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北嶋誠のブログ

私の考えていること、言いたいことなどなど。

かるちあ農園の共同農園

2013年05月31日 21時08分00秒 | Weblog

 三月下旬の頃から、四月、五月と、かるちあ農園(ふぁーむ)のメンバーが我が家の農地の一角を耕して、野菜作りを始めている。
 その場所は、15年前に私が病に倒れた時に起きた援農隊が農作業を支援してくれた畑の一つである。
 その後、ヒューマン・ファーマーズのメンバーである佐近加奈子らが夢農場として野菜作りを始めた。これは2年後に「つわものどもが夢農場」としてあえなく終わる。
 それから3年ほど経った頃、自然農法をに夢を抱いていた青年が、この畑で作付けを始め、東京に消費者を開拓して、訪問産直を行なっていた。
 「自然農法を始めました」という本も出した。
 しかし数年後、周囲の農地などで使用されている農薬に反応して、化学物質過敏症を発祥し、ここでの農業をあきらめて引っ越していった。
 現在は、静岡県伊豆地方のある町で町会議員をしている。
 それから数年は、我が家でわずかばかりの野菜作りをしていたが、これまで作られてきた何種類ものアブラナ科の野菜が自生し交配し繁茂するようになった。
 「これは大松菜だ、小根だ、緑菜?だ」などと言いながら、かるちあ農園のおばさんたちが、やがてこの正体の分からない菜っ葉のナバナを摘みにくるようになった。
 この畑の自慢は、この15年来農薬を使用していないということだ。
 ところが、この畑に何の恨みがあるのか、農業委員会に耕作放棄地ではないのかと通報してくれた方がいるようで、地元の農業委員がわざわざ話に来てくれた。
 そこで私は、「この畑は耕作放棄地には当たらない、超放棄的農地だ」と、農政課と農業委員会事務局に連絡をしておいた。
 そして最近になって、かるちあ農園の皆さんが、わが家の野菜作りを支援かたがた自らも耕作を始めている。
 かるちあ農園による、いわば共同農場コミュニティーファームである。

 5月7日 記

茨城県西農民センター結成25年

2013年05月31日 21時00分57秒 | Weblog

 今日4月25日は、茨城県西農民センター結成満25年の誕生日である。もう誰も気にはしていないことかとは思うが、私にとっては半生をかけてきた運動だけに忘れることはできない日である。
 日本農業衰退の元凶は戦後の一貫した米国追随、財界主導、農業破壊の政治にある。
 農地改革以後のこの国の農民運動は、社会党一党支配の全日農が、農民運動を堕落させ、分裂させてきた。
 1994年の自民・社民・さきがけの村山内閣の時には、野坂全日農会長が建設大臣となり、この内閣はWTO協定をも批准してしまった。
 そして全日農は衰退していくのである。
 農民運動全国懇談会(後の農民運動全国連合会)が、農民運動の真のナショナルセンター結成を呼びかけているのを受けて、全日農中央とは一線を画して、農民懇の方向に連帯していた全日農茨城県連の事務所を訪ねたのは1987年のことである。
 県西農民組合準備会を立ち上げ、準備会代表として、ただ無我夢中で走り回っていた。
 そして、1988年4月30日、八千代町平塚の道前集落センターで、農業つぶしにもう黙ってはいられないと、50数名の怒る農民たちが集まって、結成総会を成功させた。
 以来25年間のことは、ここでは話しきれないが、現在も500戸弱の組織を構え、税金闘争、原発事故の放射能汚染賠償請求、TPP参加反対運動などを旺盛に展開している。本当につくっておいて良かったと思う。そして、たたかいはいよいよこれからが正念場である。
 とにかく、今晩は、たった一人で純米酒でもたしなみながらお祝いしよう。

