北嶋誠のブログ

私の考えていること、言いたいことなどなど。

TPP批准阻止3・30国会行動

2016年04月20日 19時20分39秒 | Weblog

TPP No! 国会批准をやめよ!
3月30日、永田町の国会周辺を舞台にして、国会議員要請、議員会館前座り込み、決
起集会、キャンドルでもなど、一連のTPP批准阻止国会行動が行われた。
 主催は、28名の各界隠しが呼びかけ、広範な66団体が結集したTPP批准阻止ア
クション実行委員会だ。
 ところで、JA中央会については、農協改革などと称する自民党の圧力に屈し、TP
P反対の運動はトーンダウン気味となっている。
 だが、北海道などの農村や地方では、この様な農協つぶしに益々危機感を募らせ、農
民や単協としてのたたかいは、いっそう強まってきている。
 それにつけても、交渉の中身を、国民にも国会にも明らかにせず、しかも他の参加国
が、ほとんど国会批准の目途が立たない下で、日本が率先して批准し、協定の発効を促
進しようなどとはとんでもないことだ。
 もともと自民党は、民主党から政権を奪い返した総選挙では、TPP絶対阻止を選挙
公約にしていた。また、国益に反するTPPには参加しないとの国会決議もあったはず
だ。
 そんな約束は、全く何処へやらだ。考えてみれば安倍自民党政権は、「安保法は戦争
にはつながらない」、「消費税は福祉にまわす」、「福島原発の汚染水は完全にブロッ
クされている」などと、いわば嘘とペテンの常習犯だ。今更驚くことでもない。
 肝心なのは、主権者たる国民が、この様な暴走・独裁・売国・軍国政治を許したまま
で良いのかということだと思う。
 次の国政選挙では、「国民の不断の努力」や民主主義そのものが問われてくる。
 私としては、選挙はもちろんだが、それ以前にも、請願、集会、デモなどの行動によ
っての意思表示と、国民世論を喚起することは可能だと信じ、今回の行動に参加した。
 仕事や社会活動でのトラブルが相次ぎ、寝不足で疲労気味ということもあって、午後
からの国会議員要請と国会議員会館前座り込みの行動のミニ参加し、憲政会館での決起
集会やキャンドルでもは遠慮させていただいた。
 この行動には、全国から広範な団体個人の700人が参加した。政党からは、発足し
たての民進、共産、生活、社民の、四野党が勢ぞろいした。
 この間の、戦争法、原発、TPPなどでの共同運動の広がりと、「選挙で野党は共闘
」という国民世論の高まりが、やはり政治を動かす原動力なのだ。

東日本大震災と福島原発事故を未来に語り継ぐコンサート

2016年04月20日 19時19分03秒 | Weblog

未だに復興とは程遠い、福島の人たちの悲痛な叫びと、それでも未来に生きる人たち
のために、美しい大自然と優しい人たちの住む福島をよみがえらせようと、たたかい続
ける姿を見たように思う。
 あれから5年が経った3月21日、いわき市文化センターで「東日本大震災と福島原
発事故を未来に語り継ぐコンサート」が行われた。
 雑花塾やヒューマン・ファーマーズとしては、初めての演奏会場である。参加客層も
、交流がないだけではなく、笠木透の名前さえ知らない人たちが多数だった。
 それでも、これまでの福島の人たちとの交流がある。そして、私たち自身も被災者と
してたたかってきた。
 ヒューマン・ファーマーズは、その交流とたたかいの中で生まれた歌を披露した。演
奏曲は、「ふるさとを汚したのは誰」、「までいな村」、「希望」、「よみがえれ浜通
り」の4曲だった。
 演奏メンバーは、北嶋誠(結城)、佐藤せいごう(土浦)、久保田秀幸(松戸)、吉
川路子(かすみがうら)、大泉和美(柏)の5名だ。
 大震災直後に創作した歌もあり、演奏の中にも当時が鮮やかに蘇り、強い感情の籠も
ったえんそうができたように思う。
 雑花塾は、西から上田達生(光)、尾崎ツトム(岡山)、増田康記(郡上)、鈴木幹
夫(松本)の4人が、各地で演奏をしながらやってきた。これに佐藤せいごうと私が加
わった6名の演奏となった。
 さすがに百戦錬磨の表現者たちだけに、それぞれの人間性と安定した演奏に、私もす
っかり安心してしまった。
 ヒューマン・ファーマーズの演奏の際には、頑張って心からの思いを込めて演奏して
いたのだが、雑花塾の演奏中に、安心と疲れからか、私は不覚にも半分は眠っていたよ
うにも思う。
 周囲からも、「大分疲れてますね」、「顔色が良くないね」、「身体は大丈夫?」な
どと心配されてしまった。
 まだまだ復興には程遠いというのにこの体たらくではと、長く活動を続けるためにこ
そ、ペース配分も十分に考えていかなければと反省している。
 それでも、いわき雑魚塾をはじめ、福島の仲間たちと集い演奏することができて、そ
れだけでも本当に良かった。そして、お互いに激励し合うことになったことは間違いな
い。これからも、地道に継続していきたい。

