三月下旬の頃から、四月、五月と、かるちあ農園(ふぁーむ)のメンバーが我が家の農地の一角を耕して、野菜作りを始めている。
その場所は、15年前に私が病に倒れた時に起きた援農隊が農作業を支援してくれた畑の一つである。
その後、ヒューマン・ファーマーズのメンバーである佐近加奈子らが夢農場として野菜作りを始めた。これは2年後に「つわものどもが夢農場」としてあえなく終わる。
それから3年ほど経った頃、自然農法をに夢を抱いていた青年が、この畑で作付けを始め、東京に消費者を開拓して、訪問産直を行なっていた。
「自然農法を始めました」という本も出した。
しかし数年後、周囲の農地などで使用されている農薬に反応して、化学物質過敏症を発祥し、ここでの農業をあきらめて引っ越していった。
現在は、静岡県伊豆地方のある町で町会議員をしている。
それから数年は、我が家でわずかばかりの野菜作りをしていたが、これまで作られてきた何種類ものアブラナ科の野菜が自生し交配し繁茂するようになった。
「これは大松菜だ、小根だ、緑菜?だ」などと言いながら、かるちあ農園のおばさんたちが、やがてこの正体の分からない菜っ葉のナバナを摘みにくるようになった。
この畑の自慢は、この15年来農薬を使用していないということだ。
ところが、この畑に何の恨みがあるのか、農業委員会に耕作放棄地ではないのかと通報してくれた方がいるようで、地元の農業委員がわざわざ話に来てくれた。
そこで私は、「この畑は耕作放棄地には当たらない、超放棄的農地だ」と、農政課と農業委員会事務局に連絡をしておいた。
そして最近になって、かるちあ農園の皆さんが、わが家の野菜作りを支援かたがた自らも耕作を始めている。
かるちあ農園による、いわば共同農場コミュニティーファームである。
5月7日 記