訓練や経験を積み重ねることによって、必要最小限の移動歩行が
可能になってくる。
 公共交通機関を利用したいが、路線バスの停留所やローカル線の駅は近くにはない。
タクシーは利用できるが、乗車料が高いので何度も利用できない。
 市が運営する無料の巡回バスがあり、自宅近くに停留所はあるのだが、集に三日運行
で一日三便と便数が少なく、上手く利用しきれないでいる。
 その他にも、視覚障害者の移動歩行には、幾多の難関障壁画付きまとう。その一つ
が、信号機のある交差点での歩行だ。具体例として、我が家から200mの処に、押しボタ
ン式信号機敷設のT字交差点がある。
 先ずここで、交差点の横断歩道の出入り口の位置まで、白杖使用の視覚障害者を誘導
するための点字ブロックが必要になる。同時に、信号機の押しボタンの位置を確認でき
るものでなければならない。
 また、この信号機が、信号機の三食点滅による通行支持を音声で伝える、所謂音声式
信号機でなければならない。
 そして、交差点内の横断歩道には、並行してエスコートゾーン(視覚障碍者用道路誘
導横断帯)を敷設する必要がある。
 これらの設備は、それぞれの担当部署に設置申請をしなければならない。この交差点
は、県道にあるので、車道の外側に敷設する点字ブロックは、茨城県土木事務所に申請
する。エスコートゾーンは、茨城県警に申請する。
 この縦割り行政の下で、何とも手間が取れる話だが、これらが整備されなければ、私
達の交差点歩行は、真に決死の覚悟で臨まなければならない。
 この交差点については、三年前に県土木事務所に申請して、横断歩道の両側出入り口
に、点字ブロックを敷設済みである。
 その後、県警交通科に、音声式信号機とエスコートゾーンの設置を申請した。それか
ら三年間、何度かやり取りをしてきた。
 先頃、茨城視生会事務局が県警交通化に問い合わせたところ、この件については、年
内に完了する方向で進めているという解答を得た。となれば、ここは期待して待つほか
はない。
 もし、これが実現すれば、交差点と巡回バス停留所との間の点字ブロック増設につい
て、県土木事務所に申請する予定でいる。
 さらに、市内の他の箇所についても、緊急性のあるところ、利用者が多いところなど
を優先に、団体として取り組む予定でいる。

情報鎖国と情報統制

2016年06月28日 21時05分29秒 | Weblog
憲法九条の改悪に先駆けて、違憲の集団的自衛権行使容認の戦争法を制定するなど、立
憲主義の破壊がお得意の安倍内閣だ
 そして、メディアへの干渉で、言論表現の自由を抑制し、情報隠しで、国民の知る権
利を侵害している。
 海外のメディアは、安倍内閣の右傾化や報道の自由の制限に懸念を示し、これを批判
する報道が目立つ。
 国連の人権理事会でも、日本政府による報道の抑圧の調査を実施した。以前にも、従
軍慰安婦問題での勧告も受けているが、日本は人権後進国なのか。
 それにしても、日本のメディアはすっかり沈黙したままだ。何のためのメディア化、
ジャーナリズムか、情けない限りだ。
 そんな時、新たに情報鎖国という話を聞くことになった。6月5日、茨城県母親大会
が結城市民文化センターアクロスを会場に開かれた。
 そこで講演した高遠直子さんは、イラクでの人道支援活動の中で知り得た真実が、海
外では報道されているのに、日本ではほとんど報道されていないことに衝撃を受けたと
話した。
 イラク戦争での、米軍による一般市民虐殺。戦後の、イラク政府軍によるスンニ派へ
の弾圧や虐殺が、過激派組織イスラム国の勢力拡大につながったこと。さらに、イスラ
ム国による市民や異教徒への残虐行為。等々。
 こういう真実が、ほとんど知らされていない日本は、情報鎖国だと話した。
 海外から高遠さんが見た日本は、情報鎖国だった。同じようなことが、国内でも行な
われている。
 熊本大地震の報道で、川内原発の情報が極端に少ないと感じていたが、NHKの籾井会
長が、原発報道は政府広報でと指示していたことを認めた。
 これはほんの一例で、冒頭にも記述したように、特に安倍内閣発足後の、メディア抑
圧や情報統制が露骨だ。
 情報鎖国を含めた情報統制は、何のために行なわれるか。特定の政治目的をたっせえ
する目的で、国民の知る権利を奪い、惑わし、誘導し、支配していくためにあるのだと
思う。
 今、狙われていることは、戦争の悲惨さや愚かさを覆い隠し、日本国民を戦争に駆り
立てることだ。

