摩訶不思議 with LOVE

日常の出来事ほか

 天長節

2006年12月23日 22時50分15秒 | しゃかい
今日は天長節。午後からは、悠仁親王殿下ご誕生奉祝パレードに参加してきた。実行委員の方々は別にして、参加者の殆どが高齢者である。ロープウェイ街から大街道を通って銀天街を歩いたのだが、商店街の真ん中を行く「老人」たちと、その両側を行く「若者」たちという構図になっていた。「天皇陛下万歳!悠仁親王殿下万歳!」と叫びながら歩いていると、彼らの殆どは「何か見てはいけないものを見てしまったような目線」で足早に我々の横をすり抜けて行った。
世の中の若者たちが右傾化していると言われているが、それは多分ネットの中だけの話なのだろう。彼ら若者たちは、いまだに戦後教育とマスコミに縛られているのだ。たくさんの日の丸を見ても「これは何かの幻だ」と反射的に目を逸らす。当然、今日が天皇誕生日だなんて知らない。携帯でいつも見ている「モバイルgoo」には、「今日は12月23日(土)テレホンカードの日」と出ていたし、愛媛新聞にも天皇誕生日という文字は見当たらなかった。家庭でも学校でも、そして社会(マスコミ)でも教えない。教えているのは、個人の自由か人権か・・・。
集団の中での自由は制限を受けるものだ。人の集まりなのだから当然だろう。国家は人が集まって出来ている。そして、遠い昔から自分たちの祖先が護ってきた大切なものなのだ。今、我々が存在しているのは、その時代ごとに義務を果たしてきたからだ。

 先生やママさん方の目線が気にはなっていたのだが、まさか!

2006年12月19日 23時27分25秒 | おんがく
今日は「アンサンブルつばめ」で、ある幼稚園に行った。もちろん演奏をして、みんなに楽しんでもらう為である。100人余りのちびっ子と先生とママさんたちの前で演奏した。それにしても、今日の演奏はアクシデント多かった。特に人形劇「うさぎとかめ」の時は滅茶苦茶だったような・・・。(私もギターのカポを忘れるし)
しかし、子供たちの大きな歌声に助けられた。
※実はこの後、私は自宅に帰ってから愕然とした。恥ずかしくて、ここには書けないが、訊かれたら答えよう!!(と偉そうに言うことではない)

 映画「太陽」

2006年12月18日 00時45分23秒 | しゃかい
先日、ロシアの映画監督アレクサンドル・ソクーロフの「太陽」を観た。この映画は、そのテーマや登場人物などから当初「日本での公開は無理だ」と言われていた。私は、ネットなどでこの映画の存在(ある程度の内容)は知ってはいたのだが、まさか松山で上映されるとは思ってもいなかった。昭和天皇をイッセー尾形、香淳皇后を桃井かおり、藤田侍従長を佐野史郎が演じている。
まず、ある程度予想していたとはいえフィクションが多過ぎる。皇居の中にまで米兵が入って来ていたり、天皇がマッカーサーとの会見に向かわれるときも連行されて行く感じに描写されていたり・・・。さらに酷い事に、米兵たちが天皇をチャーリー・チャップリンに似ていると言い、冷やかしながら陛下に向かって「チャーリー」を連発、最後には「バイバイ、チャーリー」といって笑いながら去っていくシーンまで捏造されている。全編に渡って、とにかく「子供っぽい天皇」を描いているのだ。いくらロシア人監督とは言え、あまりにも恣意的な解釈?ではないか。この監督は、ヒトラーを描いた「モレク神」、レーニンを描いた「牡牛座(原題の直訳・日本未発表)」に続く3部作の最終作として昭和天皇を描いた。ヒトラーやレーニンと並べているのは、彼が昭和天皇のことを独裁者だと思っているからなのだろうか。(※そういえば、チャップリンは独裁者という映画を撮っている)
この映画は最後に、天皇自ら神格を否定するという決意で、皇后に「私たちは自由だ」と言わせている。この辺りも、天皇を窮屈な操り人形のようにしか捉えていないようだ。その後、神格を否定するという決意は、新日本建設に関する詔書(所謂、人間宣言)に繋がっていくというあり得ないストーリーになっている。

この昭和21年1月1日の新日本建設に関する詔書が「天皇の人間宣言」と呼ばれているのは、後にマスコミが名付けたものだと言われている。というか、勝手にそう解釈したのである。本来、新日本建設に関する詔書は、人間宣言などではなく、戦争によって意気消沈した国民の心や国家の経済・文化を建て直し、国を再建するという内容だとハッキリ!そう書かれている。さらに、この詔書はこの言葉から始まっている。
今、もう一度、この言葉が必要な時代になってきているように思えてならない。

「茲ニ新年ヲ迎フ。顧ミレバ明治天皇明治ノ初國是トシテ五箇条ノ御誓文ヲ下シ給ヘリ。」

一、廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スヘシ
〈広く会議を興(おこ)し、万機(ばんき)公論に決すべし〉

一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ經綸ヲ行フヘシ
〈上下心を一にして、盛んに経綸(けいりん=国家をおさめととのえる方策)を行うべし〉

一、官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス
〈官武一途庶民に至るまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まさらしめんことを要す〉

一、舊來ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
〈旧来の陋習(ろうしゅう=悪い慣習)を破り、天地の公道に基づくべし〉

一、知識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ
〈智識(ちしき)を世界に求め、大いに皇基(こうき=天皇が国を治める事業の基盤)を振起(しんき=ふるい起こす)すべし〉

 人事院勧告という自作自演がもたらす階級制度

2006年12月07日 00時25分55秒 | しゃかい
 来年度から財政再建団体に移行する夕張市が、職員の早期退職希望者を募る説明会を開いた。その中で、職員の削減数や給与の平均30%削減、退職手当の段階的削減などを説明したそうだ。この退職金の段階的削減とは、59・28月分だったのを11月の議会で57月分に改正。2007年度には50月、08年度40月、09年度30月と毎年削られ、2010年度には20月になるという。勤続35年の定年者の場合、今年度支給額の3分の1以下の最高600万円になるそうだ。
 そもそも、この財政再建団体への移行とは、民間企業でいう(会社更生法や民事再生法を適用しての)倒産である。倒産したにも関わらず退職金が貰える。一体、どういう神経をしているのだろうか。第一世の中には、退職金制度などと言うもの自体が無い会社の方が多いのだ。
 以前、私が勤めていた会社は、幸いにも退職金制度が存在した。その会社は、長く無借金経営を続けてきた、企業ランク上位の会社でもあった。因みに、そこを退職したときの退職金を上記に当てはめてみると、僅か4.6月分にしかならない。彼らの感覚が如何にずれているか。また、彼らの生活が一般市民を犠牲にした上に成り立っているかということがよく分かる。
 市側は「残ってくれと言える条件じゃない」と話しているそうだが、冗談じゃない!即刻、退職金なし!給与30%削減でもOKだという者を募集しろ。それでも十分民間と同じか、それ以上だ。