ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

「声」の話。あるいは秦基博の歌声について

2011年07月17日 | 音楽
秦基博の歌声はどうしょうもなく心震わされてしまう。おそらく日本の男で最も素晴らしいボーカリストの1人だといってもいいだろう。でも、正直、あるイベントで彼の弾き語りを聴くまではそこまで惚れてしまう「声」とは想っていなかった。ちょっとくぐもった、いい声の持ち主、そんな程度だった。

彼の歌声を聴いていると、「声」というものについて改めて考えてしまう。で、今日は「声」の話。どちらかというと取り留めのない話になると思う。

「声」の出し方には大きく2つのタイプがある。

1つは前に届ける方法で、もう1つは響きを伝える方法だ。

よくクラスや職場で「声」が大きくて存在感がある声というのがある。これらの人はもちろん声量も大きいんだけれど、それだけではない。居酒屋で店員に声をかけても、職場で電話越しに喋っていても、そういう人の声はよく目立つ。彼らの声には自らの「主張」や「意思」が表に出ているのだ。

芝居などをやっていてもそうなのだけれど、誰かに届けようという「意思」や「気持ち」が入っている声というのは、自然と前に向かって声が飛んでいく。もう少し言うと、喉から声が飛び出してくるポイントが顔よりも先になる。それが顔のほんの手前のこともあれば、相手を目指してずっと先のこともある。そういう喋り方をする人の声というのは、誰かに届きやすく、自然と存在感がある。自己主張していると言い換えてもいい。

その一方で「声量」としては、つまりdBという単位でみれば、同じように大きな声でありながら、それとは違って「うるさい」と感じることのない声がある。例えばオペラ歌手の声などがそうだろう。彼らも声はもちろん大音量なわけだけれど、決して「うるさい」とか「押し付けがましい」という感じはない。

彼らの声は、観客に「響き」だけを届けようとしており、誰かに届けるための「意思」や「気持ち」を直接相手にぶつけているわけではない。彼らの声に成るポイントは、口から先に出ているのではなく、どちらかというと自分より後ろに持っていこうとしている。そうすることで、意思や気持ちのような「主張」「(相手に)押し付けようとするもの」はあくまで自分の内に留め、響きだけを相手に飛ばそうとする。

これら2つのタイプは例え声量が同じdBであったとしても、受け取る感覚は全く違う。聞き手からすると、片方は押し付けられるように声が届き、片方は響きだけなので聞こえていても届いたという感覚が少ない。前者は「よく通る声」で、後者は「心地良い声」といった感じだろうか。

芝居をやっている時は、意識的に前へ飛ばす声とそうでない声を使い分けたりするわけだけれど、そんなことをコントロールする人は一般的にはそうそういない。そうなると、そうした声の出し方はまさに性格と紐づくことになる。

自己主張の強い人・自分の話をしたがる人は前者のタイプになりやすく、相手の話を聞く側に立ちやすい人は後者のタイプの声になりやすい。能動的な人と受動的な人と分けることが出来るかもしれないし、外向的/内向的な人の違いと言えるかもしれない。あるいは人の話を聞かない人(自分の話をしないと気が済まない人)と人の話に合わせる人(自己主張をしない人)と分けることができるかもしれない。

もちろん実際には「程度」の問題で、喋る相手によって変わることもあるし、内容によっても変わるだろう。言い合いになれば相手に言葉をぶつけるし、慰めの言葉ではちょっと引いた感じになる。

多くの人は意識的に使い分けたりしているわけではないが、中にはこうしたコントロールの仕方を知っている人もいる。例えば2~3人にしか聞こえないひそひそ声なのに、そのメンバーには非常に重く「届く」ような話し方に切り替えたり、逆に大事なポイントで強く相手に「押し込む」ような声で営業をするような人もいる。あるいは普通に話をしているだけで落ち着くような「声」、安心感を与えてくれる「声」を作れる人もいる。

これはなかなか凄い技なのだ。

で、秦基博の声なんだけれど、彼の声というのは決して前者のタイプではないだろう。決して強く相手にぶつけてくる・主張してくるというわけではない。しかし何かが届いてくる。言葉ではなく心の奥底にダイレクトに。これはその声の出し方とは別に「感情」や「想い」が込められている、その「想い」が伝わってくるからなのだろう。

声を前に出すタイプのボーカリスト(ex.ドリカムの吉田美和)であれば、その感情をストレートに乗せられる分、感情は届きやすい。しかし秦基博の場合、相手に感情をぶつけるというよりは、彼自身の内面で感情が純化され、それが声に乗って届く・伝わるという感じだろうか。声そのものはどこか優しく包みこむような感じなのに、感情はストレートに心の奥底に届いてくるのだ。

うん、その声は、是非、一度、生で聴いてもらえたらと思う。いやー、正直、アコギ弾き語りでこれだけ体が震えたのは彼だけです。

秦 基博 / 朝が来る前に(Live at Zepp Sendai '08.12.6)


秦基博 「僕らをつなぐもの」


秦基博 風景


BEST OF GREEN MIND’09 / 秦基博


2 コメント

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Unknown (Gangangansoku)
2011-07-29 03:10:42
こんにちわ
今YouTubeで聞きながら
コメントしています

この方、知らなかったのですが、
いい声ですね~~

またアコースティックギターと
合う・・・素敵です

声って大事ですよね。そして
いい声で生まれたひとはそれが
才能な気がします。

今会社で、CMで起用するナレーター
の方のオーディションテープを
よく聞いているのですが、
声ってすごく様々でいろいろだな
って思っていたばかりでした。

午後のひとときに、
いい音楽、ありがとうございました
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Unknown (beer)
2011-07-30 10:19:31
声って意外と大きい要素ですよね。
ボーカルの出来によってバンドの評価は変わるし、ラジオのDJやナレーションのように顔の見えない場合は、声でその雰囲気も決まるし。
いいナレーターが見つかるといいですね。
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