高齢者大会で歌う

2016年04月20日 19時16分36秒 | 

3月12日には、年金者組合の役員の方から依頼を受け、茨城県高齢者大会でヒュー
マン・ファーマーズとして演奏した。
 会場は、筑西市にある茨城県県西生涯学習センターのホールで、音楽にも使用できる
音響が常設されていたので、これには救われた。
 数年前、水戸で開かれた日本高齢者大会に参加した経験はあるものの、どんな演奏を
するかは全く手探りで、演奏曲も当日まで決めかねていた。
 折しも、我が家の乳牛たちは、集団風邪、伝染性大腸炎、起立不能などトラブルが続
いていた。11日には、確定申告の予定が、とても間に合わず、その晩に予定していた
水戸の茨城原電前での大震災原発事故五周年行動には、ヒューマン・ファーマーズとし
ての演奏を予定していたが、これも急遽キャンセルした。
 睡眠時間も少なく、疲労もあって、ひたすら黙々と生活していたら、たちまち高齢者
大会当日を迎えてしまった。
 ただ幸か不幸か、11日の晩と12日の朝は、諸般の事情からいち早く酪農ヘルパー
を予約していた。
 そこで、3時間という短時間ではあるが時間が取れたため、大会に参加し、演奏する
ことが何とか可能になった。
 演奏時間は開会前の9時20分からの、30分間をいただいていた。
 事前に、高齢者がみんなで歌える歌もお願いしますと言われた手前、高齢者には一番
人気の青春歌謡である「青い山脈」を加えることにした。
 その他は、いつものレパートリーの中から、開場の雰囲気に合わせて選曲した。
 演奏曲は、「水田」、「よみがえれ浜通り」、「平和の暦」、振付を加えた「ピース
ナイン」、そして「青い山脈」となった。
 演奏者は、それぞれハードスケジュールの中にも参加することができた北嶋誠、佐藤
せいごう、大泉和美の、いわばトリオ?ということであった。
 比較的協調性?のあるメンバーを揃えたためか、ろくなリハーサルもなく演奏は無難
にこなせたと思う。
 それでも後日、演奏を聴いたという農民連の会員やかるちあ農園の女性たちからも、
「とても素晴らしい演奏で感動した。」などとの感想をいただき、何とか高齢者大会成
功のために、多少の貢献はできたのかなと思う。
 それにしても、元気に生きる高齢者が多い反面、高齢者には苦難の時代ともなってい
る。記念公園の宇都宮謙治弁護士のお話が聴けなかったのは残念である。

