北嶋誠のブログ

私の考えていること、言いたいことなどなど。

政府のお年玉はいつも

2012年01月29日 17時39分00秒 | Weblog
毎日の仕事は相変わらずの酪農業だが、原発事故による実害や風評被害あり、tpp参加を強引に推進しようとする首相もいて、あまり良いニュースはない。
 原発事故の損害賠償請求は、生乳廃棄の被害分などは支払われつつあり、徐々に成果はあがりつつあるが、風評被害は現在も続き、今後も当分治まる見通しはない。
 正月からのレコーディングや一連の新年会は、昨年から予定されていたもので、ハードではあってもわりと充実していたせいか、さほど疲労感はなかった。
 それでも、親戚などでお葬式や入院という出来事が続くと、あわただしくなるだけではなく、寒さも身にしみてくる。
 そんな最中でも、民主党政府や野田首相による国民への背信行為はまだまだ続いている。
 今度は障害者制度改革の問題で、障害者自立支援法を廃止して、障害者総合福祉法を制定するという基本合意が反故にされようとしている。
 障害の責任は障害者にあるとした障害者自立支援法は、憲法違反であるとして、違憲訴訟が取り組まれた。
 その結果国が謝罪し、障害者自立支援法を廃止して、2013年8月までに、障害者総合福祉法を制定するという基本合意に達し和解した。
 政府内に、障害者制度改革委員会が設けられ、議論が重ねられてきた。
 だが、ここにきて、廃止ではなく、改正法でお茶を濁そうとする雲行きになってきている。違憲訴訟に国が謝罪し、基本合意した、まさにこれ以上の公約はないとは思うのだが、これを民主党政府はホゴニしようとしている。
 訴訟に基づく基本合意が守れないことなどあってはならないことである。それでも、毒を喰らわば皿までということもある。民主党は落ちるところまで落ちるのか。いやそれよりも、自民党とは大差がなかったわけで、期待をしていたとしたら、そんな自分の評価ミスを反省すべきだろう。
 何れにしても、政府からのお年玉が、例年こうだと、われわれ国民の生活はいよいよどん底に向かってしまうのだろうか。

展開を変えた歌づくりと東日本被災者支援コンサート

2012年01月01日 01時36分00秒 | Weblog
今年の東日本大震災では、我が家も種々の被害を受けた。そのために仕事もヒューマンファーマーズの演奏活動もとんでもないというか、想定外という展開になってしまったといえる。
 tppだけでもとんだ迷惑なはなしだったのに、3・11以後は、文字通りの大激震が奔った。
 建物や墓石などの損壊は、墓石5基の修復が成ったのみで、あとは全く手賀着いていない。
 酪農経営は、停電と放射能汚染問題で生乳の出荷停止対策が採られ、これについては、東電への損害賠償請求が現在も継続され、一部は賠償金が支払われている。
 ヒューマンファーマーズの演奏活動が攻勢的な展開に向かったのは、大震災と原発をテーマに創作を進めたことと、大震災被災者支援コンサートをはじめ、旺盛に演奏活動を行なったことからだろう。
 創作は5月から初めて、6月から7月にかけて僅か4曲しか出来ていない。しかも、実際に演奏されているのは、「よみがえれ浜通り」と「ふるさとを汚したのは誰」の2曲である。
 それが思いのほか好評なのではあるが、特に作詞作曲について深く考えていたわけではない。ただ歌詞については、東北の被災者の心情は計り知れないものであり、また人それぞれであり、それを表現することは難しいと思っていた。
 そこで「海が押し寄せてきた」「水田は海の底」「空を汚したのは誰」などの語句は、福島県浜通りの友人たちの言葉をそのまま使用しただけである。
 これらの歌を演奏した会場には、ほとんどといって良いほど福島県の被災者の存在があり、演奏後にお礼や感激の言葉をいただいたことも何度かある。
 それで多少は自身がでてきたのだが、決定的だったのは、10月22日に結城市で開いた東日本大震災被災者支援コンサートである。
 ここから、なくせ原発10・30福島大集会への出演、笠木透と雑花塾cd文庫への「よみがえれ浜通り」収録の話や、日本のうたごえ祭典代音楽界での「ふるさとを汚したのは誰」の演奏、などへと展開して言ったのである。
 大した才能はないにしても、私たちにできることとして、攻勢的に創作と演奏をすすめたことがこういう展開をよんだものと思う。
 さて来年はどうしたものだろう。もう引っ込みはつかないだろうし、かと言って大きな期待をされても困る。
 当面cdの収録もあるし、演奏の予定も入ってきている。今年の貯金はいくらでもない。
 ただ、既存のオリジナル曲もあるし未発表曲もある。更なる創作もしたい。また、メンバーも過信満々であってはいけないので、多少はレッスンもして行かなければならないだろう。