 4月30日 記

飼料高騰で農水省交渉~その帰り道

2013年05月31日 20時53分15秒 | Weblog

 昨年から、またまた輸入穀物や乾草などの飼料が高騰しておさまらない。
 米国でのトウモロコシの不作など要因はいくつかあるが、安倍首相によるアベノミクスとやらの影響による円安も反映して、どこまで続くか判断がつかない。
 その一方で、水より安い生産者乳価のままでは、酪農経営はもちろん成立しない。
 毎月支払われる乳価を、引き落とされる経費が上回っている酪農経営がさらに増えている。
 これでは経営を維持するどころか暮らしていけないと、農民連と畜産農民全国協議会では、4月24日に農水省交渉を行なった。
 生産者乳価は、指定生産者団体と乳業メーカーとの交渉で決まることにはなっているが、消費者国民の食生活を守るために、農業を安定発展させていく責務を負っているのが農水省である。
 今、酪農経営が苦境にあるこの時こそ、農水省がイニシャチブを発揮し、乳価引き上げを実現させるべきだと要求した。
 戦後一貫して、際限のない農産物輸入自由化とゴールなき規模拡大を押し付けてきた農水省だが、ここでTPPなどに参加してしまうと、いよいよ農水省そのものが整理統合の憂き目にあうに違いない。
 ところで、この日の帰宅途中のことだが、JR宇都宮線間々田駅のホームで、知り合いの地元の自民党員数名と遭遇した。
 まだ明るいうちから酒の臭いをプンプンさせて、シーハーシーハーしながら電車から降りてきた。「こちらは隅田川の屋形船で遊んできたのだが、そちらは公用で農水省交渉とは…」と何やらバツが悪そうだった。
 後で聞いた話では、やはり予想通り地元選出の自民党代議士の後援会で楽しんできたらしい。
 TPP参加問題では、公約違反と批判が高まっている中で、自民党による圧力と懐柔作戦が始まっているようである。これはまずいことだとは分かってはいても、「長いものには巻かれろ」「寄らば大樹の陰」という因習はまだまだ根強いのであろうか。
 私なら、ひと時の屋形船よりも、末永い安定した暮らしのほうをこそお望みしたい。

 4月28日 記

今 食と農に立ちはだかるTPPと原発

2013年03月27日 12時42分47秒 | Weblog

 今、この国の食と農の前に大きく立ちはだかるものは、TPPと原発です。
 TPPに参加したら、米国の国内法が優先するような、主権を奪われた従属国となって、農地、農業労働力、農業生産技術、農村が奪われ、環境も文化も破壊されていくでしょう。
 もちろん、食糧自給率、食の安全、地産地消などもあったものではありません。
 何よりも日本が口を挟めないような、危険な不平等条約には絶対に参加するわけにはいきません。
 15日に、安倍首相は公約をあっさりと裏切ってTPP交渉への参加を表明しました。
 もちろんこのままには捨て置けません。食健連や農民連からも、参加表明の撤回をさせるため、様々な行動定期がされましたが、仕事、原発、コンサート、そして風邪にもやられるなどして、何もできないでいるところです。
 とりあえず、食健連作のチラシを印刷して、先ずは結城市内に撒くことにします。
 一方原発はというと、10日の、古河市長命寺での大震災被災者支援コンサートでは、現場を見て交流もしてきた福島県内の状況や、被災者である私たち自身のことを話しながら、その中で創作してきた歌を演奏し、大いに共感を得ることができたと思います。
 福島原発事故と東日本の放射能汚染の深刻な実態は、未だに国民には全容が明らかにされていません。
 この上、再稼動などとんでもないことです。
 私たちとしては、実害を受けている地元の原発であり、首都圏唯一の原発でもある東海第二原発の廃炉を求める運動が大切です。
 3月1日には、原電いばらき事務所前での抗議集会に参加しました。17日からは、憲法フォークジャンボリーin東海村の実行委員会もスタートしました。
 参加はできませんでしたが、3・11には、水戸駅南口での原発いらないみとナイトが開かれ、8日と20日は「浪江町を遠く離れて」上映会が日立と水戸で開かれ、活動は活発化しています。
 今後も、30日には東海村で、村上村長と九条の会事務局長とのビッグ対談があり、4月7日には、やはり東海村で、作家の落合恵子さんを迎えて脱原発サミットが開かれます。
 今後の憲法フォークジャンボリーin東海村の実行委員会と合わせて、成功させていきたいと思っています。