3・8梅満開ウグイス来る

2016年04月20日 19時14分40秒 | Weblog

3月8日、お彼岸間近のこの日、我が家の庭の梅は満開となり、屋敷林ではウグイス
も啼き始めた。
 昨年のウグイスは、お盆直の数日前まで啼いていたのを確認しているので、これから
約五か月間は、囀りを聴き続けることができるということだ。
 安倍首相の責任とばかりは言いたくないが、とにかく世知辛い世相の下で、一服の清
涼剤となってくれると有難い。
 毎年聴いていて思うのだが、一般的に言われている「ホーホケキョ」という啼き声は
、確かによく聴くことができる。
 だが毎日聴いていると、実に多彩な啼き方をする。季節によって変化するのか、年齢
によって変化するのか、いったい何を考えているのかは分からないが、とにかくバラエ
ティーに富んではいる。
 このウグイスをはじめ、我が家の屋敷林に飛来する鳥類の啼き声は、ともすれば心の
余裕を失いかける自分にとって、冷静さを取り戻すことに、これまでもずっと役立って
きたのかもしれない。
 ところで、この地域の里山や雑木林と言えば、産業廃棄物の捨て場として悪用され、
環境破壊の一因にもなっている。
 それだけではなく、近年は森林そのものが激減しているという深刻な問題が広がって
いる。
 そうは言っても、こんな心配をしているのは私くらいなのか、周囲でほとんど話題
にもならない。
 森林激減の最も大きな原因は、工業団地の建設である。
 最近では、太陽光発電施設のために、随所で森林が伐採されている。危険で不安な原
子力に代わり、環境に優しい自然エネルギーと名を打つはずの太陽光発電が、温室効果
ガスと地球温暖化対策として貴重な存在の森林を消滅させているとは、皮肉なことであ
り矛盾している。
 また農業がまだ頑張っている地域では、里山として長年活用してきた雑木林から屋敷
林に至るまで、お上の扇動に乗せられたのか、片っ端から開墾して、規模拡大路線を突
き進んでいる。
 昼間でも薄暗くて怖いような雑木林に、多種多様な動植物が生息していた頃を、今の
子どもたちは知る由もない。
 ウグイスの話題から飛躍してしまったかも知れないが、いつまでも、ウグイスが生息
できる環境であって欲しいし、またそうある様に、環境汚守り続けていかな
ければならないと、つくづく思う。

田中正造シンポで共演2・21

2016年04月20日 19時13分21秒 | 

2月21日、毎年この時期に恒例の、田中正造を現代に活かすシンポジウムに参加し
た。
 シンポとは言っても実際のところは、立憲主義や平和主義の先駆けでもある田中正造
の生き様を学び、現代に渦巻く政治や社会問題に立ち向かう運動に、どう活かしていく
かという立場での講演と、フロアーからの発言で主に構成されている。
 あの平和や民主主義とは程遠い明治憲法下で、非暴力で住民と共にたたかい抜いた正
造の生き方には敬服するが、これはむしろ現日本国憲法下での国民こそが、憲法に示さ
れた不断の努力として行使していくべきことなのだと思う。
 ところで、このシンポでは、冒頭の文化行事として、地元のサークルによる正造をモ
チーフにした詩吟の発表があった。
 だが会員の高齢化とともに解散となり、今回はもう鑑賞することはできなくなった。
 そこで、わがヒュマン・ファーマーズの佐藤せいごうが、別の正造関係の集いで、「
一声不平あり(作詞 笠木透 作曲 佐藤せいごう)」を披露したところ、佐野のシン
ポでも演奏してくれと頼まれたとのことである。
 そこで、佐藤せいごうとそのグループというチーム名で、笠木透と雑花塾CD文庫「わ
れここにあり~田中正造没後100年」の制作に関わった連中を募って合同演奏をする
ことになった。
 戦争法廃止を目指して野党は共闘のこの時世に、歌で表現するフォークシンガーは、
当然の如く共演である。
 茨城のヒューマン・ファーマーズからは私が参加した他、地元佐野からはウッドラ
ンド・リンギングが、群馬の館林からは館林ロストシティー・ランブラーズが、それぞ
れフルメンバーで参加した。
 シンポジウム開会後、15分間の演奏時間をいただいたので、CD文庫「われここにあ
り」の中から、「一声不平あり」を皮切りに、「いつの日か(作詞 笠木透 作曲北嶋
誠)」、「鉱毒悲歌(伝承)」の三極を演奏した。
 笠木透が残してくれた歌と、文化でたたかう仲間たちとの結びつきが、私達にとって
は貴重な財産である。また機会があればやることだろう。

