北嶋誠のブログ

私の考えていること、言いたいことなどなど。

日本に酪農は要らないのか

2009年07月28日 22時33分20秒 | Weblog
 梅雨も明けて真夏ともなると、我が家の乳牛たちも暑さに悩まされ、お盆のこ
ろには夏ばてもピークとなり、乳量も減ってくる。

 もともとホルスタイン朱は、名称の由来が、ドイツとデンマークにまたがるホ
ルスタイン地方から来ているように、北欧系の家畜であるから、暑さは苦手のほうである。

 冷涼でやせた土地の北欧では、条件に適した農業が牧畜であったのだろう。そ
の牧畜が温暖多雨のモンスーン気候の日本にもたらされたのである。

 古くは大陸の中央アジアから伝来してきたようで、この国に定着したとは言え
ないものの、酪、蘇、醍醐など、ヨーグルト、バター、チーズにあたる食べ物もあった。この上ない味わいのことを、醍醐味という言葉としても使われてきたくらいである。

 その後江戸時代には、水戸黄門が乳製品を食べていたという話もある。そう言
えば何十年か以前には茨城県酪連の会長は徳川さんという方が務めておられたが、これと関わりがあるかどうかは判らないが、多分水戸徳川家の方ではなかっただろうか。

 また、徳川吉宗が、インド牛とやらを千葉県で飼育させ、牛乳や乳製品を製造
させたという記録もある。

 ペリーの黒船来航により、開国してからの江戸時代末期から明治時代にかけて
、オランダやアメリカから乳牛や牧草などが渡来し、特に明治時代の文明開化と西洋化が近代化だという風潮の中で酪農が始められた。

 しかし、本格的に酪農が開始されたのは第二次世界大戦後で、選択的拡大と規
模拡大の基本法農政のもと、食の洋風化ともアイマッテ急速に発展してきた。

 日本型食生活は栄養バランスが最も取れていると高く評価されているが、牛乳
乳製品はカルシウムを多く含有することや、食卓を豊かにすることによってこれをさらに補完してきた。

 だが、現状の農政は日本には酪農が要らないかのようである。また、政府が勧
める効率優先大規模酪農は、日本の風土や立地条件に適合しているとは思えない。

 乳価の低迷や、昨年の未曾有の飼料資材価格の高騰や金融危機もあって、小規
模酪農家はもとより、大規模酪農かもたくさん潰れている。

 ミルクプラント(牛乳精製処理施設)を持つ中小メーカーや酪農組合農協も運
営が困難になっている。得に、1999年のころの牛乳処理施設の合理化政策によって、地方の中小プラントはほとんど消滅している。

 その一方で、大手乳業メーカーの巨大工場が建設され、独占化が強まった。

 わが結城市にも広江牛乳という会社がある。かつては生産者とミルクプラント
をかかえ、瓶詰め牛乳の販売を行なってきたが、合理化政策のもとでプラントは閉鎖された。

 現在は販売業者としての営業は続けている。

 かつて広江牛乳に出荷していた酪農家は、合併した新しい酪農協に所属してい
る。結城市酪農振興協議会の一員としても活動しているが、現在の会員6戸のうちの2戸が僅かに残ったその酪農家である。

 こういう経緯をみると、本当に日本に酪農は要らないのかと言いたい。

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
広江牛乳 (ミー)
2009-08-11 19:55:22
私の実家でも広江牛乳に出荷してました!その昔は 兄二人も手伝い自転車に牛乳カンを3本つけなんて何往復も運んでから学校に行ってました。酪農は昔から苦労してました。
返信する

コメントを投稿