福島県農林水産九条の会結成集会で ヒューマン・ファーマーズ

2016年06月28日 21時03分18秒 | Weblog
戦後71年、日本国憲法施行後69年、この国は戦争をしてこなかった。
 戦争の放棄、戦力不保持を定めた憲法九条がそれまで戦争を繰り返してきた日本に、
かけがえのない貴重な平和な時代を齎してきた。
 軍事力で平和は産み出せない、戦争を放棄した九条が平和を産み出したことの証明で
ある。その九条が、今や危機に瀕している。
 憲法改悪の動きが強まりつつある2004年、全国九条の会が結成された。以後、全
国津々浦々、国民諸階層に大きく広がっていることは周知のとおりである。
 以来12年、憲法特に第九条と平和を守り抜く原動力となってきた。
 顧みれば、わが九条の会・ゆうきは、2005年に結成し、現在二次至るまで、派手
ではないが着実に活動を続けてきた。純朴で保守的な?結城市民にしてはよくやってき
たと自画自賛しても良いと思う。
 ところで、大震災と原発事故など、諸般の事情から結成が遅れてはいたが、この度念
願がかなって結成された九条の会がある。
 5月29日、福島県農林水産九条の会の結成集会が開かれた。会場は、二本松市安達
文化ホールである。
 この集会にあたって、発起人の一人であり、農民連結成時以来の旧知の仲である福島
農民連の根本会長から、ヒューマン・ファーマーズへの出演依頼があり、ここは一肌脱
ごうと勇んで出かけた。
 とはいえ、福島での演奏は、これまで幾度となく経験済みではあるものの、コンサー
トだろうが集会だろうが、その趣旨により、演奏曲をどうするか、共感し合える演奏が
できるかなど、何かと難儀な面もある。
 もちろん、私たちの歌と演奏は、単なるアトラクションではないし、またボランティ
ア活動とも違うと思っている。次世代に、平和で緑豊かな郷土をどう伝えていくか、一
緒に活動しているつもりでいる。
 それでも、取るに足りないヒューマン・ファーマーズである。もともと才能はないが
、被災者たちと交流しながら、自らの想いで創作し表現していくしかない。
 本来、一店共同運動の九条の会だが、そう窮屈に規定された組織や運動ではないと思
う。
 特に、この福島県農林水産九条の会ということからして、九条や戦争法のことに限ら
ず、TPPと農業、もちろん原発問題なども縫合した運動になることは確かだ。
 ヒューマン・ファーマーズの演奏時間は30分間だった。北嶋誠、佐藤せいごう、久
保田秀幸、吉川路子、大泉和美、何とか都合のついたメンバー5人で、「ふるさとを汚
したのは誰」、「までいな村」、「米を作って飯が食えねえ」、「戦争はあかん」、「
希望」の5曲を演奏した。
 レパートリーが多くなると選曲も難しいが、どの歌を選択しても、心を込めて伝えよ
うとする演奏でありたい。
 それでも、伝わらない、共感し合えない、というのなら、私たちの、理解不足、勉強
不足、能力不足が災いしているのだ。もっと修行を積んで出直しするしかない。
 ただ、自ら展望を切り開いていこうとする九条の会が、発足すりるにあたっての演奏
だけに、ヒューマン・ファーマーズのつたない演奏が、多少なりとも激励となれば幸い
である。