初午まつり 2016

2016年04月20日 19時12分34秒 | 

2月11日、航空自衛隊百里基地(茨城空港)内の誘導路を、くの字に曲げているこ
とで知られている平和公園で、今年の百里初午まつりが開かれた。
 毎年のように、農民連やヒューマン・ファーマーズとして参加してはいるが、今年は
特に、戦争法廃止の運動が大きく広がる下で、平和を守り抜こうとする気概に満ち溢れ
ていた。
 参加者は、バスでやってきた東京や栃木県の平和団体など、県外を含めて500人く
らいはいただろうか。
 「極寒の地百里」?と異名をとるほど、過去幾度となく季節風や雪の寒さに見舞われ
てきた初午祭りだが、今回は例年にない暖かい人なり、緊迫さの中にも、明るく賑やか
なまつりとなった。
 毎度、百里基地反対同盟の方々には、お赤飯と樽酒をごちそうになっている。赤飯は
たちまち品切れで急遽に追加分を炊き上げる盛況ぶりだった。
 私が最も期待しているのは、ある方から密造酒(どぶろく)をいただけること。ご機
嫌のいい時には、米で作った焼酎をご相伴に預かることもある。
 この度のヒューマン・ファーマーズの演奏は、北嶋誠、久保田秀幸、大泉和美の三人
で、「愚者」、「米を作って飯が食えねえ」、「よみがえれ浜通り」などを披露した。
 1945年8月15日、太平洋戦争に負けて、関東軍(旧満州の日本正規軍)に、満
州に置いてきぼりにされた宮沢昭(元百里基地反対同盟代表)が、この地に入植して農
業を始めた。
 その後、ここに航空自衛隊基地を作るとして、立ち退きを求められた。
 何度も軍隊に翻弄され続けた。それでも迎合することなく、反基地反戦の人生を貫い
た宮沢さん。
 その遺志は、平和な世の中と憲法九条を後世に伝えようとする、これだけ多くの人た
ちに確実に受け継がれている。

これも食文化?

2016年04月20日 19時10分46秒 | Weblog

新年の生活が始まったかと思うと、瞬く間に時は流れて行く。正月から二月にかけて
などは、特にそう感じる。
 その間に、季節の伝統食というか、地域の食文化を味わうことができる。
 もちろん、全国共通もあれば、関西や外国から伝わってきた「食」もある。
 「食」としたのも、単に食としてのみならず、現在では、食の流行には何かと訳あり
で、食文化とは言い難いものもあるのではないだろうか。
 正月のおせちや雑煮に始まり、七草粥、節分のイワシなどは、真に全国的な伝統食と
言えるだろう。
 また、初午では、全国的には稲荷ずしが一般的なようだが、ローカルな郷土食として
、栃木県とその周辺で、初午によく作られているしもつかれ(結城市ではすみつかりな
どとも言う)が広く食されている。
 ところで、私の記憶では約10年前くらいからだろうか、節分に恵方巻が広がってき
た。調べてみたら、確かに大阪方面では、古くから巻きずしを食べる風習があったとい
う。ことだが、1998年に、Sコンビニが恵方巻という名称で販売を開始してから全
国に広がったという。
 その後、ノリ業界、寿司業界、スーパーなどの販売戦略に乗って、正月のおせちやク
リスマスのケーキの如く、節分に恵方巻が当然のように食べられている。
 これも食文化の一つなのだろうか。そうだとしても、多様な環境、風土の生活の中で
、多様に育まれてきた食文化とは違う。
 西洋からの
 
 だが、2月に入って、節分の恵方巻やら欧米からの模倣のようなものもある。クリス
マスのケーキや、最近ではバレンタインデのチョコレートのような例もある。
 こうなると、どのようなきっかけであろうと、一定の年月を経て国民生活に定着した
となれば、これはもう立派な食文化となってしまうのだろう。
 何れにしても、巻きずしもチョコレートも好物なので、あまり批判はしないでおこう


