北嶋誠のブログ

私の考えていること、言いたいことなどなど。

軍隊とジャーナリズム

2007年09月29日 01時16分32秒 | Weblog
 軍事政権化のミャンマーで悲劇は起こった。燃料代値上げ反対などを要求して大規模デモを開いている僧侶、市民、学生らとこれを鎮圧する治安部隊を取材していた日本人ジャーナリストが殺害されたのである。

 治安部隊というが実態は正真正銘の軍隊であり、戦争の遂行以外に軍隊の主要な任務として、治安対策という名目での国民抑圧がある。
 
 自民党の新憲法草案では、戦争の放棄を放棄して、自衛軍の創設、海外派兵と集団的自衛権の行使、すなわち戦争をする国作りを目指している。同時に、治安維持活動と称して、国民弾圧の暴力装置としての機能を果たす。

 今回のミャンマーでの事件が、その典型的な例ではないか。
 また、こういう軍隊の真実を伝えるジャーナリストが、また一人殺害されたことは本当に残念である。

 以前イラク戦争でも、郡山総一郎氏がイラク国内での米軍の蛮行を取材していた。真実を伝えようとする彼らを、日本政府や少なくない日本のジャーナリズムは「自己責任論」、「非国民論」を展開して、国内世論を扇動した事は今でも記憶に新しい。

 かつて戦前戦中、日本のジャーナリズムが大本営発表を撒き散らし、国民を戦争に駆り立てていった苦い経験をこの国は持っている。

 どのような国家、組織、人物でも、増してや軍隊なら、悪事を隠蔽し、事実を歪曲して伝えるのか、真実をありのままに伝えるのか。ジャーナリズムの真価、ジャーナリストの良心が問われている。

10・7北関東憲法フォークジャンボリーもうすぐ

2007年09月28日 11時04分21秒 | Weblog
 日本国憲法60周年と結城市の核兵器廃絶平和都市宣言20周年を記念して、北関東憲法フォーク・ジャンボリーを07年ゆうき市文化祭参加企画として開催します。
 
 主催はこれまで結城市で、各種コンサートを企画してきたかるちあ農園と、茨城連根の会を中心とした実行委員会です。連根の会は、フォークソングなど歌や文化の表現力で憲法九条と平和を守ろうという運動を展開しています。昨年、一昨年と上野の水上音楽堂で全国規模の憲法フォークジャンボリーを成功させてきました。今年は、岡山、長野、宮城、東京などで地域ふぉーくジャンボリーを波状的に開いて、憲法九条の波を起こしてきました。いよいよ北関東の番です。

 とき 10月7日の日曜日
    午後1時30分から5時30分
 会場 jr水戸線結城駅北口前
    結城市民情報センター
    3階多目的ホール
 会費 一般 2000円
    (当日300円増)
    小中高生障害者 1000円
 茨城県、栃木県、ぐんまけんなどから11組が出演、東京からの友情出演も1名あります。

 ゲストは1969ねんから71年にかけて開かれた、日本初の野外ビッグコンサート、全日本フォークジャンボリーの企画製作者であり、連根の会の呼びかけ人であり、憲法フォークジャンボリーの発案者でもある笠木透と雑花塾です。 今回のコンサートの見どころは、出演者それぞれがその個性、創造性、人間性を発揮して、非戦、非暴力、非核、憲法九条と平和をテーマに創作し表現しあうというところです。主権者国民である私たちが、文化的に自作のフォークソングの言葉、メロディ、はーもにーを披露しながら楽しく交流します。

 出演者は多彩です。青年、女性シンガー、演奏暦25年以上の実力波グループ、百姓ふぉーく、労働者、保育園長、介護師、障害者、元役者、合唱やコカリナ演奏もあります。

 また、笠木透と雑花塾の演奏では、涙あり笑いあり、戦争の悲惨さと平和の大切さを共感しあえるでしょう。お気軽にご来場下さい。

   プログラム

 オープニング   口 上

 第一部
  ヒューマンファーマーズ(茨城)
  小野みさおその仲間たち(栃木)
  チエ         (群馬)
  マザーウォーター   (茨城)