TPP批准阻止へ 全国食健連

2016年06月28日 20時59分57秒 | Weblog
5月28日、全国食健連の総会が、浅草で行なわれた。会場の台頭区民会館へ向かう
途中の、浅草浅草寺付近の天ぷら系のお店で、はみ出し天丼とやらを食べた。
 大きなエビ天が日本、アナゴ天、他、野菜やキノコの天ぷらが、それだけで満腹にな
るほど盛り付けられていた。
 それでも、短時間でペロリと平らげた私は、やはり自給率や残留農薬、遺伝子組み換
え食品は入っていないかとか、米の生産地や銘柄は何だろうか、とかと、ついつい考え
てしまうのである。
 食健連結成23年。それ以前の、食糧と健康を守る全国統一行動の頃から、運動に関
わってきた。
 食糧自給率や食の安全にこだわることも、食健連運動四半世紀の悲しい性か。特に、
都内での外食は、輸入食品や食の不安を避けることができないことは判ってはいるが、
それでも多少なりともこだわり続けていきたい。
 そんな訳で、総会にたどり着くと、やはりTPPの議論が中心であった。
 農産物輸入自由化阻止の運動にも関わって40年になるが、究極の自由貿易TPPが登
場するに至って、これは自由貿易とは名ばかりで、多国籍企業が一国の主権をも侵害す
る、究極の支配統制の貿易ルール?であったのだ。
 国際貿易の基本ルールは、言わずもがなの平等互恵が当たり前である。国連の人権理
事会で、食糧主権宣言が採択されたように、食糧問題は人権問題である。TPPに乗り遅
れるなと推進する方が言っていたが、一国の主権を侵害し、平和をも危うくするTPPこ
そ、実は世界の流れに逆行しているのだ。
 今国会においても提出された黒塗りのTPP関係資料が示すように、国会を冒涜し、国
民には知る権利もない、秘密主義のTPPからは撤退するしかない。
 安倍内閣は、さすがに今国会での批准を断念せざるを得なくなった。国民には、「見
ざる聞かざる言わざる」の状態のまま強行突破しようとしたが、ついにあちこちとボロ
が出てきてしまったようだ。
 だが、安倍内閣は、次期国会での批准を狙っている。当面の課題は、参議院選挙で、
TPP推進勢力を少数に追い込むことだ。戦争法廃止や、原発再稼働阻止など、国民の共
同運動と結んで、民意を反映する国会や政府に変えていく絶好機である。
 食健連の総会では、常連の亀田福島農民連前会長が発言し、福島の現状報告の後、「
明日29日には、福島県農林水産九条の会の結成集会を開く。記念公園には、俳優の故
菅原文太さんの妻で、先ごろ農民連に入会した菅原文子さんをお招きし、ヒューマン・
ファーマーズにも来ていただくことになっている。」と報告した。
 全国的にヒューマン・ファーマーズをPRしていただき、とても光栄なことではあるが
、明日には期待に応える演奏をせねばと、すっかり眠気が覚めてしまった。

戦争を止めるため 「望郷の鐘」上映会

2016年06月28日 20時57分09秒 | Weblog
戦争か平和か、その分岐点となる参議院選挙が迫ってきた。立憲主義と民主主義を踏
みにじって、安倍内閣は違憲の戦争法を制定し、戦争のできる国にしてしまった。
 これが運用されれば、同盟国の米国の手下となって、集団的自衛権行使の名目で、た
だちに戦争をする国になる。
 参議院選挙で、事項与党が勝利すれば、法制が運用され、具体的には南スーダンに派
遣されているPKOの自衛隊員が、直ちに「殺し殺される」戦闘に巻き込まれる危機に陥
ることになる。
 これを止めるためには、野党は共闘して、参議院選協に勝利して安倍内閣を退陣させ
ることだ。
 そして、戦争法の廃止、立憲主義と民主主義を取り戻し、軍事力ではなく憲法九条を
活かした平和外交で、東アジアに平和の共同体を作っていくことだ。
 そのまた大きな原動力が、一地点での共同をよびかけた国民の世論と運動だ。
 ということで、前置きが大変長くなってしまったが、結城市内でも、戦争を止めるた
めに、小なりとはいえ多彩な市民運動が展開されている。
 5月13日の、「望郷の鐘」上映会もその一つ。戦争を知らない世代が戦争の事実を
知るには、戦争体験者の話が最適だが、それも少なくなりつつある今は、映画での表現
も説得力がある。
 先の戦争の反省に基づく日本国憲法前文には、「再び政府の行為によって、戦争の惨
禍が起こることのないように(中略)この憲法を確定する。」とある。
 政府が引き起こした戦争で、国民が戦い、国民が犠牲を強いられてきた。
 映画では、「五族協和」、「王道楽土」、「大東亜共栄圏」などと美辞麗句を並べ立
てた国策に騙され、満州国((中国東北部)に送り込まれた満蒙開拓団の人々は、ソ連
軍の信仰を受け、日本軍には置いてきぼりにされ、地獄の苦しみに遭う。
 満蒙開拓団は、事実上は日本軍の中国侵略の下請け機関であり、軍事力の不足の穴埋
めとして、国体維持や本土防衛の名目で、人間の盾とされたのだった。
  満州で棄民となった人々の苦難は未だ終わっていない。中国残留孤児となった人々
の多数が、戦後の日本政府によって戸籍から抹消され、母国に帰ることなく、棄民のま
ま人生を終えようとしているのだ。
 戦争体験者が、必ず言う言葉がある。「どんなことがあっても、戦争だけはしてはい
けない。」と。

