ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

デザインはメッセージである

2008年04月22日 | デザイン、ブランド
サイトにしろツールにしろ、SEや技術者、あるいは理屈っぽい人にデザインの重要性を理解してもらうにはそれなりに苦労がともなう。彼等はプログラムのソースや理論的な整合性には「美」を感じるのかも知れないが、デザインそのものには全く関心がないのかもしれないし、それが意味することも理解できないのかもしれない。

しかしあえて言うのであれば、

「デザインはメッセージであり、デザインが人の行動を決めるのだ。」

以前こんなニュースがあった。男性用の公衆トイレの汚れに困ったある自治体が、いくら「汚すな」と貼り紙をしてもいっこうに効果がない。それならばと、何も書かずに公衆トイレの真ん中に「的」を用意したところ、トイレの掃除時間が大幅に減ったとのこと。

何を言いたいか分かるだろうか。そこに「的」が必要な理由はない。まして「的」があったからって何かをしなければならない理由などどこにもない。

しかし我々(男性)は狙ってしまうのだ!まるで引き寄せられるように。

それは何もトイレの的だけの話ではない。例えばTVのリモコン。もっともシンプルな形態は、電源のON/OFFと1~12までのボタン、音量を調整する上下(大小)ボタンくらいなものだろう。この形式の場合、利用者が使い方を迷うことはあるだろうか。シンプルなデザインはそれをどのように使うかを伝え、迷うことを防ぐのだ。

しかしもしあなたの家にあるリモコンにもっと多くのボタンがついているとしたら、それらは不要なボタンだろうか。そんなことはないだろう。よく使われるボタンをリモコンの表に出し、あまり使わないボタンというのはカバーの裏に潜ませる。必要な時に必要なものを用意することで、日常的な使い勝手を高められる。

これは何も表に見える部分だけの話ではない。利用者により浸透させる、使ってもらうためには、内容はもちろん、利用しやすい環境をどのように手間なく整備するかが大事になる。隠すというのはその一例だし、本人の気付かない間にセッティングされているということだってある。特に与えられることになれた「動物の時代」であればなおさらだ。

利用しやすい環境をどう(システム的・自動的に)実現するのか。そうしたバックヤードの設計を含めたデザイン力というのが大事なのだろう。


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