 第二部
  主催者挨拶
  つくばコカリナを吹く会「風の輪」(茨城・コカリナ)
  「足利・九条の会」有志グループ (栃木・)  
   渡辺善行       (東京)
  えりのあ       (栃木)
  ワイルドフラワーズ  (栃木)
  館林ロストシティランブラーズ(群馬)

 第三部
  ピース合唱団    (茨城・合唱)
   ヨロコンデぶっち  (群馬)
  笠木透と雑花塾   

 当日会場内では、cd、九条グッズ、飲み物、軽食の販売があり、コンサート終了後にはサインセールもあります。

猫の慢心

2007年09月26日 22時35分08秒 | Weblog
 猫を疎んじたり褒め上げたりこのところ活発な我が家の猫を注目していたが、またまた事を仕出かしてくれた。
 
 早朝、受信したメールを開封しようとパソコンの前に座ると、猫のかすかな鳴声がした。猫はどこにと左手を畳の上に降ろそうとした時、何やら生暖かいなめし皮の様な、手のひらに収まってしまう程度の小さな物体に触れた。何打これは、まさかネズミではあるまいなと大声で妻を呼んで調べてもらったところ、何とそれは一匹の小さなモグラだった。

 一時はネズミを捕ってきたと褒め称えていたのだが、所詮猫は猫なのである。昆虫や小さな動物なら、ネズミでなくても何でも捕まえてくるのであろう。ただ、ネズミは食べるがモグラは食べないのだ。しかも問題なのは、捕まえてきたモグラを、わざわざ私のパソコンのそばに供えて誇らしげにしていると言う事だ。これは自分のしている事が、人間様にとっても良い事なのだから、「我輩は役に立つ猫なのである」という猫の慢心なのであろうか。

 人間社会でも様々なことがある。ほめられてそれを励みにさらに精進するのであれば良いのだが、往々にして油断したり調子に乗りすぎて失敗する事がある。失敗をとがめられないと自己点検しなくなる。失敗を庇ってもらうと反省しなくなる。そういう者が立身出世して重要な役職についたりすると傲慢、独善的、「オレがオレが」となりがちである。相談する者やたしなめる者がいなければさらに独裁的になり暴走し、大失敗をやらかしたり、不正を犯したりもする。

 ここ僅か十日程度の間に起こった我が家の猫をめぐる騒動を見ていると、やはりここ十数年来の私の周辺に起きた数々の人間模様、ヒューマンドキュメント?を思い起こさずには入られないのだ。

猫本来の仕事

2007年09月18日 21時01分23秒 | Weblog
 我が家の猫が、喰い残しの昆虫のバラバラ死体を縁側に散乱させて、家族たちの顰蹙をかっていたが、私が音声パソコンのメール通信で、猫のこの残虐行為を即刻社会的に告発した。

 するとこの時の音声を猫が聞いていたのだろうか。昨日は初めて猫がネズミを捕らえてきたと言うではないか。家族に冷たい視線を浴びせられた事で、自らの残虐行為を反省し、猫本来の仕事に目覚めたのであろうか。それとも、私が重大な誤解をしていてこの前の猫の昆虫採集は、いざネズミを捕らえるときのためのリハーサルであったのだろうか。いずれにしても見事な仕事ぶりだったようである。

 ところで、わが国の国会議員の先生たちは本来の仕事をしているのだろうか。そもそも国民の厳粛な信託を受けた国民の代表者として、国民全体に奉仕する立場であるのだが、特定の大金持ちや外国の権力者への奉仕者とはなっていないだろうか。そうであれば、我が家の猫のように反省して、本来の役割を果たしてもらうか、もっとこくみんの代表者としてふさわしい人たちに代わっていただく以外に無いだろう。

 さて、我が家の猫は、捕らえたネズミをその後どうしたのだろう。以前に飼っていた猫は、捕らえたネズミを2~3日間放置してからゆっくり食べていた。よく牛肉などは、しばらく寝かせておいて、腐る直前のほうが肉質は柔らかくなり、アミノ酸も増えておいしくなると言う。ところが今度の猫は、捕らえたネズミを即刻食べてしまったと言う。どうやらゆっくり熟成させてから食べるタイプではなく、死後硬直が始まる以前の、まだ生暖かくて新鮮なうちに食べるほうが好みのようである。

