摩訶不思議 with LOVE

日常の出来事ほか

ドッペルゲンガー

2013年05月13日 22時26分42秒 | じぶん
私は25年以上前頃から、よく言われることがあります。
それは、
「きのう本屋で見かけたよ」とか「商店街ですれ違ったのに無視された」というものです。
先日も友人から電話がかかってきて「今日、千舟町で何してたん?」と言われたましたが、そもそもその日は事務所に缶詰状態だったので「それ俺じゃないよ」としか言えませんでした。

最近は「あ・・・またか」と思うようになってきましたが、以前は気持ち悪いもんでした。
というのも、もし自分が「そいつ」に出会ったら死期が近いという事を何かで読んだことがあったからでした。

このドッペルゲンガー現象は、今年になってからすでに5回も。月に1回は発生しています。
確実にこの地に彼はいるのです。


ドッぺルゲンガー Wikipediaより

ドイツ語: Doppel(ドッペル[1])とは、「写し、コピー」という意味である。
以上の意味から、自分の姿を第三者が違うところで見る、または、自分が異なった自分自身を見る現象のことである。自ら自分の「ドッペルゲンガー」現象を体験した場合には、「その者の寿命が尽きる寸前の証」という民間伝承もあり、未確認ながらそのような例が数例あったということで、過去には恐れられていた現象でもある。
ドッペルゲンガーの特徴として、
ドッペルゲンガーの人物は周囲の人間と会話をしない。
本人に関係のある場所に出現する。
等があげられる。
死期が近い人物がドッペルゲンガーを見るという事から、「ドッペルゲンガーを見ると死期が近い」という民間伝承が生まれたとも考えられる。

日本人なら知っておかなければならない憲法のお話

2013年05月05日 17時12分01秒 | しゃかい
5月3日は憲法記念日でしたが、皆さんはどのように過ごされましたか。
私は、ひめぎんホールで日本会議主催の憲法講演会に出席・・・というかお手伝いにいってきました。
その日は同じ場所で、護憲派の方々の集まりもありましたが、特に期待された衝突もなく(笑)、無事に講演会を成功させることができました。
それにしても、護憲派の方々は分かりやすいですねぇ。
みなさんそれぞれの幟を持ってこられていて、「共産党」とか「生協」とか「原発ゼロ」とか「キムチ」とか正体バレバレでした。

ところで憲法に関して、学校で間違って習っていたり、新聞やテレビのバカコメンテーターの言葉をそのまま信じたりして、頭がお花畑になっている方も居られるかも知れませんので、ここで正しい認識と歴史事実を記しておきますね。

まずはこちらのブログ「正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現」から引用
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/?no=5049

昭和21年(1946年)2月、日本政府は、大日本帝国憲法の諸条項を踏襲した改正要綱をGHQに提出したが、マッカーサー総司令官は受け入れを拒否、独自の草案をGHQ民政局に作成させた。

「占領者は、占領地の現行法律を尊重して、公共の秩序及び生活を回復確保する…」とした国際法(ハーグ陸戦条約)に対する明らかな違反行為だった。

1946年2月4日、マッカーサーはGHQ民生局長ホイットニーに日本の戦争放棄などを盛り込む憲法改正草案の作成を命じ、ホイットニーは軍人や左翼主義者など25人の米国人(ユダヤ人が多かった)を会議室に招集し、9日以内に憲法草案を提出するように命じた。

25人は全員が憲法について全くの素人だったため、彼ら自身が困惑した。

自分の経歴からいって、果たしてこのような任に堪え得るのか、不安に思いました。(オズボーン・ハウゲ陸軍中佐)

私は、このようなことは不幸なことだと思いました。なぜなら、外国人によって起草された憲法は、正統性を持ち得ないと思っていたからです。(ミルトン・エスマン陸軍中尉)

数日後に、ミルトン・エスマンが「日本の専門家を招いて相談すべきだ」と提案した。
するとホイットニーは即座にこのチームからミルトン・エスマンを追放した。
新しい日本国憲法の草案の作成に、日本人の専門家を招くことは許されなった。

作業は会議室にこもって、ユダヤ系米国人の素人集団によって、たった7日間で完成した。

2月13日、ホイットニーは、素人集団がわずか1週間程度で作った憲法草案を吉田茂外相ら日本側に提示した。

2月18日、日本側は、憲法はその国の国情と民情に即して適切に制定せられた時のみ成果を得られる、という説明書を提出したが、ホイットニーは怒って聞き入れなかった。

3月6日、日本政府は憲法改正草案要綱を発表した。

現憲法は、5月の吉田茂内閣の発足を経て、憲法改正案を第90回帝国議会に提出し、約4カ月間の審議を経て可決成立し、11月3日に公布、1947年5月3日に施行された。

吉田茂が終戦連絡中央事務局次長に抜擢し、GHQとの折衝にあたった白洲次郎は、1946年3月の手記で、「斯クノ如クシテ敗戦最露出ノ憲法案ハ生ル 『今に見ていろ』ト云フ気持抑ヘ切レス ヒソカニ涙ス」と記している。

マッカーサーは後に、「どんなに良い憲法でも、日本人の胸元に、銃剣を突きつけて受諾させた憲法は、銃剣がその場にとどまっているだけしかもたないというのが自分の確信だ。」と語ったように、いずれ占領という「銃剣」が終わったら、即座に日本人は自分たちの憲法を作り出すだろうと確信していたという。

しかし、日本国民は銃剣で押し付けられた「日本国憲法」を、占領が終わっても即座に廃止しなかったどころか、60年以上経った今でもそのまま用いている。

さらに宮崎哲也氏のわかりやすいコメントです。
この中で納税を国民の義務ではなく権利と言っているところがありますが、国民は法律に基づかなければ納税の義務を負わないという権利を有するということかな。
ともかく、11分35秒あたりから宮崎さんのコメントです。
http://www.dailymotion.com/video/xzjckl_5-2-iiiiii-iiiii_news


この大型連休の間に真実を

2013年05月03日 10時25分39秒 | しゃかい
連休に旅行に行かれる方ってテレビで言ってるほどいるのでしょうか。

私はもちろん、どこにも行きません。
いや・・
行けませんが・・・。(^_^;)

そんな皆さんに、折角ですから知っておいていただきたいことを貼っておきます。
ぜひ。お読みください。
テレビや新聞が如何に本当のことを伝えていないかが分かると思います。
故意に隠しているのです。
さらに、日本の教育(教科書)も同じです。
真実の歴史を隠しています。
このままでは、ウソがホントウになってしまいます。
出来るだけ多くの人に伝えてください。

保守速報
http://www.hoshusokuhou.com/archives/24510574.html

中山成彬議員のページもご覧ください。
http://nakayamanariaki.com/modules/katsudou/index.php?page=article&storyid=26