家族農業を守って29回大会

2016年04月20日 19時09分29秒 | Weblog

暖冬と言われる中にも、やや冬らしさを見せてきた1月31日、八千代町中央公民館
で、茨城県西農民センターの第29回大会を開いた。
 国民の食糧に責任を持たない政治の下では、発言し行動する農民組織が無くてはなら
ない。
 28年前に結成した時にも、同じ気持ちで集った農民たちも、もう何人も残ってはい
ない。
 亡くなったり、代替わりしたり、離農したりで、その後に入会した会員が圧倒的にな
っている。
 それでも、この国の農業つぶしの暴政は未だに留まるところを知らない。
 結成以来税金闘争、牛肉オレンジの自由化、米価闘争、米パニック、WTO協定、遺伝
子組み換え食品、O-157、BSE、口蹄疫、etc。
 農業と食糧を守るたたかいを、農協系統の運動が撤退していく下でも、農民連や食健
連は、ひるまずにたたかい続けてきた。
 今では原発事故損害賠償請求やTPP批准阻止のたたかいなどで、確実に受け継がれて
いることは、何につけても心強い。
 来年は、いよいよ30回大会である。また再来年は、結成万30年を迎える。
 農民の苦悩あるところ農民連あり。農民連の結成に参加し、茨城県西農民センターを
結成して、本当に良かった。
 私も、大したことはもうできないが、まだしばらくは共にたたかいたい。
 90歳を迎えた、農民連の元代表常任委員の小林節夫さんがいつも言っていた。「今
たたかわずして、いつの日たたかうのか!」

お酒と潮の香りを味わう会

2016年04月20日 19時07分17秒 | Weblog

17日、茨城視生会主催の「お酒と潮の香りを味わう会」に参加した。昨年は「お酒
と料理を味わう会」という名称で開いたのだが、今年はこのような名称に変化した。
 諸般の事情に鑑みて臨機応変、行事の名前も内容も如何様にも変化する。茨城視生会
は、この様に自由で寛容な組織である。
 総会であろうが、学習会や講演会であろうが、国会や自治体への要請行動であろうが
、終了後には懇親会が付き物である。
 今日の行動を反省?し、交流を深めることが慣例になっている。
 会員一人一人の相互理解を深め、結びつきを強めるということもあるし、明日への英
気を養うことにもなる。
 もともと、移動歩行の不自由や情報通信の不自由が付きまとう視覚障害者にとっては
、このような機会は少ない。
 茨城視生会の行事で、懇親会が付かない行事は、この味わう会やミニフェスタのよ
うに、初めから飲食交流がメイン企画?として、しっかりと含まれている。
 それだけ、会員相互の交流を重視している会なのである。
 水戸線、常総線、バスと乗り継いで着いた会場は、日立市十王の国民宿舎鵜の岬であ
る。私にとっては、初めて来る地である。
 全国的にも人気の高いということで、特に宿泊の予約は困難だという話だったが、今
回は、昼食交流の予約だったので、昨年に続いて諦めずに挑戦し続けて、何とか予約が取
れたとのことである。
 海辺の施設でもあり、さすがに刺身や煮魚などの海の幸は、活き好し、味美、香り好
しだ。
 これが、さらに正眼者であれば、料理や施設内の雰囲気、自然環境などに至るまで、
視覚で存分に味わうことが可能なのだが。
 ここでふと脳裏をよぎったのは、原発事故以来の放射能汚染のことだ。
 海底に生息する魚介類などは、沈殿しているセシウムに汚染されているとか。放射能
は、海流に流されて問題ないとか。様々な情報があるが、検査体制を確立して、科学的
な根拠に基づいて、不安が解消されることが前提である。
 怖いから食べない、という方もいるだろうが、私としては、近海で取れた新鮮で美味
しい海の幸は、これからも食べ続けていきたいと思っている。
 何よりも、汚染水対策も含めて、原発事故の収束に向けて、政府や東電はもとより、
全国民的に真摯に望んでいるかどうかが問われるだろう。