北嶋誠のブログ

私の考えていること、言いたいことなどなど。

今 食と農に立ちはだかるTPPと原発

2013年03月27日 12時42分47秒 | Weblog

 今、この国の食と農の前に大きく立ちはだかるものは、TPPと原発です。
 TPPに参加したら、米国の国内法が優先するような、主権を奪われた従属国となって、農地、農業労働力、農業生産技術、農村が奪われ、環境も文化も破壊されていくでしょう。
 もちろん、食糧自給率、食の安全、地産地消などもあったものではありません。
 何よりも日本が口を挟めないような、危険な不平等条約には絶対に参加するわけにはいきません。
 15日に、安倍首相は公約をあっさりと裏切ってTPP交渉への参加を表明しました。
 もちろんこのままには捨て置けません。食健連や農民連からも、参加表明の撤回をさせるため、様々な行動定期がされましたが、仕事、原発、コンサート、そして風邪にもやられるなどして、何もできないでいるところです。
 とりあえず、食健連作のチラシを印刷して、先ずは結城市内に撒くことにします。
 一方原発はというと、10日の、古河市長命寺での大震災被災者支援コンサートでは、現場を見て交流もしてきた福島県内の状況や、被災者である私たち自身のことを話しながら、その中で創作してきた歌を演奏し、大いに共感を得ることができたと思います。
 福島原発事故と東日本の放射能汚染の深刻な実態は、未だに国民には全容が明らかにされていません。
 この上、再稼動などとんでもないことです。
 私たちとしては、実害を受けている地元の原発であり、首都圏唯一の原発でもある東海第二原発の廃炉を求める運動が大切です。
 3月1日には、原電いばらき事務所前での抗議集会に参加しました。17日からは、憲法フォークジャンボリーin東海村の実行委員会もスタートしました。
 参加はできませんでしたが、3・11には、水戸駅南口での原発いらないみとナイトが開かれ、8日と20日は「浪江町を遠く離れて」上映会が日立と水戸で開かれ、活動は活発化しています。
 今後も、30日には東海村で、村上村長と九条の会事務局長とのビッグ対談があり、4月7日には、やはり東海村で、作家の落合恵子さんを迎えて脱原発サミットが開かれます。
 今後の憲法フォークジャンボリーin東海村の実行委員会と合わせて、成功させていきたいと思っています。

笠木透と雑花塾CD文庫Vol6「豊かな青い海 東日本大震災2」ができました。

2013年03月27日 12時33分59秒 | 笠木透と雑花塾

 笠木透と雑花塾 CD文庫Vol6「豊かな青い海~東日本大震災2」が、今日(8日)わが家に届きました。
 1月10日から13日にかけて、いわき市中央公民館にてレコーディングされたものです
。参加された皆さん、ご苦労様でした。
 ヒューマン・ファーマーズのメンバーとしては、佐藤せいごうが全日程参加、「涙の潮」のメインボーカルをつとめる吉川路子もすでに参加していましたが、私は、佐近加奈子、大泉和美の両名とともに、12日の午後半日間だけ参加し、全員でのコーラスに加わりました。
 したがって、このCDの全体像についてはほとんど分かりませんでしたが、いわき雑魚塾の面々や全国から参集した雑花塾ファミリーの雰囲気からして、良い出来栄えになることを確信しました。
 今日は、お世話になっている水戸翔(はばたき)合同法律事務所の新任弁護士の紹介と交流の集いに向かい、運転の音楽センター道田氏の車中でこのCDを聴きました。
 まさに被災者と共感し、共同し、共生していくために、大いに役立つものになるでしょう。

 笠木透と雑花塾 CD文庫Vol6「豊かな青い海」

 収録曲
  なにごともなかったような
  あの日から
  津波
  涙の潮
  望郷
  ホタルブクロ
  ナナカマド
  ストライキゲンパツ節
  ペンペン草
  豊かな青い海

