摩訶不思議 with LOVE

日常の出来事ほか

革命は失敗に終ったのか?

2008年03月19日 21時40分25秒 | おんがく
 先日、松山市民吹奏楽団の演奏会に行く。仕事の都合もあり、第2部の最後の曲からホールに入った。とても穏やかな瀬戸内海に、プカプカ浮かぶ小船に乗った海賊たちの日向ぼっこと言うところか。パイレーツ・オブ・セトウチアン・・・いい曲だが、何人か船から落ちた。
 休憩後、第3部。「ルスランとリュドミラ」時間の都合で付け足したのか。私には必要のない曲だ。しかし、やるならもう少し合わせたほうがいいだろう。そういう曲だろうし。何とか、まだここまでは我慢できた。(辛うじて・・。)続いて業界用語で「ショスタコの5番」。吹奏楽では4楽章のみを演奏するのが普通である。出だしは良かった。とても落ち着いた感じの「革命」だ。(どうやら武器は持っていないようだ・・・大丈夫か?)しかし、やがて中間部あたりからおかしくなっていく。静かで落ち着いた感じから、投げやりでいい加減な、ダラダラした単なるデモ行進になってしまった。素人とはいえ聴衆は敏感である。演奏者の「もうダメだ」を感じ取っている。私も心臓の脈拍数が150を超えていた。もう前を見ていることが出来なくなった私は、プログラムノートに視線をおとした。そこには「後半部では金管楽器が勝利の凱歌を高らかに歌い上げながらクライマックスを築き、力強く、堂々と曲を閉じます」と書いてあった。私はそれをこう読みかえた「後半部では金管楽器が敗北の哀歌をしんみりと歌いながら暗い幕巣に覆われ、弱々しく、倒れるように曲を閉じます」と。
 私は、曲が終った後の皆さんの拍手が、大阪国際女子マラソンでの福士加代子に贈られた拍手と同じもののように感じられた。倒れそうなりながら、それでもゴールを目指す選手に対して日本人は暖かい。「救心」を持ち合わせていなかった私は、動悸がおさまらないままアンコールが終るのを待った。何か、見てはいけないものを見てしまったときのような、不思議な感覚のまま席を蹴るように立ち上がった私は、犯罪者のように会場から出て行った。きっと演奏者の方たちも、指名手配犯のように会場を出て、捕まったあとの容疑者のように上着を頭から被って、打ち上げ会場で取調べを受けたのだろう。

 この曲を選んだのは、選曲した者の皮肉だったのだろうか。それとも、これから起こる新しい世代によるレボリューションを予言したものだったのだろうか。

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