摩訶不思議 with LOVE

日常の出来事ほか

 中国様に逆らえない福田総理が椅子に腰掛けたときの内股が気持ち悪い

2008年03月19日 21時52分47秒 | しゃかい
「人民網日本語版」 2008年03月18日より
 国務院の温家宝総理は18日午前、国内外の記者に向けた記者会見に出席し、英国フィナンシャルタイムズの記者の西蔵(チベット)問題に関する質問に答え、次のように述べた。
 「私たちは重ねて厳粛に申し上げる。もしもダライが独立の主張を放棄し、チベットが中国領土の分割できない一部分であることを認め、また台湾が中国領土の分割できない一部分であることを認めれば、対話に向けた我々のドアは常に開かれていると。これは私たち自身が提案した条件で、現在でも変わっていない。このほど発生した事件によって、カギとなるこの問題においてダライが偽りの仮面をかぶっていたことが証明された。だが、たとえそうであろうとも、中国の従来の主張はまだ有効だ。この問題でカギとなるのはダライの行動だ。私はここで問い返したい。拉薩(ラサ)でこのような驚くべき事件を起こし、中国のその他の地域でも類似した事件を起こそうと画策し、他国の中国の大使館や領事館を襲うように仕向けた黒幕が、ダライと無関係と言えるのかと。私たちはダライの発言だけでなく、その行動も見て、ダライに対する判断を下している。」

 この温家宝の発言を聞いて、普通の日本人ならどう捉えるだろうか。実は、これこそが中華思想そのものなのである。所謂、ドラえもんに出てくる「ジャイアン」だ。中国共産党以外は認めない。また、漢民族以外は二等民族として見下すのが彼らの常識である。すでに日本に対しても同じようなことを要求、いや命令してきている。たとえば、日本の領海内にあるガス田から資源を吸い取りながら、一方では共同開発を持ちかけてきたり、「空母を開発するから、太平洋のハワイから東部を米国が取り、西部を中国が取るというのはどうか」などと中国軍の幹部が米軍に提案したりしている。日本人の頭で考えれば常識はずれの理論かもしれないが、中国共産党の頭で考えれば至って正常なことのようである。
 このような人々が支配する国で、今回のチベットの事件が起こってしまった。事の発端は、14日午後3時ごろ、ジョカン寺の西にある金谷ホテル近くに展開していた装甲車4台のうち、緑色の1台が群衆に突っ込んだことである。軍のトラックは、倒れていた100人以上を収容してどこかへ搬送して行ったそうだ。この後、怒ったチベット人たちが漢族の店などに焼き打ちをかける騒ぎに発展したという。天安門事件を思い出す。あの時も今も、まったく同じ、中国共産党はすべてを隠す。死体も負傷者も当局の虐殺も、隠して闇に葬ってしまう。隠せば無かったことになると思っているのだ。うちの犬より知恵が浅い。
 1989年にチベット自治区の共産党書記だった胡錦濤は、今回と同じように独立を求めるチベット人たちを虐殺した。彼はそのときの功績により出世し、とうとう総書記にまでなってしまった。胡錦濤は、また同じことをするのだろう。できると思っているに違いない。世界征服を企むヤツなんて、映画の中だけの悪役だと思っていたが、隣の国に居たとは。知ってはいたが、今は我々日本人が現実を突きつけられている。このまま、今までのような土下座外交を続けるか、それとも毅然とした態度で日出処の国民として付き合うのか。今の福田政権では無理かもしれないが、もう決断しなければならない。さもなければ、次は日本が危ない。すでに、経済も思想も中国に牛耳られ、残っているのは領土だけだ。日本が日本であるために、日本人が立ち向かわなければならない。

革命は失敗に終ったのか?

2008年03月19日 21時40分25秒 | おんがく
 先日、松山市民吹奏楽団の演奏会に行く。仕事の都合もあり、第2部の最後の曲からホールに入った。とても穏やかな瀬戸内海に、プカプカ浮かぶ小船に乗った海賊たちの日向ぼっこと言うところか。パイレーツ・オブ・セトウチアン・・・いい曲だが、何人か船から落ちた。
 休憩後、第3部。「ルスランとリュドミラ」時間の都合で付け足したのか。私には必要のない曲だ。しかし、やるならもう少し合わせたほうがいいだろう。そういう曲だろうし。何とか、まだここまでは我慢できた。(辛うじて・・。)続いて業界用語で「ショスタコの5番」。吹奏楽では4楽章のみを演奏するのが普通である。出だしは良かった。とても落ち着いた感じの「革命」だ。(どうやら武器は持っていないようだ・・・大丈夫か?)しかし、やがて中間部あたりからおかしくなっていく。静かで落ち着いた感じから、投げやりでいい加減な、ダラダラした単なるデモ行進になってしまった。素人とはいえ聴衆は敏感である。演奏者の「もうダメだ」を感じ取っている。私も心臓の脈拍数が150を超えていた。もう前を見ていることが出来なくなった私は、プログラムノートに視線をおとした。そこには「後半部では金管楽器が勝利の凱歌を高らかに歌い上げながらクライマックスを築き、力強く、堂々と曲を閉じます」と書いてあった。私はそれをこう読みかえた「後半部では金管楽器が敗北の哀歌をしんみりと歌いながら暗い幕巣に覆われ、弱々しく、倒れるように曲を閉じます」と。
 私は、曲が終った後の皆さんの拍手が、大阪国際女子マラソンでの福士加代子に贈られた拍手と同じもののように感じられた。倒れそうなりながら、それでもゴールを目指す選手に対して日本人は暖かい。「救心」を持ち合わせていなかった私は、動悸がおさまらないままアンコールが終るのを待った。何か、見てはいけないものを見てしまったときのような、不思議な感覚のまま席を蹴るように立ち上がった私は、犯罪者のように会場から出て行った。きっと演奏者の方たちも、指名手配犯のように会場を出て、捕まったあとの容疑者のように上着を頭から被って、打ち上げ会場で取調べを受けたのだろう。

 この曲を選んだのは、選曲した者の皮肉だったのだろうか。それとも、これから起こる新しい世代によるレボリューションを予言したものだったのだろうか。

 好きだったもの

2008年03月13日 18時18分42秒 | おんがく
先日、あるライブハウスで、久しぶりにクラリネットを手にする破目になってしまった。最初、ギターでの弾き語りのみの出演予定だったのだが、皆さんがクラリネットの音を生で聞くのは珍しいだろうというので、ギター伴奏を付けてもらって1曲吹くことになったのだ。それにしてもクラリネットと聞くと、誰もがやっぱり「ぼくの大好きなクラーリネット~♪」と歌いだす。他にないのかなあ・・・。私はこういう場合、苦笑いするしかない。そんなに「大好き」なわけでもないから。
では、大好きなものってなんだろう。
ないなあ・・・。ない。
前はあったのに・・・。