初の「こまばアゴラ劇場」。青年団若手公演+こまばアゴラ演劇学校“無隣館”修了公演「S高原から」を観劇。
青年団若手公演+こまばアゴラ演劇学校“無隣館”修了公演『S高原から』
作・演出:平田オリザ
日程:2014年3月6日(木)- 3月23日(日) 25ステージ
場所:こまばアゴラ劇場
昨年の宮崎駿映画もあって一気にメジャーになった堀辰夫の「風立ちぬ」。この小説をモチーフに、高原のサナトリウムで静養する人々と面会に訪れる人との間に存在する湿度の違いを浮き彫りに、「愛」の形や「死」や「生」の姿を描き出した作品。
その療養所で治療する患者たちは、病が悪化しない限りは普通に生活できる。テニス等のスポーツは厳しいかもしれないが、散歩もできるし、面会に来た友人たちとお茶をすることも問題ない。退院しようとすればそれだって可能だ。しかしその患者たちは、治らなければ、「死」しか存在しない。
むろん市井に生きる僕らだって、究極的には「生」と「死」しか存在しない。
しかし「死」というものを意識する度合いは、両者の間に全く違う湿度をもたらしている。
絵描きの西岡(患者)と婚約者の上野(面会人)の間に横たわる深い断絶。何かを獲得することで幸せを得られるとする上野と静かに生を見つめる西岡。そして余命1年にも関わらず、静かに毎日を暮らす前島(患者)。両者を隔てた何か。「死」を見つめることは「生」を見つめることなのか。
入院半年で元気な村西(患者)と彼女・大島(面会人)。1人は何も変わらないサナトリウムの中で半年という時間を過ごし、もう一人はせわしない活きた時間の中で半年という時間を過ごす。すれ違っていく想い。半年という時間は長いのか、短いのか。
友人や彼女に囲まれ一見賑やかに楽しんでいる福島(患者)。友人たちが福島の体を心配してくれていたとしても、そこには忍び寄る「死」の重さを理解できてはいない。死というものの存在を感じ取っているのは、結局、福島独りなのだ。
それぞれの深い断絶。しかしそれは誰かが悪いわけではない。悪意などなく、ただ「死」をあるいは「生」を見つめることができているか、そうでないかの違いなのだ。
だからこそ、互いを想いながらすれ違っていくその様は悲しい。
【映画】風立ちぬ:宮崎駿のラスト長編作品が残した課題 - ビールを飲みながら考えてみた…
青年団若手公演+こまばアゴラ演劇学校“無隣館”修了公演『S高原から』
作・演出:平田オリザ
日程:2014年3月6日(木)- 3月23日(日) 25ステージ
場所:こまばアゴラ劇場
昨年の宮崎駿映画もあって一気にメジャーになった堀辰夫の「風立ちぬ」。この小説をモチーフに、高原のサナトリウムで静養する人々と面会に訪れる人との間に存在する湿度の違いを浮き彫りに、「愛」の形や「死」や「生」の姿を描き出した作品。
その療養所で治療する患者たちは、病が悪化しない限りは普通に生活できる。テニス等のスポーツは厳しいかもしれないが、散歩もできるし、面会に来た友人たちとお茶をすることも問題ない。退院しようとすればそれだって可能だ。しかしその患者たちは、治らなければ、「死」しか存在しない。
むろん市井に生きる僕らだって、究極的には「生」と「死」しか存在しない。
しかし「死」というものを意識する度合いは、両者の間に全く違う湿度をもたらしている。
絵描きの西岡(患者)と婚約者の上野(面会人)の間に横たわる深い断絶。何かを獲得することで幸せを得られるとする上野と静かに生を見つめる西岡。そして余命1年にも関わらず、静かに毎日を暮らす前島(患者)。両者を隔てた何か。「死」を見つめることは「生」を見つめることなのか。
入院半年で元気な村西(患者)と彼女・大島(面会人)。1人は何も変わらないサナトリウムの中で半年という時間を過ごし、もう一人はせわしない活きた時間の中で半年という時間を過ごす。すれ違っていく想い。半年という時間は長いのか、短いのか。
友人や彼女に囲まれ一見賑やかに楽しんでいる福島(患者)。友人たちが福島の体を心配してくれていたとしても、そこには忍び寄る「死」の重さを理解できてはいない。死というものの存在を感じ取っているのは、結局、福島独りなのだ。
それぞれの深い断絶。しかしそれは誰かが悪いわけではない。悪意などなく、ただ「死」をあるいは「生」を見つめることができているか、そうでないかの違いなのだ。
だからこそ、互いを想いながらすれ違っていくその様は悲しい。
【映画】風立ちぬ:宮崎駿のラスト長編作品が残した課題 - ビールを飲みながら考えてみた…
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