 演奏
  笠木透と雑花塾

 定価  1000円

 お申し込み
  Fax 0296-35-0931  北嶋
  ヒューマン・ファーマーズHP
  雑花塾 ヒューマン・ファーマーズの演奏会場でもお求めになれます

3月に戦争や核を思う

2013年03月27日 12時23分27秒 | Weblog

 今年も3・11が近づきました。ヒューマン・ファーマーズとしては、昨年に大震災と原発事故をテーマにした歌作りを進めて以来、反原発集会などを主に演奏をする機会も増えています。
 すでに、昨年より依頼のあった古河市の長命寺でのコンサートをはじめ、いくつか要請されています。
 思えば東日本大震災以前は、2月中旬から3月中旬にかけては、百里の初午まつり(毎年2月11日)を除いては演奏活動の少ない時期でした。
 ところが、3・11以後は状況が一変しました。
 昨年のこの時期は特に、一周年でもあり、被災地の復興は遅々として進まず、原発避難民は帰還の目処がたたないまま不遇な生活を強いられていて、そんな中でヒューマン・ファーマーズも、各地で開かれたさよなら原発集会などに、毎週のように演奏に出かけていました。
 今年は、中央レベルでは大集会はもちろん準備されていますが、地域ではむしろ大集
会というよりも、地方に拡散して、より個性豊かに創意工夫された草の根運動となっています。持続的な、原発ゼロをめざしての壮大なたたかいが展望できる状況になっています。
 この時期の演奏活動に向けてレッスンをしている中で、この3月
は戦争と平和や核にかかわる日が何日かあることに気がつきました。
 3月1日は、ビキニデーです。1954年に南太平洋のビキニ環礁で、アメリカの水爆実験が行われ、第五福竜丸が被曝しました。
 3・1独立運動 3・1節(韓国)
 お隣の韓国では、大日本帝国管理下の1919年3月1日、独立運動が起こり、上海に大韓民国臨時政府を樹立。
 3月2日は、中国残留孤児の日。
 3月10日は東京大空襲の日。1945年3月10日深夜0時8分、米空軍B-29の編隊344期による第二次世界大戦最大級の焼夷弾爆撃が東京に行われました。死者は約10万人。
 3月11日は東日本大震災と福島原発事故の日。今なお復興再生の道は遠い出来事
 3月15日は、3・15事件の日です。1928年3月15日社会主義者の台頭を恐れた日本政府は、悪名多開治安維持法をもとに、約1600人を検挙し、大弾圧を加えました。
 3月26日は、太平洋戦争末期の1945年。米軍が沖縄に上陸した日です。
 こうして気がついたところだけ取り上げてみても、広島、長崎、そして敗戦の日と続く8月と同様に戦争や核に関わる重大な出来事があった時期なのです。
 来年以後も、この時期の演奏活動は多くなることでしょう。

この日本の打ち壊し

2013年03月27日 12時17分14秒 | Weblog

 田中正造没後100年を記念して、栃木県佐野市をはじめゆかりの地では、多彩な行事が計画されているようです。
 笠木透と雑花塾としては、CD文庫Vol7「田中正造没後100年」の製作
をすすめています。
 また、例によって笠木さんのよびかけに応じ、歌作りがすすめられました。
 それぞれがまず作詞し、これにみんなで曲を付け、そして歌づくり合宿をして合評し、入選曲を決めていきます。
 今回も、2月17日から19日にかけて、雑花塾のメンバーである鈴木幹夫さんの地元である長野県松本市で行われました。
 このところ私は、現場に参加できないだけではなく、詩も曲も送れずじまいということが多かったので、今回こそはと頭にはありましたが、やっぱり何もできないまま時が
過ぎていきました。
 それでも、国難というよりも酷難のこの時代にあって、何ら黙して語らずということ
はとても不本意なことと一念発起しました。
 ようやく、2日前の15日に、3曲ほど作曲して、カセットテープに録音して宅急便で
送りました。
 通常は、10曲作曲して1曲入選するかどうかという割合なので、あまり期待はしてい
なかったのですが、何とか幸運にも一曲入選しました。
 佐藤せいごうから連絡があり、早速にアレンジを固めるということで、3月2日に、結
城市内の集落センターで、笠木透、増田康記、佐藤せいごうの3名を迎え、「この日本の打ち壊し」にアレンジを加えて、ようやく録音機に収録することができました。
 この歌は、明治維新後の文明開化、富国強兵、殖産興業のスローガンのもとに、資本主義の隆盛、アジア侵略戦争、公害の発生、貧富の格差拡大という、現在の原発事故にもつながる日本社会や国土の打ち壊しを告発したものです。
 この人間社会の在り様を、この美しい地球環境と大自然の中で、持続可能な生き方へと転換していくために、ずっと歌い続けていこうと思っています。

