この3月31日から四月1日にかけて、笠木透と雑花塾をはじめ、cd文庫「私の子ども
たちへ~東日本大震災」に参加したメンバーが各地で演奏活動をする予定になっている
。
先ず、笠木さんや増田康記さんなどの本隊は、笠木透と雑花塾として、宮城県石巻市
の被災地での演奏を依頼されたという。ただし、この話は現状では諸般の事情で困難さ
があり、延期して十分準備期間をおいて臨むことになったようである。
また、雑花塾メンバーで京都ひまわり合唱団指揮者の山本忠生さんは、京都のうたご
えの仲間を引き連れて、福島県南相馬市の仮設住宅でのボランティア演奏をするという
。
ここでは、まだまだ食糧も不足しているとのことで、食糧支援のために山本さんから
私の処へ農産物の注文が来た。そこで、地域の人たちにお願いして、カンパも含めて協
力することになった。
一方、わがヒューマンファーマーズといわき雑魚塾は、茨城県ひたちなか市で開催さ
れる、さよなら原発4・1集会in茨城に出演する。福島県と結んで、復興対策と、東海
第二原発廃炉運動を進める集会でcd文庫収録曲などを演奏して、集会に参加し運動に
共同して行きたい。
いずれにしても、困難時における支えあう力として、歌や文化が活かされるというこ
とだろう。
雑魚塾と言えば、かつていわき市でcdブック「私の子どもたちへ」製作のために、
小名浜市民会館でライブレコーディングを行なったことがある。
その時に講演し、笠木透さんと鼎談を行なった、大阪教育大学名誉教授の秋葉秀則先
生は、「人間は文化を食べて生きている」と述べているが、歌は人の心を癒し、励まし
、愉快にさせるなどの効力を持っているし、伝達や自己表現などの人間特有の手法でも
ある。
そして心の糧でもあるのだろう。
ヒューマンファーマーズとしては、飯館村の長谷川健一さんから、伊達市にある仮設
住宅での演奏を依頼されている。
南相馬市とはやや事情が違い、伊達市にある仮設住宅では、一定の食糧供給はあると
のことなので、ここは歌と演奏での心の支援に向かいたいと考えている。
私自身も被災者であり、わが家の修復もまったく進んでいない。そして、私たちにも
友人、親戚、幾つかの障害者団体からも義援金やら支援物資が届けられている。
これらの応援に、私自身も激励されて生き抜いているし、これから何年かかるか判ら
ないが、少しずつ我が家の修復もして行きたい。
病に倒れた時もそうだったが、震災にあっても、恩返しの手段としては演奏活動くら
いしかない。より甚大な被害を蒙った地域の人たちに、せめて心の糧となる歌を届けた
いと思う。
時間もエネルギーもそんなに余裕はない。人間には容赦ないいじめや差別も受けてい
るが、支えてくれた人たちを真の人間と思いたい。そう長く多くのことはできないので
、今のうちにできることをやっておくことしかない。
たちへ~東日本大震災」に参加したメンバーが各地で演奏活動をする予定になっている
。
先ず、笠木さんや増田康記さんなどの本隊は、笠木透と雑花塾として、宮城県石巻市
の被災地での演奏を依頼されたという。ただし、この話は現状では諸般の事情で困難さ
があり、延期して十分準備期間をおいて臨むことになったようである。
また、雑花塾メンバーで京都ひまわり合唱団指揮者の山本忠生さんは、京都のうたご
えの仲間を引き連れて、福島県南相馬市の仮設住宅でのボランティア演奏をするという
。
ここでは、まだまだ食糧も不足しているとのことで、食糧支援のために山本さんから
私の処へ農産物の注文が来た。そこで、地域の人たちにお願いして、カンパも含めて協
力することになった。
一方、わがヒューマンファーマーズといわき雑魚塾は、茨城県ひたちなか市で開催さ
れる、さよなら原発4・1集会in茨城に出演する。福島県と結んで、復興対策と、東海
第二原発廃炉運動を進める集会でcd文庫収録曲などを演奏して、集会に参加し運動に
共同して行きたい。
いずれにしても、困難時における支えあう力として、歌や文化が活かされるというこ
とだろう。
雑魚塾と言えば、かつていわき市でcdブック「私の子どもたちへ」製作のために、
小名浜市民会館でライブレコーディングを行なったことがある。
その時に講演し、笠木透さんと鼎談を行なった、大阪教育大学名誉教授の秋葉秀則先
生は、「人間は文化を食べて生きている」と述べているが、歌は人の心を癒し、励まし
、愉快にさせるなどの効力を持っているし、伝達や自己表現などの人間特有の手法でも
ある。
そして心の糧でもあるのだろう。
ヒューマンファーマーズとしては、飯館村の長谷川健一さんから、伊達市にある仮設
住宅での演奏を依頼されている。
南相馬市とはやや事情が違い、伊達市にある仮設住宅では、一定の食糧供給はあると
のことなので、ここは歌と演奏での心の支援に向かいたいと考えている。
私自身も被災者であり、わが家の修復もまったく進んでいない。そして、私たちにも
友人、親戚、幾つかの障害者団体からも義援金やら支援物資が届けられている。
これらの応援に、私自身も激励されて生き抜いているし、これから何年かかるか判ら
ないが、少しずつ我が家の修復もして行きたい。
病に倒れた時もそうだったが、震災にあっても、恩返しの手段としては演奏活動くら
いしかない。より甚大な被害を蒙った地域の人たちに、せめて心の糧となる歌を届けた
いと思う。
時間もエネルギーもそんなに余裕はない。人間には容赦ないいじめや差別も受けてい
るが、支えてくれた人たちを真の人間と思いたい。そう長く多くのことはできないので
、今のうちにできることをやっておくことしかない。