3月に戦争や核を思う

2013年03月27日 12時23分27秒 | Weblog

 今年も3・11が近づきました。ヒューマン・ファーマーズとしては、昨年に大震災と原発事故をテーマにした歌作りを進めて以来、反原発集会などを主に演奏をする機会も増えています。
 すでに、昨年より依頼のあった古河市の長命寺でのコンサートをはじめ、いくつか要請されています。
 思えば東日本大震災以前は、2月中旬から3月中旬にかけては、百里の初午まつり(毎年2月11日)を除いては演奏活動の少ない時期でした。
 ところが、3・11以後は状況が一変しました。
 昨年のこの時期は特に、一周年でもあり、被災地の復興は遅々として進まず、原発避難民は帰還の目処がたたないまま不遇な生活を強いられていて、そんな中でヒューマン・ファーマーズも、各地で開かれたさよなら原発集会などに、毎週のように演奏に出かけていました。
 今年は、中央レベルでは大集会はもちろん準備されていますが、地域ではむしろ大集
会というよりも、地方に拡散して、より個性豊かに創意工夫された草の根運動となっています。持続的な、原発ゼロをめざしての壮大なたたかいが展望できる状況になっています。
 この時期の演奏活動に向けてレッスンをしている中で、この3月
は戦争と平和や核にかかわる日が何日かあることに気がつきました。
 3月1日は、ビキニデーです。1954年に南太平洋のビキニ環礁で、アメリカの水爆実験が行われ、第五福竜丸が被曝しました。
 3・1独立運動 3・1節(韓国)
 お隣の韓国では、大日本帝国管理下の1919年3月1日、独立運動が起こり、上海に大韓民国臨時政府を樹立。
 3月2日は、中国残留孤児の日。
 3月10日は東京大空襲の日。1945年3月10日深夜0時8分、米空軍B-29の編隊344期による第二次世界大戦最大級の焼夷弾爆撃が東京に行われました。死者は約10万人。
 3月11日は東日本大震災と福島原発事故の日。今なお復興再生の道は遠い出来事
 3月15日は、3・15事件の日です。1928年3月15日社会主義者の台頭を恐れた日本政府は、悪名多開治安維持法をもとに、約1600人を検挙し、大弾圧を加えました。
 3月26日は、太平洋戦争末期の1945年。米軍が沖縄に上陸した日です。
 こうして気がついたところだけ取り上げてみても、広島、長崎、そして敗戦の日と続く8月と同様に戦争や核に関わる重大な出来事があった時期なのです。
 来年以後も、この時期の演奏活動は多くなることでしょう。

この日本の打ち壊し

2013年03月27日 12時17分14秒 | Weblog

 田中正造没後100年を記念して、栃木県佐野市をはじめゆかりの地では、多彩な行事が計画されているようです。
 笠木透と雑花塾としては、CD文庫Vol7「田中正造没後100年」の製作
をすすめています。
 また、例によって笠木さんのよびかけに応じ、歌作りがすすめられました。
 それぞれがまず作詞し、これにみんなで曲を付け、そして歌づくり合宿をして合評し、入選曲を決めていきます。
 今回も、2月17日から19日にかけて、雑花塾のメンバーである鈴木幹夫さんの地元である長野県松本市で行われました。
 このところ私は、現場に参加できないだけではなく、詩も曲も送れずじまいということが多かったので、今回こそはと頭にはありましたが、やっぱり何もできないまま時が
過ぎていきました。
 それでも、国難というよりも酷難のこの時代にあって、何ら黙して語らずということ
はとても不本意なことと一念発起しました。
 ようやく、2日前の15日に、3曲ほど作曲して、カセットテープに録音して宅急便で
送りました。
 通常は、10曲作曲して1曲入選するかどうかという割合なので、あまり期待はしてい
なかったのですが、何とか幸運にも一曲入選しました。
 佐藤せいごうから連絡があり、早速にアレンジを固めるということで、3月2日に、結
城市内の集落センターで、笠木透、増田康記、佐藤せいごうの3名を迎え、「この日本の打ち壊し」にアレンジを加えて、ようやく録音機に収録することができました。
 この歌は、明治維新後の文明開化、富国強兵、殖産興業のスローガンのもとに、資本主義の隆盛、アジア侵略戦争、公害の発生、貧富の格差拡大という、現在の原発事故にもつながる日本社会や国土の打ち壊しを告発したものです。
 この人間社会の在り様を、この美しい地球環境と大自然の中で、持続可能な生き方へと転換していくために、ずっと歌い続けていこうと思っています。