菜の花の森コンサート 2016

2016年06月28日 20時55分56秒 | Weblog
5月8日の菜の花の森コンサートは、五月晴れで過ごしやすく、野外活動には持って
来いの条件となった。
 組織的で大規模な取り組みとしてではなく、かるちあ農園とヒューマン・ファーマー
ズの主催で、いのちと暮らしを守る諸活動や、文化運動などに日夜奮闘する仲間たちに
呼びかけたものだ。
 田畑や里山など、残された自然を活かし、食べ物や飲み物等を持ち寄り、コンサート
と交流することが、主たる内容となっている。
 かつて高度経済成長期の頃は、安・近・楽という言葉があり、文字通り安くて、近く
て、楽しめる。という休暇の過ごし方を表した。
 農産物輸入自由化や農産物価格低迷の影響もあって、中山間地農業が衰退してくると
ともに、ヨーロッパなどで取り組まれている、グリーンツーリズム(農村で休暇を)と
、農水相の食糧・農業・農村政策の中に、多少は気の利いた話も登場したものだ。
 農業の多面的機能をアピールすることで、日本農業を守り発展させるための国民合意
形成を図ろうとするものである。
 これも大事だが、政府が国民の胃袋に責任を持つ、食糧農業政策さえしっかりしてい
れば問題ないことなのだが。
 というようなことも、これまで半生をかけてきた農民運動の立場からは、ここで改め
て言いたいところだ。
 だが、今回の菜の花の森コンサートは、半分以上は遊び心で、仲間たちと交流しのん
びりすごしたかったというのが本音である。
 前置きが長すぎたが、今回もいつもの顔ぶれが集まってくれた。わがヒューマン・フ
ァーマーズはもちろんのこと、いわき雑魚塾、春風三郎、はるかかなた、結城うたごえ
の皆さんと、毎度お馴染みの顔ぶれの他に、東京から「フォークグループあじさい」が
初めて参加してくれた。
 あじさいは、憲法フォークジャンボリーin東京の常連で中心的なチームである。コン
サートの現場で、顔合わせはしているものの個別に交流などはできなかった。
 ヒューマン・ファーマーズとして、今後はお互いのコンサート鑑賞から共演など、交
流を深めていきたい。
 なかなか時間的な余裕はない中で、ハードな計画を組むことはないが、活動を通して
育まれた結びつきは大切にしていきたい。
 菜の花の森コンサートも、そのような交流の場として、あじさいの再出演はもとより
、他の仲間のチームにも大いに出演していただきたい。