猫の昆虫採集

2007年09月17日 15時29分39秒 | Weblog
 視覚障害者を九年もやっていると、視覚で獲られるはずの情報が失われる事で、言葉での表現力が失われていくのだろうか。
 
 母や娘の話を総合すると、縁側に首の無いカマキリ、片足のもぎれたコオロギ、セミノ羽などが産卵していると言う。多分我が家の飼い猫の仕業であろう。四十五年間は目が見えていたので大体の情景は察しが着くが、言われてみなければ判らないし言葉に表す事も出来ない。ましてや生まれつき全盲の方々が判断し表現するのには大変な困難があるだろうと思う。

 ところが、ある生まれながらにして全盲の方の話を聞いたことがあるが、その方は何でも触ってみて想像するのだという。そういう話を聞いて、私はまだまだ努力が足りないなと思えた。

 それにしても、我が家の猫さんの昆虫採集の動機は何だったのだろうか。餌はあげていた(妻が)はずだったのだがお腹がすいたのだろうか。それとも食べもしないのに面白半分に殺したのだろうか。だとしたら残酷なことである。まるで最近の人間たちのように・・・。

ヒューマン・ファーマーズの転換点

2007年09月13日 19時10分50秒 | Weblog
 百姓ふぉーく ヒューマンファーマーズの活動を開始して来年で満20年になる。「食と農を守れ」、「野良の話題から世界の平和まで」などと唱えながら、ほぼ同時期に沸き起こってきた農民運動や食健連運動などにも呼応して、最初は多忙な仕事や活動の合間をぬって、やれる範囲で気ままな演奏活動をしてきた。
 
こんなチームでも長くしぶとく続けてくる事が出来たりゆうとしては、ただ純粋にフォークソングがすきであったということや、創作表現することが生きがいであったと言う事もあるだろう。自分たちの歌とメッセージに強い信念を持ち、演奏で共感しあうことを生きる力ともしてきたこともあるだろう。いい加減なようでけっこう執念深いのである。偶然の出会いや運にも恵まれた。また一部だが、物好きにも熱烈な支援をしていただいた皆さんがいる。これには深く感謝している。

 メンバーは北嶋誠、佐藤せいごう、武田秀明で始まり、やがて亀井秀明、久保田秀幸、渡辺三智夫が加わった。もとより私と佐藤せいごうのコンビが骨格であり基本形だったが、他のめんばーの個性や持ち味が加わってヒューマンふぁーまーずのこれまでのスタイルが形成されてきた。したがって、一人ひとりが重要な存在であり、二人以上ならどのようなメンバー編成でも、ヒューマンファーマーズとしての誇りと威信?にかけてその責務を果たしていただくことになっている。これは決して虐待ではない。ふぁーまーずはあくまで任意参加なので、現存のメンバーにとってはむしろこれは快楽であると勝手に解釈している。要するに始めるのも始める方ならつき合うのもつき合うほうなのである。

 持ち歌は、仕事や生活の中で少しずつ作りためたオリジナルと替え歌の類であった。初期に多く歌った歌は、「テーマソング」、「稲刈りの唄」、「署名の歌」、「れんげの花咲く田んぼに出かけよう」、「歩みをとめずに」、君が代を風刺した「日本国酷歌」、輸入食品と横浜港を題材にした替え歌メドレー「未完成組曲危ない横浜」etc。これでは、一般的にはまともなバンドには見えなかったであろう。だが、農業、食料、環境、平和、にんげんなどをテーマにして私たち自身が望む歌、フォークソングを歌っていく以外に路はなかったのである。笠木透氏と出会ってか
らは、これが改善されるどころか、その特異、偏屈、過激?謙虚?で独自のフォークソング路線にさらに拍車がかかってしまったように思う。

 もっと練習やこんさーと活動をしたい。歌の創作やcdづくりもしたい。などと思いながらも、実行に移す余裕もないまま、1998年5月のれんげ祭りの頃までの約10年間はこういうペースで過ぎていった。

