笠木透さんと、奇しくも笠木さんがあこがれていたピート・シーガーが逝ってしまった
2014年が終わる。
今年1月にピート・シーガーが亡くなり、その追悼と、この国の政府による戦争への
道を止めるために、9月には笠木透と雑花塾によるCD文庫「平和の暦」を制作した。
その制作記念の「平和の暦コンサート」を結城市で開催したのは9月21日であった
。
私が笠木さんと演奏をともにさせていただいたのは、この日が最後になった。
体力の衰弱を心配はしていたものの、こんなに早く逝ってしまうとは。
12月6日には、岐阜県で笠木さんの喜寿祝いを兼ねて大忘年会が行われた。
行きたいのはやまやまだったが、地元の仲間とのコンサートなどがあり、これも外す
わけにはいかなかった。
常日頃から、「私との付き合いもいいが、地元の人たちや活動は大切にしろよ」と、
笠木さんには言われているので、事情は分かってくれたと思っている。
笠木さんとの思い出は多々あるが、今は語るのはよそう。
笠木さんがやり残したことはたくさんあるし、わがヒューマン・ファーマーズもまだまだ
やることがある。
笠木透は逝ってしまっても、その存在感はさんは失われるどころか、私たちをますま
す叱咤激励することだろう。
来年初めには、恒例の笠木さんからの年間活動計画は送られてくることはないが、今
度は自ら計画をたてていくことになる。
来年も、雑花塾とヒューマン・ファーマーズとともにたたかおう。