田中正造没後百年

2013年03月27日 12時11分44秒 | Weblog

 お隣の栃木県佐野市に、明治時代の政治家で田中正造の生家はあるのです。亡くなってから今年で百年になるそうです。
 足尾鉱毒事件などを、民衆の側でたたかった人物ですが、そのせいなのか教科書などでの記述は小さいようです。
 日本発の衆議院議員として活躍しながら、自由民権運動にも加わりましたが、権力を奪取した隈板内閣が、変節堕落したのをみて、その後は議員をやめて、請願を中心とした社会滑動を終生やり続けました。
 なによりも、あの大日本帝国憲法の時代から、被災地に入り民衆とともに過ごし、非暴力で日本初の大公害事件をたたかい抜いた人物です。
 そして、非戦平和思想の先駈けでもあります。
 毎年2月に佐野市内で開催されている田中正造を現代に生かすシンポジウムに何度も参加したり、生家や記念館を見学に行ったこともあります。
 今年は没後100年ということで、行政レベルや民間レベルで様々な行事が計画されているようです。佐野市のある方が述べていましたが「明治時代の足尾鉱毒事件と、現在の原発事故と放射能汚染問題は根っこが同じですね」と。
 ですから、明治時代の田中正造のたたかいぶりは、現在の私たちのたたかいに大いにヒントを与えてくれるものと思っています。

3・1原電抗議アクション

2013年03月27日 12時03分50秒 | Weblog

 なんだかんだでもう3月、多くの人たちが嘘とペテンの首相や議員のおかげで、憂鬱であったり激怒したり、呆れ果てたりしていることでしょう。
 だが、国民は、そう容易く耕すことや種をまくこと、そして原発ノーと叫ぶことをやめないでしょう。むしろ、愚かな権力者のおかげで、より主権者としての危機感を抱いたのではないでしょうか。
 現に東海村では、総選挙直後の12月に開かれた脱原発サミットが、東海文化センターを超満員にして、原発ゼロを目指して、大いに気概にあふれるものとなりました。
 私自身も、やや疲労が蓄積されつつある体にムチを打つことまではできませんが、あいかわらずみんなに援助されつつ、マイペースの活動をしています。
 3月1日の金曜日は、総理官邸前と同じく毎週金曜日に、水戸市内でもさようなら原発行動が続けられているので、参加してきました。
 タイトルは、原電いばらき抗議アクションといい、水戸市笠原町にある茨城県庁裏側の茨城開発ビル前で、毎週金曜日に行われている。
 主催は、東海大に原発の再稼動反対と廃炉を求める有志の会です。
 もう一年以上も前から、是非ヒューマン・ファーマーズに来て演奏をしてほしいと、何人かの方から依頼されてはいたのですが、とうとう今になってしまいました。
 それでも、開始時間の6時を大きく遅刻して、終了20分前の7時10分にようやく到着したのですが、茨城農民連や茨城視生会の友人たちが宣伝をしてくれた効果があったのか、強風が吹き雨が迫る悪天候の中でも、大巨を鳴らしながら、大勢の人たちがまっていてくれました。
 リクエストもあったので、「ふるさとを汚したのは誰」と「よみがえれ浜通り」の2曲を演奏しました。
 演奏後、間もなく集会は終わりましたが「歌があると雰囲気がまったく違うね」、「明るさや元気がでるね」などと好評をいただいて、ようやく間に合ったことも合わせて、私自身もほっとできたひと時でした。
 同時に、明らかに支持する党派の違う友人知人たちが、けっこう仲良くやっていてくれたことがたいへん心強かったし、将来展望が見えた思いでした。