 そして1998年は、わたしの病気失明という、自分ではなんとも表現しがたい出来事があり、私と家族、私の周囲の仲間たち、そしてヒューマン・ファーマーズの運命も大きく揺れ動いていくことになってしまった。ここがひゅーまんふぁーまーずにとって一つの転換点となったのである。

「我流川柳 帰農家狂歌」

2007年09月13日 18時21分13秒 | 「我流川柳 帰農家狂歌」
 記録ミス みんなでやれば ミスじゃない
   ミスミス許す 閣僚懐疑
     (滑稽議員)

 良く判る 国民よりも アメリカに
   不徳をわびて 首相を辞任
     (百笑報苦過酒)

 福祉より 大事なイラク 特措法
   首相代えても 約束守る
     (失格障害者)

情報源・その6・パソコン

2007年09月11日 19時19分08秒 | 情報源
 視覚障害者のパソコン講習会に参加して、これなら私でも何とかやれそうだと思い、家電ショップで「広告の品」のパソコン機器一式を購入したのは約5年前である。音声操作用ソフトなども揃えて意気込んで始めたまでは良かったが、あれもこれもやりたい、多事多難という状況の中では、とてもパソコンに集中することが出来ず頓挫状態になっていた。

 その上パソコン本体が故障し(壊れていないと言う人もいるが私には皆目わからない)、約1ねんちかくも放っておいた。

 ところが今年は一念発起して、強引に生活リズムを変えて色々と挑戦していくことにした。まず農民の端くれに戻る事。散歩をする事。憲法ふぉーくジャンボリーをっ成功させること。視覚障害者運動に参加する事。そしてパソコンを習得することである。

 まずはじめに相談したのが、二年ほど前に設立された茨城県itサポートセンターである。そこで紹介されたボランティアの方に何度か自宅に来ていただいてサポートを受けた。だがそこにばかり頼るわけにも行かないので、しばらくはサボっていたが一応会員となっていた茨城パソコンボランティアの会(パソボラ茨城)に顔を出す事にした。

 まずは、水戸市でかいさいされたパソボラ茨城の総会に初参加した。「せっかくだから自己紹介も兼ねて一、二極歌うよ」。とギタを持って出かけたところ、なんと総会終了後の交流会に一時間の北嶋誠コンサートが企画されているではないか。やむなく笠木透氏とまでにはいかないまでも、話半分演奏半分の時間配分で全七曲を歌った。グループ演奏に慣れてしまっていると、一人での演奏は手抜きが出来ないので困った。いずれにしても何とかやりとげたので、この怪しげな男への警戒感も少しは取れて、仲間入りが出来たのではないかと思う。

 もう一つ驚いた事は、約150名の会員の中で健常者は約30名で、その他は視覚障害者、聴覚障害者、肢体不自由者だと言う事である。障害の違いによって使用機器や操作方法も違い、教える側にも獲て不得手がある。健常者と障害者が一緒に学習し交流しながらパソコンをゆっくり、のんびり、少しずつみにつけていこうとする会である。こういう会ならのんびり長く付き合っていけると思う。

 ただ私の場合は、指導を受けても練習が続かずすぐに忘れてしまうという前科があったので、とりあえずメール通信を始めて、常時パソコンに触れる機会を増やすようにして、その他の機能や操作はゆっくり少しずつ覚えていくことにした。お陰様でこの四月から現在まで、批判やお褒めの言葉をいただきながら何とか続けることが出来ている。今後は少しずつ生活や諸活動に生かして生きたいと思う。

伝統と文化ではなく戦争と軍靴だ

2007年09月06日 00時24分46秒 | Weblog
 中教審の答申があり、中学校の1年、2年生に武道とダンスを必修とするという。改定教育基本法のイワユル愛国心教育が早くも登場である。伝統と文化の尊重と言うが、日本の伝統と文化と言うなら豊富にあるだろうに。なぜあえて、のっけから格闘技なのだろうか。まさか軍事訓練でもあるまいに。

 憲法九条を変えて、せんそうをする組作りのために、教育基本法の改定をはじめ数々のあくほうを強行成立させてきた事を考えると、これは伝統と文化の尊重と言うより、戦争と軍靴の登場と言うべきだろう。