菜の花の森コンサートに至るまで

2016年06月28日 20時53分52秒 | Weblog
5月8日、わが里山と菜の花畑で菜の花の森コンサートを開いた。このところ、4月
29日の開催が好例ではあったが、今年は諸般の事情で、GWの末尾を選択した。
 菜の花は落ちて、菜種になる過程だったが、この地では何れにしても、食と農や環境
を守る運動の象徴であることに変わりはない。
 そもそも28年前、親しい数家族が、私の田んぼに飲食物を持ち寄り交流した、れん
げまつりが始まりだった。
 1998年、私の失明を契機として援農隊が組織され、菜の花応援隊へ、そして菜の
花まつり実行委員会として発展し継続されてきた。
 菜の花まつりは、茨城県西食健連、茨城県西農民センターなど、広範な団体・故人が
協力し、食と農、環境、平和、暮らしを守るイベントとして、1999年から2011
年まで、13年にわたって取り組まれた。
 2011年3月11日の、東日本大震災と福島原発事故直後の4月29日は、世間の
自粛ムードを振り払い、震災復興と原発事故による損害賠償請求のたたかいとも結んで
、第13回菜の花まつりを開催した。
 だが、その後の調査で、開場の雑木林にも、セシウム汚染の高い場所があることが判
った。このことだけではないが、諸般の事情もあって、菜の花まつりは以後行なってい
ない。
 2012年と13年は、何も催さずに推移したが、友人に依頼して放射能線量の計測
は続けることにした。
 自分の所有地は、事実認識をもとに状況判断してながら、放射能が消えて元に戻る日
まで、末永く見守り続けようと思った。
 ともかく、この地でのヒューマン・ファーマーズとかるちあ農園(ふぁーむ)による
、田園里山での交流会やコンサートが途絶えたままにはいかないので、2014年と1
5年は、以前のれんげまつり方式に近い形で、菜の花の森交流会を開催した。
 そして今年は、菜の花の森コンサートとして、野良の話題から世界平和までを歌い上
げる百姓フォークヒューマン・ファーマーズに相応しい姿を目指した。原点に回帰し、
農民運動、平和運動、文化運動などの仲間たちが集っての交流コンサートとなった。
 これまでの経説明で、文章は長くなってきたので、この辺で終わりとする。

不断の努力で憲法フェスティバル

2016年06月28日 20時51分48秒 | Weblog
今年の憲法記念日5月3日は、文字通りの五月晴れとなった。公布後70年、施行後
69年となった日本国憲法が、今揺れている。
 この憲法を、これからも守り活かしていくために、この憲法の持ち主であり利用者で
ある国民は、不断の努力が問われることになる。
 戦争法を強行し、立憲主義を否定する安倍首相は、いよいよ次の参議院選挙に向けて
改憲を言い出した。
 この憲法が保障する表現の自由や、生存の自由などの諸権利をを蔑ろにするに飽き足
らず、憲法そのものを破壊しようという訳だ。
 憲法の尊重擁護の義務を負う政治家や公務員が、主権者国民をよそに、平然と意見の
法制を強行し、改憲まで主張する今は、憲法施行後最も危機的状況にあると思う。
 その中で迎えた5月3日だが、特別な事をするわけではない。例年通り開かれた水戸
市での憲法フェスティバルに参加し、うたごえの広場でヒューマン・ファーマーズとし
て演奏し、平和へのメッセージソングを歌いかわした。
 茨城センター合唱団や茨城のうたごえの仲間たち、集会参加者らと、約一時間半を通
しで、平和の歌の数々を合唱した。
 各テーマ別交流会後、中央集会が行なわれ、今回のメインゲストは明日を考える若手
弁護士の会であった。県内各地からの参加者と交流し、憲法九条と平和な世の中を、子
どもたちに伝えていこうとする思いを新たにした。
 これも憲法で言うところの、不断の努力の一環であると思っている。
 全国や地域的規模で行なわれる集会やデモも大切だし、日常的に持続的な草の根運動
も必要である。
 戦争法廃止の2000万人署名の取り組み。国会でも選挙でも「野党は共闘」の国民
世論を喚起し、戦争法を廃止し、憲法を活かした国づくりを実現すること。これらの運
動に参加し、微力ながらも実践していきたい。
 私は不断の努力について、駄洒落ではないが、普段の努力と置き換えて考えるように
している。
 強固な意志を持てない、言わば軟弱ものの私にとっては、不断の努力とは思い言葉で
ある。肩ひじ張らずに、それでも日常的に意識し、できるだけこだわりながら行動して
生きたい。
 今年も、水戸市千波湖畔の花みずき公園に、平和を願いたくさんの人々が集い交歓し
た。継続は力なりとは言うが、ここに毎年参加し続けること、これも不断の努力の一つ
かもしれない。