化学の力に頼っているが

2012年09月30日 16時17分32秒 | Weblog

 パソコンが古くなってきたせいばかりではないのだろうが、ここのところ何かとト
ラブルが多発して、パソボラの友人に依頼して調整していただいてはいるものの、
実際にこの文章を始めてからも色々とあった。
 スカイプが自動バージョンアップされて使用できなくなり、元の状態にバージョンダ
ウンしていただくのだが、翌日にはまたアップしているということを、これまで3回繰
り返している。
 音声ソフトの機能では、ひらがなの一文字一文字に説明音声がついてしまって、カー
ソルでの文字確認が、とても面倒なことになってしまった。
 これは、以前に似通う例で、パソボラの方に教えていただいたことがあったので、a
okメニューを選択し、pcトーカーの設定を開いて、カーソル文字読みの設定という
ところをいじって何とかなった。
 それで一安心したのもつかの間、今度は漢字変換時の読み上げ機能が消えてしまった
ため、どう漢字変換されているのか確認することが困難になった。
 これもpcトーカーの設定を開いて日本語変換の設定をいじっているうちに何とか修
正できた。
 また、何の原因かはよく分からないが、インターネット検索が思うようにいかなくな
った。もともと、キーボードを適当にいじりながら操作をしてきたことなので、仕方が
ないことなのだが。
 何れにしても、視覚障害者用音声ソフトに対応できる人が身近にいないという条件の
中では何ともし難く、トラブルやフリーズは日常茶飯事である。
 それでもパソコンを利用するのは、視覚障害者にとって音声ソフトの登場が、常法の
不自由や読み書きの不自由を多少なりとも克服していくためには画期的なことだったの
である。
 そういうことでは、私たちは化学の進歩の恩恵を多大に受けて生きていることは紛れ
もない事実ではある。
 だが、化学の進歩は諸刃の剣でもある。健常者にとってのパソコン使用は、人類の長
い歴史のなかで培ってきた技能を喪失しかねないし、心身への弊害も少なからずあると
思う。
 また、核兵器の登場、原発事故、地球環境汚染などに象徴されるように、豊かさより
も破滅への危ぐを強く抱いている昨今である。

茶番劇はもう見たくない

2012年08月22日 21時39分08秒 | Weblog

 またまたオリンピック狂騒曲の最中、国民不在の滑稽(国会)劇場で、消費税増税法
可決という猿芝居あるいは茶番劇の一幕があった。
 主役はもちろん、民主・自民・公明という、一見権力闘争の体裁はとってはいるが、
財界の命令に従っているところは同様の、悪政談合三兄弟が演じている。
 もともと連中やマスコミの手法からして、オリンピックの頃には何かやらかしてくれ
るとは予想していたが、これもシナリオ通りである。
 だが、国民主権の日本国憲法を持つこの国で、このような茶番劇を何度も鑑賞させら
れている場合ではないだろう。
 顧みれば、1993年の宮沢内閣で自民党単独政権は終わりを告げたわけだが、その後は
共産党を除く自民党から社会党までの各政党が合従連衡を繰り返し、対米従属と財界主
導の新自由主義体制を維持してきた。
 幾多の政党が分裂しまた合体し、党名を変えたり、議員が政党を乗り換えることなど
は朝飯前になっている。
 それで政治は良くなるどころか、現状は毎年の政権たらい回しで、目先をかわすお粗
末な事態となっている。
 1993年登場した非自民の細川内閣に始まり、羽田内閣、自民・社民・さきがけの村山
内閣の頃に、WTO協定、消費税、小選挙区制、政党助成金などが強行され、その流れ
のままにここまできて澱んだ泥沼にはまってにっちもさっちもいかなくなっている。
 財界や米国に服従した政治の下では、またぞろ雨後のタケノコのように新党が登場し
てきても、旧態依然とした規制政治の枠の中でしかないことに、もう国民が気づいても
いい頃だと思うのだが。
 懸念されるのは大阪などにも見られるように、他力本願に、英雄、ヒーロー、カリス
マ、何か実行力のありそうな人などを安易に頼めば、ファシズムや独裁者の台頭を招き
かねない。
 今は原発なくせの運動のように、国民自らが声を出し、行動することが求められるし
、この国にも国民主権、民主主義が、そろそろ定着してもいい頃である。