田中正造没後百年

2013年03月27日 12時11分44秒 | Weblog

 お隣の栃木県佐野市に、明治時代の政治家で田中正造の生家はあるのです。亡くなってから今年で百年になるそうです。
 足尾鉱毒事件などを、民衆の側でたたかった人物ですが、そのせいなのか教科書などでの記述は小さいようです。
 日本発の衆議院議員として活躍しながら、自由民権運動にも加わりましたが、権力を奪取した隈板内閣が、変節堕落したのをみて、その後は議員をやめて、請願を中心とした社会滑動を終生やり続けました。
 なによりも、あの大日本帝国憲法の時代から、被災地に入り民衆とともに過ごし、非暴力で日本初の大公害事件をたたかい抜いた人物です。
 そして、非戦平和思想の先駈けでもあります。
 毎年2月に佐野市内で開催されている田中正造を現代に生かすシンポジウムに何度も参加したり、生家や記念館を見学に行ったこともあります。
 今年は没後100年ということで、行政レベルや民間レベルで様々な行事が計画されているようです。佐野市のある方が述べていましたが「明治時代の足尾鉱毒事件と、現在の原発事故と放射能汚染問題は根っこが同じですね」と。
 ですから、明治時代の田中正造のたたかいぶりは、現在の私たちのたたかいに大いにヒントを与えてくれるものと思っています。

3・1原電抗議アクション

2013年03月27日 12時03分50秒 | Weblog

 なんだかんだでもう3月、多くの人たちが嘘とペテンの首相や議員のおかげで、憂鬱であったり激怒したり、呆れ果てたりしていることでしょう。
 だが、国民は、そう容易く耕すことや種をまくこと、そして原発ノーと叫ぶことをやめないでしょう。むしろ、愚かな権力者のおかげで、より主権者としての危機感を抱いたのではないでしょうか。
 現に東海村では、総選挙直後の12月に開かれた脱原発サミットが、東海文化センターを超満員にして、原発ゼロを目指して、大いに気概にあふれるものとなりました。
 私自身も、やや疲労が蓄積されつつある体にムチを打つことまではできませんが、あいかわらずみんなに援助されつつ、マイペースの活動をしています。
 3月1日の金曜日は、総理官邸前と同じく毎週金曜日に、水戸市内でもさようなら原発行動が続けられているので、参加してきました。
 タイトルは、原電いばらき抗議アクションといい、水戸市笠原町にある茨城県庁裏側の茨城開発ビル前で、毎週金曜日に行われている。
 主催は、東海大に原発の再稼動反対と廃炉を求める有志の会です。
 もう一年以上も前から、是非ヒューマン・ファーマーズに来て演奏をしてほしいと、何人かの方から依頼されてはいたのですが、とうとう今になってしまいました。
 それでも、開始時間の6時を大きく遅刻して、終了20分前の7時10分にようやく到着したのですが、茨城農民連や茨城視生会の友人たちが宣伝をしてくれた効果があったのか、強風が吹き雨が迫る悪天候の中でも、大巨を鳴らしながら、大勢の人たちがまっていてくれました。
 リクエストもあったので、「ふるさとを汚したのは誰」と「よみがえれ浜通り」の2曲を演奏しました。
 演奏後、間もなく集会は終わりましたが「歌があると雰囲気がまったく違うね」、「明るさや元気がでるね」などと好評をいただいて、ようやく間に合ったことも合わせて、私自身もほっとできたひと時でした。
 同時に、明らかに支持する党派の違う友人知人たちが、けっこう仲良くやっていてくれたことがたいへん心強かったし、将来展望が見えた思いでした。