熊本大地震 原発報道の怪

2016年06月28日 20時49分21秒 | Weblog
4月16日に発生した熊本大地震は、前震と称する大地震に始まり、余震の大きさや
数の多さなど、まさに想定外という経過をたどっている。
この事態に、政府が最優先すべきことは、被災者の救助支援は当然のことである。だが
、迫りくるサミットや参議院選挙などの政治情勢が気がかりなのか、その対応は、心こ
こにあらずで「被災地の実情を理解していない」と、地元からは不評を買っているよう
だ。
 また、この震災の対策や報道に関して、不可解なことが多いようにも思う。
 被災地救援に当たっては、これまでの大震災同様に、自衛隊を投入し、ヘリコプター
も出動しているはずだが、今回はわざわざ在日米軍に、なんとオスプレーの出動を要請
しているのだ。
 オスプレーは、言わずと知れた米軍の軍事戦略用航空機で、その死亡事故の多いこと
から、未亡人製造機などと異名をとっている。そのオスプレーを、あえてここで投入す
る必要性はないと思うのだが。
 同盟国や「安全保障制作」の実績作りのためなのか。だとしたら、とんでもないこと
だ。
 大震災の報道にあっては、確かに発生時こそ、「鹿児島県の川内原発や、佐賀県の玄
海原発は異常なし。」と、最低限の発表はあったが、その後原発周辺の余震やその震度
などですら、ほとんど報道されなくなった。
 このことは、原発周辺住民や、再稼働に不安を抱く人なら、誰でも直ぐに気が付くは
ずだし、地元以外の人々にとっても、腑に落ちない話だ。誰もが、背景に報道規制があ
ると思うことだろう。
 その矢先の、5月2日の報道では、NHKの籾井会長が、「原発報道は、政府報道をベ
ースにするように。」と、指示していたことが分かった。
 これはさすがに、安倍首相のお友達でもある籾井会長ならではの所業だ。
 特定の政治目的のために放送がゆがめられていたとしたら、とんでもない表現の自由
の侵害である。
 ましてや、誰かが「いいタイミングで震災が起きてくれた。」と暴言を放ったように
、不幸な大災害に乗じて、己の政治目的を果たそうとするなら、これほど人の道に外れ
たことはない。

音声パソコンを学ぶ パソボラ結城

2016年06月28日 20時47分27秒 | Weblog
4月17日、パソボラ結城が主催して音声パソコンの学習会を開いた。
 結城市民情報センターの一室を会場に、講師には石岡市から額賀勝彦さんを迎えて
、主に音声パソコンの基礎知識を学んだ。
 とはいえ、各種の専用ソフトを使用し、操作法も幅広く奥深くということもあり、お
薦めのソフト紹介やショートカットの説明、そして質問に答えるという内容になった。
 なにはともあれ、パソコンを手にして始めることが先決だ。そのためにもパソボラ結
城に入会して、あせらず持続的に学んでいくことだと思う。
 視覚障害者が一人で学ぶことには困難が付きまとう。入会して交流しながら、メール
でも、インターネットでも、マイエディットでも、自分の興味があることから習得し、
実用化していくことが肝心である。
 練習用音声パソコンは貸与可能なので、じっくり気長に覚えていくことができる。
 また、この学習会は今後も継続していく予定だが、何よりも視覚障害の会員を大いに
増やしていきたい。
 ただ障害者自身が、名乗りを上げてくることは極めて希である。情報を届けることに
にも、障害者が遺志を伝達することにも困難があるからだ。
 この活動に理解ある健常者が、お知り合いの視覚障害者を照会していただくことが、
会員を増やす最も確立の高い方法である。
 合理的配慮の心で、皆さんにお願いしていきたい。